陰謀狩り 十一 ~ 動機
明くる日の昼下がり、副伯は以前と同じ時間に先生と僕の部屋に現れた。この時、部屋には伯爵も同席していた。
副伯は部屋に入るなり不満気な表情を浮かべたが、すぐに状況を察したようだった。
「調査について、進捗を聞こうか」
あくまでも穏やかさを取り繕い、あるいは、司教の料理のせいで皮肉を言う気力も失せ始めているのか、副伯はすぐに先生に尋ねた。
先生は昨日に庭師の小屋で見つかった紙片、卯月から聴取した内容について脚色せずに話した。伯爵がいる前では、たとえせっかちな副伯であっても、すぐに判断を下すことがないと予想した上での報告だった。先生は今は調査の途上であって、誰が犯人であるかは不明であると、くどいほどに繰り返しながら、茸が毒の原因であるかどうか調べていると述べて報告を終わった。
「なるほど……」
副伯は小さく頷いて伯爵を一瞥すると、私見を述べ始めた。
「これは私の意見だが、君の助手に毒が盛られたのは、大変遺憾ながら我々の庭師に責任の一端があると思われるのだが」
副伯の言葉に、今度は伯爵が不満気な表情を浮かべる。
「別に参考にしてくれなくてもいい。いずれ手を打つべき時は来るのだから、その時にでも思い出してもらえれば結構。そうだろう」
伯爵に向けられたであろう言葉にも、伯爵は無言のままだった。
「僭越ながら、申し上げても?」
先生が淀んだ空気を断ち切るように笑みを浮かべた。
「何だ」
こういう時には想定外のことを考えているに違いないと、僕と副伯は同時に予感したようだった。僕はそれに少し期待していたが、副伯のほうは逆の気持ちだっただろう。
「私は犯人がどのようにして毒を盛ったのか、そこに興味があるのです」
先生は大袈裟に人差し指を天井に向けながら、大道芸人の口ぶりになった。
「あの晩、私の助手は末席に座っていました。そして、隣には司教殿がおりました。距離的には最も近かったのは司教殿です」
「ちょっと待ちたまえ……」
そこまで聞くと副伯は咄嗟に話を遮ろうとした。
「これは憶測ではありません。事実、そのような席順でしたから。司教殿が大衆の目を盗んで、カミル君の料理に毒を盛ることなど実に容易だったでしょう」
この人は何を言っているんだ? 僕も伯爵も呆然としていた。確かに可能ではある。そうではあるのだが、しかし話の筋が通らない。
「たとえそうだったとしても、何の意味がある? どうして君の助手を狙った?」
副伯は声のトーンを落とし、部屋の外で誰かに聞かれていないかと、戦々恐々としていた。こんな会話が外部に漏れたら、厄介事が増えるだけだ。
「別に誰でも良かったのですが、とりあえず健康そうな相手を狙ったのでしょう。司教殿は自分の治癒の祈りを見せつけて、信仰を集めようと画策したのですよ」
先生はそこまで言うとパチンと指を鳴らした。
「そう。司教殿は小賢しい共和国仕込みの回りくどい陰謀で、使徒派への改宗の足掛かりを得ようとしたのです。別に誰かを狙ったり殺したりするつもりなどなかった。毒の致死性なんてどうでも良かったのですよ。自分の祈りを見せびらかせれば」
先生の華麗なる推理に、部屋の中の誰もが意見することを躊躇した。連隊長は犯人を狂人呼ばわりしたが、今の段階だと、こんな考えを述べた先生のほうが狂人に思える。庭師から話題を逸らすための咄嗟の芝居のようだったが、説得力は皆無だった。むしろ、その馬鹿馬鹿しさで議論する気を失せさせることを優先しているのではないかとすら思われた。
暫しの間をおいて、最初に口を開いたのは伯爵だった。
「失礼ですが、あの司教殿がそこまで考えていたとは思えませんが……」
「いや、誰だって顔に似合わず、嗜虐性を持っているものです。聖職者ともなれば、清貧の果てに屈折した心を宿していてもおかしくない。というか、むしろ今回の動機はそこに原因が――」
「それを言ったら、君はどうなんだ」
副伯が困惑しながらも、あえて今まで誰も触れていなかった部分に触れた。
「私は――私です」
先生の深みのあるバリトンと、無垢な少女の笑みの組み合わせは、確かに先生だけのものだった。馬鹿馬鹿しさと気まずさに耐えられなくなった伯爵がぎこちなく微笑んだ。
