魔女狩り 三 ~ 魔女の潜む村
山間を抜けた街道で、郵便馬車が突然、停車する。
「それじゃ、ここから先はこっちの林道沿いに歩いていってくれ」
郵便夫は、街道の分かれ道で僕たちを郵便馬車から降ろした。ゼレムの村には郵便局も届ける荷物も無く、これ以上は付き合う事情が無いというのが理由だった。
既に陽は天頂から次第に傾き始めている。僕は郵便夫に礼を言って金を渡すと、すぐに歩き始めた。見渡す限りの広大な山裾と森、そして行く先には峠があり、見える範囲に村がある気配はない。せめて日暮れ前にはゼレムの村に着けるだろうか。
二人旅とは言え、何かと心細い。路銀はあるが、賊にでも襲われたら目も当てられない。こんな山間まで馬泥棒たちが入り込んでいるとは思えないが。漠然とした不安が心に重くのしかかる。
僕たちの足音に驚いたのか、突然、野鳥の群れが林から飛び立つ。僕はその音に一瞬、怯んで歩みが止まった。
「大丈夫?」
卯月が声をかけてくる。
「え? ああ、問題ないよ」
僕は急に気恥ずかしさを感じ、目を伏せた。
その時、卯月が僕の手を取った。最初に狩猟場の森で出会った頃を思い出す。
どうやら僕は帝都での留学で都市生活に慣れてしまったようだ。単に、先生や司教、護衛の士官がいないというだけではない。周囲に人がいないというだけで、心に隙間風が吹き込んでくる。そんな中で、出会って僅かな時間を過ごしただけの少女に、これほど依存している。
自虐的な気分のまま、僕は卯月と手を繋ぎながら、村を目指した。峠を登っていくと、やがて林の合間に点々と羊や作業小屋が見えてきた。この先に、生活している人々がいる。僕は少し安心して、歩調を緩めた。
峠で少し休憩し、それから再び歩き始める。林道を囲む林には小動物が潜んでいる気配はあったが、それだけだった。
長閑な春の小道と表現したほうが正確だろう。何の危険もなく、僕たちは林道を抜けて、放牧地と農地を縫う農道へ出た。
毛を刈られた羊の小さな白い点と、牛の茶色い点が混じり合って、放牧地に散っている。農地では屍人形が農具を引きずる重苦しい音と、彼らを操る鐘の音色が響き続けていた。
これほど牧歌的な地域に、《迷信狩り》の調査官を必要とする村があるとは、信じ難い雰囲気だ。陽が傾き始める頃には、僕たちは家屋が寄り添う合う村の周縁まで辿り着いていた。
「旅の御方ですかな?」
屍人形を率いていた修道士の一人が声をかけてきた。白く染め上げた修道服は使徒派教会の修道会士であることを物語っている。
「僕たちは怪現象の調査官の助手で、ゼレムの村に行きたいんですが……」
「なるほど、貴方がたが例の調査官ですか。牧師殿が既に待っています」
修道士は修道服のフードを降ろして顔を見せた。
「ヘンリクと申します。どうかお見知りおきを……」
鉤鼻に皺を刻んだ老齢の修道士は恭しく挨拶すると、屍人形を他の修道士に任せて僕たちを村へと案内しようとした。
「申し訳ありません。僕たちは別の市で調査をしている助手で、正式な調査官じゃないんです」
「では、何故ゼレムの村へお越しに?」
「ゼレムの村にいる調査官に手紙を渡すように頼まれてまして……あと、他に調査したいことがあるんです」
僕は蝋封が押された手紙を取り出した。
「残念ですが、その調査官を私は存じません。ひとまず、貴方がたをご案内しましょう」
ゼレムの村を任されている調査官よりも、僕たちは早く到着してしまったようだった。それでも修道士ヘンリクは表情一つ変えず、僕たちを牧師館へと先導してくれた。修道士ヘンリクは東洋人の卯月を見ても、興味を惹かれなかったようだった。
