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吸血鬼狩り 五 ~ 偽りと贋作

***



 先生が斬られた。


 私は先生の怪我を診ようと、薬箱を手に先生の傍に座った。慌てて私とカミルが声をかけると、先生は私の腕を血まみれの手で掴んだ。私が思わず怯むと、先生は小さく囁いた。


「これは……とんでもない重傷だ。うっ……マントも真っ二つに……生きているなんて、奇跡に違いない」


「だ、大丈夫ですか?」


「それは診てみないと……」


 私は裂かれたマントを脱がせて、先生の腕を診た。傷は浅い。確かにマントは駄目になってしまったが、苦しむほどの傷ではないはずだ。それよりも、先生が袖口に隠し持っていた小瓶のほう問題だった。血のように赤い液体が、小瓶から溢れて先生の手や地面を汚している。


「これは?」


「豚の血」


「……」


 私は先生の小細工に溜め息をついた。呆れて言葉が出ない。カミルも渋い顔をしているが、そこまで衝撃を受けているわけではなさそうだった。きっと先生は私の知らないところで、以前にも似たような事をしていたのだろう。


「カミル君、子爵と男爵を捕まえておくように。瀕死の重傷でも、彼らの歓心を買えるなら安いものだ」


「演技でしょ」


「心配させたのはすまなかったが、今は調査を優先したまえ。命懸けだったという印象を与えるんだ」


 そう言ってカミルをボルネミッサ卿とフィッシャー卿の下にけしかけると、先生は再び呻き始めた。私は仕方なく顔を手で覆って泣く振りをした。できるだけ悲壮な感じを出そうと、泣き声を上げようとも思ったが、どうにも嘘くさい感じがしたので止めた。


 すると、医者よりも先に買い物をしてくれた異教徒たちが寄って来て、慰めや憐れみの言葉をかけてきた。彼らは自分の荷物から敷物を取り出して地面に広げ、血で汚れるのも構わずに先生をそこに寝かせた。彼らは宗教上の理由から豚の血肉を嫌っていると聞いていたが、豚の血については知らせないままにしておくのが良さそうだった。


 一方、先生を斬りつけた青年は軍人たちに袋叩きにされていた。青年は取り押さえられた直後には『皇帝派』を呪う言葉を吐いていたが、あっという間に全身を殴られ、蹴られ、そして動かなくなった。明らかに向こうのほうが重傷だった。


「何をしている! さっさと捕縛しろ!」


 聞き覚えのある声がして、軍人たちは青年への暴行を止めた。カミルが命令を発した軍人を見て声をかけた。


「ディンケル少尉!」


「貴方はヴァルド市の調査官殿の……。とんでもない失態を晒しました。面目ない」


 少尉は軍人たちに青年と先生を医者に診せるように指示し、カミルと貴族二人を市内にある帝国軍の詰所まで連れて行こうとした。他の大貴族たちは休会の間に自分たちまで狙われては堪らないと、すぐに教会の中に引き返し始めた。


「事情を伺いますので、どうかご同行願います」


「少尉、できれば先生もお連れしたいのですが……」


「ナイフで斬られたと聞きましたが、大丈夫ですか?」


 少尉が不安気に私と先生のほうを伺う。


「詰所で帝国軍の軍医の方に診てもらった方が安全かと思います」


「確かに。市井の医者に診せて、毒でも盛られたら一溜まりもないだろう。今は緊急事態だ」


 フィッシャー卿の言葉に押され、少尉は先生と私も一緒に詰所へ連れて行く決断をした。帝国軍の馬車に乗せられ、私たちは詰所に向かった。馬車の中で同乗したフィッシャー卿は「彼は命の恩人だ」とか「勇敢さは将軍にも優る」とか先生を褒めちぎっていたが、ボルネミッサ卿は押し黙ったままだった。


 詰所に到着すると、先生はすぐに軍医の手当てを受けた。大した出血でも無かったし、軍医の仕事も多くはないだろう。その間、私たちは貴族二人と一緒に事情聴取を受けることになった。


「改めて、私は中尉のハンス・ディンケルと申します。総督府司教ゲオルギウス・フラーテル殿の希望により、新たにクルジュヴァール市での警備の任務に加わりました。今回は警備に不備があり、このような事態になってしまい、誠に申し訳ございません」


