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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

人外×少女シリーズ

蒼い月

作者:七星
 彼に初めて会ったのは、上京したての春のことだった。私は元々全く見たことのない街並みというのが好きで、その日はなんだか突然散歩をしたくなってしまったのだ。
 問題があるというのなら、それはきっと真夜中に出かけたことだと思う。今の私がそれを見ていたら全力で止めていたに違いない。鍵なんてかけなくても空き巣に入られないほど田舎だった故郷とは違うのだ。
 けれどもそんな危機感を当時の私が持っているはずもなく、私は意気揚々と散歩に出かけた。本当に馬鹿だ。ただ、その散歩がなければ彼と出会っていなかったのだから、それはなんとも言えない。
 真夜中に当てどなく歩いていても恐怖感を覚えなかったのは、街灯が多いのと、すぐ近くに遅くまで営業している店が多くあったからだろう。道に迷ってもスマホで検索すれば大丈夫だとも思っていた。
 何はともあれ、私は家の近くを十数分ほど歩いて────気がついたら、夜桜が美しく咲いている所にたどり着いていた。
 そこは初めて来る場所だった。都会っていうのは桜の開花も早いと思う。そこの桜も既に三割ほど散り始めていて、桜吹雪が舞っていた。そしてそこに、彼はいたのだ。
 第一印象は、死にそう、だった。
 すらりとした手足に青白い顔をしていて、目の下にはうっすらとくまもある。何だか突然倒れて死んでもおかしくないように見えた。風体だけじゃなくて、彼の雰囲気自体がそんな感じだったのだ。
 そしてその姿を見た瞬間に、私は今が真夜中だということを思い出して硬直した。
 でもそれは彼が怖いとかそういうのじゃなくて、もっと別の何かに対する恐怖だった。瞬きも出来ないままじっと見つめていると、不意に彼は両手を体の前に差し出し、お皿のような形を作る。あっという間に桜の花びらで埋め尽くされたそれを、彼はじいいいいいいいいいいいっと見つめて────ばくりと、躊躇いなく食べ始めた。
「えっ……」
 声が出たのは、仕方なかったと思う。だって考えてもみてほしい。真夜中に不用心に散歩に出かける私も私だけれど、真夜中に桜の花びらを無心で食べる人なんてそれ以上に何かおかしいだろう、常識的に。
 声を出した瞬間に体の奇妙な硬直も解けて、私はずさっと足音をたてた。それらが、どうやら彼には聞こえてしまったらしい。ゆら、と頭を動かして、彼は私を見つけた。
 その時の彼の表情は、なんと言うか、表現しにくい。いて言うなら私を非難しているみたいだった。非難と、困惑と、哀しみがないまぜになっていたような感じだ。今でもはっきり覚えている。
 不思議と、その時もその人自身を怖いとは思わなかった。ただ、やっぱり死にそうだなあと思った。
 ものすごいスピードでこっちに向かってきたその人は、必死に何かを我慢しているような顔で私の肩を掴んだ。すごい力で、私はがくんと膝を折ってしまう。痛かったけれど、彼の方がもっと痛そうな顔をしていた。ああ、私はこれから彼に痛いことをされるのだと、すとんと理解した。
 だから、目を閉じることにした私の判断はきっと間違っていなかったのだろう。
 刹那、肩口に鈍い痛みが走る。これは綺麗に治ってくれないなと思った。
 彼は泣きながら私の肩に顔を埋めていて、震える手で私の背中をさすっていた。その手が必死に謝っているような気がして、私は彼の背中をポンポンと撫でる。私よりひと回りもふた回りも大きい体が、もろく消えてしまいそうに思えたのだ。
『大丈夫、私は大丈夫』
 言わなくても、伝わりますように。
 そう思って、私はずっと彼の背中を撫でていた。



 気がついたら、私は桜の木の下に寝かされていた。頭の下がほんのり暖かい。ああ、膝枕だ、とぼんやり理解する。
 夢と現実の境に浮いているような気分に浸っていると、耳に心地良い重さを伴った歌声が聞こえてきた。歌詞は英語だ。でもどこかで聞いたような歌詞だった。
「上手だね」
 ついそう言ってしまって、彼はビクッと体を揺らした。はずみで私の頭が落ちそうになる。
「……っ!」
 激突寸前で地面と私との間に手を滑り込ませて、彼は再びそうっと私の頭を膝の上に乗せた。壊れ物を扱うかのように、優しく。
「私、大丈夫だよ」
 だるくて動かしにくい頭を上に向けて、彼に微笑んだ。表情筋にすらろくに力が入ってない。
「そんなに、私、もろくないから。大丈夫」
 彼の顔が歪んだ。そんな顔をさせたかったわけじゃあなかったのだけど、唇が筋肉痛でも起こしたかのように固まってしまっている。ちょっと休まなければいけないようだ。
 彼の目は、虹彩こうさいが真っ赤に染まっていた。アルビノみたいだ。人間とは、きっと色々なものが違うのだろう。
「俺、は……ずっと……」
 その後はひどく小さな声だったけれど、「誰かに言いたくて」と言ったように聞こえた。私が倒れるくらいまで血を吸いたくなるような衝動を、ずっと抑えて、必死に抑えて、人の中に紛れて、友達を作って、恋人を作って……そんなことを繰り返してきたのだろうと、思う。私には一生分からない苦しみだ。そもそも種族が違うのだろうから、一生理解できないのかもしれない。
 動かせるようになった口をはくはくと動かして、私はなんとか言葉を作った。
「でも私は、知っちゃったから」
 その後、なんと言おうか迷って少し言いよどむ。けれど結局はそのまま言うことにした。
「だからもう、そんな死にそうな顔して、我慢しなくても、良いよ」
 言った途端にひどい睡魔に襲われた。抗えないまぶたの重さに引っ張られて、意識が深く沈んでいく。
 途中で雨が頬を打った。
 ぽた、ぽたぽたっ、……ぽたん、みたいな、何だか変な間を開けて落ちてきた雨だった。あんなに晴れていたのになあと思うのと同時に、それにしても雨とはこんなに暖かいものなのだろうかと、少し、不思議になった。


