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陰謀狩り 序 ~ 誰がために鐘は鳴る

――我々の罪は魂無き後も続き、主より授かりし肉体を奉仕させるであろう……


 薄暗い遺体安置所(モルグ)に、司祭の祈りが厳かに響く。香炉から立ち昇る仄かな甘い香りと煙が充満し、人影を揺らす。

 司祭のほかに四名の修道士が司祭の後ろに並んで佇み、儀式の行方を見守っている。


 修道士が全員が黒い修道服に身を包む中で、一人だけ白い法服と金に縁取りされた紫色のストールを身に纏った老齢の司祭は、部屋の中央の台座に向かって淡々と祈りを捧げていく。


 繰り返し、繰り返し。僅かに心に灯した信仰の光だけを頼りに、毎日の務めをこなす。


 人は死ねば魂が肉体から離れ、残った肉体は暗い土の下に埋葬される。今生の別れとはそういったもののはずだった。


 屍霊術が開発されるまでは。


 今では多くの人間の遺骸は、消毒と防腐が施され、霊媒と呼ばれる特殊な溶液を血管に注入するという過程を経て、屍人形として生まれ変わる。

 屍人形は意識を持たず、ただ鈍重に同じ動作を繰り返すしか能がなかった。それでも、兵役で男がいなくなり、女子供しか残されていない村落では貴重な労働資源として動員されていた。


 屍人形を使って少しでも地方の生産力を底上げしたい帝国は、大学に屍霊術に関する講座を開設し、教会にも説教や儀式の内容を大幅に変更するように迫った。

 進歩的な修道会では屍霊術を《尊き御業》と呼んで大いに喧伝した。


 死してなお、労働を通じて神に奉仕することができる。


 これは呪術や妖術、悪魔や吸血鬼の類などでは決してない。


 恐れることは何もない。


 畏れるものがあるとすれば、それは偉大なる神の御力である、と。


 時代が変われば信仰も変わる。だが、それを受け入れるには、人の心に対して時代の流れが早すぎた。


 遺体を冷却するために設けられた大理石の台座の上では、冷たくなった青年の肉体が仰向けに寝かされている。

 化粧によって小綺麗に整えられ、黒い修道服を身に纏った青年の遺体は穏やかな表情で、その顔色さえ赤みを帯びていれば眠りについているようにも見える。


 司祭は台座に近寄ると、青年の遺体の顔の上で双十字のロザリオを掲げ、聖典の一節を読み上げた。


――神の御名において、その魂の衣は再び洗礼を受けん


 司祭の言葉を合図に、後ろで控えていた修道士の一人がベルベットで包まれた仮面を司祭に手渡す。

 肌が見えていなくとも、屍人形であることはすぐにわかる。だが、布や仮面で人間とわかる部位をきちんと覆い隠さねば、怯える者が多かった。


 司祭は仮面を遺体にかぶせると、胸で十字を切った。

 目を閉じて一拍ほど息を整え、誰にも聞こえぬほどの小声で最後の祈りを唱える。

 直後、布の触れ合う音すらも止まり、部屋は静寂に包まれた。


 一体、自分の信仰とは何なのか。司祭は唐突に思った。

 確かに、かつて聖人は死から復活したと伝えられている。だが、我々が今行っていることはどうだろうか。

 一度はあの世へと送られた者を切り開き、遺体に仮初の祝福を施し、屍人形として呼び起こす。


 そこにあるのは怜悧な科学の瞳と、啓蒙家の飽くなき挑戦ばかりである。

 我々の宗教が手掛けてきた愛も祈りも、迷信深い農民を動揺させないための、気休めに過ぎなかった。


 修道士たちは微動だにせず、司祭の次の動きを待っている。

 その気配を察したように、司祭は徐に懐から鈍色の鐘を取り出し、遺体の上に掲げた。


 一度、二度。小刻みに鐘を揺らす。

 澄んだ金属音が、部屋に立ち込める重々しい空気を浄化するかのように鳴り響く。


 次の瞬間、まるで鐘の音に呼応するかのように、遺体の指がびくりと震える。胸の上で祈るように組まれていた両腕が、腰の脇のあたりへと下りていく。

 司祭は遺体の動きを気にも留めず、さらに鐘を鳴らし続ける。


 鐘の音は間隔を少しずつ縮めながら、部屋を反響して幾重にも響く。


 遺体に呼びかけるように。


 やがて遺体は緩やかに、腕から肩、そして膝までも動かし、上半身を起こしていた。


 死の眠りから目覚めた青年は、まだ寝ぼけているかのように、少しだけ首を傾けて司祭のほうを向いた。

 仮面の目の奥には一筋の光も見えない。その目はやはり屍者のものだった。


 司祭はそこまでの動きを見届けると、踵を返して足早に遺体安置所を後にした。


「我らの罪を赦したまえ」


 司祭の去り際の呟きを聞いた修道士は、一人もいなかった。

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