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亡者狩り 五 ~ 辻説法

 翌朝、朝食のため、先生と卯月、僕は修道院の広間に集まった。ユーリヤは司教の朝の務めを手伝うため、先に修道院を出ていった。血と薬品の臭気を漂わせる彼女が食事にいないことは幸いだった。


 卯月を見ると、彼女は普段のブラウスではなく、古着の修道服を身に着けていた。スカーフを被って顔を隠せば、ごく普通の修道女に見える。


「一瞬、誰かと思ったよ」


「ユーリヤが、ここにいるならこっちのほうがいいって」


 普段は人のいない修道院で、見知らぬ東洋人がいるとなれば、妙な噂が広がりかねない。確かに、修道女の姿であれば、修道院にいても誰も特別な興味を持たないだろう。


「似合ってるよ」


「ありがとう」


 卯月が小さく微笑む。


 しかし、よく見ると、卯月は福音派の福音書と解剖学の小冊子(パンフレット)まで持たされていた。どうやら宗教家としては、司教よりもユーリヤのほうが上だったようだ。


 朝食の席で、先生が今後の方針について切り出した。


「まずは情報が欲しいところなのだが、この市で頼れる人物は?」


「僕の知り合いはいません」


「私もだ。昨日の感触だと、あのホルティとかいう市参事会の会長は信用ならん」


「何故です?」


 僕は顔を上げた。先生は砂糖を入れたコーヒーを延々とかき混ぜている。


「何か隠している」


「何をですか?」


「それが会話だけで分かれば、私だって学者なんてやっていないさ」


 流石の先生も人の嘘の中身まで見通すことはできないらしい。


「あの屍霊術士はどうかね? 君の意見は?」


「寄付さえ出せば動いてくれるみたいです」


「寄付? ……敬虔なのか。それとも、取引に見合う相手か見ているのか」


 ユーリヤの病的な奇態からは、正常な思考を読み取ることは困難だった。

 だが少なくとも、下手に動くよりは、ユーリヤから聞けることを聞いておいたほうが良さそうだった。調査の費用には限りがあるが、必要な情報が手に入れば、それに越したことはない。


「そういえば、卯月はアウレリオ司祭と巡察に行くのかい?」


 僕は卯月に尋ねた。修道服を着ている今であれば、そのまま巡察に出ても違和感もないだろう。


「そうしてもいい?」


 卯月が少し不安気に、先生の回答を待つ。


「君の見識が広がることは今後の調査にも大いに役立つだろう。それに、ヴァルド市内だけで十分な調査ができるとも思えないしな」


 先生は意味ありげに卯月の目を見た。


「手分けして情報を探すほうが効率的だということだ。勿論、司祭殿は信頼できる」


 そう言って、先生はコーヒーを啜った。

 卯月をアウレリオ司祭に任せ、先生と僕はユーリヤから情報を引き出す。当面の方針は決まった。



***



 僕たちが教会堂に赴くと、掃除道具を持った物乞いや人夫が慌ただしく行き来していた。講壇を見ると、アウレリオ司祭とユーリヤが物乞いや人夫に指示を出しているのが見える。


「どこもかしこも酷い有様ですぞ。何とか人を集めさせましたが、気休めですな」


 外の掲示板に貼り付ける告知の紙を眺めながら、アウレリオ司祭は肩を落とした。告知には明日以降、司教が礼拝を執り行う旨が書かれている。明日が司教の晴れ舞台になるかどうかは、彼らの掃除の手並みに掛かっているようだ。


 朝の務めが終わった司教は牧師館に戻ったという。伯爵の居城で楽しく料理を披露した司教だったが、掃除には心を惹かれなかったらしい。それならば、自費で大工を雇って補修してもらったほうが良いのではなかろうか。共和国の商家出身である司教の財力があれば、それが良さそうな気がした。


「司祭殿、お忙しいところ申し訳ないが、卯月を巡察に連れて行っていただいても構いませんか?」


 先生がアウレリオ司祭に尋ねる。


「勿論ですとも。私から提案させていただいた話ですから。出発は、こちらが片付いたらになりますが」


 アウレリオ司祭は人夫に布巾とバケツを配りながら答えた。


「それと、オルロフ殿と話をしたいのですが、よろしいですか?」


「ワタシとデスカ? この罪深いワタシの言葉をお聞きになりたいと申されるのデスカ?」


 ユーリヤは周囲の目を気にしているかのように、わざとらしく顔を手で覆って身体を振り乱した。


「いいから、話を」


 先生はもはや彼女の奇態を気にしていないようだった。


「あ、ハイ」


 ユーリヤも素直に先生に従い、修道院の広間へと付いてきた。


「さて話ということデスガ……ワタシはあまり話は得意ではないのデス。罪の告白であれば司祭様にお願いしたいのデス」


 ユーリヤはどうやら気紛れな性格ではないようだった。その証拠に、既に托鉢(たくはつ)の小さな鉢をテーブルに置いている。彼女が寄付という名の情報料を要求していることは明白だった。


