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亡者狩り 三 ~ 教会の世話人

 市庁舎が閉館され、一日の業務が終了すると、にわかに周囲が騒がしくなってきた。仕事を終えた住民たちが酒場や娼館へと向かうのだろう。


「さて、我々は先程ホルティ氏から教えていただいた修道院付き教会に向かいますが、如何しますか?」


 先生が司教たちに尋ねる。


「荷物もあるし、明日でいいのではないのかしら?」


 司教が馬車に視線を移す。


「まずは荷物を牧師館に置いておきたいのだけれど……」


 そう言って、司教は牧師館の位置を地図で確認する。


「あら? さっき教えてもらった教会と牧師館、隣同士じゃない。これは僥倖ね」


 地図を見ると、修道院付き教会と牧師館は同じ区画にあった。


 ただ、場所は市の南端で、あまり立地は良くないように思えた。僕たちが入ってきた西の市門のすぐ近くに建っていた福音派の教会堂と比べると、絶妙に人通りから外れている。


 信教の自由が保証されているコルヴィナでは、特定の宗派に限らず、使おうと思えばどの宗派の牧師でも教会堂を使える。しかし、教会堂には住民の意向が色濃く反映され、一つの宗派が教会堂を独占する事も珍しくはなかった。

 改革派の象徴(シンボル)である風見鶏が立っておらず、使徒派と異なる地味な装飾が施された先程の教会堂は、間違いなく福音派の拠点であることを示していた。


「ここの牧師館は改築されたばかりだって聞いているから、楽しみだわ」


 司教は自慢げに語っているが、どう見ても先行きの不安になる割り当てに思えた。人口の少ない使徒派のために、とりあえず準備しただけという可能性も否めない。


「教会の世話人とも話をしておきたかったし、教会に向かいましょう」


 司教は少し元気を取り戻したようで、早速、馬車に飛び乗った。


「私はお先に失礼いたします。また明日の夕暮れに……お伺いいたします」


 教区長は福音派の教会堂のほうへと歩いて帰っていった。結局、その日、彼女から聞いた言葉はそれだけだった。


 ホルティ氏の話では、教区長は《復活》を認めず、副牧師の遺産の受け渡しを拒んでいるということだった。そして、そのために調査官を呼ぶように伯爵にかけ合い、《迷信狩り》と称して僕たちが調査に訪れた。


 しかし、彼女の虚ろな態度を見ていると、調査に乗り気なのか分からなくなってくる。彼女は、本心では《復活》を望んでいるのか。それとも、単なる僕の思い過ごしだろうか。


「我々も市から借りている兵舎の視察がありますので、これで失礼いたします。市内ではそちらで厄介になりますので、また明日に」


 帝国軍は各地に駐留しているが、兵舎を新設できるほど予算が潤沢にあるわけではないようだった。結局、賃貸契約という形で、住居に余裕がある市から兵舎を借りているのが現状のようだ。士官たちも馬車を後にして、自分たちの目的地に向かっていった。


「それでは、我々だけでも教会に向かいますか」


 そう言いながら、先生は僕を先程まで司教たちが乗っていた馬車に促す。


「何ですか?」


「ちょっと面子を交代しよう。何、単なる気分転換だ。こちらは私と司祭殿で。君たちはそちらに」


 先生に言われるまま、僕と卯月は司教とともに馬車に乗り込んだ。


 アウレリオ司祭は少し不安気な表情を見せたが、少なくとも先生と司教の二人きりにならない限りは問題ないと判断したようだった。最後にアウレリオ司祭が馬車に乗り込むと、四輪馬車は黄昏時の市内を南に向かって進み始めた。


「ねえ……松本卯月さん。さっきアウレリオと何を話していたの?」


 馬車の中で開口一番、司教が尋ねた。司教の口調は穏やかで、その質問は単なる好奇心からくるものに思えた。


「ただの卯月でいい」


 卯月は素っ気なく応えた。


「じゃあ、卯月。アウレリオと話していたことを教えてちょうだい」


「司祭様は巡察について話してた」


「巡察について? ふうん……一体どうして?」


 巡察とは、牧師が教区を回って、教会設備の点検や住民の日常生活の聞き取りを行う、いわゆる実態調査である。使徒派教会の責任者として、司教がヴァルド市に留まる間、周囲の村々への巡察をアウレリオ司祭が行う手筈のようだった。


