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狩人狩り 二 ~ 帝都

 皇帝への御進講の日から遡ること約一ヶ月半。

 僕と先生は遠路遥々、アルデラ伯領から帝都まで戻ってきた。卯月にとっては初めての帝都入りである。


 帝国の首都である帝都は帝国領の東に位置しており、コルヴィナの王都とは同じ運河で繋がっている。帝都からアルデラ伯領に向けた旅では、帝都のすぐ北に流れるダヌビス河を下ってコルヴィナの王都まで一気に移動することができたが、帰りはすべて陸路で若干迂回する必要があった。


 貴族の狩猟地に交じって農家や田畑が広がる道を四輪馬車が進んでいくと、ようやく帝都の外壁が見えてきた。上部の要所に大砲を配備した城壁はその火力を集中させるため、あえてジグザグの幾何学形に建てられている。きっとそれは上空から見下ろせば、獲物に食らいつく猛獣の歯列のように見えるだろう。


 城門を通過して、郊外(フォアオルト)から新市街(フォアシュタット)へ。城門のすぐ脇にはかつて勇名を馳せた公子が建てさせた宮殿があり、その厳かなバロック建築と優雅な庭園が目を引く。四輪馬車は日傘を片手に庭園内を散歩中の貴族たちを横目に道を折れた。


「そろそろ到着ですね」


 僕の何気ない言葉に、卯月が外を意識して視線を移した。


「あの尖塔は何?」


「大聖堂の南塔だね。あそこの鐘は新年の最初の一日だけ鳴らされるんだよ」


 歴代の皇族が葬られている大聖堂は帝都旧市街(インネレシュタット)の中央に位置する。その天を衝く南塔が目に入ると、ようやく帝都に帰ってきたのだという実感が沸いてきた。


 僕たちを載せた四輪馬車は、貴族の邸宅や商店の立ち並ぶ街路を抜けていく。新市街(フォアシュタット)は建設ラッシュの真っ最中で、貴族たちがこぞってバロック様式の邸宅を建てさせていた。その装飾過多な建造物が立ち並ぶ様は、自分の遠近感を疑うほどだ。


 やがて四輪馬車は、僕の見慣れた帝国大学の正門へと到着した。長い歴史の中で増改築と修復を繰り返してきた大学の校舎は、学部や学科によって少しずつ様式が異なっている。教養学部の校舎は医学部とともにバロック様式に建て替えられていた。


 新校舎は教養学部と医学部が他の学部よりも優遇されているという証だった。しかしそれは、諸外国の大学との競争に打ち勝つため、皇后が帝国大学に対して改革を迫った結果に過ぎない。


「さて、麗しの我が家(ホーム)にご到着だ。教授に今回の成果を報告せねば」


 先生は可憐な少女の笑みを浮かべたまま、草色のコートを翻して校舎へと向かっていった。



***



「入りなさい」


 祖国から取り寄せたという樫材の書斎机に両肘をついて指を組んだまま、ルークラフト卿は待ちくたびれた様子で僕たち三人を自身の研究室に迎えた。研究室の壁には書架が連なり、各地で発行された博物図鑑や博物誌で埋め尽くされている。その蔵書の量からは圧迫感を超えて、狂気じみた執着心すら感じてしまう。


「初めまして、『御嬢様(ミス)』?」


 ルークラフト卿は卯月に声をかけた。卯月は返事を返したものの、初めて先生と出会った時のように何かに怯むような素振りを見せた。恐らく、卿が卯月にとって聞き慣れないアルビオンの言葉を使ったからだろうと僕は思った。


 サー・ランドルフ・ルークラフト《准男爵》は教養学部の教授の一人だった。僕は二年前に帝国大学へ留学してきた時、この高名な博物学者に師事することを希望したが、僕を含めて、これまで彼が学生を取ることはなかった。そのため、講義の場以外でルークラフト卿に会うのは今回が初めてだった。


 ルークラフト卿に促されて革張りの椅子に座ったが、どこか落ち着かない。机上を我が物顔で歩く愛猫を撫でる彼の面長の顔からは、表情と呼ぶべきものを見出だせなかった。


「教授、お待たせいたしました。今回の怪現象の調査についてですが――」


「まず私から話すことが……いくつかあるのだが。よいかね? ワーズワース君」


 先生の言葉を遮って、ルークラフト卿が(かぶり)を振った。そこには師弟関係からくる有無を言わさぬ力学が働いているようだった。


「最初にその小さな『御嬢様(ミス)』を紹介してくれないかね?」


「彼女は庭師の松本卯月。アルデラ伯爵の下で働いていたのですが、諸事情ありまして。伯爵に許可をいただいて調査の助手として連れてきました」


 なるほどと一言だけ言うと、准男爵は一通の手紙を取り出した。それは先生がルークラフト卿に宛てて送ったもののようだった。


「それで伯爵には彼女の代わりとなる、他の庭師が必要になったというわけだね?」


「その通りです」


「学内から優秀な人材の一人(庭師)を引き抜いて、そして連れて帰ってきたのがそれに劣る者であれば、私は容認しかねるところだったが……」


 ルークラフト卿は卯月を一瞥した。同時に彼の愛猫も卯月を見つめ、そしてゴロゴロと喉を鳴らした。


「ワーズワース君。君の手紙の内容を信じる限り、彼女の能力によって、我々はこれまでより大きな利益を手にすることになると。そう考えてよいかね?」


「勿論です! 教授、私の目に狂いはありません。彼女はそこらの凡百とは出来が違う。彼女は新大陸の植物と東洋の医術に通じた一騎当千の園芸家です!」


 先生は満面の笑みを浮かべて即答した。一方で卯月のほうは少し躊躇した様子で、その小柄な身体を椅子に埋めている。


「私は今では君の目より脳のほうが心配だ。それに君の目が狂っているのは、最初に会った時から知っている」


 准男爵はにべもなく答えた。先生からはルークラフト卿に偽の剥製を売ろうとして捕まったという話を聞いていたが、彼の反応を見るにどうやら真実だったらしい。彼らが取引した剥製の真偽はともかく、卯月に能力があるのは間違いない。それについては僕から保証しても良かった。


