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吸血鬼狩り 八 ~ 最後の出品物

 オークション会場であるハラー家の邸宅は、前回と同様に大勢の人々で賑わっている。一回目と異なり、二回目のオークションでは無名作家の新作や安価な作品も出品される。入札のハードルが下がるので、参加者も気楽な雰囲気だ。和気藹々(わきあいあい)とした会場の隅で、先生と卯月と僕は人目を避けるように調度品の影で円陣を組んでいた。


「よし、まず確認しよう。カミル君の伝手(つて)で、女伯の出品物は分かっている」


 先生がオークション・カタログを開いた。何度もめくり直してメモを書き込んだため、美麗だったオークション・カタログは既に使い古した教科書のような姿になっている。


「だが、分類(ジャンル)も価格も作者も年代も統一性がない。バラバラだ」


 索引のためにページの角を折ったせいで、オークション・カタログの角だけは元の倍くらいの厚みになっていた。出品者を知っていると悟られないように無関係なページも残しているおかげで、辛うじて目録の原型を留めているが、もう美術誌としての価値は残っていないだろう。


「どれを競り落とすの?」


 カタログから出品物の番号だけを写し取ったメモを片手に、卯月が先生に尋ねる。


「率直に言おう」


 先生が急に畏まって咳払いをした。今までの経験から言って、こういう時に風向きが良かったことは無い。


「分からん」


「ですよね……」


 僕たちは大量の出品物の目録を前に、途方に暮れながらオークションの開始を告げる鐘を待っていた。



***



 クルジュスコール行きのチケットと引き換えに、子爵の命を守る。女伯との約束について、先生と卯月はあっさりと承諾してくれた。最初から危険を気にしていないというように。それはそれで気不味いものでもあったが、少なくとも僕の罪悪感は軽減された。


 女伯はクルジュスコールに入るための(あかし)の受け渡しは競売人(オークショニア)に一任したと言った。だが、非常に困ったことに、競売人であるダレス卿から直に証を受け取ることはできなかった。ダレス卿は前回と違い、拡大鏡を片手に出品物と向き合ったまま、最早、僕たちを振り返ることすらしなかった。


入札してくれたまえ(プリーズ・ビット)。それだけだ」


 出番を控えたダレス卿は、証の「あ」の字すら口にしなかった。面会は二秒で終了した。女伯から密約が(おおやけ)にならないように念を押されているのは、どうやら僕たちだけではなかったようだった。オークション会社の社員や参加者そして出品者もいる前で、下手に動くことができないのはダレス卿も同じなのだろう。


 オークションには正規のルールがある。一方で、その裏で蠢く不正取引について知っているのは競売人だけだ。真作と贋作の匙加減は鑑定士の眼が決めるが、誰に美の女神の幸運を授け、誰にガラクタを掴ませるかは、競売人と結託した者しか知り得ない。


 先生はダレス卿の下で、いくつもの真作と贋作の入れ替えを見てきたという。画商を始めとする美術商たちは競売人と結託し、鑑定士によって贋作と偽って鑑定された真作を安値で買い叩く。さらに、協定(カルテル)に入っていない参加者には無価値な贋作を高値で売り捌く。


 だが、ダレス卿から結託できるような返答は引き出せなかった。しかも、証がどういう物なのかも分からないままだ。ダレス卿の言葉を真面目に受け取るならば、出品の予定変更が無い限り、出品物のどこかに証を隠したのだと考えられる。そうだとすれば、やはり入札(ビット)するしか証を手に入れる手段はない。



***



「とにかく証と関係ありそうな出品物を競り落とすしかない。問題は資金だ」


 先生は手帳を取り出した。


「カミル君、いくら持ってる?」


「えっと、一万六千……」


「お、おま……! カミル君。オルロフから幾らもらった?」


 先生が一瞬、声を荒げた。しかし、その声色はすぐに穏やかなバリトンに戻った。


「そ、それは……その……」


「この市内で、行商に化けた独り身の男が大金を使う場所は無い。一つの例外を除いてな」


「いや……それはですね……」


 イネッサが針子として勤めている店のことは、先生にバレている。しかし、ここでそれを答えるわけにはいかなかった。確かに大した情報も得られず、自堕落な情事だけで時間を潰したこともあった。だが、僕は悪くない。危険を顧みずに情報を提供してくれる美女からの誘いを断る男は、生物として間違っている。