 僕はこの修道女の皮を被った守銭奴を相手にするべきか悩んでいた。しかし、先生は律儀にも、何も言わずに硬貨を鉢に投げ込んだ。


「無理にとは言わない。私たちは自己紹介した通り、王立アカデミーから委任されて来た調査官だ。知りたいことがある。君が知っている範疇でいいから、話して欲しい」


 先生は椅子から乗り出して前のめりになった。


「《復活》したという、ローベルト師に会いたい。どうしたら会える?」


「ええ、ええ。心得ておりますデスヨ」


 先生の無垢な少女の顔にも動じず、ユーリヤはテーブルの下から血の滲んだ聖典を取り出した。


「しかし信徒にとって知識とは聖典に記されたもの。それ以上を知るということは即ち愚かで浅はかな罪。我々は罪を犯し汚れ(けが)れ……その魂が救われることは決して、決して無い」


 そこまで言うとユーリヤは動きを止め、銀髪の隙間から先生を見据えた。先生は眉をひそめ、さらに硬貨を鉢に投げ入れた。


「ワタシは多くの罪をこの目で見て来まシタ。そして今まさに罪を犯さんとする者を罪深き自らに重ねている。ワタシは罪深い。そしてアナタも」


 ユーリヤはゆっくりと聖典を開いた。しかしそれは、外見だけ聖典を象った箱だった。箱の中には、一冊の黒い手帳が入っていた。


 ユーリヤは聞き取れないほど小さく何事かを囁きながら、慎重に手帳を手に取った。


「ローベルト師は普段、改革派教会の牧師館にこもって全く姿を見せないのデス。しかし時折、元福音派牧師のミハーイ師とともに辻説法をしているのデス」


 ユーリヤが視線を上げて先生の顔を見た。


「ミハーイ師のことはご存知デスカ?」


「ローベルト師の葬儀を行って、彼を埋葬した本人だそうだが」


「ミハーイ師は自分の行いが奇跡の一端であると思い込んでいるのデス。ローベルト師の《復活》は自分の力によるものでもあると」


 ユーリヤはそこまで話すとくすくすと笑った。まるで福音派を去ったミハーイ師を(さげす)むかのように。


「ミハーイ師はローベルト師と常に行動をともにしているのデス。ミハーイ師に会えれば、ローベルト師もそこにいるのデス」


 そう言って、ユーリヤは手帳から一枚のメモを差し出した。


「罪に対して罰を下すのは教会の仕事。しかし我々は信徒自身にそれを委ねる」


 メモには定食屋か宿屋と思しき店の名前――『三頭の獅子』とだけ記されていた。


「なるほど、素晴らしい。ありがとう。貴重なお話に感謝する」


 先生は輝く硬貨を一枚、直接、ユーリヤに差し出した。



***



 先生と僕は、十時きっかりに教会に現れたディンケル少尉を伴って市内に出た。少尉は持ち前の真面目さで、道行く先で、常に不審者がいないか警戒していた。しかし、自身が護衛している先生こそが、最も不審な人物であることは自覚していないようだった。


 先生はあまり地図を信用していないようで、適宜スケッチやメモで情報を補っていた。少尉に護衛されながら地図を検める僕たちの姿は、道行く人から実に奇妙に映ったことだろう。


 ユーリヤから教えられた店――定食屋『三頭の獅子』は、見通しの良い広場のすぐ傍にあった。昼食代は教会への寄付に消えたため、残念ながら昼食はお預けだ。昼になると、広場には人が集まり始めた。

 住民の間には、既にここで辻説法が行われる予定であることが知らされていたらしい。


「さて、お手並み拝見と行こうか」


 先生は持ってきた新聞で半分顔を隠しながら、広場に目を向けた。


「カミル君、君はもっと近くで見てきてくれ。君なら改革派の住民に紛れ込める」


「僕がですか?」


「君は影が薄いからな。顔を覚えられにくいだろうし。背も高いから、群衆の中から彼らを確認するのに適任だ」


「はあ……」


 貧乏くじを引かされ、僕は渋々、群衆の中へと分け入っていった。


 広場の中央には即席の講壇が建てられており、質素な法衣をまとった、太った男が立っていた。その周囲では、同じく質素な白い服を着た信徒たちが群衆を見張っている。恐らく、あの太った男がミハーイ師だろう。


