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陰謀狩り 十 ~ 庭師の疑惑

 先生の不穏な予想――小屋の中で庭師が死んでいるか、それとも誰もいないか――はありがたいことにすぐに裏切られた。


 庭園の隅に建てられた木造の小屋の扉を叩くと、昨日と同じ格好で、松本卯月と名乗った少女が現れた。だが、卯月は周囲を警戒するように、扉を半分だけ開いて外には出てこなかった。


「貴方は……。何か用?」


 卯月は不安げに尋ねる。その視線は主に僕の後ろに立つ先生へと注がれているようだった。


「やあ。昨日はありがとう。えっと、こちらは、僕の先生のワーズワースさん」


「どうぞよろしく」


 先生は低音の男声を響かせながら、三角帽(トリコーン)をとって無垢な少女の笑みを浮かべた。その様相に、卯月の目が怯えの色に染まったのが分かった。


「実は昨日、城の晩餐会の最中に騒動があって……何か知っていたら話を聞きたいと思って」


 僕は丁寧に事の顛末を話そうとしていたが、先生から逆に事件の詳細ははぐらかして喋るように釘を刺されていた。自分を助けてくれた恩人を疑うように振る舞うのは気が進まなかったが、調査官の助手という立場ともなれば仕方がなかった。


「私は、何も知らない」


「そう。それじゃ、昨日は晩餐会の間、君はどこに?」


「……ここにいた」


 一瞬の間を置いて、卯月は答えた。


「君以外に、他に庭師はいないのかね」


 先生が庭園を振り返りながら卯月に尋ねた。あれだけ立派な庭園を一人で世話しているとは思えないが、卯月の答えは意外なものだった。


「旦那様に頼まれて、いつもは一人で見てる。時々、旦那様とお医者様も来るけど、植えたり採ったりするのは少しだけ」


 ほうと先生が珍しく感嘆に満ちた声を上げた。


「この小屋にも一人で?」


「そう」


 卯月が少し扉を開いた。木造の小屋は質素そのもので、扉の隙間から煮炊きのための釜が見えた。


「上がらせてもらっても構わないかい? もう少し落ち着いて話をさせて欲しいんだ」


「いいよ」


 卯月の返答に、僕は身体を屈めて小屋の入り口を潜ると、小屋の中へと入った。


 小屋の一階には農具や吊るされた薬草がところ狭しと並んでおり、素朴な土と草の香りがした。二階にベッドや衣料品を置いているのだろう。一階は庭師の仕事場として、申し分ない道具だけを置いているようだ。


「お茶を淹れるから、二階で座ってて」


 卯月に促され、先生と僕は二階に上がった。そこは年頃の少女の部屋としては些か殺風景だったが、生活には十分なものだった。ベッドと箪笥、長椅子の他に、東洋人が使うと思わしき異教の木製の聖具が置かれており、それだけが僕と先生の興味をくすぐった。


「祭壇か何かですかね」


「多分、そうだろう。よくわからんが、御札も置いてあるし。しかし、なんで……塩まで置いてあるんだ」


 考えてみたところで、理に適う結論にたどり着けるとは思えなかった。だが、見慣れぬ様式で作られた木製のミニチュアのロッジには東洋の神秘が詰まっている。わざと床に敷かれた筵の上に座り込み、しばらく東洋の哲学に思いを馳せていると、卯月が盆にカップを並べて上がってきた。


「なんで床に座ってるの」


「いや、なんとなく……」


 僕は気恥ずかしくなって、いそいそと長椅子に腰かけた。先生はニヤニヤと薄笑いを浮かべながらこちらを見ている。


「さて、それじゃ、何から話そうか……」


「単刀直入に聞こう。昨日、城の調理場で、君を見たと言っている者がいるのだが」


 お茶を口にして一呼吸置こうと思った矢先、先生が穏やかな声で問い質した。


「調理場から戻った後、ここにいたということかね?」


 確認するように、ずいっと卯月の鼻先まで顔を近づける。


「そう、だけど」


 卯月は後ずさりしながら先生から視線を外し、項垂れて答えた。


「昨日の晩餐会で、私の助手、ここにいるカミル君は誰かに毒を盛られた。本当は今、その犯人捜しの真っ最中なのだよ」


 先生の言葉に卯月の目が見開かれる。その細い喉元から生唾を飲む音が聞こえてきた。

 先生は立て続けに少女に問いかける。


「君は、何も知らないと答えたが、本当に何も知らないのか」


「知らない」


「では、調理場に行った理由を聞いても構わないかね」


「それは……」


 卯月は狼狽えている。その小さな姿は、昨日の頼もしい少女と同じ人とは思えないほどだ。尋問は専門ではないと言っていながら、先生の言葉は、相手を陥れる呪文めいた恐ろしさがあった。