「中尉?」


「当地への異動を機に昇進いたしました」


「それは、えっと、ご昇進おめでとうございます」


 カミルが素直に喜ぶべきかどうか困った顔で祝福の言葉を述べる。


「お祝いは後ほど」


 少尉改め中尉は硬い表情で述べた。


「司教殿は賢明だ。総督府に以前から駐屯している連中は弛んでいる。中尉がいてくれて助かった」


 フィッシャー卿が中尉と握手しながら礼を述べた。


「警備の責任者は中尉ではないだろう。総督府の連隊長はデーヴァ伯爵、ギュレイ・サミュエル大佐のはずだ」


 ボルネミッサ卿が片手で手帳を取り出し、器用にめくりながら言った。


「大佐はどこで何をしていたのかね、中尉?」


「連隊長殿は議会での発言のため、教会の中におりました。我々の小隊も教会の中を警備しており、休会の際には半数が外に出ました」


「では中尉と君の小隊以外は……目玉が揃っていながら両方とも節穴だったというわけか」


 ボルネミッサ卿の義眼がぐるりと宙を見た。その時、部屋の扉が開き、大柄な貴族が部屋に入ってきた。瞬時にディンケル中尉が踵を揃えて直立姿勢になった。上官のお出ましのようだ。


「失礼、外で騒ぎがあったと聞いたものでね」


「大佐、ちょうど君からも話を聞きたかったところだ」


 ボルネミッサ卿の正常な左目がギュレイ卿を睨んだ。ギュレイ卿は肩を竦めてボルネミッサ卿を見下ろした。


「今回の件は事故だ。あの青年は愛国心が高まって、突発的に刃物を振り回しただけの素人に過ぎん」


「そうだろうとも。本気で人を殺すなら、刃が上になるように逆手でナイフを持ち、利き手とは逆の手で柄を支えるべきだ。一撃で急所を狙わねばならん。つまり、あんな素人に殺される間抜けはいない」


 手慣れた調子でナイフを突き刺す動作を真似しながら、ボルネミッサ卿が答えた。


「警備に問題はあったが、中尉は優秀な男だ。中尉と彼の小隊がいなければ、事態は悪化していた」


「もっと文句をつけてやろうかと思ったが、その点では意見が一致して幸いだ、大佐」


 ボルネミッサ卿とギュレイ卿が中尉を一瞥すると、中尉は顔を隠すように小さく会釈した。


「君とフィッシャー卿が無事で本当に良かったと思っている。政治的立場が違っていても、これは私の本心だ。君を庇って斬られた者にも礼を言ってこなくては」


 それだけ言うと、ギュレイ卿は部屋から出ていった。ギュレイ卿が出ていくのを見届けると、思い出したというようにボルネミッサ卿が私たちのほうへ振り返った。


「さて、私を救ってくれた君たちの素晴らしき知り合いは、一体何者なんだ?」


「彼はコルヴィナの王立アカデミーの委任で《吸血鬼》の調査をしている調査官、ミシェル・ワーズワースです。僕たちは彼の助手です」


 カミルが怖ず怖ずと答えた。


「王立アカデミー? 調査官? 学者がこんな辺境で何の用かね?」


 《吸血鬼》という単語をあえて無視するように、ボルネミッサ卿が繰り返し尋ねた。


「子爵殿。やはり《吸血鬼》の噂は本当なのでは?」


 フィッシャー卿が眼鏡を押し上げながら、ボルネミッサ卿と私たちを交互に見た。


「総督の先祖が《吸血鬼》になって、公国に仇なす者を食い殺しているという噂か?」


「そうだ。調査官が来たということは、《吸血鬼》の事件は単なる噂ではない」


「《吸血鬼》! 卑怯な暗殺者に存外な名前をくれてやったものだ。愚民どもの迷信深さには呆れる」


 ボルネミッサ卿は徐に立ち上がると、扉のほうへ向かった。


「調査官の……ワーズワース殿には感謝している。よろしく伝えておいてくれ。私は議会に戻る。《吸血鬼》に関心があるなら、男爵殿に聞いておきたまえ」


 そう言って、ボルネミッサ卿は詰所を後にした。続いて、護衛が必要だと言い残して中尉も出ていった。大貴族が去ったところで、カミルが話を切り出した。


「あの……お聞きしてもよろしいですか?」


「《吸血鬼》のことだろう? 子爵殿が懇意にしていたガラス職人が殺された。薬種商人も。(おぞ)ましい話だ」


 フィッシャー卿は《吸血鬼》によるという事件について話した。どの事件も殺人で、ボルネミッサ卿と近しい者、つまり『皇帝派』の住民が殺されたという。


「遺体の首筋には必ず四つの穴が開いていた。牙の跡、つまり《吸血鬼》が噛み付いた跡が。だが、どの墓を暴いても《吸血鬼》はいなかった。それで、バートリ家の霊廟にある大貴族の屍体が《吸血鬼》になったと噂になっている。『皇帝派』が殺されるのは、かつての女公の怨念なのだとか」


