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吸血鬼狩り 四 ~ 総督府議会

 市壁の外にある隊商宿から、僕たちは通りの様子を眺めていた。秋晴れの心地よい日だ。卯月は双眼鏡、先生はオペラグラスを手に、門を通過する馬車が掲げている紋章を読み取っている。


「あれがデーヴァ伯爵、ギュレイ家の紋章で、そっちがトルダ子爵、ボルネミッサ家の紋章。クルジュヴァール伯爵の紋章は……」


「あれではないですか?」


「うん? 違うな。あれはバルコジー家のものだ。君は疲れているのか?」


「すいません。最近、久しぶりに激しく身体を動かしたもので……」


「……」


「情報提供の時に色々、ありまして……」


「……。いや、何があったか知らんが、まあいい」


 僕はイネッサから送られたブローチに刻まれた紋章を見比べながら、目ぼしい大貴族(マグナート)たちの紋章を確認した。二つの尾を持つ黒い獅子が描かれた紋章がクルジュヴァール伯爵、ハラー家の紋章だ。

 文書は下手に残すと危険だが、紋章をかたどったブローチなら持ち運びも容易で、行商の扱う品として市内に持ち込んでも怪しまれにくい。


「はい。これ」


 卯月がクルジュヴァール市を訪れた大貴族の名前をまとめたリストを先生に渡した。


「よし。欠席者もいるようだが、これで全部か。仰々しいものだな」


 今、クルジュヴァール市内はジェピュエル総督府の代表者、即ち大貴族を迎えるために交通規制が行われていた。もうじき総督府議会が開催される。普段、市内を行き交う馬車や路上の荷車はすべて片付けられ、代わりに警備の軍人が立っている。


 軍人は軍政国境地帯に駐屯している帝国軍であり、帝都の新聞が悪評を書き連ねた記事から察する通り、あまり締まりのない表情を浮かべていた。普段は駐屯地代わりの村落で畑仕事をしているのだろう。誰も彼も士気が高そうには見えない。僕たちは軍人たちの緩みきった警備の間を抜けて、聖ミカエル教会へと向かった。


 総督府議会は総督を選出する会議から始まる。聖ミカエル教会の広場では、総督として信任を受けた貴族を称えるために、市民が列を成して待っていた。しかし、イネッサからの情報で、次の総督も現総督であるベルグラード侯爵、バートリ・バルトシュが続投することは既に分かっていた。選出は形式的で、権威付けのパフォーマンスに過ぎない。


 教会の鐘が鳴り、正面の扉からクロブシツキー補佐司教ら聖職者たちが現れた。それに続いて総督が姿を見せる。帝国の貴族と異なり、総督は当世風のカツラを着用せず、羽飾りの付いた毛皮帽を被っていた。市民には目もくれず、やや不機嫌そうな顔つきで歩いていく中年貴族の足取りは、酷く雑なものに見えた。総督は広場に(しつら)えられた壇上に登り、民衆を見下ろした。


「私は神に誓い、ジェピュエル総督府を守ることを約束する。神よ、私を助けたまえ」


 総督の宣誓は短く淡白なものだった。僕は彼の事務的過ぎる口調に、呆れ顔が外に出そうになった。


 イネッサによれば、これまで総督は二年の任期を四期連続で務めており、これが五回目の総督選出の儀式となるそうである。同じ儀式に飽きているのか、総督の後ろに居並ぶ大貴族も広場の市民も、どちらかと言えば冷めた様子だ。「皆、言葉よりも行動に期待しているのだろう」と先生は感想を述べた。


 総督に続いて補佐司教が壇上に登った。補佐司教は広場中にこだまする大声を張り上げて、議会が侯爵に対して総督としての権限を認めた旨を宣言し、熱のこもった激励を与えた。


「名誉あるベルグラード侯爵、バートリ家の第十六代当主にしてイシュトヴァーンの息子バルトシュよ。汝はジェピュエル総督府、第六代総督として、ジェピュエルの民を導いていく責務を負うた。その道を主が照らしてくださるであろう。総督とその家族、そして職務に神のご加護があらんことを!」


