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狩人狩り 十四 ~ 優雅たれ

「約束。忘れてないでしょ?」


 皇女の言葉はまるで死刑宣告だった。しかし、その無慈悲な響きに打ちのめされる前に、僕の中では様々な疑問が頭をもたげ始めていた。


「どうやってここに来たんですか?」


「それは今、話す問題ではないわ。約束に応えて」


 僕は這いつくばったまま、手紙と解読した文章を記したノートを取り出した。


「この手紙の内容を知りたがった理由は何ですか?」


「また質問なの?」


 あどけない表情を俄かに崩し、皇女は溜息を漏らした。


「私の答えに意味は無いわ。貴方は約束を果たす。それだけでいいの」


 皇女は手を差し出した。


「僕の解読した文章が誤りだとしたら、どうするんですか? それこそ意味の無い答えですよ」


 僕は立ち上がり、一歩に前に歩み出た。


「それだと困ったことになるわ。それなら、解読に使ったキーワードも教えてくれる?」


 キーワードだって? そんなものは知らない。僕は暗号表しか持っていなかった。一瞬、ノートに視線を落とす。


 |ち|き|る|ふ|て|ね|か|

 ├―┼―┼―┼―┼―┼―┼―┼―

 |ろ|や|へ|に|そ|く|あ|を

 ├―┼―┼―┼―┼―┼―┼―┼―

 |わ|ゆ|ほ|ぬ|た|け|い|お

 ├―┼―┼―┼―┼―┼―┼―┼―

 |を|よ|ま|ね|ち|こ|う|そ

 ├―┼―┼―┼―┼―┼―┼―┼―

 |ん|ら|み|の|つ|さ|え|れ

 ├―┼―┼―┼―┼―┼―┼―┼―

 |” |り|む|は|て|し|お|た

 ├―┼―┼―┼―┼―┼―┼―┼―

 |° |る|め|ひ|と|す|か|ま

 ├―┼―┼―┼―┼―┼―┼―┼―

 | |れ|も|ふ|な|せ|き|え

 └―┴―┴―┴―┴―┴―┴―┴―


 一文字を別の二文字に置き換えるポリュビオスの暗号表では、使用する文字種は七文字だけあれば十分だった。それを十四文字にした理由。逆に、置き換える文字自体がキーワードだとしたら。


 暗号表の縦軸と横軸の文字を順に読めば『かねて古き血を恐れたまえ』。キーワードとして問題なく意味が通る。これは偶然ではない。キーワードの正しさは解読した文章が正しい証拠でもある。


「どうやら、今の貴方には約束を果たす気がないみたいね」


「待ってください」


 呆れ気味の皇女の言葉を遮って、僕はさらに一歩踏み出した。


「皇女殿下、貴女は一昨日の別れ際にこう仰りました。徽章(きしょう)の図柄になった薔薇園も綺麗だった、と」


「そうだったかもね」


「貴女はどうやって薔薇園を見たんですか? どこから、徽章(きしょう)の図柄だと認識できる薔薇園を、見たというんですか?」


 彼女の車椅子の背丈では、薔薇園を見下ろすことは到底できない。皇女の視線が一瞬、鋭くなった。


「ふふ。ごめんなさい。勘違いしてたわ。貴方のお友達からお話を聞いたの。赤と白の薔薇を徽章(きしょう)の図柄になるように植えているって」


「それなら、卯月は薔薇の種名についても話したはずです。彼女は単なる庭師じゃない。名誉ある園芸家だ」


 これ以上、誤魔化しには引き下がらないという僕の気迫に押されたのか、皇女は差し出していた手を引っ込め、自らの胸に当てた。


「赤い薔薇は甘く濃厚なダマスクの香り、ガリカローズ。白い薔薇はレモンのような爽やかな香り、アルバローズよ」


 皇女は落ち着き払って、赤と白それぞれの薔薇の種名について答えた。卯月から直接聞いたかのように。


「あの白薔薇はアルバローズではありません。ガリカローズと同じダマスク香の白薔薇、ロサ・フェニキアです」


 皇女が怪訝そうに、しかしあくまでも笑みを絶やさずに少しだけ首を傾げた。


「貴女は勘違いしたんです。卯月が付けていた香水の香りに。一昨日、あの日だけ彼女はアルバローズの香水を付けていました」


 僕の言葉に、皇女は初めて不意を突かれたように目を見開いた。僕は時計台の中央まで歩み寄った。歩けないはずの皇女の靴に、塔の階段を上った際に付着したと思しき汚れが見えた。