「デヴレツィア市もヴァルド市も、改革派とか福音派が多かったから。一緒に周りの村に行ってみないかって」


「そうね。少しそういう場所を回ってもいいかも知れないわね」


 そういえば、確か卯月は庭師小屋で、東洋の異教の祭壇を祀っていたのだった。つまり、教会で洗礼を受けていない。


 それは咎められる事では無かった。市場が開かれれば、異教徒であっても市に入るのだから。しかし、異なる信仰を持つ住民が入り乱れる市内で、卯月がすぐ調査に参加するのは難しいことだとも思えた。アウレリオ司祭が付いて、巡察のついでに教会の事情について卯月に教えてくれれば心強い。


「貴方はどう思うかしら? 調査官助手の先輩として」


「良いと思います。先生からあれやこれや吹き込まれるより、司祭殿と一緒のほうがいいかも知れませんね」


「あら、貴方も意外と言うのね」


 司教がくすくすと笑った。別に面白いことを言ったつもりはないのだが。


「司教様はこれからどうするの?」


 卯月も司教に尋ねる。


「私は自らの務めを果たすだけ。そう、この寄る辺のない辛く苦しい世界で、使徒派の迷える子羊たちを導くという務めをね!」


 胸に手をあててポーズをとりつつ、期待を込めて司教が卯月の反応を見ている。


「うん。頑張って」


 卯月の反応はやはり素っ気なかった。残念ながら、今のところ入信については丸っきり脈無しとしか言いようがない。


 話をしているうちに馬車は市内を進み、人気(ひとけ)のない路地に入っていく。閑静な場所だと言えば聞こえは良いが、道には酔っ払いや物乞いの姿しか見えない。灯火も少なく、夜道で襲われても文句も言えないような明るさだ。


 やがて、馬車は地図が示していた修道院付き教会に辿り着いた。教会の中からは僅かに蝋燭の灯りが漏れているように見える。


 しかし、それは窓や扉を補修していないために、開いた穴からも光が漏れているということだった。壁はヒビ割れ、屋根に取り付けられた錆だらけのガーゴイルも悲しげに見える。


「ちょ、ちょっと、これ。どういうこと?」


 司教は教会の惨状を見るなり、声を上げた。


「世話人はどこにいるのよ! 牧師館はどうなって――」


 しかし、司教は牧師館を振り返って声を失った。


 それはどこからどう見ても、見窄らしい(あば)ら屋だった。幽霊屋敷と言ったほうが良いかも知れない。壁には蜘蛛の巣が張り、ドアノブは螺子が外れている。住居として機能しないわけではないだろうが、商家の令嬢である司教が耐えられる見た目ではなかった。


「ああ、ああ、ああ……」


 司教は顔の色を失い、後ずさって膝から崩れ落ちた。


怠惰(たいだ)、怠惰、怠惰、怠惰、怠惰……! 恩恵(おんめぐみ)に背いた我らの怠惰をお(ゆる)しください……!」


 彼女は髪を掻き毟ると、やがて頭を抱えて(うずくま)ってしまった。


「これは掃除が先だろうな」


 先生が呆れたように牧師館を見上げる。


「世話人がどこにいるか探しましょう。司教」


 アウレリオ司祭に支えられ司教は力なく立ち上がったものの、すぐにまた膝をついてしまった。


「仕方ない。我々は牧師館を見てきますので、調査官殿は修道院と教会をお願いしますぞ」


 アウレリオ司祭は御者とともに荷物を降ろしながら、牧師館に入っていった。


「それじゃ、私と卯月は修道院を見てくる。君は一人でも大丈夫そうだからな」


 先生は卯月を連れて、入り口の扉が半開きになったままの修道院へと向かった。自動的に、残った僕は教会堂を探すことになってしまった。


「すいませーん……」


 扉に手をかけると、蝶番と板が軋んで不快な音を立てた。入り口の隙間から夜風が吹き込み、蝋燭の灯りが揺れると、教会内で影が不気味に乱れ動いた。恐る恐る見てみると、それは守護聖人、聖カタリナの像だった。


