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其の一

救いのないBL、くっつかないしスケベもない。


※当作品はフィクションです。実在の同性愛者を批判、差別するためのものではございません、ご了承ください。



木野下(きのした) 匡尾(まさお)は貧乏人だった。


五年前、事故で親が死んで中卒で働き出したが、ここ一月無茶なシフトを組んだせいでバイト先で栄養失調ゆえの卒倒をかました。寝不足もあり勤務態度が微妙だったことと、店の財政を鑑みて遠回しに止めさせられたが帰る力もなく、行き倒れと化した。ついでに雨が降りだして、「あ、死ぬな」とか思っていた時に匡尾は、彼に拾われたのだ。


「お、日本で珍しい行き倒れ」


響くシャッター音とフラッシュに、見世物じゃないんだぞと怒りが沸いてそう叫んだ。羞恥と尊厳を燃料に起き上がり仰ぎ見たのは、髭面のおっさんが自分に向けてスマホを構えていた。


ぴろりーん。


間抜けな音に毒毛を抜かれていると、暗いせいで顔付きは見えないが男が電話をしだした。先の音は着信音か。


「はいはい―――ん、マオか。もうすぐ帰るし、傘?いらんって」


相手は彼女か妻か、降りだした夕立を心配しての電話らしい。


「痴話喧嘩なら、よそでやってくれ」


やさぐれた気持ちからの呟きを聞いたのか聞いていないのか、しばらく問答を続けたあと唐突に、髭面は座り込んでいた匡尾の前にしゃがみこんだ。


びくり、と痙攣し顔をあげればまじまじと見つめられ、かといってそらすこともできずにいると、「うん」と一人うなずき、髭面は匡尾の手を取った。


「う、わ」


やや乱暴に立ち上がらされ、たたらを踏む。水が跳ねて、上等そうなスーツにシミができたが当の髭面は気にした風もない。ただ、電話に向かって


「ひとり、拾って帰ることになったから。飯は三人分でよろしく」


「―――は?」


 一文字吐き出して、呆けた匡尾をやはりどこか強引に抱き寄せ、自分がさしていた傘に入れる。


「行くとこ、ないんだろ」


 問いではない、確信に満ちた確認に匡尾は黙ってうつむく。自分よりもでかい青年の情けない挙動を、髭面は低く喉の奥で笑う。が、不思議とそれには嘲りの臭いはしない。


「飯くらい食っていけや。袖振り合うのも多少の縁、ってな」


無造作に手を引かれ、二人は歩き出す。抵抗する体力もない匡尾は、黙って従うしかなかった。空を見上げれば、ビニール傘についた水滴に透けて、襲色の宵闇の空が見えた。


それから十分ほど歩いた、高級住宅街にて。


「おっかえりなさーい!……って、ああ、そのひとがお客さん?」


自分が住んでいるボロアパートと比べるべくもない、オートロックの高級マンション。その最上階に案内され、インターホンを押せば若い女が扉を開け、こちらをまじまじと見た。


「ただいまー。マオ、飯の前にこいつに風呂貸していい?」


「う、うん。シロちゃんが濡れて帰ってくると思ったから、沸かしてあるけど……」


「俺はコンビニで傘買ったから。ああ、服は俺のでいいよな?」


後半は匡尾に向けての言葉だったらしい。僅かに首肯したのを見届けてから、にかっと髭面は笑った。


「んだ、素直に頷けるじゃねーの」


致命的には腐っちゃいないね、と何故か頭を撫でられた。



かぽん。



やはり自分の住居にはあり得なかった、夜景の見えるジャグジーバスに、恐れ戦きながら入ること五分。


「……慣れん」


溢れ出る金持ち臭に、しみついた貧乏性が拒絶反応を見せ鳥肌が立つ。水音を立てて立ち上がり、風呂ら出れば丁寧に畳まれた、紺色のスウェットが一色。


手早く着替え、先に案内された記憶を辿りながらリビングへと続く扉を開けた。


「お、似合う似合う」


身長160センチ弱で細身の匡尾よりも体格のいい髭面だが、スウェットというものは腰回りはゴムで融通が効くし、ゆるくできているから丁度いい。それをもって何を似合うというのか、とうろん気に見ても髭面は笑うだけだ。先と違うのはジャケットとコートを脱いでシャツとスラックスオンリーになったのと、オールバックの髪を崩したくらいか。明るい場所で見て、口回りを覆う黒髭から熊のような印象が否めない。


