狩人狩り 十二 ~ 霊体召喚は篝火にて
※18/06/13「狩人狩り 十一 ~ 幽霊」を改稿しました。皇女がシュヴァルツァー(ブラックコーヒー)を飲んだ旨を追記しました。
「あ! ここにいた!」
僕が教室棟の裏手に回ると、そこには探していた先生と卯月の姿があった。指輪の謎を解く期限のうち一日を無駄に過ごしたというのに、先生は幽霊狩りが先だと言って聞かなかった。先生は僕が目を離した隙にどこかへ消え、そして、ようやく目の前に現れた。最早、誰が幽霊なのか分からない神出鬼没の動きだ。
「何をしているんですか?」
「幽霊を作っている」
「ゆ、幽霊を? 作っているって……?」
開口一番、さらりと意味不明な事を言われてしまった。先生と卯月は庭仕事で余った藁や木屑を燃やしていた。湿って駄目になったものやその辺りに落ちていた木の枝など、とにかく燃えるものは全て火の中にくべている。
「煙が上がっているだけのように見えますが……」
火の勢いは強くなっているが、それがどうして幽霊に繋がるのかは理解できなかった。そもそも、幽霊を狩ると言っていたのに、幽霊を作るとはどういう意味だろうか?
「まあ、火はこんな加減でいいだろう。それではこれより、霊体に霊力を投入する。卯月君!」
先生がそう言うと、卯月が二メートル四方程度の、巨大な袋状になった白いシーツを広げ始めた。白いシーツは紙を貼り合わせて作られているようだった。卯月がシーツの口を広げると、先生がそこに団扇で煙を扇ぎ入れる。
見る見るうちに煙を吸って白いシーツが盛り上がっていく。やがて、白い紙製の幽霊が起き上がった。
「よしよし。良い調子だ。そのまま霊力を吸わせるんだ」
紙製の幽霊はどんどん煙を吸っていく。最終的に、白いシーツは煙で膨れ上がって宙に浮かんだ。シーツの下部に燃えさしの載った皿と縄を結び付けて手を離すと、幽霊は縄で地上に係留されたまま、ゆっくりと上昇を開始した。
「飛んでる……!」
僕は唖然として、それ以上の言葉を失った。白い紙の袋が宙に浮かび、本当に飛んでいる。まさに幽霊だ。
「幽霊だからな」
「いや、幽霊ではないでしょう」
ありきたりな突っ込みに笑みを浮かべる先生の事は置いておいて、紙製の幽霊は縄を付けたまま勝手に空へと昇って行ってしまった。
「これって、人も持ち上がるんでしょうか」
「無理だ。重すぎる」
「では、この幽霊はどういう意図で?」
「縄を屋根の装飾に引っ掛けるためだ。十数メートル以上先の標的に目掛けて投げ縄を何度も飛ばすよりは、静かで楽な方法だろうと思ってな」
僕たちは時折、風に吹かれて揺れる白い幽霊を見上げた。何とも頼りなさげな幽霊だが、確実に上昇は続いていた。幽霊が屋根の高さまで到達すると、先生は繋いでいる縄を引いて、突起の付いた屋根の装飾へと幽霊を誘導した。
「これはどういう原理で飛んでいるんでしょうか」
「空気を熱して軽い素材の中に詰めると、宙に浮くようになるようだ。詳しくは私も知らん。だから、逆に空気が冷えると……」
上空で燃えさしの火が消えてしまったためか、空気が冷えて幽霊の上昇は収まったようだった。先生はその間に屋根の装飾に縄を引っ掛けることに成功した。
「よし。完璧だ。登ってみてくれ」
「え?」
「平気だ。我が祖国、アルビオンの造船所から買った縄だからな。絶対に切れたりしない」
先生は無邪気な少女の笑顔で僕の背を叩いた。平気な事など一切無かった。命綱も無しに縄一本だけを頼りに壁を登るなんて、冗談ではない。
「いや、そういう問題ではないでしょう。おかしいですよ」
「……まあ、確かにそうかもな。盗人は身長百五十センチメートル以下らしいから、体重も君よりはるかに軽いはずだし、差が大き過ぎる。そうなると――」
先生は卯月のほうを一瞥した。先生の考えを察した卯月のほうは、既に縄に手を掛けようとしている。卯月も卯月で自らの命知らずな行動に無自覚のようだ。
「ちょ、ちょっと待っていてください!」
僕は別の縄を持って教室棟の屋根裏へと上がった。窓から命綱を垂らし、卯月に繋いでもらう。これで万が一の危険は解消された。あとは彼女が縄を頼りに壁を登るだけだ。卯月は縄を伝って、少しずつ壁を登り始めた。
卯月は壁の装飾を足掛かりにしながら、難なく屋根の上へと到達した。この方法であれば、三階への侵入は可能のようだ。
「そうしたら、幽霊と縄を回収してくれ。研究室の窓から中に運び込むんだ」
先生の指示に従い、卯月は回収した幽霊の空気を抜いた。そして、折り畳んだシーツと縄とともにルークラフト卿の研究室の窓へと飛び移ったようだった。少し経って、命綱を解いた卯月が屋根裏までやってきた。
「終わったよ」
「大丈夫だった?」
「うん。ありがとう」
いつもの素っ気なさでそれだけ言うと、卯月は研究室へと戻っていった。僕も命綱を回収して下へと降りる。研究室では先生とルークラフト卿が待っていた。
「熱した紙風船か……。フムン。この方法であれば妥当かも知れんな」
ルークラフト卿が白い幽霊を眺めながら言った。彼の愛猫は前脚で探るように、平らになった幽霊を叩いて遊んでいる。それでも簡単には破けたりしないように、紙の表面には塗料を拭いて補強しているようだった。
「犯人はここに侵入した後で、これをバラバラに切り裂いて、手紙や書類と一緒に散らかした。そういうことかね?」