「君は……誰なんだ?」


「私は、私よ」


 彼女との問答に意味は無かった。しかし、彼女が皇女ではないという事だけは明らかになった。恐らく、この偽皇女こそが、手紙を狙って研究室に侵入した犯人でもあるように思えた。


「もうじき卯月と先生もここに着くぞ」


「脅しのつもり? 面白いわ。無駄だけどね」


 そう言って偽皇女は屍霊術の小さな鐘を一つ取り出すと、その音を響かせた。上階から機械仕掛けの軋む耳障りな音が聞こえると、窓の外に人影が入り込んできた。


「卯月!」


 彼女は身体を縛られた状態で時計台の外に吊られていた。気を失っているらしく、声をかけても反応は無い。


「貴方の気が変わったことを願って、もう一度だけ聞くわ。暗号のキーワードは何?」


「……『かねて古き血を恐れたまえ』だ! 早く彼女を離せ!」


 喉が乾き切り、僕は呻くように叫んだ。


「ふふ。今、離したら汚い地面の染みになっちゃうわ。それにキーワードはもう一つあるわよね?」


 嘲笑うかのような偽皇女の言葉も、僕の耳には殆ど届いていなかった。


「三つ数えるわ。もう一つのキーワードも教えて」


 偽皇女が別の鐘を取り出した。僕は気が動転して何の事かすぐには理解できなかった。


――一つ


 もう一つのキーワード。それは、暗号表の前に行った転置式暗号のキーワードを意味している。


――二つ


 しかし、あの時は卯月がキーワード無しで並べ替えを成立させており、未だにキーワードは不明のままだった。


――三つ


「やめろ!」


 偽皇女の指が鐘を振り動かそうとした瞬間、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。階段から三角帽(トリコーン)を被った人影が現れる。


「あら、調査官殿のご登場ね」


「先生!」


 先生は可憐な少女の笑みを浮かべながら、僕の傍までゆっくりと歩いてきた。


「学徒たる者、常に余裕をもって優雅たれ」


 先生は報告書に関する用事を済ませて、本当にただ歩いて時計台まで上ってきたらしかった。今朝の憤怒が嘘のような紳士然とした態度だ。


「カミル君、君は実に優秀な助手だ。君が先に謎を解いていなければ、私は今頃ワインを片手に観劇でもしていただろう」


 つまり、忘れていたと言う事か。それだけの余裕を持つことは僕には不可能だった。


「冗談はそれくらいにしてくれる?」


「君は暗号のキーワードを知りたいのだろう。私の機嫌を損ねるのは賢明ではないと思うがね」


 先生はルークラフト卿に宛てられた黄ばんだ手紙を取り出した。嘘か真か分からないが、先生にはこの状況を打開する策があるようだった。


「先生、卯月が人質になっているんです。早くキーワードを」


「キーワードなら今、すぐ目の前に見えているじゃないか。君ほどの才人でも、まだ分からないのかね」


「貴方、勿体ぶってると後悔することに――」


「私の助手を一人でも傷つければ、キーワードは分からないままだぞ。少し黙っていたまえ」


 少女の笑顔のまま、先生は凄みを効かせた声を偽皇女に浴びせた。先生の言葉に、偽皇女は一瞬、あどけない表情を強張らせた。


「暗号の要は、暗号表で置き換えた文字を、キーワードの文字長に合わせて改行することだ。そして、改行した文字の列をキーワードの文字の五十音順に並べ替えると、暗号化が完成するようになっている」


 先生は僕のノートを指し示しながら説明した。分かってしまえば単純な手順だった。復号は暗号化の手順を逆にしただけだから、今回のようにキーワードを知らなくても、並べ替えているうちに正解のパターンを引き当てる事もあり得る。


 しかし、並べ替えに用いたキーワードが正しいかどうかは、同じキーワードを用いた別の文書が無ければ確認できないのではないのだろうか。つまり、先生が今、僕のノートを見てキーワードの裏を取っているのだとしたら――


 僕は平静を装うことなどできなかった。今ここで確認を取るなんて綱渡りにも程がある。だが、逆にそれが演技ではない、緊迫感を生むことまで先生は計算しているのかも知れない。


「さて、それでは改めて取引に入ろうか」


 先生が二の句を継ぐ前に、偽皇女は屍霊術の鐘を床に叩きつけた。粉々に砕けた鐘の破片を見つめたまま、偽皇女は顔を伏せた。


「これで満足? 早くキーワードを言ったら?」


 偽皇女の表情は伺えない。先生に顎で指図され、僕は卯月を助けるために上階へと上がった。二人の屍人形が巻き上げ機の傍らにいた。一方は巻き上げ機のハンドルを握り、もう一方は卯月を縛る縄に狙いを定めて鉈を手にしたまま静止している。僕は屍人形を引き離してハンドルを回し、卯月を引き上げた。