もしかすると、調査官と名が付けば誰でも構わないほど、切羽詰まった状況なのかも知れない。その予想を裏付けるように、道行く先で僕たちを見た村人たちがひそひそと会話を交わしている。言葉の節々から、怪現象や調査だけでなく、魔女や呪いと言った単語が聞こえてきた。村の中で何か悪いことが起こっていることは間違いないようだった。
僕たちは修道士ヘンリクとともに、風見鶏が設えられた改革派教会の前に建つ、小さな牧師館を訪ねた。壮年の牧師は修道士ヘンリクの突然の訪問にも驚かず、待っていたといわんばかりに僕たちを出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました、調査官の皆様。すぐに事情をお話ししたいところですが、まずはどうぞお座りください」
改革派の牧師は僕たちを牧師館に招き入れると、中年の修道女にワインを用意させようとした。
修道女は卯月の顔立ちを見て、目を丸くしていたものの、酒蔵へと向かっていった。牧師のほうも卯月の姿を確認してから、何事か言おうとしかけたが、結局、彼女への言及は避けた。
「本当によくお越しくださいました。調査の間に必要なことがあれば、なんでも仰ってください」
狭い村の中で、噂話が既に面倒な方向に転がり始めているようだった。
「いえ、違うんです。僕たちは調査官ではなくて、調査官への手紙を届けに来ただけで……」
「調査官殿の助手殿だとお聞きしております。先に調査を開始されるのでしょう?」
牧師は嬉々とした様子で僕の返答を待っている。
「申し訳ないのですが、僕たちは調査を依頼されて来たわけではないんです」
「どういうことですか?」
「ここに来る予定の調査官に手紙を渡すように頼まれてきただけで……後は、別に調査したいことがあって来ました」
「べ、別に調査したいことですと? しかし、総督は魔女狩りのために調査官を派遣すると、返答してきております」
牧師はジェピュエル総督からの書状を見せる。確かに調査官を派遣する旨は書かれているが、人選の検討中なので、調査官本人の到着まで待機するようにと記されている。具体性の欠片も感じない、思いっきり投槍な書状だ。
牧師は困惑し、修道士ヘンリクと顔を合わせたが、彼も首を横に振るばかりだ。
「他に調査なんて、依頼しておりません。今、この村で最も恐るべき怪異は、魔女によるものなのです」
牧師の顔は先程と打って変わって、懇願するように悲壮な表情へと変わった。
「どうか調査願えませんか。村人は不安に慄くばかりでして……お話だけでも聞いていただきたいのです」
「牧師殿、こちらの方々をあまり困らせるわけにもいかぬでしょう」
修道士ヘンリクが口を開いた。
「とは言え、助手の方々が調査したいことが、この村の魔女と無関係とも限らぬわけです。もし余裕があれば魔女狩りについても調べていただけばよろしいかと」
老練な修道士の提案に、牧師は落胆しつつも同意を示した。
「魔女狩りと無関係だと悟られぬよう。助手の方々にはご注意いただき、暫し逗留いただきましょう。如何ですかな?」
修道士ヘンリクは僕と卯月を見据えて、諭すように言った。
「お力になれずすいません。ただ、もしよろしければ、その魔女について、お話しいただいても構いませんか?」
僕は修道士ヘンリクの取り成しもあり、つい親切心から牧師に尋ねてしまった。
「魔女の仕業なのです。悍ましいことに、村に魔女がいるのです」
酒蔵から戻ってきた修道女からワインを受け取ると、牧師は声を低くして語り始めた。
「最近、村で生まれた子供が立て続けに死んでおりまして、それも同じ家の子供ばかりです。これは呪いか何か、魔術か秘儀の兆候が無いかと探し回りました」
その口振りからは、魔女に対する恐怖と怒りが混じった、迷信深さが伺えた。
