吸血鬼狩り 六 ~ 最初の出品物
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「昔とお変わりないようで。目録に載ってない作品も真作、画風が似ていれば真作」
先生が鑑定について話を続けると、ダレス卿は僅かに表情を曇らせた。
「君は私の鑑定にケチを付けられる立場になったのか? もういいから、君の助手を紹介するか、口を閉じるか選びたまえ」
「滅相もない」
「では、勝手に挨拶させていただこう。御嬢様?」
ダレス卿は卯月に視線を移したが、卯月は彼から目を逸して沈黙した。ダレス卿は小さく溜め息をついて、先に僕と挨拶した。
サー・ケイシー・ダレス。この気難しい紳士は、アルビオンの連合王国でオークション会社の鑑定士を務めている。先生とは知己のようだが、その関係は決裂しているように見えた。誰しも不用意に触れるべきではない過去というものがあるが、二人の間には今も大きな溝が横たわっているようだった。
僕がクルジュヴァール女伯について尋ねるべきか迷っているうちに、ダレス卿は先に語り始めた。
「残念だが調査には協力できない。出品者の素性や懐具合についても、私から話すことは無い」
画廊での展示から戻ってきた作品が贋物にすり替えられていないか、慎重に確認作業が進められていく。オークションの前に作品が盗まれれば一大事だ。
「では、オークションの参加者はどのような所から?」
「ガリアの王国から貴族や学者が揃っている。少しはまともな審美眼を持っていると期待したいが、大半は金持ちの道楽だろう」
オークション直前の最終確認を続けながら、ダレス卿は素っ気なく答えた。彼が下す鑑定結果は、年季の入った骨董も、綺羅びやかな宝石も、最新の機械仕掛けも、すべて真作だった。
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「二十三番、『猫の花瓶』。ユーリヤ・オルロフ作。剥製、陶器製。52cm×18cm×26cm。コンディションは……素晴らしい毛並み」
ダレス卿が立つ競売人の講壇の横に、不気味な剥製が運ばれてきた。首無し猫の剥製を花瓶に仕立て上げた作品だ。会場のあちこちから失笑が漏れ聞こえる。ユーリヤがオットボーニ司教に贈ったはずのものだが、いつの間にか物好きな貴族に買われていたらしい。
「まずは一万から、どうぞ。一万一千。二千。一万四千のお声。一万五千! どうでしょうか。そちらの紳士から二万! ありがとうございます」
竸りが始まった途端、ダレス卿の見事な采配で値が釣り上がっていく。何故、あんな奇妙な剥製を欲しがるのか、僕にはまるで理解できなかった。しかし、オークションは盛況だった。準備された椅子は後ろまですべて埋まっており、立ったまま参加している人までいる。全員が着飾った貴族や富裕層ばかりだった。
オークション参加者に販売されるオークション・カタログには、出品物のスケッチと詳細な説明が記されている。しかし、芸術について素人の僕には、どの名前が巨匠なのか見当もつかない。
――女流作家に高値はつかない。
オークションの前にダレス卿が言っていた通り、ユーリヤの『猫の花瓶』は大した値段ではなかった。
「左の方が四万五千。右の方から四万六千。首が痛くなってきた。手前の方、四万七千」
入札のサインを追うダレス卿の冗談に会場が笑いに包まれる。作品がつまらなくても、彼は客を飽きさせないように言葉巧みに竸りを仕切っていく。
「他にお声は? よろしいですか? 落札、ありがとうございます」
木槌の音が響き、『猫の花瓶』は見るからに好事家といった風貌の学者が競り落とした。値段は釣り上がったが、他の芸術品に比べれば桁違いの安物だ。
――真作を敬うならば、時には偽りも必要になる。
「四十四番、『ソロモンを訪問したシバの女王』。グイド・レーニ作。油彩。256cm×325cm。本日の最上の出品物です」
先生が贋作と指摘した、巨大な絵画が運ばれてきた。教皇庁で数多くの枢機卿に仕え、宮廷画家として名を馳せた巨匠の作品に会場が色めき立つ。後ろに立つ客たちも、いよいよ現れた百五十年前のアンティークを目に焼き付けようと、前に乗り出したり、オペラグラスを取り出したりしている。
「まずは二百万から。二百二十万。二百五十万。次のお声は? 三百万! ありがとうございます。三百十万。そちらの御婦人から三百二十万!」
その光景は間違いなく熱狂の坩堝だった。瞬く間に値が跳ね上がっていく。先生は真作ならば六百万を下らないと言っていたが、すぐに予想は的中した。
――真作としての価値が認められるまで、仮の姿を与えることもあるのだ。
「奥の紳士から五百万! 五百二十、五百五十……五百八十万のお声がかかっています。他に? 六百万、六百万です!」
次第に降りていく客も増えていくが、竸りの興奮は収まらない。険しい顔の貴族もいれば動揺している貴婦人もいるが、出品者はきっと笑いが止まらないだろう。本来であれば高値のつかない女流作家の作品が、とてつもない値をつけているのだから。
「一千五十万! 他には? そちらから一千百万! よろしいですか? 落札です! ありがとう! 感謝します!」
木槌の乾いた音が鳴り響き、会場全体から拍手が沸き起こる。宮廷音楽家の年収すら上回る金額だった。
オークションの終了後、僕は手帳に書き込んだ出品物の落札金額を指でなぞった。今回のオークションでどれだけの金が動いたか、考えるだけで目眩を覚える。フィッシャー卿は骨董よりも鉱業のほうが金になると言っていたが、この数字を目にしたら意見を変えてしまうかも知れない。
