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亡者狩り 序 ~ 死神

 凍える冬の夜風に吹かれながら、墓守は寒さに打ち震えていた。夜盗を不意打ちするために黒く塗られた警棒を持つ指は(かじか)み、一方で、松明を持つ指は(すがる)るように握り込まれている。


 交通の要衝であり、多くの出稼ぎの人夫が集まるヴァルド市であっても、墓守を務めるのは修道士たちだった。修道士はこうした務めも修道生活の一環として受け入れていた。しかし、冬季の夜番は時に彼らの意志を挫くほどに辛い仕事だった。


 それでも目を見開き、常に見張っていなければならない。病院の見習いや解剖学者は年々大胆になり、自分たちの病院の墓地を利用するだけでなく、教会や修道院にまで墓暴きを送り込むようになっていた。

 もちろん、死体を解剖し、標本を作るためだ。


 使徒派の教会にとっては、屍人形として使えない不完全な死体など、後はどうなろうが知ったことではなかった。だが、迷信深い住民は教会の怠惰を許さなかった。

 家族がバラバラに切り刻まれたせいで、来るべき復活の時を迎えられなくなっては堪らないと、墓守を立たせることに同意しない教会には苦情が殺到した。


 改革派の教会は、住民の訴えに真摯に耳を傾け、屍霊術と解剖学から死体を守ることを誓った。

 福音派の教会も、改革派の動きに追従した。


 しかし住民は、福音派の一部の修道会が、率先して解剖学を進めている事実を知らないようだった。貧しい住民は家族の死体を修道会に《売り渡す》ことで、僅かな稼ぎの足しにしていたが、その後ろ暗い行為を近所に話すことは無かった。進歩的な修道会は、やがては解剖される死体を他所の墓暴きから守るため、修道士を墓守に仕立て上げ、狡猾に住民との対立を凌いだのだった。


 一方、墓暴きも彼らなりの方法で墓守を出し抜いていた。日中には眼帯で片目を覆って闇に慣らすと、深夜には木製のスコップを用意し、音もなく土を掘り返す。彼らは亡霊のように現れ、既に亡霊である遺体とともに去っていく。埋葬されたばかりで、まだ土の柔らかい墓は、墓暴きどもの格好の餌食とされた。


――きっと狙われるのは……


 つい先日、ヴァルド市の福音派教会で埋葬されたのは、この教会の副牧師だった。

 彼は献身的な若い男で、生前は牧師よりも信頼を集める存在だった。そんな彼が突然、何故、死んだのかは、誰も知らされていなかった。


 ただ、修道士たちの間では不穏な噂が流れていた。彼が、冬の祭りに開催された不敬な見世物を止めなかったせいで、天罰が下ったのだと。そして、目を抉られ、舌を抜かれたのだと。

 恐怖に怯える修道士(フラ)ヤーノシュは語った。


 棺は厳重に聖布に巻かれ、棺の中を確認したのは修道士(フラ)ヤーノシュ以外にいなかった。教区長のティサ・エルジェーベトですら、副牧師の最期を見届けることはできなかった。


 葬儀を執り行った牧師は、直後に興行師を呼びつけると、見世物を中止し、春季が来る前に速やかに立ち去るように言い渡していた。その言葉に従って、興行師は半分の手間賃も貰わず、逃げ出すようにどこかへと姿を消した。


 ヴァルド市の福音派は呪われている。いずれ、その罪に相応しい罰を受けるのだ。敬虔な住民の足は福音派教会から遠のき、市参事会も教区長と距離を取るようになった。


――馬鹿馬鹿しい迷信だ。高々、見世物くらいで呪いなど……


 墓守の意識は眠気と凍えの間で行き来し、彼の視界は幻想に変わった。


 一つの影が、墓標の列の中で蠢いている。黒衣に浮かぶ白い顔は、眼窩に一切の光がなく、歯はすべて剥き出しになっている。


 死神だ。皮のない骸骨が、墓に降り立ったのだ。


 死神は副牧師の墓の前で、死の舞踏を踊った。その不気味な律動は、夜風を調べに、墓守の心を蝕んでいった。墓守の震えは、既に寒さから恐怖によるものへと変わっていた。


 しかし、死神が手にしていたのは魂を刈り取る大鎌ではなかった。

 スコップと金梃子(かなてこ)が、墓標の合間に垣間見える。


 我に返った墓守が、首にかけた警笛に息を吹き込む。恐怖のあまり、呼吸が乱れ、笛は鳴らなかった。

 二度、三度試した後、笛音がけたたましく墓地中に鳴り響いた。


 墓守は笛音に自身で慄きながらも、死神の姿を追おうとした。死神は死体袋を持っていなかった。まだ死体には手を付けていないはずだと、そう思いながら。


 修道院からは非番の墓守が駆けつけてくるはずだった。しかし、最初に駆けつけたのは他の墓守ではなかった。墓地に真っ先に現れたのは、黒い法衣をまとったエルジェーベトだった。


 墓守とエルジェーベトは死神を追ったが、その影は夜の闇に消えていた。夢でも見ていたのか。いや、夢ではない。副牧師の墓は、確かに目の前で暴かれようとしていたのだ。


 ようやく集まった非番の墓守たちは、のろのろと墓地の外へと死神を追っていった。墓地には、死神を見た墓守とエルジェーベトだけが残った。


 エルジェーベトは死神が手を掛けようとした副牧師の墓穴に歩み寄った。墓の傍らには掘り返された土が山になっていた。


 せめて、土を戻そうと彼女が角灯(ランタン)を掲げた時、その光で墓穴が露わになった。掘り返された穴は棺にまで達しており、墓穴からは赤黒い液体の滴った跡が墓地の外へと続いていた。


 そして、墓穴の中では、棺に巻かれた聖布が破れ、棺の蓋には金梃子で抉じ開けようとした跡があった。


 墓守が取り落とした警棒の乾いた音が辺りに響いた。彼は双十字のロザリオを取り出すと、目を瞑ると小声で必死に祈り始めた。今見ているものは、すべて悪夢なのだとでも言わんばかりに。


 エルジェーベトは震えを抑えながら角灯(ランタン)を近づけ、慎重に棺の中を覗き込んだ。彼女は真実を見極めようとした。


 棺の蓋は、人が通れる幅までは開いていなかった。だが、棺の中には角灯(ランタン)の光が差し込むばかりで、光を遮るはずの遺体は見当たらなかった。


――ッ!


 彼女は両手で口を覆った。か細い悲鳴は、角灯(ランタン)が地面に落ちる音で掻き消えた。


 神へ祈る時間も与えられぬまま、エルジェーベトは気を失い、墓守の胸の中に倒れた。

18/02/25 昨日から資料を集めて二章プロットを書き始めたばかりなので、もしかしたらこのプロローグ全体が改稿になるかも知れません…。二章本編はもう少々お待ち下さい。

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