魔女狩り 十一 ~ 死んだ赤子
通りに面していない裏口を通って、僕はマルギトの居酒屋に入った。
伯爵直属の武装郵便隊を派遣してまで届ける手紙とは、一体どんな内容なのだろうか。僕は胸騒ぎを感じながら、薄暗い屋根裏部屋へと戻ってきた。卯月を呼び、一緒に封筒を確認する。
一通目の封筒には、先生の近況と、魔女騒動に関わる情報が認められていた。繊細で流れるような文体から、伯爵の居城で優雅に報告書を仕上げる先生の姿が浮かんでくる。ヴァルド市での調査の報告書については、順調に作業が進んでいるようだった。手配した新人の庭師も到着し、先生は何の憂いもなく過ごしているらしい。
辻医者の一行に関しては、好きにすれば良いとだけしか書いていなかった。司教が特許状を書いたのだから、問題の責任は司教になすりつければ良いとも読める。
無責任極まる記述だが、先生にとっては無関係な案件なのだから当然だろう。
だが、魔女騒動に関する記述に入ると、突然、専門用語が飛び出してくるようになった。レミュザ氏が最初に魔女を調べる際に使用した器具は、ライデン瓶という名前であることが書いてある。その詳細な内容は、残念ながら手紙を一読しただけでは理解できなかった。
ライデン瓶は最近になって、北方の連邦共和国で開発された実験的な道具とのことだった。ライデン瓶は、摩擦によって電気を発生させる装置と一緒に使用し、瓶内に電気を貯めることができるという。そして、ライデン瓶の金属ロッドを介して、貯めておいた電気を一挙に外に放出することもできる。
……ということだが、僕の知識では、何が何だかさっぱり分からない。
そもそも、電気を貯めるとはどういうことだろう。
電気を放出すると何が起こるのだろう。
新しい概念への理解が足らず、頭が混乱する。どうやら、琥珀と布を摩擦して磁気を発生させた場合とは異なる力があるようだが、電気について理解できないと、どうにもならない。
ただ、先生は図を載せてくれており、そこにはライデン瓶の金属ロッドに触れた際に起こる反応が描かれていた。
「火花だ……」
図では、金属ロッドからは、電気の放出と同時に小さな火花が散っている。そして、その衝撃に動じる人物が描かれていた。
つまり、ライデン瓶を用いた調査は、魔女の力を計るものではなかったということだ。ライデン瓶自体に、そのような衝撃を与えるだけの力が蓄積されていただけに過ぎない。
ライデン瓶の力が電気によるものだとすれば、金属ロッドに触れた人が魔女か否かは全く無関係と言える。僕が金属ロッドに触れても何も起こらなかったのは、ライデン瓶に電気が貯まっていなかったからだろう。
それでは、レミュザ氏は一体何のために、ライデン瓶を持ち出したのだろうか?
彼もライデン瓶と電気の仕組みを、理解していなかったのだろうか。それで、魔女の力を試すために持ち出したのだろうか。
しかし、レミュザ氏ほどの人物が、ライデン瓶の仕組みを知らなかったとは思えなかった。
手紙にはライデン瓶の説明と電気による火花発生の図こそ書いてあったが、調査の意図に対して言及は無かった。直接、レミュザ氏を知らないということもあって、先生もその目的を図りかねたのかも知れない。
ただ、先生の手紙はそこで終わりではなかった。
次の手紙には、真ん中に表を表す縦横の線が走り、その中にびっしりと数字が並んでいる。専門用語だらけのライデン瓶の記述の後での数字攻めで、読む前に頭がくらくらする。目を凝らして読むと、表のタイトルは、帝都における乳児の死者数と食事の内容となっていた。
貴族から貧民まで、教会によってまとめられた乳児の死者が、どの程度の経済規模の家庭で、どのような食生活を送っていたか記録されている。それによれば、乳児の死者数は明らかに貴族が少なく、そして意外にも、次いで貧民が少ない。
最も乳児の死者数が多いのは、多少、資産に余裕がある裕福な家庭となっている。一体何故なのだろうか。
先生の考察によれば、その差を生み出しているのは食生活であるという。貴族は専属の乳母、貧民は母親自身が母乳を与えている。
しかし、ある程度、経済的な余裕を持った家庭では、婦人も家事や仕事に追われ、乳児に羊や牛の乳を与えている。どうやら、乳児に母乳を与えていない場合に、死亡率は上がっているということらしい。
もしこれが本当であるとすれば、ゼレムの村でも同じことが当てはまる可能性が高い。コヴァーチ、ビーロー、ネーメトの三家は比較的、豊かな家だったはずだ。
乳児にも大人と同じような食事を与えていたとすれば、それが乳児の死に繋がったと言える。原因は不確かだが、三家の食生活を調べれば、これも魔女の仕業でないことが証明できそうだ。
ライデン瓶と電気の仕組みに、乳児の死と食生活。これらの情報を繋ぎ合わせれば、魔女との関連を否定することができるかも知れない。
先生にとっては片手間だったのかも知れないが、僕たちにとってこの手紙は天啓と言えた。