「君は趣味が良い。最高だ。それでは卯月君は?」


「十八万」


 卯月が素っ気なく言い放った金額が僕の胸に突き刺さる。卯月は行商を演じるどころか、真面目に稼いでいたようだ。大金をお持ちでいらっしゃる。


「合わせて二十万弱か。最低価格が二十万以上の出品物には手を出せない」


「いや、あの、先生の持っているお金は……?」


「どうにか狙いを絞って入札しよう」


「先生の持っているお金は?」


「何か言ったかね?」


「先生、お金は?」


「……」


「賭けトランプで負けたから持ってない」


 僕と先生を見る卯月の目には静かな怒りが滾っていた。


『褒められん、まっこち()やし、ぼっけもん……』


 卯月は東洋の言葉で毒づいた。意味は分からないが、彼女の表情から呆れているいうことは理解できる。すべての権限と資金は卯月に委ねられることになった。


「さっきの言葉は、五・七・五の――」


「ダレス卿は真作を偽るって言ってた。だから、証の受け渡しも偽った作品を使うと思う」


 先生のどうでもいい指摘を無視して、卯月は意見を述べた。


「彼は鑑定士だから真作を贋作に、贋作を真作にも偽れる。真作を別人の真作に偽ることも」


「あるいは、贋作を別人の贋作にも」


 卯月の言っている意味が分からない。贋作を別人の贋作と偽る? その目的は?


「有名人の作品だと、入札する買い手も目立つことになる。それだと企みがバレるかも。だから、ダレス卿はきっと逆のことをすると思う」


「そう言われると、そうかも知れんな。真作を贋作と偽る時は無名の贋作師の作品として紹介し、客の興味を損ねて入札を減らすものだ」


 先生は腕を組んで考え込んだ。


「巨匠の中にも納得行くまで同じ絵を描く者がいる。だが、出来損ないは本人の作品でも贋作扱いだ。弟子は出来損ないを真似て描き、さらにそれを真似る贋作師がいる。贋作の贋作となれば欲しがる者は少ないだろうし、価値も無い」


「先生は贋作、分かるんでしょ?」


「事前に情報があれば多少は分かるが……ちょっと待ってくれ、竸りの時間は二分も無い。いくら私ほどの審美眼を持った人間でもそれは――」


「頑張って」


 金を使い込んだ以上、流石の先生も(ぐう)の音も出ない。無情にもオークションの開始を告げる鐘が鳴った。


「今は贋作師の気持ちになって考えろ……私は贋作師、私は贋作師……」


 先生はブツブツと念じながら、作品を観察するため最前列の席に座った。僕と卯月は念のため互いに離れて後方の列に座った。


「お待たせしました。本日のオークションを開始いたします」


 ダレス卿が講壇に現れた。先生が入札したら、贋作を別人の贋作に偽っている合図だ。


「五十六番。『牡丹図の染付皿』。沈世寧(チン・セイネイ)作。白磁器製。18cm×18cm×3cm。素晴らしい逸品。まずは二千から」


 美しい絵皿だった。白い皿に藍色で東洋の花が描かれている。先生が入札のサインを上げた。どんな逸品でも贋作は贋作である。


「二千五百。二千八百。三千のお声。ありがとうございます。他には? 三千二百。三千五百、よろしいですか?」


 卯月が入札のサインを出すが、白磁器は注目の的だった。値段は次第に上がっていく。しかし、先生が途中で何かに気付いたのか、僕たちのほうを振り返って「違う」というように小さく手を振った。


