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狩人狩り 序 ~ 世界劇場(ティアトゥルム・ムンディ)

 眠りの遅い帝都の夜には、数多の賑やかな楽しみがある。

 その一つが歌劇(オペラ)だった。

 馬蹄形の広大な劇場は、今夜も豪奢なシャンデリアが放つ煌びやかな光、オーケストラの奏でる艶やかな音楽、そして人々の熱気に包まれていた。


 演目は『百万長者になった農民』。一人のしがない農民が神から加護を授かって、その力を使って活躍するという、最近、帝都で最も人気の歌劇(オペラ)だった。気まぐれな古の神々は人間の行いに興味を持ち、農民に対して神にも及ぶ力を与えた場合、一体何を為すのか、その結果を賭けて観察を始める。観客は神々と同じ目線から、農民の活躍を楽しむことができるというものだった。


 舞台の上では、農民に扮した役者がテンポの速い舞踊を披露し、古の神に扮した役者は舞台装置の一つである宙吊りの「雲の機械」から舞台を見下ろしながら、即興曲(カデンツァ)を歌い上げる。

 舞台の最奥部には巨大な風景画が幾層にも立てられ、立体的な背景を形作っている。巨大な背景画の上部から役者の足元まで、舞台のあらゆる場所が光り輝いていた。


 それは啓蒙の光だった。劇場で使用される蝋燭は一晩だけで二百本、三百本は下らない。しかしそうした物的資源以上に、歌劇(オペラ)という総合芸術を生み出すため、ありとあらゆる芸術的才能と彼らを支える裏方たちが集結し、舞台に眩い光をもたらしていた。


 一方で、長椅子が並んだ劇場の平土間の席では、観客たちが酒を飲みながら、好き勝手に合いの手を加えている。平土間は庶民用の席と言えども、宮廷劇場となれば料金は職人の給料一月分にも匹敵する。平土間の観客はあくまでも宮廷劇場のヒエラルキーにおける庶民だった。


 しかし、商売に成功し、あるいは大学や宮廷で働き、貴族として経済的な余裕を持つ観客であっても、慎み深く静かに観劇を楽しむわけではなかった。舞台の袖にあたる劇場の両側の壁にはさらに裕福な観客用のロイヤル・ボックス席(ロージェ)が並んでいるが、そこでも観客たちは自由気ままに食事を取ったり酒を飲んだり、時には劇の最中でも会話に花を咲かせていた。


 ロイヤル・ボックス席(ロージェ)に座る権利を持った者は限られた僅かな上流階級のみだったが、彼らは劇を見ると同時に、観客や役者から見られる存在でもあり、社交上の義務としてそこに座していることが殆どだった。特に王族や大貴族、宮廷の高級官吏は、諸外国の来賓をもてなすためにもロイヤル・ボックス席(ロージェ)を利用しなければならない。


 今夜の舞台でも、一人の貴族であり宮廷の高級官吏でもある男が、舞台から離れた一つのロイヤル・ボックス席(ロージェ)に座っていた。同席していたはずの他国の大使が体調不良を理由に途中で退去したため、広々とした席には男一人と二人分の杯が残されている。


 男は当世風のかつらを被って豪華な上衣を身に纏い、他の観客に見せつけるかのように(くつろ)いだ態度を取っていた。しかし、よく見るとその眉の間には深く皺が刻まれ、観劇を楽しむ様子は微塵もなかった。


 フライヘル・フォン・バルテンシュタイン。先代の皇帝から信任を得て平民から男爵に叙され、官房長にまで上り詰めたこの男も、先代から仕えてきた他の老臣と同じく、かつての皇女――現在の皇后とは折り合いが悪かった。


 帝国に敵対する選帝侯同盟を打ち破るべく軍事に注力し、帝国の財政を好転させるために、宮廷の若返りを図る皇后にとって見れば、この危機的状況下で軍隊の指揮もできず、ろくな政策案もなく己の無能さを晒すしかできない老臣など、全員を罷免するのは時間の問題だった。今の大臣や宮廷顧問の座は、皇后が他の優秀な人材を見出すまでの中継ぎに過ぎない。バルテンシュタインはそのように考えていた。


 事実、最近になって宮廷では新参者のハウクヴィッツ伯爵が財政健全化に向けた政策の素案を上奏したと聞く。田舎の小貴族に過ぎないハウクヴィッツ伯爵が、これまで宮廷を牛耳ってきた大貴族たちの頭越しに政策を立案するなど、これまでの宮廷ではありえないことだ。


 しかし、それも弛緩した財政事情を刷新するという、皇后の強い意志の表れに他ならなかった。平民から成り上がり、大貴族の嫉妬と妨害に耐えてきたバルテンシュタインからすれば、こうした序列の変化の訪れは当然、予想できた事態だった。だが、そうした事態に対応するにはバルテンシュタイン本人が歳を取り過ぎていた。今なお官房長として重用されているとはいえ、齢六十近い彼が頼れるものは過去の色褪せた経験以外になかった。


 バルテンシュタインは実務と処世術にこそ優れていたが、そうした機微が通用したのも旧態依然とした宮廷があったからこそだった。今から革新的な政策を立案しようにも、既に固定化された古い価値観の下では、日課と化した実務を続ける以外に何も思い付かない。バルテンシュタイン自身が官房長を務める「枢密内閣官房ゲハイメ・カビネッツ・カンツライ」も、いずれ他の新参者によって、さらに合理的な組織へと改編されるに違いない。


 自分がこんな席に座っていられるのも今の内だけだろう。そう考えながら、舞台の幕間にバルテンシュタインが明日の会議の資料に目を通していると、席の後ろの扉を叩く音が聞こえてきた。独特の間隔で扉がノックされる。枢密内閣官房ゲハイメ・カビネッツ・カンツライからの緊急の連絡だった。


「入れ」


 ロイヤル・ボックス席(ロージェ)についている舞台側のカーテンを下ろして人目を遮ると、バルテンシュタインは部下を席へと通した。


「閣下、緊急の報告です」


 枢密内閣官房ゲハイメ・カビネッツ・カンツライが扱う案件は常に緊急のものだった。防諜カウンターインテリジェンスには一刻の(いとま)さえ許されない。バルテンシュタインは部下から報告書を受け取った。


 そこには、今朝、帝都の郵便局で密かに筆写された郵便の内容が書かれていた。皇帝の即位を祝福し、帝国の領土を承認したはずのガリアの王国の宮廷が、よりにもよって国王自ら、選帝侯同盟に資金援助しているという旨が記されている。バルテンシュタインも何度も目にしてきた陰謀の内容だ。


 ガリアの宮廷は信用ならない。表向きは帝国を信用させつつ、裏ではその弱体化を狙っている。バルテンシュタインが皇帝にも進言してきた懸案が、いよいよ本格的に表面化してきたようだった。


 しかし、本当の問題はその先だった。ガリアの宮廷に呼応するように、ジェピュエル総督府と、帝国に駐在するガリアの大使の間で書簡が行き来しているという。明らかに怪しい動きだった。そして、そこには関与が疑われる人物の名前も列挙されていた。


「《迷信狩り》の調査官がジェピュエル総督府の領内を行き来し、陰謀に加担している可能性があると……?」


 歌劇(オペラ)がクライマックスを迎える中で、アリアにも耳を傾けず、バルテンシュタインは報告書に目を落としたまま、小さく呟いた。

18/05/11 現在、第四章のプロット作成、執筆作業中です。本編の投稿については今しばらくお待ちください。なお、このプロローグ自体ももしかすると全体が改稿になるかも知れません……。

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