09 優しさの理由
(また、してしまった……)
起き抜けにがくりと首を落とす俺。ここは、カーティスの部屋だ。隣で深い眠りについているカーティスは、何も身に付けていない。俺も同じだ。昨晩、吸血後にそのまま――だったからだ。
あれから二週間が経った。カーティスから吸血鬼の習性の話を聞き、俺の下した決断は定期的な吸血を行うことだった。どうせ吸血しないといけない、しないと自分を抑えられなくなるのだから、そうなる前に吸血をすること以外に選択肢はなかった。
一週間に一度は吸血をしないと、という話だったはず。それについてカーティスと相談したところ、余裕を見て五日間隔ぐらいがいいのではないかという話になった。
誰の血をもらうかということになったのだが、それはカーティスが自分でいいと言ってくれた。使用人からもらうということも考えられたのだが、カーティスが頑なに拒否をしたからだ。吸血後に使用人を襲いかねないからと言われてしまい、それ以上は言えなかった。
ちなみに二回目の吸血後は、何とか自室に戻って自分を慰めた。だがどうにも体の昂ぶりが収まらなく、結局カーティスの部屋に戻って――。
☆
「ご主人様、こちらの整理が終わりました」
「ありがとう。……そうしたら、次はこれもお願いできるかな」
「かしこまりました」
今は昼食後、場所はカーティスの執務室。カーティスは実家が営んでいる商店の手伝いをしているのだが、俺はその補助をしているところだ。
カーティスから頼まれて以来、使用人の仕事の傍らこうして手伝いをしている訳だ。
今任されているのは書類の整理だ。はじめ俺は文字の読み書きができなかった。前世の世界の字は分かるのだが、この世界の字はそれとは全く異なったのだ。
文字が読めなければ手伝おうにも手伝えないので、暫くは読みの方の勉強からさせられた。レーナから教えてもらっていたのだが、一週間ほどすれば大体読めるようになった。レーナによると、俺の理解のペースは異常に早いらしく驚かれた。見た目の年齢通りだとすれば尚更とのことだ。まあ何が理由かは分からないが、早いに越したことはないだろう。
書類の中身を読んで、すぐに対処する必要のあるものとそうでないもの。返信が必要なものとそうでないもの。そのような感じで仕分けをしていく。重要な書類でなければ、返信もそのうちに頼みたいとのことだったので、空き時間に書きの方も勉強している最中だ。
「……ふう。ちょっと休憩しようか」
「はい、ご主人様」
仕事が一段落したようだ。俺は返答すると、予め準備してあったお茶のセットへ手をかける。ティーポットに入った水を、魔法を使って温める。もう慣れたものだ。
紅茶を淹れたカップをカーティスの席へと並べる。そして自分の分も淹れ、カーティスの向かいの席に座る。
そこからカーティスは、屋敷の外で起こった最近の出来事を話し始めた。これは休憩中の定番の話となりつつある。俺は屋敷から出られないから、少しでも外の雰囲気を伝えられればと少し前から始めてくれたことだ。
カーティスは屋敷から少し離れた街にある飲食店での話や、商店の取引先との話などを面白おかしく聞かせてくれた。この世界の人らは、一体どのような生活をしているのか。頭の中で巡らせながら、カーティスの話に聞き入った。
屋敷の外のことは少し興味はあるが、カーティスから聞かされた吸血鬼に対する世間の冷たさの話やあの辛い経験を考えると、この屋敷から出たいとは思わなかった。
何も不自由のない生活が送れているし、皆優しくしてくれている。時折自分が奴隷ということを忘れてしまうくらいだ。自分の身分からすると、これ以上の幸せを求めるのは罰が当たるだろう。
身分のことを考え、ふとあの施設にいたときのことを思い出してしまう。カーティスに買われていなければあのままか、または別の人間に買われていたかもしれない。どのみち今の暮らしより良いなんてことは、まずありえないだろう。受けていたかもしれない仕打ちのことを考えると、体がブルブルと震えだしてしまった。
夜に悪夢を見ることもなくなり、吸血のとき以外は自室で眠れるようになった。だが何かの弾みで思い出したり、暴力のことを考えると体が勝手に反応してしまうのだ。自分では早く克服したいと思っているが、なかなか治ってくれないようだ。体と同じように心も少女のように弱くなってしまっているのかもしれない。
「リリス、大丈夫かい? 話しちゃまずいことがあったかい?」
「いえ……自分で勝手に思い出してしまっただけです……申し訳ありません」
心配そうな顔をしたカーティスは席を立ち、俺に近づき横から俺を抱きしめてきた。暫くすると体の震えは徐々に治まっていく。添い寝の日以来、カーティスはこうして俺の体を触れることが多くなった。初めこそ男に体を触られる抵抗感はあったものの、今はほとんどその気持ちはない。まあ、今は触られる以上のことをしているからかもしれないが。
カーティスに触れられると、不思議と心が落ち着くのは何故なのだろうか。
ともかくこのように優しい人間であるカーティスが、なぜあんな場にいたのだろうか。カーティスが奴隷を好んで買うような人間にはとても見えない。あの場にいた他の人間とは明らかに雰囲気が違ったのを覚えている。俺はカーティスにそれを尋ねてみた。
「商店の取引の都合上、ああいう場に出て顔を立てておかないといけなかったんだよ。僕もあんなところへは行きたくなかったんだけどね。顔だけ出してすぐに帰るつもりだったんだけど、そこで偶然リリスを見たんだよ」
「……ご主人様は、なぜ私を買ってくださったのですか?」
「リリスを見た瞬間、絶対に連れて帰らないといけないって気がしたんだよ。奴隷を買うだなんて自分でも信じられなかったんだけど、リリスは他人に渡しちゃいけないってそんな気がしたんだ。……僕にもよく分からなかったんだけど」
カーティスはそう言って少し複雑そうな表情を見せた。なぜそんな表情をするのか俺にはよく分からなかったが。
何にせよカーティスには感謝してもし切れない。理由はどうであれ、自由を与えてくれているこの主人には今後尽くしていくべきだ。
そんなことを考えていたのだが、何やらカーティスの様子がおかしい。キョロキョロと視線を左右に向けている。
「……ご主人様? どうかされたのですか?」
俺が声をかけると、ハッとしたような様子でこちらを見た。
「……いや、何でもないよ。……そろそろ作業の続きをしようか」
「……? かしこまりました」
すぐに立ち上がり、執務を再開したカーティス。俺は急いでカップを片付けてカーティスの補助を務めた。
しかしその後、どこか余所余所しい態度を取るカーティスを、俺は不思議に思うのだった。
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