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魔女狩り 九 ~ 修道女と魔力

***



 その日から、卯月のおかげで、僕たちはマルギトの居酒屋に泊まることになった。居酒屋を手伝いながら、卯月は二階、僕は屋根裏の部屋を借りた。

 先生への手紙を送り、当面の逗留先を見つけられ、精神的にも余裕が出てきた。そのおかげで、狭い屋根裏でも、僕は落ち着いて就寝することができた。


 翌日、僕たちは再びレミュザ氏が滞在する宿を訪れた。

 調査の予定を尋ねるためだ。レミュザ氏は村人が落ち着くのを待つためという理由で、その日は聞き取りを先延ばしにすることを提案した。調査官の権限は限られており、今の状況では、正しい情報を聞き出せない可能性があるから、と。


 僕たちは彼に同意し、ひとまず卯月がマルギトから聞いた話だけを報告し、宿を後にした。魔女騒動さえ無ければ、ゼレムの村は極めて牧歌的な村で、マルギトの店の手伝いが終わると僕たちはすぐに手持ち無沙汰になった。

 何かやるべきことがないかと、無性に探したくなってしまう。先生ほどではないが、自ら面倒に首を突っ込むことに、僕も慣れ始めたのかも知れない。


 折角だから、今のうちにシャロルトとイレーンから話を聞き、調査を進めよう。僕と卯月の足は、自然と改革派の修道院へと向かっていた。

 卯月からは、修道院を預かる中年の修道女から良く思われていないかも知れないから、僕が上手く話題を振って欲しいと頼まれた。東洋人の彼女に対する偏見を解くことは容易ではないが、魔女の疑惑をかけられた人々に対する仕打ちを考えれば、それを乗り越えることも必要な対応だった。


「どなたかしら?」


 中年の修道女は、修道院を訪れた僕たちの姿を認めると、急に険しい表情になった。


「また貴方たち?」


「突然のご訪問で申し訳ありません。今回はシャロルトとイレーンに話を伺いたくて来ました」


「彼女たちは今、庭で作業してるわ。話はできないの」


「勿論、邪魔はしません。終わったらで構いませんから」


 中年の修道女はため息をついた。


「彼女たちには魔女の疑いがかけられてるのよ。正式な調査でないと、喋らせたくないわ」


 大方、こういう流れになってしまうだろうとは思っていた。そこで、僕はオットボーニ司教直筆の特許状を取り出した。


「彼女たちが魔女かどうかは無関係です。話を聞きたいだけです。何もご迷惑はお掛けしません」


 中年の修道女は特許状を見つめて暫く思案していたが、僕のしつこさと権威の前に折れたようだった。


「もう好きにして。でも、私が会わせたなんて言わないでちょうだい。人に見られても困るから、作業が終わるまで中で待ってなさい」


 僕たちはようやく、修道女の案内で修道院の中へと入ることを許された。中年の修道女が自分の書斎へと戻っていくのを見届けると、僕は胸を撫で下ろした。こんなところで特許状を持ち出したことは、司教には黙っておかねばならないだろう。


