12 気まずい雰囲気
翌日。普段通り使用人の服に袖を通し、仕事を始める。いつもと違うのは、カーティスを起こしに行かなくてもいいことか。
朝食も、カーティスがいないことを除けば普段通り。――いや、普段通りではないのがシルファだ。俺に一切目を合わせようとしないし、一声も発しない。朝食前、俺は普通に「おはようございます」と声を掛けたのだが、完全に無視されてしまった。
いつもは食事中も会話があるのだが、今日は食器とフォーク類の触れ合う音が食堂内に響いているだけだ。俺はシルファに声を掛けようと思ったが、目を落として黙々と食事を摂っていて、とても話し掛けられるような雰囲気ではなかった。
そんな普段と違うシルファの様子を感じ取ったのか、レーナとケイリも喋り出すことはしなかった。時折俺の方に目線を向けるが、俺もどうしていいか分からず目を泳がせるだけだった。
微妙な雰囲気の中朝食を終え、シルファは自分の分の食器を片付けると真っ先に食堂を出て行ってしまった。
少し張り詰めていた雰囲気が解けた気がする。レーナとケイリもそう感じたのか、俺の方を向いて口を開く。
「リリスちゃん、シルファちゃんの様子がおかしかったけど、昨夜何かあったの?」
「……実は」
俺は昨夜のことを説明した。床に就いたあと、俺がシルファにまずい言動を取ってしまったのじゃないかと不安になった。その点についても、レーナ達に尋ねてみたのだが――。
「うーん、話を聞く限りだとリリスちゃんは悪くないと思うわね」
「私もそう思う」
と返答が来たのだった。どうやら俺の言動のせいではないようだ。では、シルファをああさせてしまったのは一体何なのだろうか。
「シルファさんと話をしたいんですけど、声を掛けても無視されちゃって……」
「……分かったわ。私がシルファちゃんから話を聞いてみるから、任せてもらえないかしら」
このまま俺自身がどうにかしようとしても、埒が明かないだろう。ここはレーナに任せた方が良い気がする。俺はレーナの言葉に甘えることにした。
シルファは苦手なタイプではあるが、決して嫌いではない。何より使用人先輩として話したい、聞きたいことは山ほどあるのだ。今日のようにコミュニケーションが全く取れないままと言うのは、今後の仕事にも支障を来してしまうだろう。
その後は普段通り、を装う。気分はもやもやしているが、仕事をサボる訳にはいかない。掃除をしたり、料理を手伝ったり。あとは休憩時間には、文字の書きの練習をしたりとか。
処理をしなければならない書類がどんどんと溜まっていっているので、カーティスが戻ってきたら恐らく手伝わなければならないだろう。効率よく片付けるためには、俺が文書の返信をできるようになればいい。幸い読みに続いて書きの方も早く上達しているようだ。少しでもカーティスに恩返しができればと思い、俺は必死に取り組んだのだった。
☆
そして、夕方前。カーティスの部屋で掃除をしていたところ、レーナがやってきた。何やら話があるそうだ。場所を移した方がいいかと聞いたが、誰もいないしここでいいとのことだ。応接用の席に向かい合うようにして座る。
「話ってなんでしょうか? ……もしかしてシルファさんともう話してくださったんでしょうか」
「ああ、まだよ。話をする前にリリスちゃんの気持ちを聞きたくて、ね」
「……私の気持ち、ですか?」
レーナの言葉に思わず首を傾げてしまう。どういう意味だろう。
「単刀直入に聞くわ、カーティス様のことをどう思ってるの?」
「……はい?」
「大事なことよ。それで、どうなの?」
何を言い出すのかと思ったら――レーナの言葉に素っ頓狂な声を出してしまった。
どう思ってるとは、どう答えればいいんだろうか。少しだけ考えたあと、俺は口を開いた。
「ご主人様は……優しい方だと思っています」
「……それだけ?」
「……え?」
レーナが目を丸くしてこちらを見ている。思ったことを言っただけなのだが。
「そうですけど……なんでそんなことを聞くんですか?」
「ああ、もう……。参ったわね」
俺から目線を外したレーナは、溜息を吐いてそう言った。
レーナが取ったその態度が、俺にはよく分からなかった。何が参ったのだろうか。
「そうね、カーティス様に添い寝してもらってたとき、何か感じたりはしなかったの? ……こう、例えば胸がドキドキしたりだとか」
「うーん……。落ち着いてよく眠れるとは思いますけど」
落ち着いてと言うよりは、何か安心するという気持ちの方が強い。何にせよ穏やかな気分になるのは間違いない。最近はほとんど見なくなったとは言え、添い寝してもらうと悪夢を見なくて済むからだろうか。
しかし俺がそう答えると、レーナはどこか煮え切らないような表情を浮かべていた。やがて何かを決意したかのような顔付きになり、口を開いた。
「聞くつもりはなかったけど……。その、カーティス様とえっちしているときは、何かカーティス様のことを思ったりしなかったの!?」
向かいに座っていたレーナだったが、喋り終える頃は顔を赤らめて身を乗り出していた。まあ、同性相手でも性に関することを聞くのは少し恥ずかしいのだろう。あくまで想像だが。
「えっと……。私のためにわざわざこんなことまでさせてしまって、申し訳ないと思っています」
奴隷の、しかも吸血鬼なんて化け物にここまで面倒を見てくれるなんて、どれだけ感謝をしても足りないだろう。――しかも行為によって、途方もない快感を得られる。まあ、そこはカーティスもそうなのかもしれないが。
ただ、俺は外見は少女だが中身は男なのだ。よもやカーティスは、中身がそうだなんて思いもしないだろう。だがそう思うと、カーティスを騙しているようで罪悪感が胸に込み上げてきた。しかしこれはどうしようもないことなのだ。だから俺は、使用人としてカーティスに尽くすことでしか恩返しができないのだ。
そんなことを考えているうちに、気付いたらレーナはがくっと肩を落としていた。――さっきから一体どうしたんだろう。何かおかしなことを言っているだろうか。
「……大丈夫ですか? どこか体調でも悪いんですか?」
「大丈夫よ。……リリスちゃんの気持ちはよーく分かったわ、ありがとう」
何がよく分かったのか、俺には分からなかったが。と言うかレーナの話は終始よく分からなかった。
シルファちゃんにはあとで話をしておくから、と言い部屋から出て行くレーナを俺は見送った。
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