「すると、傍の森の中で、魔宴の痕跡が見つかったのです。双十字架の一本の横軸が折られ、逆さに吊り下げられておりました。このような儀式は、悪魔と契約した者によるものに違いありません」
牧師の言葉に、修道女は無言で頷いている。修道士ヘンリクは目を閉じ、腕を組んだまま何も言わなかった。
「魔女が子供たちを殺したのです。村の中では、一体、誰が悪魔に魂を売り渡したのか、恐怖で眠れない夜が続いております」
牧師はそこまで言うと言葉を切った。子供の死と魔宴。偶然と悪戯にも思える話だ。
「具体的にお伺いしたいのですが、何人の子供が亡くなったのですか?」
「三つの家で、今年、死産や早産も含めて五人の子供が死にました。去年は六人」
修道士ヘンリクが呟くように答えた。
「三つの家にいた夫婦の子供、全員が死にました」
「それは、お気の毒に……」
「皆、村では裕福な家の者たちです。町に出て、時折、派手な飾り物を付けて帰ってきたこともありましたが、敬虔な者ばかり。きっと、彼らを妬んだ者が呪いをかけたのだと、私は思っています」
牧師は憮然とした表情で答えた。
「何か証拠はあるんでしょうか?」
僕は努めて冷静に状況を聞き出そうとした。
「証拠ですと? 魔宴を行った魔女が誰なのか、我々はそれを調べていただきたいのです。こうしている間にも、魔女は平穏を乱そうと企んでいるかも知れないのですよ」
牧師は苛立たしげに指先で机を叩いた。憤慨する牧師を制するように、修道士ヘンリクが腕を伸ばした。
「牧師殿、この方々は調査官の助手ですぞ。何か考えをお持ちなのでしょう」
「申し訳ない。私としたことが、気が立ってしまって……。とにかく、一刻も早く調査をお願いしたい状況なのです」
牧師は椅子に背を預け、大きくため息をついた。
「村人たちは、魔女たちが子供の魂を悪魔に捧げたのだと、そのように噂しております。それで、疑わしい者たちを告発しているのです」
村の中では、魔女がいるという前提で事態が進みつつあるようだった。勿論、誰かが本当に悪意を持って子供を殺したのかも知れないが、それにしては人数が多すぎる。魔女や呪いと結びつける気持ちも分からないではないが、それが全てとは思えなかった。一元論的な判断は、誤った結論を導く可能性がある。
振り出しに戻って、きちんと調査しなければならない。
こんな時、先生だったらどうするだろう?
突拍子も無いことを言い出して、相手を煙に巻くのだろうか。それとも、このまま魔女を探し始めるだろうか。
「ところで、助手殿は、何を調べにこの村へ?」
今度は修道士ヘンリクがこちらに尋ねてきた。
「辻医者の一行を探しているんです。全員がペスト医師の格好をしている者たちなのですが」
「そのような者は見た覚えがありませんな」
牧師も修道女も辻医者の一行については何も知らなかった。完全な空振りである。
残るは調査官への手紙だが、ここまで話を聞いておいて、手紙を渡して直ぐ踵を返すわけにはいかない気もしてくる。帰るにも郵便局のある町まで歩かなければならないし、それは今からでは遅すぎた。
どちらにしても、このゼレムの村で、一晩は厄介になる必要がある。僕はひとまず逗留する意志があることを牧師に告げ、牧師館を後にした。
できれば、正式な調査官に今すぐ御登場願いたいところではあったが、止むを得ない。村人の不安を煽らないように振る舞いつつ、調査官の到着を待つしかなかった。
「面倒をおかけして申し訳ないのですが……しかし、牧師のガストーニ殿と、この村の事情もお察しいただきたい」
修道士ヘンリクは眉間の皺を一層深くして述べた。
「村の者たちも気が立っているかも知れませんので、どうかお気をつけてください」
そう言い残して、老修道士は古びた修道院へと帰っていった。