「卯月? 大丈夫?」


 卯月の瞼がゆっくりと開かれる。まだ意識ははっきりしていないようだが、外傷もなく大事には至っていないようだ。僕は卯月を抱きかかえて、再び階下へと戻った。


「お帰り。では、役者も揃ったところでキーワードについて話そうか」


 先生は黄ばんだ手紙を掲げた。卯月を取り返したとはいえ、まだ僕たちは安全とは言えなかった。そう易々とキーワードを明かして大丈夫なのだろうか。


「カミル君はまだ不安のようだが、この程度のキーワード、送り主にとっては使い捨てだ。教えたところで今しか役に立たん」


 そう言って先生は黄色い封蝋を指さした。


(フラウム)。あまりにも見え透いた、露骨すぎるキーワードだ」


「ふふ、まさか……。そんなものが……」


 偽皇女は力無く笑った。その声は僅かに震えを帯びていた。


「それでどうするのかね? 我々を口封じに始末するのか? それとも君たちの集い(パーティ)に加えてくれるのか?」


 先生が戯けた調子で偽皇女に尋ねた。その時、上階への階段から足音と、それに伴う杖の音が響いてきた。


「愚か故の偶然に導かれ、招くべきではなかった奇跡に辿り着いた者であっても、その幸運に対して過ぎた事はあるまい」


 振り向くと、階段からモンバール伯爵が姿を現した。ハンカチで汗を拭きながら息を整えると、伯爵は突き出た目で僕たちを見据えた。


「……表向きの事情は置いて、本題に入りましょう」


 伯爵の目配せに、偽皇女が車椅子から立ち上がった。


「カミル君。この私がここまで足を運んできた理由が分かるか?」


「手紙の暗号ですか?」


 僕たちの周囲を二人は反時計回りに歩き巡り始めた。


「手紙はジェピュエル総督府から送られてきたことが分かっているわ。コルヴィナでの《迷信狩り》に関わった人々に宛ててね」


「でしょうね」


「ジェピュエル総督府は今、危機的状況にある。総督が公爵として即位し、公国独立を画策している事が判明した。それもガリアの王国に後押しによって。

 選帝侯との戦争を利用して帝国の消耗を狙うガリアの王国は、ジェピュエル総督府にも目をつけている。ガリアの王は見返りとして、自分の娘を公爵に嫁がせるつもりだ。帝国としては、このような事態は断固として容認できん」


 ガリアの王国から招聘されたモンバール伯爵は、密偵として既に帝国側での役割に徹しているらしい。彼の人脈と情報網は、博物学的収集だけでなく、ガリア側の機密情報にも及んでいたようだった。


「だから、次善の策として、たとえ総督府が独立したとしても、帝国寄りの貴族が公爵位を襲えばそれに越したことはないというわけ」


「皇后陛下の帷幕(いばく)に参画しているエステルハージ家はコルヴィナの大貴族(マグナート)でありながら、使徒派として古くから帝国とも縁が深い家柄。その若公爵アンドラーシュ殿となれば人格も保証できるし、近衛として皇帝に仕える意志も明確だ」


「若侯爵本人としても総督府が私領に加わって、大貴族(マグナート)の悲願であるコルヴィナ統一の足掛かりにもなるわけだから、満更ではないはず」


 僕の知りえない範囲で、戦争と政情について話が大きくなっていく。選帝侯同盟軍との和平工作は既に始まっていると思っていたが、その影響はガリアの王国とジェピュエル総督府にまで及んでいたということになる。


「だけど、帝国から介入があったと知れば、ガリアもジェピュエルも黙ってはいないわ。モンバール伯爵のようにガリアと関係の深い人は、目立つ動きを取れないの」


「さらに帝国内の密偵ともなれば言わずもがなだ。彼らが帝都を離れれば、今度は帝都の守備が薄くなる。それに、帝国諸邦はコルヴィナが支援を開始するまで皇后陛下に助力しなかった、領主の風上にも置けぬ匹夫下郎。どのような浅ましい野望に駆られるか知れたものではない」


「では、僕たちは……?」


 まさか、総督を暗殺してこいとでも言うのか?

 急な展開に頭が追いついていない僕を横目に、先生が口を開いた。


「今回のクルジュスコールへの招待状を口実に、ジェピュエル総督府を調査する。でしょう?」

すいませんでした。


ぐーるぐーる

http://www.nicovideo.jp/watch/sm15769622

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