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亡者狩り 十五 ~ 調査の終わりに

 ローベルト師の最期が判明したことで、すべての謎は解かれた。《副牧師の復活》という怪現象は、ミハーイ師が捕まり、偽ローベルト師がいなくなったことで解決したのだ。紆余曲折を経たが、僕たちのヴァルド市での《迷信狩り》はこうして完了した。


 先生は調査の打ち上げとして、ヴァルド市の名物である温泉に行くことを提案した。地下から湧き出ている天然の温泉だ。仕事の打ち上げが酒宴や娼館ではなく、温泉というところが妙に博物学者らしい気配りである。アルデラ伯領の東部やジェピュエル総督府は有名な温泉地らしいが、実際に温泉に入るのは僕も初めてだった。


 しかし、先生はまだ用事があるからと言って、僕と卯月にだけ温泉を薦め、自身は席を外そうとした。


「私は伯爵の居城に帰る。今回の報告書をまとめねば」


 先生はそう言って、自分の荷物を馬車に載せ始めた。


「そんなこと言わずに、折角ですから先生も入りましょうよ」


「伯爵に依頼されていた庭師の手配も進んでいるんだ。新しい庭師が到着したら彼を出迎えねばならん」


 先生は残念そうに肩を竦めた。


「私もゆっくり休んでいきたいところだが、伯爵からも連絡の催促もあってな」


 そう言いながら、伯爵は馬車の荷台から小さな鳥籠を取り出した。


「緊急連絡のためとか言って送られてきた。伯爵の心配性にも困ったものだが、私は帰るから君に持ってもらおう」


 鳥籠の中では、一羽の鳩が大人しく止まり木に止まっていた。伝書鳩だ。


「伯爵の愛鳩だそうだ。可愛がってやってくれ」


 先生は余った路銀をすべて僕に託すと、士官二人を連れ、いよいよ馬車を走らせて行ってしまった。


「まあ、仕方ないか……」


 先生を見送った僕と卯月は、修道院の留守を預かるユーリヤに荷物を預け、温泉へと向かった。ユーリヤは伝書鳩に目を輝かせたが、解剖しないように釘を刺すと、落胆した様子で僕たちを送り出した。


 件の銭湯は市壁の外の森の近くにあった。普段は木こりや炭焼きの職人がよく利用しているということだった。市の喧騒から離れた温泉には、独特の神秘的な雰囲気がある。広々とした温泉は混浴で、中では老若男女問わず、人々が他愛もない会話をしながら湯に浸かっている。


 帝国では使徒派教会によって、銭湯が娼館の案内所代わりにされているというレッテルを貼られ、何度も禁止されていた。しかし、我が地元、王冠諸邦コルヴィナではそういった話を聞いたことが無かった。コルヴィナでは使徒派教会の勢力が弱いということもあるのだろうが、純粋に温泉を愛する人が多かったのだろう。肌着一枚になって温泉に浸かると、不思議と身体が癒され、疲れが消えていく感覚に包まれた。


 僕がふと隣に目を向けると、卯月の薄い肩が見えた。艶やかな黒髪が彼女の表情を隠すと、湯気の間から見え隠れする肌の張りがいやまして強調される。

 僕は卯月の幼さの残る顔立ちから、彼女をずっと年少の子供だと思っていた。しかし、それは東洋人の女性の多くがそうであるように、顔立ちと背丈の特徴に過ぎなかったようだった。


「そういえば」


 卯月が不意に口を開いた。僕は我に返って彼女から視線を外した。


「辻医者の一行って、何者だったんだろう」


 ローベルト師から面皮を剥がしたペスト医師たち。彼らの正体は未だに分かっていなかった。


「クルジュヴァール市に向かうってことは、学舎の関係者なのかも知れないな」


 僕はクルジュヴァールにあるという聖職者の学舎について思い出した。

 ジェピュエル総督府が公国であった頃から、クルジュヴァールには古くから学舎があり、そこで多くの聖職者が育成された。彼らによって異教徒の影響下にあっても教会は勢力を維持し、今ではクルジュヴァールの学舎はジェピュエル総督府最大のエリート育成機関となっているという。

 だが、彼らの詳細は分からなかった。公国時代から国家機密として守られてきた学舎は、今も禁域などと噂されている。


 要するに、その立地を除いて、学舎では何をしているのか全く不明なのだった。少なくとも、神学を志す若者を受け入れていることは確かであろうが、その出身者は各国に点在しているようで、出会う機会もこれまで殆どなかった。帝都の大学にいた少数の出身者は総じて聡明な学者で、しかし、近寄りがたい雰囲気を持っていた。


「私、辻医者たちについて調べないといけないと思う」


 卯月は僕のほうを向き直って言った。


「あの辻医者たちが、また怪現象の原因を作るかも知れないから」


 その深い瞳に真っ直ぐ見据えられると、僕は嫌とは言えなくなってしまう。


「治療なんて言って善意で怪現象を増やされても、こっちが困るしね。何か調べる必要はあると思うよ」

僕はどう答えたものか思案しながら言葉を探した。


「でも、どこに居るのか何をしたいのか分からない相手を探すのも、ちょっと……」


「それを調べるのが調査官だと思う」


 御尤もだ。まだ《迷信狩り》は終わっていない。ヴァルド市の外にだって、奇妙な噂話や怪現象は残っているのだ。きっと、先生だって報告書を仕上げたら、こっちに合流してくれるだろう。