そして、もう一通の封筒を開く。それは、先生の端正な文章とは明確に異なる文体だった。
他の誰かが書いたものの写しのようだ。その内容はと言えば、密やかに会って話したいという、秘密を匂わせるものだった。
宛先はこの付近の町で、差出人の名前はイニシャルのみになっている。しかし、イニシャルだけでもだいたいの想像はつく。
先生のことだから、これは差出人の人物を陥れるために、伯爵配下の郵便夫に頼んで用意してもらったのだろう。それ以外には考えられない。
あとはどうにかして、確実な証拠を掴みたかった。
「乳児の死……」
死産の後の処置を手伝っていた修道士ヘンリクなら、まだ何か知っているかも知れない。僕は卯月とともに、再び古い修道院を訪れることに決めた。
***
屍人形とともに、使徒派の修道士たちが夕暮れ時の農道を歩いて修道院へ戻ってくる。その先頭に立っっているのは最年長の修道士ヘンリクだった。
僕たちは先に面会を頼んでいたわけではなかった。しかし、修道士ヘンリクは僕たちの訪問を拒まず、面会の時間を設けてくれた。
「シャロルトとイレーンが死産の赤子をとりあげた時の事をお話しいただきたいのですが……」
「確かに。死産だったと、私は二人には言いました。実に残念でなりませんでしたが」
僕の言葉に、老修道士は目を閉じて、暫し沈黙したままだった。
「その時、ガストーニ牧師がいらっしゃらなかったのは何故ですか?」
「ガストーニ殿は近隣の牧師の会議に足繁く通っております。その時も会議のために村を出ていました。牧師にとっては……村内だけでなく、牧師同士の付き合いもまた必要な務めです」
修道士ヘンリクはガストーニ牧師を弁護するように付け加えた。
「ガストーニ牧師がいない間、洗礼はどうしていたんですか?」
たとえ分娩中に死んだ嬰児でも、緊急洗礼を受けるのが通例のはずだ。
そこで初めて、修道士ヘンリクは不意を突かれたように、一瞬、表情を強張らせた。修道士ヘンリクは次の言葉を吟味するように唇を僅かに動かしながら、思案してから口を開いた。
「これは……どうか内密に願いたいことなのです。ガストーニ殿が留守の間に、乳児が亡くなりました。生まれてから亡くなる間に、洗礼を受けずに」
老修道士は声を絞り出すように答えた。
「私は使徒派の教えに従い、子供が死後に洗礼を受けるべきだと考えました。しかし、牧師の会議が長引き、その間に……」
修道士ヘンリクはそこで言葉を区切り、自分を落ち着かせるようにため息をついた。
「遺体を保存するために、子供を屍人形にしたのです。しかし、ガストーニ殿はそれを気に入らず、結局、子供は洗礼を受けられませんでした。これは……他ならぬ私の罪です」
そう言って、修道士ヘンリクは目を閉じて俯いた。
「申し訳ありません。そのような大変なことがあったとは知らずに」
「改革派には改革派の教えがあります。私が軽率だったのです」
「失礼を承知でお聞きしたいのですが、死んだ乳児の遺体に何か、気になる点はありませんでしたか?」
乳児の死が魔女の仕業ではなく、他に問題があるとすれば、遺体に何か残っているはずだった。
修道士ヘンリクは眉間に深く皺を寄せながらも、修道院の地下へと僕たちを案内した。そこには屍人形を納めた棺が等間隔に並んでいた。
どれも古びた木製の棺の中で、最奥の一つだけが他の棺よりも小さく、蓋に埃を被った状態で放置されている。
「これが、その乳児の屍人形の棺です」
老修道士は蓋を覆っていた埃を丁寧に払い、棺を開いた。そこには一歳にも満たない乳児の屍人形が安置されていた。
産着の布だけが敷かれた棺の中で横たわる屍人形は青白く、文字通り人形のように見えた。手足はやせ細り、しかし、腹の肉だけは奇妙にたわみ、凹んでいる。
衰弱して死んだ事は明らかだった。
「この子を屍人形に仕立てる時に、何か不審な点はありませんでしたか?」
「子供が病気で衰弱して亡くなることは珍しくないと思いますが……」
「胃の内容物は確かめましたか?」
そう聞くと、老修道士は深く息を吸った。
「屍人形を仕立てる際には、まず腹から水を出さねばなりません。そして、胃腸の中身を抜き出します」
修道士ヘンリクは、震える皺だらけの両手に目を落として、その顔に後悔を滲ませながら語った。
「乳児の胃には、羊乳やチーズが、そのまま残っておりました。恐らく、授乳させる暇がなかったのでしょう。そう言ったものを食べさせたせいか、腹は大きく膨らみきっていました」
乳児は消化できないような食物を食べさせられ、結果的に衰弱して死んだ。恐らく、この乳児だけではない。他の子供も、家庭の豊かさ故に、食生活に何らかの問題があったとしても不思議ではない。このことは三家の夫人たちに問い質す必要がある。
「辛いことをお聞きしてしまって、本当に申し訳ありません。でも、ありがとうございます」
「構いません。せめて、この子の死が何かの役に立つのなら……」
修道士ヘンリクはゆっくりと棺の蓋を閉じた。