 広場には桟敷が置かれ、後ろに並ぶ者も彼の姿を見ることができるようになっていた。


「我が息子たちよ。親愛なるヴァルド市民たちよ」


 ミハーイ師は群衆を見渡し、語り始めた。


「悔い改めるのだ。神の怒りの剣はすぐそこまで迫っている。使徒派、福音派の堕落した教えにより、ヴァルド市の魂は危機に瀕している。悔い改めることだけが、救いの道である」


 単純素朴な説教は、改革派教会の教えに近いように思えた。しかし、それは平時の穏やかな調子ではなく、恐るべき脅威を訴えているように感じられる。


「息子たちよ。お前たちは知っているだろう。ローベルト師の復活を。そして見たはずだ。彼の奇跡を。それにも関わらず、教皇は新たな司教をヴァルド市に送り込んできた。我々の行いを(ないがし)ろにし、彼らは今も改革の代わりに、堕落した教えを広めようとしている」


 ミハーイ師のどら声はなおも続いた。


「彼らは正しきを為すことができないために、我々を妨害することにしたのだ。しかし、息子たちよ、恐れることはない。お前たちはその正しき行いにより、ローベルト師から恩寵を与かることになるのだ。さあ!」


 ミハーイ師が振り返って腕を上げると、群がっていた信徒らが二手に分かれ、道を開いた。そこには、目に包帯を巻き、白い長衣をまとい、杖を持った一人の男が立っていた。


 預言者めいた男の姿を見た群衆は、口々にローベルト師の名を叫んだ。


「あれが……」


 桟敷の隅から、僕はローベルト師を初めて目にした。目元こそ見えないが、その表情は固く、厳格な改革派の指導者に相応しく見えた。


 ミハーイ師が群衆の中から、一人の女性を手招きした。女性は興奮した様子で広場の中央に歩み出ると、ローベルト師の前で膝をついた。ミハーイ師は信徒に合図を出し、クッションのついた背もたれ付きの椅子を持ってこさせると、そこに彼女を座らせた。女性は大いに恐縮していたが、ローベルト師に額を触れられると静かに目を閉じた。


 群衆も静かにその様子を見守っている。何が始まるのか、僕は無性に興味をそそられ、ローベルト師に注目した。


 ローベルト師がミハーイ師に耳打ちして何か囁き、それを取り次いでミハーイ師が再び語り始めた。


「お前は私の声を聴きながら、(まぶた)が重くなっていくのを感じるだろう……」


 奇妙な呪文のように、ミハーイ師は目を閉じたままの女性に語り掛ける。


「お前の前には階段がある。私が一つ数えるたび、お前はそれを下っていくのだ……ゆっくりと深く……」


――何かの(まじな)いか?


 その光景は神秘的で奇妙ではあったが、極めて異教的にも思えた。女性は眠っているかのように落ち着いており、ミハーイ師の声の通りの世界を彷徨っているようだ。彼女は目を閉じたまま、天使に出会い、その声を聴き、救われるような気持ちだと報告した。


「ここにローベルト師が聖別したパンがある。お前はそれを喜んで口にし、自らの傷が癒えていく感覚に浸る」


 そう言って、ミハーイ師はパンではなくカブを取り出した。女性は差し出されたカブを何の疑いもなく二口、三口と貪り、恍惚の表情で吐息をもらした。


「ああ、ありがとうございます……」


 女性の目からは涙が零れているが、それは喜びによるもののようだ。本当に聖別したパンを拝領したと思っているらしい。


 最後に、ローベルト師が腕を差し出した。そこには痣があり、ミハーイ師は女性の手を取って、痣に触れさせた。


「お前は今、ローベルト師の聖痕に触れた。さあ、目覚めるがよい」


 女性は先程までのことが夢だったかのように、しっかりとした表情で目覚めた。


「何なんだ……一体……」


 僕が困惑していると、隣に立っていた男が肘で僕を突いた。


「あれは近くの村から出てきた女でな。病気で手足が燃えるようだと言って、ローベルト師に助けを乞いたんだ。彼女はローベルト師の言葉をすべて受け入れて、今では随分良くなってる。まさに奇跡だ」


 男はそう言って、拝むように指を組み、祈りを捧げ始めた。


 女性は何度も礼を述べながら、確かな足取りで群衆の中へと戻ってきた。先程まで天使を見たなどと言い、カブを貪り食った人間と同じとは到底思えない。それからも別の何人かが、似たような呪文をかけられ、天使を見たと言ったり、野菜を貪ったりした。最後に前へ出た、初めて辻説法に訪れたという女性は、ローベルト師に触れられただけで涙を流していた。


 辻説法を終えて去っていくミハーイ師とローベルト師を見送りながら、しばらく釈然としない気分のまま、僕は桟敷に立っていた。

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