「なんだ、おっさんの顔をまじまじと見てもしゃーねえだろ」


こっぱすかしい、とほざきつつ素面で手招きをされ近付けば、自分が腰かけるソファーの前の床に座るよう指示される。黙って従うと、やはり粗雑な動作で髪を拭かれた。


「しっかり拭かねえと、風邪引くぞ」


色素の薄い茶に近い髪を、洗濯板で服を洗うような力強さで前後運動も激しく拭われる何本か抜かれたんじゃ、と毛髪を危惧するが、止めはしない。


気取らない、親のような気遣いが久しい匡尾は、黙ってなければ涙がこぼれそうだった。







こうして、雨の日に拾われた青年は髭面―――もとい、笠神(かさがみ) 白夜(びゃくや)の保護のもと、三年を経て高卒認定を取得、第一希望である笠神エンタープライズに就職することが叶ったのである。


「マサ、ホントによかったのか?」


「しつこいなあ、ビャクさんは」


高層ビル丸々一つを買い取って使う笠神コーポレーションの最上階、社長室にての会話。


「さっさと就職しなくても、短大くらい出ればよかったじゃねえか。金のことを気にしてるなら―――」


「だーから、そんなんじゃないって。ビャクさんが金に困ってないのも、それを俺やマオさんみたいな恵まれない子供の救済に宛がってるの、分かってるし」


三年前のあの夜、白夜と、匡尾のように不慮の事故で親を亡くしてから白夜の運営する孤児院に保護され、卒院してからは白夜の家事手伝いをしている少女、(いぬい) 真桜(まお) の作った食事を食べ終えてから、名前と年を問われた。


「はたちぃ!?」


「見…えないね」


あまりの細さと育ち盛りにしてはの低身長ゆえに、呆気にとられた二人は匡尾の生活背景を知り納得する。と同時、「うん」と決心したように匡尾は頷いた。


「安心しろ。俺がお前の、足長おじさんになってやんよ」


そう言ってにかりと笑った白夜は、匡尾の戸籍を笠神家の養子に移し、その生活費一切を自腹で面倒見ると宣言したのである。


翌朝の朝食後にそれを説明され、勿論、匡尾は断った。


「行き倒れたとこを拾われたのは感謝してるし、飯の恩もある。これは必ず稼いで返す。だが、養子にしてもらっても、俺には返せる自信がない!」


ただでさえ平均より小さい体を縮ませて震える匡尾の肩を、これまでとは比べ物にならない乱暴さで、白夜はどついた。


「バカが」


「……はっ!?」


「ガキは黙って、大人の世話になっときゃいいんだよ」


「っガキじゃない!もう、はたちだっ」


「んなもんを振りかざしてる時点でガキなんだよ。税金もろくに払えてねえんだろ?」


「そんなことない!きちんと、払って―――」


「そっちに気を取られるあまり、自分の生活費が回らなくなったくちか」


 見透かされて、耳まで真っ赤になる。


「っだって、親戚が、税金はきちんと払えって―――それに、給料は最低限の生活費以外全部、親戚に全部いってるから」


「なんで」


「……うちの両親、あちこちで金を借りてたから」


ギャンブラーの父、酒乱の母。ありがちといえばありがちの光景が、しかしあっさりと事故で崩壊し、残ったのは多額の負債と親戚の白い目。


「どこも俺を引き取りたくないって争っていて、一人暮らししますって言ったら『成人まで家賃だけは払ってやるが、それも負債だ』って」


「……親の罪は、子の罪ってか」


呟いて、無造作に煙草をくわえた白夜は眉間にシワを寄せ、般若のような恐ろしい形相で虚空を見つめていた。


「ヘドが出る」


と、吐き捨てるようにいい、結局火もつけないまま煙草をティッシュにくるんで捨てる。そして、床に座り込んだままの匡尾の前にしゃがんだ。昨夜の出会いを再現しているようだ。