「よし、辻医者の一行を追おう」


 僕は不安を振り払い、意を決して答えた。



***



 僕と卯月は温泉から戻ると、すぐに旅の支度を整えた。ヴァルド市から街道を東へ真っ直ぐ進んでいけば、ジェピュエル総督府内のクルジュヴァール市へと辿り着く。仮に教皇特使が全速力で早馬を使えば一日か二日程度の距離だ。

 しかし、辻医者の一行は馬車を使っておらず、使命と称して町村に寄って手術を行っていることから、まだ二つの市を結ぶ街道の間の何処かに留まっている可能性があった。


 僕たちはまず司教に頼み込んで、通行許可証と特許状を作成してもらった。調査官不在のまま、二人の助手だけでどこまで調査が可能なのか、それは司教の権威次第だった。アルデラ伯領を離れ、ジェピュエル総督府内に入った後は、頼れるのは司教の特許状しかない。


 ジェピュエル総督府は一つの司教座として教区が区切られており、オットボーニ司教とは別に使徒派教会の司教がいた。総督府の司教が、この特許状を認めてくれない場合、最悪の場合は牢に繋がれる可能性まであった。司教は絶対に大丈夫だと太鼓判を押してくれたが、正直なところ僕は心細くて仕方なかった。僕たちは総督府を管轄する司教の名前すら知らないのだ。


 先生もいない。司教もアウレリオ司祭もいない。護衛の士官もいない。分かっているのは、辻医者の一行がクルジュヴァールを目指しているということだけ。無い無い尽くしの調査活動だ。手元にいるのは、伯爵が愛する伝書鳩くらいだった。


 それでも、卯月には臆している様子はなかった。その落ち着いた表情からは、これから始まる調査に対する心の余裕すら感じられる。僕も彼女を見習って、少しは落ち着いて――あるいは開き直って、調査を楽しもうではないか。僕は自分自身に言い聞かせ、荷物をまとめた。


 クルジュヴァールまで道々で調査を行い、辻医者の一行を見つけられなければ戻ってくる。司教たちにそう言い残して、僕たちは聖カタリナ修道院付き教会を後にした。


 市内では市場が開かれており、各地から商人や農民が商品や農作物を持ち寄っていた。通りに面した羊毛店では、ターバンを巻いた異教徒の商人が羊毛を買い付けに来ている。コルヴィナでは香辛料としてパプリカの粉を使うことが多いこともあって、彼らが独占している貴重な香辛料を売ることはなかった。

 その代わりに、彼らは異教で禁じられている豚肉の代用品として、羊肉や羊製品を求めてコルヴィナ各地の市場を利用していた。

 様々な人種と商品が行き交う中で、東洋人の卯月の姿を見ても、誰も気にする素振りすら見せない。


「何か買っていかない?」


 卯月が放浪民の露店を指差しながら言った。放浪民の伝統工芸品が並んでいる。


「母が言ってたの。旅に出る前に、御守りを持っておくのが良いんだって」


 御守り。どういったものを買えば良いのだろう。東洋では御守りとして、どのようなものを持つべきか決まっているのだろうが、僕にはそんな知識はない。放浪民の露天商は、僕と卯月を少し上目遣いに見ながら、無言で商品選びが終わるのを待っている。


「これとか、どう?」


 卯月が木製のビーズが連なったブレスレットを手に取った。ビーズは穴を開けた木の実だろうか。何から作られているかはよく分からない。しかし、何となく御守りという感じはする。


「幸運のブレスレット。旅先で良いことあるよ」


 露天商はそう言いながら、同じものをもう一つ取り出すと僕にも手渡した。


「恋人同士で付ければ、効果も大きいよ」


「こ、恋人?」


 僕は思わず卯月のほうを振り返って、彼女の様子を伺った。卯月は相変わらずというべきか、素っ気ない表情で商品を見ている。露天商に押し切られ、僕は同じブレスレットを二つ買った。恋人同士の効果は期待できないだろうが、別に構わない。御守り代わりに揃いのブレスレットを付け、いよいよヴァルド市を後にする。


 市門の近くで、カーロイ家の紋章が入った郵便馬車を見つけ、僕は相乗りさせてもらえないか交渉した。郵便馬車の荷台は既に手紙や荷物が満載で、せいぜい二人と一羽が詰め合って乗るのが限界だった。それでも我慢して、金を支払って僕たちは郵便馬車に乗り込んだ。


 各地の郵便局で替え馬を取りながら、リレー形式で手紙を運ぶ郵便馬車を利用することは、調査を行う上で理に適っていた。郵便局に到着する度に下車して、周辺を調査し、また郵便馬車に乗る。これを繰り返していけば、移動時間を短縮し、調査に時間を割くことが可能だった。

 僕は卯月とともに郵便馬車に揺られながら、辻医者に繋がる情報を得られることを祈った。

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