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亡者狩り 十三 ~ 教区長

***



「皆の者! 静まれえ!」


 ミハーイ師が橋の上で叫んでいる。言われなくても、周囲では最早騒いでいる人はいなかった。

 どちらかと言えば、墓守に従い歩く屍人形の往来のほうが多く、最初から物静かなくらいだ。


 私はカミルの代わりに、ミハーイ師とローベルト師の様子を観察していた。足を怪我した彼には、まだ歩き回る仕事は辛いからという理由だった。私は相変わらず借り物の修道服に身を包み、仮初の敬虔さを装っている。私の傍らには修道士に扮した少尉が立っており、油断なく周囲に目を光らせていた。


 ミハーイ師とローベルト師がいる橋の隣に掛かっている別の橋で、私は群衆とともに彼らを見ていた。辺りを見回しても、集まってきた彼らの信徒は以前より少ないように思える。それでも、ローベルト師に心酔している一部の信徒は、小さく彼の名を囁き、祈りを捧げている。騙されているのに、何故そうまでして(すが)るのか、私には分からなかった。


 市参事会は、屍霊術を解禁し、一方でローベルト師に辻説法の禁止を言い渡していた。福音派教会が勢力を取り戻し、ローベルト師を偽預言者であると断じた。ローベルト師の信徒たちは大っぴらに贅沢品の回収ができなくなり、本当に貧しくなったようだった。彼らは広場や辻から追い払われ、今や市壁の外でしか活動していない。


 多くの住民から煙たがられ、彼らは絶体絶命のように思えた。そんな中で、ミハーイ師は再び復活の儀式を執り行うと宣言していた。既にカミルが見破った《水の試練》をまた繰り返すというのだ。


 しかし、鏡の仕掛けを施した橋は、物乞いたちが占領していて使えなかった。彼らは何の仕掛けもない橋の上で、再び棺にローベルト師を閉じ込めている。


 もう止めればいいのに。私はそう思いながら彼らを観察し続けた。


 ミハーイ師の合図の下で滑車が動き、棺が河へと沈んでいく。カミルの話の通り、ローベルト師は棺とともに水中へと没し、見えなくなった。やがて、マリアという女性信徒が讃美歌を歌い始めた。


――主よ、御許(みもと)に近づかん


――登る道は、十字架に


――ありともなど、悲しむべき


 数少ない熱心な信徒だけが、彼女に倣って讃美歌を歌った。同じ歌詞が寂しく繰り返される。


――主よ、御許(みもと)に近づかん


 醜い嘘に塗れたミハーイ師の隣でも、彼女の讃美歌だけは真の美しさを保っている。どこか、そんな風に聞こえた。


 しばらくして、讃美歌が終わると、棺が引き上げられた。これまで観察している様子では、橋脚に仕掛けがない状態で、何か特別なことが起こったとは思えなかった。ミハーイ師が棺に近寄り、棺の蓋を開く。しかし、彼は蓋に伸ばした手を、すぐに引っ込めてしまった。


 カミルが見た《奇跡》では、この後すぐにローベルト師が起き上がってくるはずだった。何か予定と違うことがあったのだろうか。


 ミハーイ師が群衆を見渡し、どら声を響かせた。


「我らが真の預言者、ローベルト師は三日後に蘇る! 再び蘇るのだ! 主と同じように!」


 三日後? カミルから聞いていた話と違う展開になった。


「それまで悔い改め、祈りを欠かさぬように!」


 そう叫ぶと、ミハーイ師はマリアとともに馬車に棺を載せ始めた。騒然とする群衆は、献金の籠にも目もくれず、大声でミハーイ師を罵った。群衆から逃げるように、ミハーイ師は棺を載せた馬車を自ら走らせ、その場から去ろうとしている。残された信徒たちは狼狽え、中には橋から身を投げる者までいた。