「素晴らしい仕事でした」
「ありがとう。君が私の仕事の邪魔しに来たわけではないと分かって安心した」
講壇に近寄って声をかけた先生に、ダレス卿は目も合わせず答えた。
「女伯殿とご挨拶できませんか? どうか師匠と私の好みで」
「今日はいない。それに君はもう私の弟子ではないだろう」
「つまり、別の日にはいらっしゃる?」
先生がダレス卿の言葉を捉えた。ダレス卿は一瞬、顔をしかめたが、質問には手短に答えた。
「オークションの様子を見に来るとは言っていた」
「それはいつです?」
「君は調査官だと言ったな。ならば君自身で調査するべきではないか?」
「はははは、ご尤も……」
先生の質問を退け、ダレス卿は足早に会場の裏手へと去っていった。
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「出品者がオークション会場に来るのは、自分の出品物が並ぶ時。でしょう?」
イネッサがワイングラスを傾けながら微笑んだ。彼女の流儀に従って、情報提供の際は先に僕が装飾品を注文してから、後で時間を合わせて彼女の隠れ家で落ち合うことになった。イネッサとの時間は夕暮れ時から明け方まで、彼女の気分次第だった。そして、今晩は何故か夕食を共にすることになった。
「女伯は主催者である以上、何か出品物を持っているはずということですか」
僕は水を口に含んで緊張を解きほぐそうとしながら、イネッサの顔色を伺った。珍しく彼女は酔っているように見えた。
「ご明察ですわ。やはり調査官の助手はお利口ね」
しなやかな指先が僕の顎を撫でる。芳醇な吐息が鼻先まで香ってきた。僕はイネッサの誘惑に打ち勝つ意志を放棄しつつあった。
「でも、目玉の出品物は一日目で終わり。総督は絵画を隠れ蓑に、ガリアの王国から資金を。他の『公国派』も少なからずおこぼれにありついている……」
「あの絵画が総督の出品物? とんでもない巨額でしたよ」
「支払いが彼への現金であれば、そうでしょうね」
「……どういう意味ですか?」
「公国独立の計画には、ガリアの王国を後ろ盾にあらゆる手段が取られていますわ。買収、脅迫、暗殺……。《吸血鬼》は一連の計画の暗号名のようなもの。忌むべき怪物を《吸血鬼》と呼び慣わすなら、これ以上の名前は無いでしょう」
そう言って、イネッサはワインを飲み干した。
「あの、呑み過ぎでは?」
「……」
イネッサは流し目で僕を見た。その目は潤み、充血していた。
「他の街で帝国の密偵が殺されたわ。《吸血鬼》に。これまでの情報と同じ、首筋に噛み跡。同一犯かしら」
「そんな……」
「どこかに裏切り者か、不注意な者がいるのかも知れません。用心しないと」
どこか他人事のようにイネッサが呟いた。やはり、ジェピュエル総督府で帝国側に与する人間には危険が迫るようだった。僕は不安を紛らわそうと、グラスにワインを注いで一気に飲み干した。パンやチーズは喉を通りそうになかった。
「もし裏切り者がいるのなら、その人物にも注意しないと。『皇帝派』でも信用できない」
「ジェピュエルの貴族に最初から信用できる者なんて……。女伯が人前に現れない理由を教えてませんでしたね。女伯の夫、前の伯爵が《吸血鬼》の最初の犠牲者でした。『皇帝派』大貴族の筆頭だったクルジュヴァール伯爵は、ある日、聖ミカエル教会の尖塔にぶら下がっていたの。血を抜かれた屍体になって。『皇帝派』への見せしめのようにね」
女伯の夫が『皇帝派』だった? ということは、女伯は脅迫されて『公国派』に加わったということだろうか。そう考えると、なかなか姿を現さない理由も頷ける。『皇帝派』と『公国派』の両方から駆け引きの材料として狙われ、疑心暗鬼に陥っていても不思議ではない。
「それに、補佐司教は白を切っていますけど、連中……クルジュスコールこそ《吸血鬼》の正体かも知れません」
「それはどうして?」
「司教、ゲオルギウス・フラーテルに会ったという者は、補佐司教たちしかいませんわ。彼らの言葉を信じるなら、司教はクルジュヴァールの北の山地、洞窟修道院にいる。でも、そこに入るにはクルジュスコールを通る必要がある。ここまで言えば、誰にでも察しがつくでしょう?」
補佐司教とクルジュスコールは繋がっている。恐らく《吸血鬼》という怪物じみた陰謀によって。全く証拠は無いが、そのように推理するのが自然に思えた。もし彼らが《吸血鬼》の一端を担っているのなら、早くクルジュスコールへ調査を行かねばならない。それがあまりにも危険な冒険であることは明白だろう。しかし、それでも僕たちに他の選択肢は無かった。
「女伯の出品物を教えてください」
「そこまで女伯にお会いになりたい?」
「それは、その……仕事ですから」
「……ふふっ。あくまで仕事ですのね。でもそれだけじゃダメ」
イネッサは椅子から立ち上がったかと思うと、僕の肩にしなだれて寄りかかってきた。
「何ですか?!」
「お楽しみをとっておく趣味はないの」
「でも、せめてベッドまで……」
「それなら、背負って運んでくれてもいいでしょう?」
イネッサが僕の耳元で囁いた。僕は仕方なくイネッサを背負ってベッドまで連れて行った。イネッサはベッドの縁に座り、黒髪をかき上げて僕を上目遣いで見つめた。
「貴方の勇気は本物? それとも贋物?」
酔った勢いもあって、今度は僕が彼女をベッドに押し倒した。