「何れにせよ庭師には働いてもらう必要がある。薔薇園の剪定がまだだ。それに、さらに重要な案件が控えている」


「……と、仰ると?」


「官房長のバルテンシュタイン男爵から御進講について予定を決めるように指示があった」


 ルークラフト卿は引き出しを開き、分厚い書類を取り出した。表紙には『アルデラ伯領における怪現象の科学的調査の結果について』という題名が書かれている。先生が著した報告書だ。著者の欄には先生の他に、ルークラフト卿と僕の担当教授であるモンバール伯爵の名が並び、三人の共著となっている。


「その際にバルテンシュタイン男爵はこの報告書を名指しして、皇帝、皇后、両陛下にも好評だったと言っていた。要するに、だ」


 准男爵は愛猫を抱きかかえながら言った。


「既に御進講では直接、我々に声がかかっていると考えて間違いない。これは完全に避けようのない事態だ。実に喜ばしいことに、御進講の計画を立てない限り調査の成功を祝っている暇は無い」


 そこまで喋って、ルークラフト卿は心底残念そうな表情を浮かべた。


「ワーズワース君、夏期休暇までの予定は?」


「それが、私も少々面倒な問題を抱えておりまして……」


 先生はジェピュエル総督府での魔女騒動について話した。この件についても報告書を書かねばならなくなったことを、今までルークラフト卿には隠していたらしい。それを聞いて、ルークラフト卿は大きく嘆息した。


「君にしては上手く行き過ぎていると思っていたよ」


「申し訳ございません。ジェピュエル総督府の使者が思いの外、粘り強かったもので」


 先生は言葉とは裏腹に相変わらず少女の笑みを浮かべたままで、反省している様子は見られなかった。准男爵のほうも、言葉の辛辣さは普段通りといった調子だ。何と表現すべきか、この二人の師弟関係には掴みどころがなかった。


「まあいい。モンバール伯爵には今回の報告書を共著にした分の貸しがある。彼のところから学生を引っ張ってくるんだ」


「では、引き続きカミル君をお借りさせていただきたく」


「よろしい。彼には私から話しておこう。カミル君、君も協力してくれるかね?」


 ルークラフト卿が飄逸(ひょういつ)とした笑みを浮かべながら僕に問うた。それは最初から断るという選択肢のない質問だった。ジェピュエル総督府での魔女騒動の件は僕たち自身で蒔いた種なのだから、その責任は取らねばならない。僕はただ頷くしかなかった。


「結構。では……最後に一つだけ」


 ルークラフト卿が再び引き出しに手をかけ、冊子を取り出した。それは、どうやら芝居の脚本のようだった。


「ワーズワース君。君はまだ何か、私に隠していることがあるはずだ」


「その脚本のことですか?」


「そうだ。最近、アルデラ伯爵のお膝元のニール市で、ある芝居が流行っているそうだ。偽の預言者の挑戦を受けて若い女司教が《火の試練》を行い、見事にそれを達成するという内容らしい」


 ルークラフト卿の腕の中で、愛猫が鳴き声を上げた。


「どこかで聞いた筋書きではないかね?」


「……」


「ワーズワース君! 君は報告書を書きながら、その中から大衆受けしそうな部分を脚色して劇作家に売っただろう」


「いや、流石は教授。すべてお見通しでしたか」


 呆れたことに、先生は僕たちに路銀の余りを渡しておいて、報告書を書きながら小遣い稼ぎに精を出していたようだ。いや、むしろ僕たちがゼレムの村で路銀を使い果たしたせいで、稼がざるを得なかったのか。


「流石じゃない。どうせまた遊んで路銀が足りなくなって、現地調達したんだろう。君という奴は」


「すいません、ルークラフト卿。それに、先生。ジェピュエル総督府での騒動に首を突っ込んだのは僕たちで、路銀不足もそれが原因なんです」


 僕は頭を下げた。卯月も僕に倣って頭を下げる。

 先生は僕たちの尻拭いのために、自力で費用を捻出したのが事実だと思われた。伯爵という借金するあてがあったにも関わらず、それをしなかったということは、恐らく影響の及ぶ範囲を広げたくないという考えもあったのだろう。


「フムン。君にしては珍しく、随分と助手たちからは信頼されているようだね」


「ええ、お陰様で」


 准男爵は珍獣を観察するような冷ややかな目で僕と卯月を見つめながら、愛猫を撫でた。先生はその言葉を聞いて初めて申し訳なさそうに目を伏せた。


「アルデラは辺境だ。売れない劇作家や一座に少しくらい稼がせてやっても、文句は言われまい」


「……ところで、調査結果の報告は如何しますか?」


「報告書の写しは既に王立アカデミーに提出している。君からの報告は私には結構」


 ルークラフト卿は愛猫を机に降ろすと立ち上がった。分厚い報告書をてきぱきと研究資料の並んだ書架へと移す。


「今日はもう帰ってよろしい。これからが所謂、正念場だ。明日は御進講の予定をすり合わせたい。君たちにも教授会に参加してもらう」


 君たち? まさか僕と卯月も?

 僕と卯月が互いに目を合わせたのを見て、准男爵はダメ押しするように言った。


「君たち三人だ。返事は?」


 最早、僕と卯月には考える余地すら残されていなかった。先手を打って、先生が嬉々とした調子で答えを返していた。


「教授のお望みのままに」

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