「そこの方、五千?」


「いやいや、違います」


 先生が慌てて入札を取り消すと、周囲から笑いが響く。絵皿は別の婦人が落札した。いくら贋作の贋作でも、絵皿に証を隠す余裕は無いということだろう。


「六十四番。『サルモ・トゥルタ・デルモピラの剥製』。エルミール・ド・エルゾーグ作。剥製。27cm×11cm×5cm。まさに神秘の体現」


 魚の剥製だった。エラの後ろから尾びれ付近まで、ミンクのような毛に覆われた奇妙な魚だ。剥製を目にした途端、先生が立ち上がった。


「如何いたしましたか?」


 ダレス卿が先生に明るく声をかけた。


「そんな魚は実在しない」


「お客様。失礼ですが、これは作品です」


 先生の指摘に、ダレス卿が不敵な笑みを浮かべて答えた。


「芸術家が想像上の生物を剥製として作品にしたのです。何か問題がおありですか?」


「エルミールは芸術家ではなく詐欺師だ」


 先生とダレス卿の口論に会場がどよめく。


「学者先生のために、次回からは芸術性だけでなく実在性についてもカタログに記さねば……。どうかお座りください。あまり時間をいただくと一回の入札で竸りが終わってしまいます」


 会場からの嘲笑を浴び、先生は力無く椅子に崩れ落ちた。どうやら先生の過去にエルミールという人物の剥製が関わっていることは間違いないだろうが、それを推測している時間は無かった。しかし、その後の先生はしばらく放心状態のようで、作品を観察しているのか不明だった。その間にも出品物は競り落とされていく。


 不安になって卯月のほうを見ると、彼女の視線は吹き抜けになっている会場の二階を向いていた。視線の先には喪服のドレスを着た貴婦人が立っている。女伯がオークションの様子を見に来たのだ。卯月が千切って丸めたメモを先生の後頭部に向かって投げた。先生は人形のような無表情で振り向いたが、卯月の指差す方向を見て事情を察したようだった。


「七十二番。ジャック・ド・ヴォーカンソンの『笛を吹く人』の模造品(レプリカ)。サボー・ヨハンナ作。機械人形(オートマタ)。台座を含めて64cm×64cm×155cm。動作は不完全ですが、曲目を組み替える記譜法付き。本日の最上の出品物です。五万から」


 精巧に見える機械人形だが、修復が間に合わなかったようだ。現役の機械人形職人(オートマタ・マスター)の作品の模造品だが、値段の高さもあって客たちも入札を渋っているように見える。


 先生が入札のサインを出した。しかし、ダレス卿は先生のサインを無視して、同時に上がった他の入札のサインを読み上げた。たとえ元弟子でも、騒ぐ客には罰則を課すという意思表示のようだ。


「六万三千、六万四千。他にお声は? 六万六千、七万、七万四千」


 できるだけ値段を小さく刻み、卯月が入札を続ける。だが、ガリアの好事家たちも食い下がってくる。


「十六万二千。十七万、他に? 十七万二千、お時間がございません。十八万! ありがとうございます」


 動作不良の模造品に十八万とは度し難い。


「他にお声は? よろし……後ろの御嬢様から十九万! 素晴らしい、落札です!」


 木槌が講壇を打ち、卯月の落札で竸りは終わった。予算を使い切ったため、これ以上は竸りに参加できない。もしも『笛を吹く人』に証が無ければ、すべての努力が水泡に帰すことになる。オークションの終了後、僕たちは無事に機械人形を手に入れたが、金額に見合う価値があるかは定かではない。


「オークション・カタログには『完全に動作』と書いてあった。以前見た本物とも構造は瓜二つ。明らかに卓越した職人の作品だが、無名の女流作家と偽っていた」


 先生は早速、宿の部屋に運び込んだ機械人形を調べ始めた。ゼンマイを巻くと、機械人形の唇から空気が吹き出し、手にしたフルートを操った。人形の動作と笛の演奏が独立しているわけではなく、人形の吐息で笛が鳴っている。巧妙な仕掛けだ。しかし、右手の握力が足りていないらしく、正常に笛の穴を押さえることはできていなかった。


 先生は付属の記譜法を取り出した。付け替えてみるが、やはり機械人形は間抜けな音を出すだけだった。動作不良の原因とは無関係のようだ。


「こんな不良品に十九万だなんて。服の代金まで上乗せされたんじゃないか?」


 等身大の機械人形は確かに仕立ての良い服を着ていた。卯月が服のポケットを検めると、中から黒い物体が出てきた。それは革手袋だった。他にもポケットを調べると、右の片方だけが三枚あった。


「ペスト医師の革手袋……」


 機械人形に革手袋をはめると隙間が埋まり、奥行きのある見事な独奏曲が奏でられた。まるで(あかし)を持った者を称えるかのように。

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