その時、急に僕の頭の中で閃光が走った。
そうだ。重要な動機はそこにあったのだ。
急速に事件の答えが僕の中で形になりつつあった。
あと一息、あと一歩。
「先生、さっきの言葉をもう一度、お願いします」
「え? 私は、私です?」
「違いますよ。もっと前です」
「何だっけ」
先生が腕を組んで立ち上がる。早く答えてくれないと、こちらの考えが霧散してしまう。
「誰でも嗜虐性が――」
「それよりも前ですって」
「共和国仕込みの回りくどい陰謀で――」
「近いです。もう少し後」
「誰かを狙ったり殺したりするつもりなど無かった……自分の祈りを見せびらかせれば……」
それだ。そのはずだ。犯人の目的は誰かを殺すことでは無かった。誰かを狙う必要すら無かった。そう考えれば、説明がつく。
「わかりました」
僕は思わず立ち上がった。興奮に足が震えている。
「何がわかったんだ。というか、またあまり顔色が良くないが……」
先生が俄かに不安気な表情を浮かべる。そういえば、確かに気分が良くなかった。ぐらりと視界が回転し、立っていたはずの床が壁になる。
先生が僕の頭に手を回して支えながら、声をかける。
「ひとまずこの議論は後にして、ヒルシュ殿を呼ぼう」
あたふたと副伯が席を立った。部屋の外からヒルシュ氏と初老の召使いを呼ぶ声が響く。
「わ、私はどうすれば……」
伯爵は伯爵で部屋の中を右往左往している。
「彼女を……卯月さんを呼んでください。それと、彼女にも頼みがあります」
僕は先生に肩を借りてベッドに座り込みながら、掠れた声で伯爵に頼んだ。
「本当にそれは……大丈夫なのか……。その……」
伯爵の顔が蒼褪める。
「大丈夫です。彼女には何の落ち度もありません」
「そうか……。君がそう言うなら……」
少しの逡巡の後、伯爵は意を決したように頷くと、部屋から駆け出して行った。
***
僕のベッドの周りには再び先生、ヒルシュ氏、ギゼラ、司教が集った。今はさらに、伯爵と卯月が不安気な表情を浮かべ、部屋の隅に佇んでいる。
卯月を目にしたヒルシュ氏とギゼラは互いに目を合わせ、驚きの表情で伯爵を見た。卯月が城の客室にいることは全くの想定外であったらしい。伯爵は二人の狼狽えた態度を無視して、僕を診るように促した。
症状は大したものではなかった。吐瀉した後で、あまり口に合わない料理を食べたせいで、体調がおかしくなっていたのだろうと、ヒルシュ氏は判断した。昨日、調査のために寒空の下で議論したり、長時間図書室にいたことは、ヒルシュ氏との問診ですっかり明らかにされてしまったが、それも秘密にする意味はなくなっていた。
「申し訳ございません。また御手数をおかけしてしまって……」
「あまり無理をなされないように注意したはずですが……大事に至らず良かった」
ヒルシュ氏が呆れたように言い、次に何かあれば瀉血して体液を整えるべきだと助言した。
「いえ、その必要はなくなるでしょう」
先生はきっぱりと言い切った。
「……何故ですか?」
医師としての助言を即座に否定され、不満気な口ぶりでヒルシュ氏が尋ねた。
「カミル君が毒の混入事件について真相を突き止めたからです」
「なんですって?」
司教が素っ頓狂な声を上げる。
「それでは、楽しいお料理の時間も終わりね。折角、面白くなってきたのに……」
酷く残念そうに言うと、司教はため息をついた。先ほど先生が述べたように、この司教が犯人でも良いのでは? という悪意が一瞬だけ頭をもたげたが、僕は深呼吸して頭を再度整理した。
「詳しい説明はカミル君本人から。良いかね?」
「はい」
僕は自分の推理を語り始めた。
「まず最初に、犯人の意図を明らかにしておきたいと思います」
「犯人は晩餐会に参加した要人を暗殺しようとしたのではないかね?」
「いえ。そもそも、犯人は誰かを謀殺しようとすらしていなかったのです」
「どういうことだ……」
ヒルシュ氏は次々に発言を否定され、すっかり参ったように肩を竦めた。
「順を追ってご説明しましょう。晩餐会当日の朝、犯人は晩餐会に合わせて毒を用意するため、庭師の卯月さんの小屋に、毒の原料となるヒトヨタケを手に入れるように書き置きを残した。