 市民や聖職者の間から歓声が上がる。補佐司教に続いて、大貴族たちも形式ばった宣誓文を読み上げた。その後は大貴族が一人ずつ総督と握手を交わしていく。だが、握手の列に加わらない大貴族たちがいた。彼らは『皇帝派』と呼ばれており、総督の立場こそ認めつつも、選出の儀式に否定的な大貴族だった。


 選出の儀式では大貴族が投票を行う。しかし、『皇帝派』は皇帝が総督を任命することを望み、投票を棄権しているという。彼らの言い分は尤もにも思える。総督府は帝国の支配下にあるのだから、皇帝に総督の任命権があってもおかしくはない。


 裏を返せば、投票によって自分たちで総督を選出することこそが、総督府の多数派である『公国派』大貴族が公国時代から堅守してきた主権なのだ。公爵の選出と同じく、総督の選出に帝国が介入することは許されないというのが、総督バートリ・バルトシュを含む『公国派』の立場なのである。


 今、総督と固く握手を交わしている大貴族の中に、帝国に反旗を翻してジェピュエル公国の復活を画策している者が何人いるのかは分からない。しかし、『公国派』の一部が陰謀を計画していることは間違いない。それほどまでに『公国派』の方針は(かたく)なであり、危険を孕んでいるとイネッサは話していた。


「自分たちの権利と自由を、顔も知らない遠方の皇帝に委ねようとするなど、愚かな連中だ」


 表情や口調には出さないものの、先生が『皇帝派』を(さげす)むように呟いた。だが、皮肉なことに、これから僕たちが協力を申し入れるのは『皇帝派』だった。


 かつて王冠諸邦がコルヴィナ王国として統一されていた時代には、コルヴィナの王も大貴族の投票で選出されていたという。その点で『公国派』は、今のコルヴィナの大貴族よりも『コルヴィナらしい』と言えるのかも知れない。


 しかし、時代は変わってしまったのだ。



***



 総督の選出後、二時間ほどが経った。聖ミカエル教会の広場に残っているのは僕たちと行商、物乞い、そして警備の軍人だけになった。先ほどから貴族の使者や聖職者が教会の扉を何度も行き来している。しかし、大貴族が外に出てくる気配は一向に無かった。


 僕たちも行商の振りをしていたが、寄って来るのは異教徒ばかりだった。彼らは、冷やかしか本気か分からない態度で「彼女はいくらか?」と卯月を指して尋ねるか、紋章付きブローチを地元の民芸品として欲しがるか、どちらかだった。既に使い道の無くなったブローチだけは二束三文で売れていった。


「うんざりしてきた」


 最初のうちは大貴族の大安売りなんて冗談を言っていた先生も、ついに虚ろな表情を覗かせた。議会は紛糾しているのだろう。『皇帝派』と『公国派』が対立しているせいなのか、総督のリーダーシップが欠けているのか。それとも、その両方か。何れにせよ、総督府から帝国への納税額が三倍になるという議題では、納得できない者も多いはずだ。


「話にならん! 戦争税を無くす代わりに、平時の納税額を三倍にしろだと? 馬鹿げている!」


 乱暴に扉が開かれ、『公国派』大貴族の一部が大声で叫びながら外に出てきた。


「コルヴィナが増税を免れているのは、皇后のお膝元だからだ! しかし、ジェピュエルも王冠諸邦の一部なのだぞ! 我々は愚弄されている!」


 帝国の領邦も、初めは増税に抵抗するばかりだった。しかし、皇后が粘り強く交渉を続けた結果、大半の領邦が増税を承諾している。しかし、帝国の領邦と異なり、すぐ隣の王冠諸邦コルヴィナの領邦が増税を免れている分、ジェピュエル総督府での反発は過激なものになっているようだった。


「休会か……」


 帝国への怒りに満ちた『公国派』と、増税やむなしという沈痛な面持ちの『皇帝派』が、それぞれ別の扉から外に出てきた。罵り合いこそしないものの、お互いに目も合わせない。僕たちは目当ての貴族が姿を現すのを待った。


「いた」


 卯月の指差す先には、一人だけ当世風のカツラを被った場違いな男が立っていた。帝国鉱業評議会に所属する男爵、フィッシャー・ヤーコブだった。その傍らには『皇帝派』大貴族、トルダ子爵のボルネミッサ・イグナーツもいる。顔に疲れを滲ませている男爵に、子爵が何事か話しかけていた。絶好の機会だ。