 フィッシャー卿は眼鏡を外して顔の汗を拭った。


「君たちも気をつけたほうが良い。命を狙われるかも知れん」


「まさか」


「私も《吸血鬼》など迷信だと考えている。だが、こんな辺境で殺されるのは御免だ」


 そう言うと、フィッシャー卿は懐から一枚の封筒を取り出した。招待状のようだった。


「クルジュヴァール女伯からの招待状だ。明日、彼女が主催するオークションが開かれる。女伯や『公国派』の貴族は、どうやら金が入り用らしい」


「どうしてこれを?」


「女伯と直接会って、少し仕事の話をしたいと思っていたが……先ほどの一件で行く気が削がれた。君たちが代わりに行くと良い。あとでオークション・カタログも使いの者に送らせる」


「分かりました。ありがとうございます」


 カミルは招待状を受け取った。


「あと、勝手な頼みで悪いのだが、もし女伯に会ったら私からの伝言を伝えて欲しい」


「構いませんよ」


「骨董より鉱業のほうが金になる。文字通りの意味でだ。しかし……あの子爵殿の妹君だ。彼女が納得するかは分からないがね」


 フィッシャー卿は力なく笑みを浮かべた。こうして、私たちは先生の大胆さのおかげで、クルジュヴァール女伯と直接会う機会を得ることができた。



***



 翌日、私たちはハラー家が市内に持つ邸宅を訪れた。オークションの開催時間よりもかなり早い時間だった。中ではまだオークションの準備が行われているようだ。


「下見が肝心だ。今度は斬られる必要がないからな。さっさと行こう」


 大袈裟に左腕を包帯で吊った状態で、先生は邸宅の中へと入っていった。会場では海外から訪れたオークション会社の社員たちが会場の設営や、備品の確認を行っていた。会場の裏手では、灰色の髪の初老の男が拡大鏡を片手に、運び込まれてくる絵画や家具その他あらゆる出品物を鑑定していた。


「『ソロモンを訪問したシバの女王』です」


 オークション会社の社員たちが、初老の男の前に巨大な絵画を運んできた。初老の男は拡大鏡で何度か絵画の細部を見てから、一言だけ鑑定結果を発した。


「グイド・レーニ、真作」


 その言葉を聞くと、社員たちは絵画を慎重に倉庫へと運んでいった。男の姿を見て、先生が声をかけた。


「もしや、サー・ケイシー・ダレスではありませんか?」


 初老の男は私たちに背を向けたまま首を傾げた。


「その声は……ミシェルか。恥知らずなことに贋作を売り捌こうとして捕まったと聞いたが」


 初老の男は記憶から事実を確認するように、ゆっくりと振り返った。そして、先生の顔を見て目を見開いた。


「君がミシェルなのか? 君自身が贋作になったように見えるが」


「いや、私は私です」


「……その二人は誰だ?」


「助手です。今はしがない博物学者でして」


 ダレス卿は用心深さを秘めた眼で、私たちをじっくりと眺めた。まるで品定めでもするかのように。


「フムン……。君の才能では贋作師が精々だったからな。筆を折ったのは正しい選択だろう。さあ、次だ」


 ダレス卿は再び美術品を振り返り、拡大鏡を構えた。


「先ほどの絵画はレーニではない。贋作だ」


 先生がダレス卿の背中に向かって鋭い指摘を浴びせた。ダレス卿の肩が一瞬、震えたように見えた。


「私は真作しか扱わない」


 ダレス卿が再び振り返った。その顔は不敵な笑みに満ちていた。


「そして、あえて言うなら、客は私の言葉から真偽を信じるしかない」


 先生はダレス卿の言葉を聞き、ようやくいつもの無垢な少女の笑みを浮かべた。


「ご尤も」

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