「その通りです。そうすれば、かさばる紙風船を使ったなんて疑われる心配もありませんからね。証拠は勝手に屑籠行きです。物色が終わったら縄だけ持って外に出て、廊下側の窓からまた中に入れば良い。後は階段を使って一階の窓から逃走するだけです」
「全く迷惑な証拠隠滅の方法だ」
ルークラフト卿は呆れた調子で呟くと、愛猫を幽霊から引き離して抱き上げた。
「しかし、やはり盗まれた物はなく、侵入の証拠隠滅の痕跡だけが残っていたということになる。結局、犯人は何を狙っていたのかね?」
「さあ? 何れにしても犯人は幽霊などではない。実体を伴った人間です」
そこで先生は一呼吸置いた。
「しかも、我々に対して嫌がらせ以上の悪意を持っている」
「単なる嫌がらせで散らかされただけだった、という結論のほうが良かったというわけか」
「教授、知ってから後悔するほうが――」
「それは君だけで十分だ、ワーズワース君。知りたければ知ればいい。犯人の正体や目的なんて、私は知らなくていい。後は任せるよ」
先生の少女の笑みに対して、ルークラフト卿は力なく口元を歪めて見せた。
***
幽霊狩りが一段落ついたところで、先生はようやく指輪の謎に取り組み始めた。もう残り時間は半分を切っている。それでも先生は焦る様子もなく、教室の一角に黙々と顕微鏡を用意し始めた。
「先生。実はお話ししていないことがあるんですが……」
「ちょっと待て。今は作業中だ」
光源となるランプに光を灯し、水で満たしたガラス球を通して台座に集光する。対物レンズの下に指輪をセットし、先生は接眼レンズを覗いた。ランプの角度やピントを調整しながら、指輪を的確に観察できる条件を整えていく。
「暗号には二種類ある。文を書き換えて読めなくするクリプトグラフィーと、文そのものを隠してしまうステガノグラフィーだ。この指輪はきっとどこかに文を隠している、ステガノグラフィーだ。見えるけれど見えない……」
ぶつぶつと呟きながら、先生は内側が見えるように指輪を固定し直し、顕微鏡を調整した。
「見たまえ」
暫くして、先生は僕に席を譲った。接眼レンズを覗き込む。レンズの向こうには拡大された指輪の像が映っている。
『二つ目の秘密。赤い金』
指輪の内側には非常に微小な文字でそのように彫り込まれていた。職人芸としか言いようがない。
「確かに文字が見えましたが、どういう意味でしょうか……?」
「赤い金。そもそも金は赤くない。それとも赤っぽい金か。金のように価値のある赤い何かとも……」
そこまで言って先生は俯いて黙ってしまった。
「先生?」
「指輪の秘密に、さらなる秘密とは。これは暗号文としては短すぎる。赤い金とは、比喩だ。思い当たるものは……辰砂か?」
辰砂。水銀を精製する他、朱の顔料として使う赤い鉱物だ。かつては錬金術師から賢者の石とも呼ばれていたが、金に匹敵するほどの価値があるかというと微妙なところだった。錬金術師は賢者の石そのものと金の錬成を目指していたのだから、辰砂を赤い金と呼ぶ理由がない。
「まあ、分かったところでどうするのかという話だ。赤い金なるものを見つけて、持って来いとでも言うのか? 秘密を差し上げるなんて言って、これではどうにも……」
先生は椅子に背を預けて頭を掻いた。顕微鏡の調整で集中力が切れたらしい。どうやらお手上げのようだ。
「リュウケツ」
その時、卯月が呟いた。
「流血?」
「竜血。竜血樹の樹液。熱帯の植物を調べてる時に読んだ。商人からは、赤い金と呼ばれていたって。標本館にもあったよ」
竜血樹の樹液。今でも鎮痛などの薬用や、塗料としても用いられている。確かに竜血には古代から取引されてきた歴史がある。
「標本館だったら御進講で見学にも行ったから、もしかしたら……」
僕たちは顕微鏡を片付けると標本館へと急いだ。標本館は植物園の中で最も古い施設だった。校舎と違って建て替えもされていない石造りの堅牢な館内には、古今東西から収集された種子や油、染料など植物由来の標本が並んでいる。
御進講に合わせて隅々まで掃除された標本館だったが、標本の陳列に変更はなかった。ルークラフト卿を始めとした分類学を主導する博物学者たちによって細かく区分された分類の法則に沿って、標本は整理されている。
「実にありがたいことだ。ラベルを付けて、きちんと分類されている。分類の法則が正しいかどうかは神のみぞ知るところではあるがな」
被子植物と裸子植物の分類について、解説図付きの説明が書かれたパネルを見ながら先生が呟いた。植物の分類は階層的に体系化され、近似した種名を区別しながらも、近似した特徴によって種名を大別し、比較することも可能となっていた。
多くの博物学者は、こうした秩序に整合する現実こそが、種を神が創造した証拠であると考えているようだった。そして今、僕たちが求める竜血もまた、その秩序の内にあった。
綺麗に磨かれたガラスの展示台の中で、小さな白い布の上に深紅の雫の塊が鎮座している。その毒々しいまでの赤は、多くの商人を魅了した赤い金に相応しい色だった。
「どこか近くに隠されていないか? 手紙か、何か怪しいものが」
先生が展示台の傍で身を屈めた。僕たちも付近に何かが隠されていないか調べる。
「あった」
卯月が折り畳まれた紙片を手に声を上げた。早速、皆で集まって紙片を開き、何が書かれているか確認する。
『三つ目の秘密。全ては始まりに戻り灰燼に帰す』