卯月さんはヒトヨタケに毒があることを知らず、単に料理に使う食材だと思ってヒトヨタケを準備し、調理場に置いたのです。そして、犯人は卯月さんが留守の間に、ヒルシュ氏の論文から破り取った、ヒトヨタケとその毒について解説したページをこっそりと置いていった。
後で誰かがページを発見した時、犯人を卯月さんだと誤認させるために――」
「待ってくれ!」
僕が卯月の小屋に残されていた書き置きと論文のページを取り出してテーブルに置くと、ヒルシュ氏が声を上げた。論文のページを目にしたヒルシュ氏は取り乱していた。
「た、確かに……ヒトヨタケに毒があると、私は書いて……大学と、伯爵閣下に論文を上梓した。し、しかし、ヒトヨタケの毒は、よほど衰弱していない限り、人に死をもたらすようなものではない」
ヒルシュ氏は俯いて何度も首を横に振った。
「あんなものを使っても、すぐに人を殺せはしない」
「分かっています。逆に、犯人はその性質を利用したのです」
「……逆に?」
ヒルシュ氏は納得いかないという表情のまま、落ち着かない様子で頭を掻いた。
「犯人は特定の人物を狙って殺すために毒を盛ったわけではなく、誰かが毒に倒れるという事態を必要としていたのです。だから、毒の効果は最小限に抑えられ、手当して助かる程度のものだった」
そこまで言うと、僕は論文のページを取り、ヒルシュ氏に向き直った。
「ヒルシュ先生……この破かれたページは、不完全です。犯人はわざとこのような破り方をして、論文のほうにページが残し、さらに、残ったページを処分した」
「残ったページ……でも消えてしまった……」
ヒルシュ氏が僕の手からページを取り上げ、記憶の糸を手繰り始めた。
「論文はすべて帝国の公用語で執筆してきた。しかし、時々、コルヴィナ語で空白にメモが書き込まれていることがあった。原版は残してあるし、伯爵閣下も多少メモ書きしていたから、気にしたことはなかったんだがね。そのページにも何かメモがあったのだと思うよ。ただ、申し訳ないが、メモの内容までは把握していない」
ヒルシュ氏は顎を撫でながらゆっくりと話した。伯爵も同意するように頷く。
「恐らく、そのメモこそがヒトヨタケの毒について、コルヴィナ語で記したものだったのでしょう。犯人にとっては、それが邪魔だったはずです。卯月さんは、帝国の公用語は苦手ですが、コルヴィナ語は理解しています」
卯月は小さく頷いた。それは本当に僅かな動作で、彼女は酷く孤立して見えた。
「コルヴィナ語のページを先に卯月さんに発見されてしまったら、毒の効果が明らかになって、卯月さんが自分の計画通りに動かない可能性があった。だからこのような形でページを残し、その上で卯月さんに疑いの目が向くように仕向けた」
卯月は視線を床に落としたまま、静かに聞いていた。卯月の小屋を捜索してページを発見したのが伯爵であることは伏せていたが、それでも疑いの目を向けられてきて、しかもそれが誰かの企みだったのだから、内心は穏やかではあるまい。
「卯月さん……君は本当に知らなかった。その証拠に、君も冊子を書いて、伯爵に上梓していたはずだ」
「……」
卯月は無言で《東洋本草医方習事始》の原版を取り出した。図書室から消えた冊子には、予想した通りヒトヨタケについて記載したページが含まれていた。そこには簡潔に《春から秋にかけて生ず。食すにおいて美味なり》と記載されていた。
「犯人は毒の原料であるヒトヨタケが手に入ると、晩餐会の料理に加えた。そして、不運な誰かが毒に倒れるのを待った。先ほども述べたように、ヒトヨタケの毒では人は殺せません。誰かが毒に倒れるという事態こそが、犯人の目標だったのです」
「それで、犯人の目論見通りに貴方が倒れたわけね。結局、誰なの? その小賢しい犯人は」
司教は片手に持った聖典の装丁の帯を解いたり締めたりして、結論を待ちきれない様子だった。
「犯人は僕が毒に倒れると、計画通りに僕を手当てしました。犯人にとって真の目的とは、疑いの目から逃れながら自分の技能を周囲に見せつけ、さらに卯月さんを排除しようという巧妙なものでした。犯人は――」
そこまで言うと、僕は改めて呼吸を整えた。
言わねばならない。真実を。
僕自身が。僕自身の言葉で。