「何か様子がおかしいですね」


 少尉が私の手を取った。


「連中を追いましょう」


 少尉に手を引かれ、私は橋のたもとへと走った。

 私たちが市壁へと走るうちに、既にミハーイ師の馬車は市門を抜けて市に入ってしまった。少尉は止まっていた荷車の傍らにいた馬に目を付けた。


「私は帝国軍の士官だ! その馬を借りるぞ!」


 そう言って、呆気に取られている馬の主人を後目に、手綱を取ると私を後ろに乗せた。

 いくら軍人とはいえ、なんて大胆なことをするのだろうか。いや、訓練を受けた軍人だからこそ、事態の緊急性を察知したのかも知れない。


「しっかりと掴まっていてください。揺れますよ」


 少尉は馬泥棒のような素早い手並みで、すぐに馬を市門へと走らせた。私は振り落とされないように少尉にしがみ付き、ミハーイ師の追跡を彼に任せた。



***



 (かび)臭い教会堂の地下室で、人影が一つ、祭壇の前で腕を組んで立ち尽くしている。影は鳥の(くちばし)に似た仮面を着け、全身を黒い革のガウンで覆っている。ペスト医師だった。


 やがて、上階から慌ただしい足音が響いてきた。何人かの人間が荷物を持って教会堂に入ってきたようだった。


 ペスト医師が出入口の階段に目を向けると、ミハーイ師とマリアが棺を抱えて地下室に入ってきた。ミハーイ師は棺を床に置くと、汗だくの顔を拭いもせず、声を潜めてマリアに指示を与えた。


「お前は上を見張っているんだ。いいか。誰も入れるんじゃないぞ」


 その鬼気迫る態度に、マリアは頷くしかできないようだった。

 マリアが地下室を後にし、その足音が遠ざかると、ミハーイ師は棺に両手をついて大きく息を吐いた。そして、濡れた棺の蓋に手を掛けた。棺の中には、水に濡れたままのローベルト師が横たわっていた。その身体は微動だにせず、既に息絶えているように見えた。


 目元の包帯は外れ、目のあるべき場所に黒い穴だけが二つ空いている。棺の蓋の裏には、中で人がもがいたような爪痕が残っていた。恐らく、ローベルト師のものだろう。ローベルト師は水中で必死で足枷を外そうとして、そのまま溺死したようだった。


「悪いが潮時だろうからな……主よ、天に召されたこの者が安らかに憩わんことを……」


 ミハーイ師はローベルト師の遺体を見下ろしながら、十字を切って早口で呟いた。彼は足枷の鍵をローベルト師に悟られぬように取り換え、ローベルト師を謀殺したようだ。


「さあ、前と同じように、こいつの面皮を剥がしてくれ。それと、全身の毛と爪を全部取っておくんだ。毛と爪は聖遺物として売れるからな。それであんたへの支払いにできる」


 ミハーイ師はローベルト師の遺体を指差しながら、ペスト医師に依頼した。

 しかし、ペスト医師は黙ったまま動かなかった。腕を組んだまましばらく棺を見下ろし、そして再びミハーイ師を見据えた。


「早くしてくれ! 何をボサっとしているんだ!」


 ミハーイ師は声を低くしてペスト医師に怒鳴った。

 ペスト医師はようやく懐からメスを取り出すと、棺に近づいた。ミハーイ師はペスト医師を睨みつけ、舌打ちしながら棺から離れた。


 ペスト医師はローベルト師の顔に覆い被さるような体勢をとり、ゆっくりとメスを動かした。乾いた樹皮を捲るような、粘着剤を引き剥がす音が地下室に響いた。ローベルト師の顔が、まるで仮面のようにその頭から引き離されていく。そして、ついにローベルト師の顔は、面皮だけになって頭から剥がされた。


 ローベルト師の面皮の下から現れた男の顔は、ローベルト師と似ても似つかないものだった。ただ、その骨格だけはローベルト師の面影を残しているように見えた。遺体から剥がされたローベルト師の面皮は、今も生きているかのような生々しさのまま、ペスト医師の手に収まっている。粘着剤を使って似通った顔に貼り付ければ、再び偽のローベルト師を作り上げられるだろう。