 とんとんとん、という音がした。ふわっと鼻先をかすめる匂いにまぶたを開ける。
 体を起こすと、肩から何かがずり落ちた。あの人のカーディガンだった。それをきちんと羽織り直して、今度はしっかりこたつの中から這い出る。カーテンから覗く光がまぶしい。
「今日は私が作ろうと思ってたのに」
 言ってキッチンの方を向くと、「嫌だ」という簡潔な答えが帰ってきた。相変わらず誰よりも心地良い声だ。
「これくらい、なんてことないんだから、やらせろ」
 言って、彼はサラダとかオムレツとかをテーブルに並べていく。正直私より正確で綺麗に作れている。女としてのアイデンティティが危ない気がした。
蒼空そらは、それ羽織って寝るの好きだな」
 テーブルに向かい合って座ると、彼が頬杖をついて笑っていた。
「ユエの匂いがするから安心するの。良い夢、見れるし」
「夢?」
「ユエと初めて会った時の夢」
 それを聞いた途端、ユエは苦笑した。「あんまりいい思い出じゃないけどな」という言葉は、未だに彼が罪悪感を背負っていることを表している。それはきっと、逃げようと思えば逃げられただろうに、全く逃げようとしなかった私への罰なのだろう。でもあそこで逃げたら多分ユエは死んでいたから、後悔はしていない。
 ユエというのは彼の本当の名前ではない。本当は「水無月 ぬえ」という。けれども私はその鵺という名前が嫌いだ。その名前を聞く度に、彼は化け物なんだと笑われているような気がする。彼も、父親のことをひどく嫌っていた母親につけられたその名前が、そこまで好きではなかったようだった。母親は、純粋な人間だったという。
 そんなこんなで私がつけた名前は、どうやら中国語で「月」を意味するらしい。「水無月 月」になるのかと笑っていた時のユエの顔が、私はたまらなく好きだ。
 ユエには未だに定期的な吸血衝動があるけれど、私はそのために自分の血をパックに保存しているから前より問題ではなくなった。直接血を見ないように気をつけていれば大体は人間と同じように暮らせるらしい。だからこそ余計に、誰にも言えなかったのだろうなと思う。
「……なあ」
「ん?」
 半ば強引にもぎ取った皿洗い権を行使している時、ユエがこたつの中から顔を覗かせた。
蒼空そら、は……どうして、あの時抵抗しなかった?」
 あの時、というのが初めて会った時だとすぐにわかった。私は笑ってお皿の泡を流す。
「血吸いながら全力で謝ってる人に、抵抗はしにくかったからかなあ」
「……今もか?」
「今はユエがいるもの。他の誰かにそんなことされたら何が何でも叫んで抵抗してユエを呼ぶ」
 ユエは顔を赤くした。照れるポイントがよく分からない。
「お前は、よく俺と暮らす気になったよな」
「私がユエと一緒にいたいだけだよ。ほっといたら勝手に死にそうな人、野放しにはしたくないもの。気がついたら死んでた、なんて最悪だし」
 顔をあげずにそう返事をすると、突然。
「俺はいつかお前を殺すかもしれない」
 耳元で声がした。ぱっと顔を上げると、ユエは私の隣にいた。何だか泣きそうだ。
 私は咄嗟に、近くにあった花瓶からアイリスを抜き取って彼の口に突っ込んだ。目を白黒させて彼はそれを咀嚼そしゃくする。
 あの時もそうだったけれど、血というのは花びらを代替品にすることが出来るらしい。まあ、あくまでも人間で言うサプリメントのようなものらしいけれど。
 咄嗟に血を見せてしまった時に対処ができるように、私の家には至る所に花が生けてある。別に今は血を見せた訳ではないのだけれど、なんだかこうするのが一番いいような気がした。
 ごくりと最後まで律儀に食べきって、彼は口元をこすった。
「……これを食べても、血の方が美味しいとか思うんだ」
「普通だよ。私の血の方がおいしいもの」
 自信ありげに笑ってみせると、ユエは力が抜けたように私を抱きしめた。私と彼の頭とが交差する。ちょっと痛いけど、言わないでおく。
「お前をいつか殺すかもしれない。毎日そう思う」
「その時は、じゃあ私がユエを殺してあげる。なるべく大人しく殺されてね」
 離れ離れは嫌だよ、と笑う。抱きしめる力が強くなった。
 私には見えない彼の顔から、涙の気配がした。

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