 暫くして、修道女たちが庭園での作業を終えて修道院へと戻ってきた。シャロルトとイレーンはわざと遅れるように歩き、集団からは離れているように見えた。

 僕はシャロルトとイレーンを呼び止めた。二人は怪訝な面持ちを視線を交わしあい、どうすべきか迷っているようだった。


「何の用か知らないけど、私もイレーンも魔女のことは知らないわ」


 シャロルトが先に口を開いた。彼女の深緑の瞳が、僕に厳しい視線を浴びせる。


「僕も魔女なんていないと思ってますよ。それよりも、少し話したいことがあるんです」


「何よ。話って」


「お二人とも、産婆を務めるには随分とお若いんじゃないかと思って」


「寄合で勝手に決められたんだから、仕方ないじゃない。それとも、私たちが未熟だから子供が死んだとでも言いたいの?」


 シャロルトは口を尖らせ、僕に詰め寄った。


「ヘンリクの爺さんからお産の方法を教わったのよ。修道院に入れっていうのも爺さんが頼んできたから。何もかも全部、あの爺さんのせいよ」


修道士(フラ)ヘンリクは使徒派に所属していますよね。どうして改革派の修道院へ?」


「それは……」


「あの……シャロルトは、男の人に言い寄られることが多くて……それで、修道院へ来たんです」


 目を伏せたまま、イレーンが小さな声で答えた。


「その、シャロルトはすごく魅力的だから……変な噂が立たないように。ちゃんとした修道院がある改革派のほうが良いって、修道士(フラ)ヘンリクが勧めたんです」


「宗派なんてどこでも同じよ。それに、男のことなんて、どうでもいいわ」


「それじゃ、女の人たちのことは?」


 卯月はそれとなく尋ねたつもりだったようだが、二人は一瞬、目を泳がせて答えに詰まった。


「それってどういう意味?」


「子供が亡くなった家の人たちのこと、あまりよく思ってないのかなって」


「ああ、あの家の……」


 シャロルトは動揺を隠すように、わざとうんざりした表情を浮かべているように見えた。


「子供が亡くなったのは可哀想だと思う。でも、誓って言うけど、私たちは何もしてない」


「子供は無事に産まれたんですか?」


「……」


 僕の問いに、シャロルトは黙ったままだった。


「ビーロー夫人の子が、その……死産だったんです……。でも、その時は牧師様がいらっしゃらなくて……修道士(フラ)ヘンリクを呼んで、助けてもらいました」


 代わりに、イレーンが蒼い顔で答えた。


「私たち、本当に悪いことはしてません……。修道士(フラ)ヘンリクも、仕方ないって……」


「大丈夫です。心配しないでください。僕もお二人が悪いとは思ってません」


 それよりも、修道士(フラ)ヘンリクに死産の時の話を聞いたほうが良さそうだった。彼はまだ何か知っている。そんな予感がした。

 修道院の奥から、中年の修道女がシャロルトとイレーンを呼ぶ声が聞こえ、会話は中断した。


「そろそろ行かないと……」


「お二人とも、ありがとうございました。きちんと調査して、魔女の疑惑が晴れるようにします」


 僕は最初から魔女など疑っていなかったが、それでも、彼女たちを安心させようと努めた。

 今まで厳しい追及に晒されてきたのか、彼女たちは僕の言葉を意外なものとして受け取ったようだった。


「そうね。ちゃんと話を聞いてくれて、ありがとう。それじゃ……」


 安堵した表情で修道院の奥へと歩いていく二人を見送り、僕たちはその日の調査を終えた。



***



 ゼレムの村での滞在四日目、昼下がりの役場の前に、レミュザ氏の指示で再び村人が集められた。勿論、調査を再開するためだった。

 この間に、村人は普段通りに生活するようにレミュザ氏に言われていたが、トードルを始めとする一部の村人は相変わらず魔女の恐怖を煽っていた。マルギトの居酒屋もその影響を受けているようで、僕たちの手伝いがあっても客足は伸び悩んでいた。


 役場の前には、疑惑の晴れた修道士(フラ)ヘンリクを除いて、前回と同様の顔ぶれが並んだ。

 レミュザ氏はまず、アデーラに町で鎮静剤を買ってくるように勧めた。健康を害した状態の者を調査に参加させるほど、レミュザ氏は過酷な性格ではないようだった。しかし、夫のトードルは付き添うことを拒否したため、(なめし)革職人の徒弟が彼女に付き添い、町へと向かうことになった。


 トードルは妻が魔女であることは疑う余地がないとばかりに、薬を買う金を出すことまでも拒んだ。結局、薬の代金はレミュザ氏の懐から、付き添いの徒弟へと渡されることになってしまった。確かに、妻の病気で生活が上手くいかず、自棄になることもあるのかも知れない。しかし、そうだとしても、このトードルという男に情けというものはないのかと、僕は激しい嫌悪感を覚えた。


 とはいえ、調査を進めるためには、今は耐えるしかなかった。


「どうせ、この中に魔女がいるんだ。早くそれを突き止めてくれ」


 トードルは忌々しげに女性たちを一瞥し、レミュザ氏とも衝突した。


「そんなに慌てないでください。必ず、この騒動を治めるとお約束します」


 このような状況でも、レミュザ氏は忍耐強く、冷静だった。


「皆さんは、魔女というものを(みだ)りに恐れすぎている。魔女がどのような者かご存知ですか?」


 穏やかな口調でレミュザ氏が村人たちに問いかける。


「知らない。分からない。それが問題なのです」


 レミュザ氏は持ってきた旅行鞄を開いた。中から、ガリアの王国で刷られたと思しき、魔女に関する小冊子(パンフレット)を取り出す。そこには、妖艶な裸体で、聖職者を誘惑する若い女性の姿が描かれていた。