「先生、近いですよ、近い」


 僕は卯月と先生の間に腕を割り込ませた。


 彼女は何も知らないと言っている。確かに調理場に行ったとは答えたが、僕はこれ以上、彼女が怯える様子に耐えられなかった。


「君の背が高すぎるから彼女が怯えていると思ったのだが……君がそう言うなら、私は黙っておこうかな」


 先生はいつものように冗談を言って、肘をついて口を噤んだ。


 僕の聞き方が手緩いようでは、また先生は煩く口を挟んでくるだろう。とにかく、落ち着いて話をしなければ。


「昨日は森に行って僕と一緒に帰った。それからこの小屋に戻って、そして調理場に行った、ということで間違いないかな」


「そう」


 卯月は素っ気なく答える。


「誰かがやったかは知らないけど、小屋の扉に書き置きが挟まっていたから、それで、森に行った」


 そう言うと、卯月は一枚の紙片を取り出した。

 紙片には《ヒトヨタケ、二つかみ。調理場まで。今夜の料理用》と走り書きされていた。彼女はこの紙片の指示に従って、昨日は行動したということだろう。


「ヒトヨタケ……」


 先生がぼそりと呟く。


「どこかで聞いたような気がする。どこだったか」


 先生は立ち上がると、腕を組んだまま長椅子の周りをうろうろと歩き始めた。


「ヒトヨタケはこのあたりに生えてる茸で、普通に食べられる」


 卯月が実物を持ってくると言って階段を下りた。その時、階下から男の驚くような声が聞こえた。


「誰だ!」


 僕と先生も急いで階段を下りる。小屋の一階では、伯爵が吊り下げられた薬草の束に顔を隠して立っていた。


「旦那様……」


「誤解しないでくれ。盗み聞きするつもりじゃなかったんだ……。ただ、ワーズワース殿たちが何をしているのかと思って……すまない」


 薬草の束から顔を出した伯爵は蒼褪めた表情で侵入を詫びた。



***



 結局、卯月からはそれ以上のことを聞き出すことはできなかった。先生と僕と伯爵は庭師の小屋を後にして、庭園の東屋に腰を落ち着けた。


 伯爵は自分にも何かできることはないかと、居城の至る所を徘徊していたようだ。そして、領主が落ち着きのない態度では召使いたちが却って不安になると副伯に言われ、ヒルシュ氏からは庭園で散歩でもしてくるように言われたという。


 先生は卯月からもらったヒトヨタケを一本、掌の中で転がしながら何事か考えに耽っているようだった。


「ヒトヨタケ……。どこかで見聞きした覚えがあるのだが」


「その茸!」


 伯爵が先生の手中の茸を指さして叫んだ。


「ヒルシュ氏が書いた論文に毒茸として書いてあったものです」


 伯爵の驚愕した表情にも、先生は落ち着いていた。


「それに、これを見てください。先ほど皆さんが二階にいる間に、小屋の土間で見つけて、密かに拝借してきたのです」


 そう言って、伯爵は論文の冊子から破り取ったと思われる一枚のページを取り出した。ページは乱暴に破り取られたようで、完全な方形ではなかったが、そこにはヒトヨタケの性質が、帝国の公用語で綴られていた。


『ヒトヨタケは毒茸である。安易に食せば、其の後、嘔吐や悪寒、目眩の症状を生じる。……』


 確かに、ページにはヒトヨタケは毒茸だと書かれている。ページに描かれた素描も、先生が手に持っている茸とうり二つだ。そして、その症状も僕のものと一致していた。


「フムン……」


 先生の涼しい表情に、伯爵は業を煮やしたように言い放った。


「きっと、彼女はこの記述を見て、茸に毒があると知っていながら……。私の庭師が、私の友人に毒を盛ったということなのか……。すべて、私の責任です……」


 伯爵は膝から崩れると、顔を手で覆って俯いた。


「状況としては、茸を持って行ったというだけでしょう。それに、庭師は普通に食べられる茸だと言っていましたよ」


 先生はそう言うと、いきなり茸に齧り付いた。


「何してるんですか!」


 僕は驚愕して先生を制しようと手を伸ばしたが、時すでに遅し。先生は茸を咀嚼して飲み下していた。唖然としている僕と伯爵を後目に、先生は平然としていた。本当に毒茸であれば、先生は僕と同じように悶えて苦しむ姿を晒すはずだったが、


「旨い」


 それだけ言うと、先生は茸を布に包んで上着のポケットにしまい込んだ。


「こちらの心臓が止まるかと……」


 伯爵は胸を撫で下ろすと、大きく息をついた。


「しかし、それでは、このページの内容とは相違があります。これはヒルシュ氏が書いた論文の一部のはず……」


 伯爵が困惑した様子でページに目を落とした。


 どういうことなのだろうか。納得の行かないことが多すぎた。


 もし、伯爵の言うように、卯月が犯人なのであれば、こんなあからさまな証拠を残して、正直に調理場に行ったと素直に答えるだろうか。さっさと誰かを手打ちにして事態を収拾する目的で、誰かが彼女を嵌めようとしていると考えるほうが、僕にとっては好都合だった。


