其の三
「今、なんて?」
呆然とした匡雄の問いに、何でもないように白夜は答えた。
「見ての通り、お見合い写真だよ。玉緒がな、ぜひ自分の妹と結婚してほしいって。妹さんもお前の話を聞いたら会ってみたいっていうからさ」
いつも通り煙草を燻らせて、煙とともに吐かれた言葉に匡雄は笑顔を作ることができない。
「……まあ、何もいきなり、結婚を前提に付き合えとは言わねえよ。相性ってもんもあるし、軽い気持ちで会ってみないか?」
あまりにもひどい顔をしていたから、だろうか。苦笑気味に言われ、ようやく口元をゆがませる。もちろん、いつもの営業スマイルには程遠いが。
「拝命いたしました」
「カカ、そう固くなんなや。社会に出た以上、お見合いなんて今後はごまんとあるぜ?」
「そう、でしょうか」
「ああ。お前は俺の自慢の息子なんだから」
その認識に、キッチンで茶を入れていた真桜が嘲笑を浮かべた。匡雄も、誇らしさよりも苛立ちが募る。
「まあ、今回のは俺の顔を立てると思って一先ず受けてくれや。玉緒とは、創業以来の親友でよ、妹さんも知らないわけじゃない。顔も性根も、なかなかいい女だぜ」
「……はあ」
どうしてもノリノリ、とはいけない匡雄の心中など知らぬように、目の前で見合いの日取りが決まる。ため息をこらえて、自室に戻ろうとした匡雄とすれ違いざま、真桜が
「おメデトウ」と呟いたのが、追い打ちとなった。
自室にこもり、ベッドに倒れこむ。サイドボードの、大きめの空き缶に入れた通帳を確認する。入社一年と少し、結構な金額がたまった。物欲のない匡雄があまり金を使わなかったことも大きいのだろうが。
出会ってからたびたび、食事やら遊びに連れまわそうとする玉緒が、やけに結婚や恋愛の話を振ってくるなとは思っていた。すわ同族か、なんて冗談半分に思っていたら……
「そういうこと、ですか」
所詮世の中は、その形しか許されないのだ。男と女が番い、子を残すことが幸せとされる。
自分の想いは穢れた異物であり、許されることはない。
「……消えたい」
死んでは形が残ってしまう。両親がそうだったように、借金という負債が俺や親戚に残ったように。
身辺整理をしてから死ぬ?いや、葬式も金がかかる。そこそこ貯金はあるが、これでは到底足りないだろう。
最近はこんなことばかり考えていた。自慰に使っていた、この家に来てすぐとった三人での写真を破り捨てたのはいつだったか。
捨てれば断てると思ったこの感情は、たやすく燃え尽きてはくれないらしい。吸わない煙草を吸うといって借りたライターを慰みものにしそうになって、自分の罪深さに嘔吐した。
ふと時計を見れば、すでに夜中の二時。見合い話の衝撃から三時間も経っている。
のどの渇きを覚えてリビングに向かい、ふと会話する声にノブを回す手を止める。こっそりと開いてみれば、テレビの逆光で分かりづらいが真桜と白夜だ。
白夜の首に手を回して真桜が何かささやいている。めんどくさそうに返す白夜はひとつ、長いため息をついて、乱暴にかの序に口付けた。どう考えても親愛の域を超えているそれは深く、ねちっこく。
そのままソファに押し倒して互いの服を脱がせ合いはじめて、全身を愛撫し合うさまを匡雄は凍り付いた無表情で見つめていた。
荒い息が絡み合い、白夜が達し、ひときわ大きい真桜の嬌声を苦笑して白夜が嗜めれば楽し気に真桜がいう。
「いいじゃない、マサオちゃんが結婚してくれたら、中に出してくれるんでしょう?それまでスキン付きで我慢するから、ね?」
なぜ、その言葉だけ自分の耳は拾ったのだろうか。
ここで、木野下匡雄の運命は決定した。
◇
「スピーチお疲れ様でした、社長」
「おお、玉緒。俺にこんなんさせてよかったのか?もっといたろ、秋穂ちゃんの友達とか」
「いいんですよ、俺も秋穂も社長がいなかったら、こうして生きていたかもわからない。大恩人なんですから、ぜひあなたでなくては」
「カカ!相変わらず大げさだねえ、お前の親父さんが経営してた会社をのっとった悪人だよ?俺は」
「あなたがそうしなければ、元副社長に謀殺された父も浮かばれなかったでしょう。彼の罪を暴き、僕らの身の安全を保障してくれた社長……白夜さんには、感謝してもしきれない」
「へーへー、その話は聞き飽きたよ!それより、未来の義弟と交流でも深めてこいさ」
「いいんですよ、彼のことはよく知っているつもりです」
「……お前、まーた勝手に調査会社つけたな?ったく、マサのときといい、シスコンだねえ」
「最愛の妹の交際相手にふさわしいかどうか、世の中の兄には知る義務と権利がありますから」
「ネーヨ」
「……それより、匡雄君、その後どうですか?」
「あ?どうって、何が」
「失踪して半年近いでしょう。僕の子飼いの組織を貸しますのに」
「いいって。言ったろ、いなくなる前に断りを入れられているって」
「え、ああ。『好きな人ができました』って置手紙ですか?」
「おう。お前には、秋穂ちゃんもか。二人には悪いが、俺はあいつの感情を優先させてやりたいんだよ」
「いえ、それは構いませんが……秋穂に付いていた悪い虫を排除する、いい物件と思いお願いしたかっただけですのに、深刻に捉えさせてしまったみたいで…」
「あー。お前が責任を感じることねーから。俺も、追い詰めたとこあるし。見合いがわんさかくるぞーってな」
「それが、追い詰めたことになるんですか?」
「駆け落ちするくらい、好きなやつがいたら逃げ出したくなっちまうだろ。あいつは妙にまっすぐだからな……」
「そうですね、白夜さんのことも並々ならぬ恩義を感じていたようで、見ていて少し怖くなるくらいの執着がうかがえ…っとすみません、失言ですね」
「ん?ああ、別に気にしねえよ?俺はあいつの、そういうゆがんだとこも割と気に入ってたからな。だから、いい女と出会えて、幸せならそれでいいんだ」
「はは、妻帯者の言葉は重みが違いますねえ……奥さん、妊娠4か月でしたっけ」
「ああ…って、噂をすれば影だな」
都内の結婚式場、その披露宴らしき庭での一幕を遠目に見つめる影が一つ。色素の薄い長髪と瞳、青白い細い体。
安物のパーカーを目深にかぶってまとったその青年を、白夜は瞳の端に捉える。
「あ」
鉄柵と、道路越しの邂逅でもなぜかすぐに、それが彼だと分かった。脳がそうだ、と認識した瞬間、走りだそうとした男に、妻が抱き着く。
「っちょ、マオ」
「どうしたの?シロちゃん。何かほしい料理ある?とってくる?」
無邪気な笑顔は、彼女が幼いころから見慣れたそれ。ずっと変わらず隣りにあって、癒されて、手放しがたくて婚姻によって縛りつけた。
けれど笑みの瞳の奥には暗い炎が揺れていることに、白夜は気付く。
―――とらわれているのは、俺のほうだったのか?
そんな戯言が浮かんでは消え、すぐに視線を道路に戻したとき……青年は人ゴミの中に消えていた。