「じゃあ、ひとつだけ聞く。これに頷けたら、もうお前を止めない。お前の服が乾いたらその足でここを出ていけばいい」


 常の不可解な笑みも気だるげな雰囲気も隠して、淡々と白夜は問うた。


「家族ってもんに、お前は嫌気がさしちまったか?もう、いらねえか?」


 家族。


 父は競馬やパチスロに身をやつしていた父は、たまに当たれば景品のチョコやぬいぐるみをくれた。


 酒乱の母は、機嫌がよければ子守唄を歌ってくれた。


虐待や暴力と言うほどでもないけれど、まともな親じゃなかった。すべて家事を一人息子に押し付けて遊び呆けて。死後もその負債で首が回らない今としては、恨む気持ちの方が強い。


けれど。


「……俺だって」


コンビニ、スーパー、宅急便。いろんなバイトをするなかで、当たり前だが家族連れも見た。優しい父、美しい母。そんな日が来ると、願っていたかった。


「俺だって、ほしかったんだ……!!!」


「……そうか」


 置かれた頬は大きく、節くれだっているのに妙に優しかった。掠めるように撫でられて、昨晩からこらえていた涙が頬を伝う。


「なら、見せつけてやれ。今から幸せになって、自分等の落とし物がこの世で自分等以上に今生を満喫してるのを、見せつけてやれ。そのために、俺を、俺の金を利用していると思えばいい」


祝いのように、呪いのように、唾吐するように、あるいは舞台上の台詞のように朗々と述べてから、髭面を歪めて男は青年に言った。


「お前を使っていた『親』を、今度は利用してやれ、坊主」







「やー、あのときのビャクさんは凶悪な顔付きでしたね。もとからその髭面のせいでヤーさんみたいですけど、口だけで笑うと完全にマフィアのドンですよ。昇格ですよ」


「ジャンルすら違ってるじゃねえか」


冷静な突っ込みと共に投げ付けられたのは、名刺サイズのカードと、それを入れたネックストラップ付きのパスケース。


「社員証……」


「悔いてねえなら、いいんだ。いいか、これからは他の社員と一緒だ。息子だからって、甘やかしてやらねえからな」


「……はい!社長!」


びしり、とおろしたてのスーツに身を包んだ匡尾は敬礼した。そっけなく頷いてから白夜は、


「似合うじゃねえか」


と破顔するその表情は、出会ったその日を思い出させて―――



パン



「………………どうした」


「…………精神統一です」


突如、己の頬を張った匡尾を若干、呆れたような、困惑したような顔で見上げる。いつものことだから、心配はしてないだろう。


その時、まるで匡尾の心を見透かしたかのようなタイミングで、彼の電話が鳴った。鳴らしたのは、


「マオ。なんかあったか」


『ううん、今日の夕飯なにがいいかなーって思って』


「あー、そうだな。マサの就職祝い……はもうしたが、まあ正式入社を祝して旨いもんでも食いに行くか?」


『……分かった、いつものお店でいい?』


「おお、予約ヨロシク」


そういって、彼は電話をあっさりと切る。相手の少女はもっと話したいだろうに……今は匡雄がいるから、匡雄を優先している。そのことに、暗い愉悦を覚えることを止められない。


それでも、そういう汚い部分を白夜に見せたくなくて、苦労生活で年季の入った仮面を被り匡雄は笑う。


「それじゃ、入社式はじまるんで先行きますね」


「おう、またあとでな」


匡雄の葛藤に気付かず、ほのぼのとした笑みで手を振る白夜に振り返し、社長室を出る。途端に、ため息が出た。


「……ほんっと、鈍いなあ」


真桜が電話してきたのは夕飯など口実ということも、大好きな白夜の口から大嫌いな匡雄の名前が出て、その祝いをするために奔走することに真桜が苛立ったことも、そういう真桜の一喜一憂に匡雄も神経を尖らせていたことも、きっと白夜は一生気付かないだろう。


匡雄がこの三年で、白夜と会話中たびたび己の頬を張る、その理由も。


「まあ、気付かれても困るんですけどね」


そう、ひとりごちながら匡雄はエレベーターに乗り、地下の入社式会場へと急いだ。



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