「多くの場合、魔女は生まれながらにして、魔女なのです」


 レミュザ氏は村人に語った。


「魔女の素質を持つ者は、無自覚に魔術を操る。それは、他者や周囲に対して、知らず知らずのうちに悪影響を与えます」


 村人たちはレミュザ氏の言葉に、無言で耳を傾けている。魔女の力が、無自覚に発揮されるというのは、一体どういう意味だろうか。

 その時、近所の子供がバケツを持って、レミュザ氏に駆け寄ってきた。


「先生、これ、持ってきたよ」


「ありがとう。さて、これで良いでしょう」


 レミュザ氏はバケツの中身を丸いガラスの鉢へと移した。

 鉢の中では、透明な水中を一匹の小魚がゆっくりと泳いでいる。


「ただの魚のようですが……」


「その通り。しかし、魔女の力は、この小さな生命にも影響を及ぼすのです」


 そう言って、レミュザ氏はマルギトの前に鉢を差し出した。


「どうか落ち着いて。手を鉢の上で、ゆっくりと円を描くように動かしてみてください。私の手本のように」


 そう言って、レミュザ氏はマルギトの手を取って、鉢の上へと引き寄せた。マルギトはレミュザ氏の指示に従い、鉢の上で手を動かした。

 しかし、何も起こらない。


「どうやら、魔術の兆候は無いようですね。ありがとう。では次は――」


 レミュザ氏はシャロルトを見据えた。二人の緑の瞳の視線が交差する。


「さっさと済ませてよ」


 シャロルトは自らレミュザ氏に手を差し出す。


「よろしい。では、確かめましょう」


 レミュザ氏はシャロルトの手を取り、鉢の上へと引き寄せる。先程と同様に、周囲の注目を余所に、小魚はただ水中を泳いでいる。鉢の上で小さな円を描くようにシャロルトの手が動き始めた。


 その瞬間、鉢の中で小魚が反応を示した。シャロルトの手の動きに合わせて、それに引きずられるように小魚も水中を泳いでいる。


「なんだ、これは……」


 ガストーニ牧師が慄きながら言った。

 思わずというように、シャロルトがレミュザ氏の手を振り払って腕を引っ込めた。


「今のは……」


「そう、こういう事もあるのです。時に、直接触れずとも、周囲に影響を及ぼす者が――」


「魔女よ! 今のが魔術でなくて、何だって言うのよ!」


 婦人たちが悲鳴にも近い声を上げた。シャロルトは信じられないというように呆然と、小魚を操った手を震わせたまま、それをもう片方の手を抑えている。


「どうかお静かに。まだ、調査は終わっていません」


 蒼白の顔で、イレーンはシャロルトとレミュザ氏を交互に見つめている。


「何が調査だ! 今までの話で、もう魔女は決まりじゃねえか!」


 トードルが吠えるように怒鳴り、シャロルトを指差した。周囲の家族たちも怯えた様子でシャロルトを見つめている。レミュザ氏の言葉を信じるならば、最早、シャロルトは魔術を操る魔女という烙印を押されてしまったと言っても過言ではなかった。


「落ち着いてください!」


 騒然とする中で、僕はトードルを鎮めようと、彼の肩に手をかけた。


「余所者がこれ以上、口出すんじゃねえ! 早く魔女を片付けるんだ!」


 トードルは振り返りざまに、僕の顔面に拳を放った。

 油断し切っていた僕は、右頬に拳を受け、そのまま後ろに吹っ飛んだ。


「暴力は止めなさい。落ち着いて。これ以上、騒ぎを大きくしないように」


「くそっ! 離せ!」


 トードルはレミュザ氏の手を振り解くと、勝手に家へと向かって歩き始めた。


「大丈夫?」


 卯月が僕を助け起こした。


「痛……いや、平気だよ。多分」


「大丈夫じゃないでしょ……」


 役場の前は、前回と同様に騒然としている。


「今日はこれで切り上げましょう。彼には、私から直接、話をしておきますから。どうか、皆さん冷静に」


 レミュザ氏は荷物をまとめ始めた。


「今、見たものがすべてだとは考えないでください。調査はまだ途中ですから」


 レミュザ氏は村人たちに解散するように言い渡し、トードルの家へと向かっていった。調査が進む毎に、混乱が大きくなりつつあるが、本当に大丈夫なのだろうか。魔女なんて存在しないという僕の考えも、泳ぐ小魚のように揺らぎ始めた。


 しかし、冷静にならなくては。まだ、すべてが決まったわけではないのだ。僕は殴られた跡を抑えながら、卯月とマルギトとともに、役場を後にした。


 そして――例の爆発まで、僕は漫然と、居酒屋の手伝いや傷の応急処置で時間を潰してしまった。

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