「よし、そいつをこっちへ」


 ミハーイ師がローベルト師の面皮に手を伸ばした。しかし、ペスト医師は動かない。


「何をしている。一体どうしたんだ」


 その時、上階から女の悲鳴が響いてきた。マリアの声だ。その声は助けを求める言葉を最後に途切れた。


 続いて、階段を一歩、また一歩、下ってくる足音が響いてきた。ミハーイ師の顔を再び汗が伝った。ミハーイ師とペスト医師が階段に目をやる。


 そこに現れたのは、教区長ティサ・エルジェーベトだった。鮮血に染まった儀礼用の直剣を手にしている。


「お前は……! や、やめろ!」


 ミハーイ師が狼狽えて後ずさりする。しかし、地下室にはどこにも逃げ場はない。


「密かなる聖血が……血の乾きだけが……満たし……我らを鎮める……聖血を……」


 教区長は直剣を手にしたまま、ゆっくりとミハーイ師へと近づいていく。


「だが……注意せよ……君たちは弱く……幼い……冒涜の獣は……囁き……誘うだろう……」


 優しく祈りの言葉を囁きながら、教区長はミハーイ師へと迫った。


「わ、私じゃない! 私がやったんじゃない! 助けてくれ! 後生だ!」


 ミハーイ師は祭壇の裏に隠れ、這い(つくば)って命乞いした。


「お願いだ! か、金ならやる。幾らだ、幾ら欲しい? 頼む、見逃してくれ!」


 ミハーイ師が法衣を裏返すと、辺りに硬貨が散らばった。

 それでも、教区長の歩みは止まらなかった。教区長とミハーイ師の距離は徐々に縮まっていく。


「聖血を……祝福を望み……祈るのなら……拝領は与えられん……」


 空を切り、直剣が振り上げられた。


「待て!」


「やめるんだ!」


 僕と少尉が飛び出したのはほぼ同時だった。

 階段の影から駆け出してきた少尉は、素早く教区長を取り押さえた。教区長は抵抗することなく、項垂れて大人しくなった。鮮血を吸った直剣が教区長の手を離れ、床に落ちて乾いた音を響かせた。


 隠れていた空の衣装棚から飛び出した僕は、(うずくま)っていたミハーイ師に足を取られて転んだ。蹴り飛ばされたミハーイ師は僕と一緒に床を転がって呻いた。


「嫌だ! 死にたくない……! 死にたくない……!」


 ミハーイ師は恐怖に歪んだ顔を涙に濡らしながら失禁していた。

 少尉に遅れて、卯月も地下室に下りてきた。卯月の姿を見て、先程まで沈黙していたペスト医師が少尉に拍手を送った。


「いやはや、お見事。実に見事」


 くぐもった、しかし深いバリトンの声で賛辞を贈った後、ペスト医師は自らの仮面に手を掛けた。

 その仮面の下から出てきたのは無垢な少女の顔だった。


「貴方は……」


 教区長が目を見開いた。


「死にたくなければ、全て話してもらわないといけませんな、牧師殿。いや、今はただの詐欺師でしたか」


 先生はミハーイ師を見下ろしながら、ローベルト師の面皮を手元で揺らした。


「なんで、なんでお前がここに……」


 ミハーイ師は震えながら先生を見上げた。


「市庁舎での我々の会話を盗み聞きするとは、良い趣味とは言えませんよ。辻医者の一人がヴァルド市に戻ったなんて話まで信じ込んで、自業自得ですがね」


 先生は少女の笑みを浮かべたまま言った。


「こちらが聞いていることを知っていて、わざと、そこの小娘に嘘を言わせたのか」


 ミハーイ師が真っ青な顔で卯月を見た。


「そういうことです。嘘吐きが嘘に騙されるとは滑稽ですね」


 そう言いながら、少しも面白くないというように先生は真顔に戻った。


「さて、話していただきますか。《副牧師の復活》の真相を」

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