魔女狩り 作者注
本連載作品「迷信狩り」の第三章「魔女狩り」について、設定上の注釈をまとめた。
後書きとしては長くなってしまうため、一編分を以下に記載する。
この注釈が、読後の読者の皆様における疑問の解消、細かい表現への理解の手助けとなることを期待する。
※ネタバレ注意
歴史および村、舞台:
作中ではコルヴィナ東部に位置するジェピュエル総督府内のゼレムの村が舞台となっている。
この村はセイラム魔女裁判事件が起こったセイラムをモデルとした架空の村である。
セイラム魔女裁判事件は1692年にアメリカ、ボストン近郊のセイラム市で起こった魔女騒動である。
百名の逮捕者、十九名の死者を出した現実の魔女裁判であり、周囲の村内で多くの告発が起きた。
当時の取り調べは杜撰で、また告発も言いがかりのようなものばかりだったため、無実の者が処刑されたと考えられている。
魔女狩りは中世から近世のヨーロッパにおいて行われた宗教裁判の一種である。
あまりにも普遍的なテーマであるため、詳細な説明は省くが、当時から既に魔女の存在や魔女狩りの正当性については疑問符がついていた。
魔女狩りの背景にはキリスト教宗派内での争い、土着信仰の取り締まり、集落内での対立など多くの要因があったが、それらは時代に応じて変化しており、一概に何が原因とは言い切れない。
そうした状況で、魔女への対応は国によって大きく異なっている。
オーストリア周辺では狼男との関連から、男性への告発が相対的に多かった。
ハンガリーでは家畜を呪う等の魔術の行使で訴えられ、領主裁判に持ち込まれるケースがあったが、十人程度の証言に基づいて無罪または火刑とされた。
ルーマニア周辺では魔女が職業として認められていた。
断頭台が登場するシーンがある。
一般的にギロチンと呼ばれる断頭台は十八世紀末にフランスにおいて開発された。
しかし、その原型となる処刑装置として、スコットランドで使用されたスコッチ・メイデンや、イギリスのハリファックス断頭台が存在する。
物理:
レミュザが火事が起きている納屋の扉を開けないというシーンがある。
屋内で火災が起こった場合、不完全燃焼によって火の勢いが衰え、一酸化炭素ガスが充満することがある。
この状態で扉や窓を開けると、バックドラフトという爆発現象が発生する。
バックドラフトが起こると、熱せられた一酸化炭素と酸素が結びついて爆発が生じる。
作中で粉塵爆発によって火災を起こすシーンがある。
粉塵爆発という現象そのものについては様々な作品で使われ、既に手垢に塗れたものだと思われるので、各自お調べいただきたい。
ここではそもそも、静電気の火花で粉塵爆発が起こせるか考察する。
浅学の徒である筆者は電気、電子工学しか基礎教養がないため、それらの知識に基づいて考察を行う。
作中では静電気を蓄積するライデン瓶からの火花放電によって、粉砂糖を粉塵爆発させている。
ライデン瓶の仕組みについては作中で描写しているが補足する。
ライデン瓶は1746年にオランダのライデン大学で開発された、静電気を貯めることができる機器である。
最も古いものでは瓶内部の導体として水を用いているが、その後、金属箔をコーティングするように改良された。
平賀源内のエレキテルもライデン瓶を用いて静電気を貯めている。
この時代に利用可能な粉塵としては、小麦粉、ライ麦粉、粉砂糖の三種類が有力であろう。
このうち、理想状態で最小発火エネルギーが最も小さい(10~30[mJ])粉砂糖であれば、静電気による粉塵爆発が可能であると考えられる。
(小麦粉は粉砂糖の10倍程度のエネルギーが必要になるため現実的ではない。)
次に、必要な静電容量について計算する。ライデン瓶から流れる電圧を1e5[V]とすると
J = C * V
C = J / V = 30e-3 / 1e5
C = 3e-6
の電荷が必要となる。従って、必要な静電容量は最低でも
F = C / V = 3e-6 / 1e5
F = 3e-10
0.3[nF]となる。この静電容量を満たすライデン瓶のサイズは、円柱状のガラス瓶の下半分を金属箔で被膜した場合、以下の式で与えられる。
ただし、ガラス瓶の内径をa[cm]、被膜する高さをh[cm]、ガラスの厚さをd[cm]、ガラスの比誘電率εgを4とする。
F = εg * S / d = 4ε0 * (a / 4 + h) * a * π / d
F = ε0 * (a + 4 * h) * a * π / d
F = 2.78e-13 * (a + 4 * h) * a / d
以上の式から、ガラス瓶のサイズを内径a = 12、高さh = 10、厚さd = 0.5とした場合、
F = 2.78e-13 * (12 + 40) * 12 / 0.5 = 3.46944e-10
約0.35[nF]の静電容量となり、運搬可能なサイズ(2[l]ペットボトル2本分程度)のライデン瓶で最小発火エネルギー以上の火花放電が可能であると考えられる。
サイズを抑え、複数のライデン瓶を並列に接続した場合でも、上記の静電容量は達成可能だが、接続する銅線が無いので現実的ではない。
ただし、作中のライデン瓶は導体として金属箔ではなく水を使用しているので、上記の計算の限りではないことをお断りしておく。
薬理:
卯月が駆虫薬あるいは堕胎薬を調べるシーンがある。
セイヨウオシダおよびニガヨモギには駆虫薬としての効能がある。
オシダは苦味を伴うらしい。
ニガヨモギはかなりの苦味を伴う。