 フィッシャー卿は帝国の宮廷貴族だが、総督府内にある資源の調査と開発のために、総督府を訪れていた。帝国からの投資によって総督府の鉱山を開発して利益を上げれば、増税にも耐えられるというのが帝国鉱業評議会の主張で、フィッシャー卿はこの難問の交渉役だった。


 彼はクルジュヴァール市とトルダ市の鉱物に目をつけており、既にトルダ市の地下岩塩坑の鉱山株を購入している。帝国鉱業評議会の説得に応じ、鉱山株を売却したのが子爵だった。そして、子爵はクルジュヴァール女伯、ハラー・ヨゼフィンの実兄でもある。


 帝国に近い二人からの援助を引き出せれば、女伯と接触し、クルジュスコールに入ることも可能になると、イネッサは見ていた。今こそ、情報を活用する時だった。


「総督も妹も、私を避けている。随分な嫌われようだ。議論のしようがない」


 会話の途中、壮年の子爵は眉間に皺を寄せて首を横に振った。子爵の左腕の裾は空っぽで、勲章の下に隠すようにボタンで止められている。戦争での負傷だろうか。


「しかし議会での子爵殿は雄弁だった。合理的で、論理的だ。要するに、総督を家格で選ぶのは失策だと、私は思う」


 フィッシャー卿は子爵にできる限りの世辞を送っている。しかし、子爵の右目はフィッシャー卿とは別の方向を向いていた。義眼のようだ。


「だが、総督には実績がある。侯爵であり、資産があり、強力な派閥も持っている」


「選出の時に総督と握手して、一言だけでも挨拶してくれば良かったのでは」


「それでは他の『皇帝派』に私と総督が通じているという、誤ったメッセージを送ることになるだろう。私の政治的立場が失われる」


 子爵の言葉を聞く度に、フィッシャー卿は眼鏡を外して額の汗を拭った。


「子爵殿。率直に頼む。とにかく妹君だけでも説得してほしい。鉱山株の件だ」


「勿論。分かっているが、クルジュヴァール伯領は今や妹のものだ。女の考えなど理解できんが、恐らく妹は夫が遺したものを失いたくないのだろう。それに、私にも義兄に先立たれた家族としての立場がある」


「すまない、誠に失礼した。最近の奇妙な噂のせいで、少し気が立っていて」


「強欲な薄情者だと思われないよう、妹の説得を進めよう。焦らずとも時間はある。貴公も私もトルダ市を離れて、わざわざ命を危険に晒しながら議会に参加した。それだけで『皇帝派』は結束し、『公国派』は動揺しているはずだ。その価値に相応しい振る舞いを続ければ――」


 その時、僕らの目の前で、広場を横切って一人の青年が飛び出してきた。手にはナイフが握られている。あまりに急なことで、警備の軍人は反応できていない。青年は一直線に子爵とフィッシャー卿のほうに向かっている。


「危ない!」


 卯月の声が届いた時には、既に凶刃が子爵に迫っていた。狙われた二人の貴族は身動ぎせずに青年を見据えたままだ。青年は「公国万歳!」と叫び、ナイフを振るった。


 その刹那、ナイフの前に草色の影が現れた。一振りで草色のマントが裂け、周囲に悲鳴が広がった。


「止まれ!」


 一発の銃声が鳴り響き、青年のシャツに穴を開けた。穴から赤黒い血が噴き出し、青年は倒れた。ようやく軍人が駆けつけ、撃たれた青年を取り押さえた。


「先生!」


 僕と卯月は先生に駆け寄った。子爵を庇うように、青年との間に咄嗟に割り込んだ先生は、子爵と共に広場に倒れていた。


「大丈夫ですか? これは、失礼……」


 先生はゆっくりと立ち上がり、子爵に手を差し伸べようとした。しかし、その手から血が滴り、すぐ腕を引っ込めた。


「先生、血が……」


「誰か医者を! 早く呼んでくれ!」


 フィッシャー卿が叫んだ。騒然とする広場の中で、先生は地面に落ちた自分の三角帽(トリコーン)を拾うと、そのまま座り込んで俯せに倒れた。

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