 何より、命の恩人がこんなことに関わっているとは思いたくない。だが、事件を解決し、伯爵の罪悪感を取り除くには、まだまだ考えが足りなかった。


「論文は、ヒルシュ氏が書いたそうですが……確認しにいきますか。そこから破り取られたというのなら、残りのページも見ておきましょう」


 先生が徐に立ち上がり、それに従って僕と伯爵も立ち上がった。春先と言ってもまだ寒い。日が傾き始め、風が吹くと身も凍えた。僕たちは小走りで図書室へと向かった。



***



 図書室の本や論文はきちんと整理されて、そこにあるはずだった。しかし、誰か勝手の分かっていない愚か者が本を戻したらしく、論文一つ探すにも大きな手間が必要になった。


 司書の老人は呆けているのか、あまりに暇なので怠けるのが常になっているのか、まともな貸し出し記録を作っていなかった。仕方なく、先生と伯爵と僕は三人で虱潰しに書架を調べた。


 ヒルシュ氏の論文はいくつか見つかったが、茸に関して記述をまとめたものは無かった。

 それは当然と言えた。

 帝都で暮らしていたという上流階級のヒルシュ氏が、茸について専門の冊子を作るとは思えなかった。せいぜい、薬草や薬の調合に関して、少しだけ論文のページを割いたというのが現実だろう。それを見つけるというのだから、時間ばかり取られて成果は出なかった。


「駄目だ。これも、これもこれも。違うじゃないか」


 僕が持ってきた冊子を、先生は適当にめくっては、それを脇に押しのけていく。そして、貯まっていく無関係の論文を伯爵が丁寧に一冊ずつ、書架へと戻す。ただ無為に時間だけが流れ、ヒトヨタケに言及したヒルシュ氏の論文は、図書室に存在しているのかすら怪しくなってきた。


「もしかして、本人に聞いたほうが早かったんじゃないですか」


 僕が諦念を込めて言う。


「それもそうか……。だが、破り取られたページの元の論文の内容だけを確認しても、下手したら言いくるめられて何かまた変なことになるんじゃないのか」


 先生がいつになくまともなことを言う。確かに、本人に聞いたところで、特別な条件で毒の症状が現れるのだ、食べることはできるのだと言い訳されたら、そこで引き下がることになるだろう。


 モヤモヤとした気分で書架を物色しているうちに、僕はあることに気付いた。ギゼラと本を戻した時に見つけた東洋語の書物がなくなっている。


 比較的新しい本だったから、廃棄したなんてことはないだろう。だとすれば、誰かが借りていったということだろうか。僕が疑問を胸に手を止めていると、入り口のほうから足音が聞こえてきた。


「皆さん、こちらにいらっしゃったのですね」


 ギゼラが一冊の冊子を片手に立っている。


「そろそろご夕食の準備が整いますので、お声がけしようかと思っていました」


「ありがとう。ところで、その本は……」


 伯爵がギゼラの冊子を指さす。目を凝らして表紙を見ると、それは著者名は紛れもなくヨハネス・ヒルシュだった。


「ちょっと借りてもいいかね」


 先生がすかさず冊子に手を伸ばした。論文のタイトルは『アルデラの自生種に関する観察』。ギゼラの返答も待たずに冊子を開くと、とてつもない勢いでページをめくっていく。


「どうかなされたんですか?」


「いや、ちょっと伯爵と自然哲学の議論をしていてね。ヒルシュ先生の論文を読みたかったんだ」


 キョトンとしているギゼラの問いに対して、僕は適当な返事で誤魔化し、先生の手が止まるのを待った。


「無い」


「何がですか」


「残ったページが無い……」


 唐突に冊子を途中で開いたまま、先生は珍しく顔をしかめて沈黙してしまった。


 冊子を覗き込むと、先生が開いたページの前後には、アルデラに自生する茸の説明が書かれていた。丁寧な素描と帝国の公用語による解説、注釈がきちんと印刷されている。


 しかし、そこにあったはずの肝心のヒトヨタケのページは、一ページ分の隙間を残して消えていた。乱暴に破られたページの片割れは、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。また、他のページを確認したが、ヒトヨタケと見間違う紛らわしい茸の記述は無かった。


 ギゼラを見ると、何も知らないというように首を横に振った。恐らく、今回もただ本を返却しに来ただけなのだろう。


「どういうことでしょう」


「わからん。わからんが……ひとまずこの辺で切り上げておくか」


 先生は緊張の糸が切れたように椅子に座り込んだ。書架のあるべき場所に書物を戻すと、先生、伯爵、ギゼラ、僕の四人は、重い足取りで再び司教の料理が待つ食卓へ向かった。

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