 教会の奥に立っている聖カタリナの像は、小火(ぼや)でもあったのか、足元が黒ずんでいた。火事に対する守護聖人の下で、小火を起こすとはあまりにも罰当たりだ。だが、よく見ると、像の足元にあったのは黒ずみだけではなかった。


「地下室……」


 床の扉を引っ張り上げると、薄明かりの下に階段が見えた。


 教会堂の地下といえば、これまでは納骨堂として使われてきた。屍霊術が開発されてからは、屍人形を安置する遺体安置所(モルグ)としての使用が一般的だった。


 蝋燭の灯りを頼りに、僕はゆっくりと階段を下った。階段を一段一段と下る毎に、寒気が背中を這い登ってくる。どうやら、冷気を発する凍血石を置いているようだった。


 凍血石はその名の通り、血を凍らせるほどの冷気を発する特殊な鉱物だった。屍人形や解剖標本の製作の際に、好んで作業部屋に置かれるものだ。だが、貴重な高級品であり、そう簡単に配置できるものではない。吐く息が白くなって薄闇に消える。


 地上階と異なり、地下室には発光性の魚鱗を張り合わせた薄緑の灯明が掛けられている。鉱山の坑道で火事と酸素不足のリスクを下げるため、新大陸で開発されたものだ。これも安く手に入るものではなかった。


 地下室の中央には、祭壇の前に木製の晒し台が設えられていた。蝋燭を掲げると、晒し台の下で血を貯めた木桶が湯気を立てていた。


 何かを解体している最中なのか。


 僕は晒し台に近寄っていった。吐き気を催す臭気が鼻をつく。床には血が飛び散っている。


 それは解剖の作業現場だった。四肢を広げたまま固定され、腹を裂かれて生気を失った犬の眼がこちらを見ている。


「うっ……」


 僕は思わず上着の袖で口を覆った。その時、背後に何かの気配が迫ってくるのが分かった。


 振り返るより先に、僕の頬を掠めて、光るものが宙を走った。手にしていた蝋燭の芯を切り裂き、晒し台の犬の遺骸に刃針が突き刺さった。


「何故デス何故なのデス? 何故(なにゆえ)にアナタはココに入って来てしまったのデスカ?」


 背後の闇から、囁くような、か細い女の声が響いてきた。


「これも主の思し召しなのデスカ? ワタシにこれ以上の罪を犯せと仰せなのデスカ? 今まさにココで罪を罪を罪を……」


 狂気を孕んだ声が徐々に近づいてくる。


「違う! 何かの……勘違いだ! 僕は教会の世話――」


 再び視界を鈍い光が閃き、犬の遺骸に刃針が突き立った。僕は硬直して動けなかった。もし動けば、殺されかねない。


「どうかお赦しを。この手を血に濡らさねば祝福は訪れない。死後の救済は罪無くして為されない」


 囁きが迫り、すぐ背後で止まった。


「どうする気だ?」


 僕は震える声で尋ねた。


「……」


 祈りを唱えるように、小さな囁きが聞こえる。


 突然、冷たい指が上着のポケットを(まさぐ)った。僕は息を呑み、血が凍る思いで固まっていた。


「誠意を」


 冷たい指はするりと小銭入れを取り出し、背後へ引っ込んだ。


「え?」


 僕は思わず振り返った。痩身の、長く乱れた銀髪の女が、血に染まった前掛けをつけたまま立っている。口には同じく血に染まった皮手袋を咥えたまま。


 前掛けの下は修道服のようだったが、血に塗れて元々の色が判別できないくらい汚れていた。どうやら、さっきまで解体作業をしていたのはこの女のようだ。


 女は僕の小銭入れを検め、一枚の硬貨を拝借すると、小銭入れを投げ返してきた。僕が呆然として小銭入れを受け取ると、女は咥えていた皮手袋をはめ直した。


「アナタは未だ存命の身デス。ワタシの罪は屍者とともに。教会への寄付に感謝いたしマス」


 女が一歩下がって深々と頭を下げると、前掛けから血が滴って床に飛び散った。


「そういえばワタシとしたことが名を名乗っていませんデシタ」


 女が頭を下げたまま、さらに一歩後ろに下がった。


「ワタシは当教会の世話人、屍霊術士のユーリヤ・オルロフ……デス」


 女が顔を上げると、その青白い唇から、皮手袋から移った鮮血が滴るのが見えた。

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