一方で、ヨーロッパでは中世から堕胎薬としてサビナ(ヒノキ科)が使用されてきた。
サビナの風味については残念ながら考証不足で分からなかった。
牧師が薬で幻惑されるシーンがある。
用いられた薬物はヒヨスとベラドンナを調合したものという設定である。
アルコールとともに摂取することで、幻視や浮遊感が症状として現れる。
他、イレーンが飲んだ毒薬があるが、小説家になろうのR15のガイドラインに抵触する恐れがあるため、ここでは記載しない。
植生、生物:
魔宴が行われた森の描写について。
広葉樹の混成林としている。
ハンガリーの草原地帯を除けば、恐らくトランシルヴァニア周辺で最も一般的な森の植生である。
ナラは秋にはどんぐりをつけるので、農村では森に豚を放牧してどんぐりを食べさせていた。
伝書鳩が手紙を運ぶという描写がある。
レースに特化した鳩の飛行速度は平均で71km/hとのことである。
この数値を参考に、伝書鳩が帰巣した時間を郵便馬車よりも早い約一日としている。
文化、宗教:
赤毛に緑の瞳の人物が作中で登場する。
世界的に見て、この髪の毛と瞳の色の組み合わせの人間が生まれることは非常に稀である。
赤毛はイギリスでは蔑まれる傾向があるが、他国での歴史的経緯は不明である。
作中では、この組み合わせの人物が、物珍しさから魅力的に映るという設定にしている。
卯月が大和の言葉、日本語を喋るシーンがある。
卯月が喋っているのは薩摩弁である。
日本語を喋っているシーンを日本語で描いても迫力がないので、迫力がありそうな方言で描写した。
魔宴に関するシーンがいくつか出てくる。
一八世紀に入ると、スイスを除く欧州の国中で中世から続いてきた魔女狩りは下火になる。
オーストリアでは一七五〇年代に魔女の存在を否定する声明まで出されている。
その一方で、一七世紀から上流階級の間で、黒ミサへの参加が多くの国で行われた。
黒ミサの原型は魔宴にあると考えられるが、原始宗教的な魔宴とは本質的に異なる。
黒ミサでは、通常のミサと逆のことを行い、教会の権威を貶めた。
催淫効果のある香を焚き、参加者が淫らな行為に及んだとされている。
十字架の踏みつけや、十字架を逆さに吊るすといった行為は黒ミサでの一般的な儀式の一部だった。
作中で描写される魔宴は黒ミサとしたほうが表現としては正確だが、魔宴の表現を採用した。
レミュザが魔女に関する小冊子を見せ、そこに妖艶な女性が描かれているというシーンがある。
魔女のイメージは一般に、醜い老婆から徐々に若い魅惑的な女性へと変化している。
これも一概に原因を説明することが困難であるが、グリム童話などのフォークロアで語られる魔女は大抵、老婆である。
これは古い魔女のイメージで、薬草やお産に詳しい産婆が魔術に通じるという発想が原因とされる。
一方で、黒ミサが台頭し始めると、淫らな女性が、男性を誘惑する存在としてイメージされるようになる。
これを魔女と結びつけ、若い女性もまた魔女として扱われることが増えたと考えられる。
武装郵便隊が手紙を届けるシーンがある。
ハプスブルク帝国ではタクシス家による帝国郵便が発達し、公文書の輸送などに帝国郵便が利用された。
帝国郵便の基礎はイタリア出身の豪商で後の貴族、タクシス家(タシス家)によるものである。
一五世紀にイタリアで、タクシス家は駅伝制度と時刻伝票によって合理化した郵便事業を成功させた。
その結果、当時の神聖ローマ皇帝フリードリヒ三世に召し抱えられ、ウィーンまで郵便網を組織した。
これをきっかけに、その後、タクシス家は郵便事業を独占し、帝国全土で定期便による郵便網を築くまでに至る。
しかし、戦争などで度々、郵便網が破壊され、事業が麻痺することは珍しくなかった。
八十戦争でタクシス家の財産が消耗すると、帝国が郵便事業を国有化することになった。
このため、郵便の内容が皇帝に筒抜けになることを恐れた者たちによる反発も起こった。
結果的に、オランダや一部の地域では商人や貴族が主体となった地方郵便、領邦郵便が代用されることになっていった。
なお、当時の商用郵便では、信書の秘密が守られることはなかった。手紙は途中で開封され、回し読みされることが殆どであった。
また、基本的に、近代の郵便業者は強盗の襲撃に対応するために武装するのが一般的だった。
日本では明治六年から、警察官よりも先に郵便局員は短銃で武装することが許可されていた。
作中ではコルヴィナ王国内でアルデラ伯爵が郵便事業、領邦郵便を営んでいるという設定としている。
フィクション:
ニコラス・レミュザらが所属した異端審問官の組織「火葬者」の名称は、アニメ「エル・カザド」のタイトルからアイデアを得た。
「エル・カザド」はスペイン語で「狩人」、副題の「EL CAZADOR DE LA BRUJA」は「魔女の狩人」という意味である。
また、ワーズワースが処刑台の上で言った「遺言があったらどうぞ」という台詞は、アニメ「エル・カザド」の登場人物、ナディの決め台詞である。
本作の執筆の際して、前章に追加して、主に下記の書籍、作品を参考とした。
そのため、一部のシーンでは、その影響が大きく出ている個所がある。
また、今後も参考とする可能性が高い。
・「魔女とヨーロッパ」著:高橋義人
・「オカルト全書」著:オーエン・S・ラクレフ 監修:荒俣宏 訳:藤田美砂子
・「ハプスブルク帝国の情報メディア革命 近代郵便制度の誕生」著:菊地良生
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