第六話 歩む二つの道
ルフトからある程度のマナーを教わってぐったりした私は、椅子に座り身をあずけている。
別にルフトがスパルタな講義をしたわけではない。むしろ流石私付きメイドだと思うぐらい、完璧に私のペースや体力を把握して教えてくれた。
私がぐったりしている理由はこの椅子にある。この温かくてさっきから私の頭を禿げるのではないかと心配になるぐらい撫で続けてる椅子、兄だ。
「あぁ……ユルの髪は綺麗だなぁ。」
「……はぁ。」
恍惚とした顔で私の頭を撫で続ける兄を止める術を私もルフトも知らないため兄を好きにさせている。
何なんだろうな。この何もしていないのに疲れる感覚は。この疲れはどんな回復魔法でも取れる気がしない。
「僕もユルと一緒にパーティ出たいなぁ……お父様に頼もうかな?」
「!?」
なんだと。それは困る。かなり困る。
この最強の兄と一緒にパーティになんか出たら大変なことになって勇者どころではなくなる。
考えてもみたまえ。普通の貴族の普段着を着ている今の私ですら、こいつは発狂する勢いである。パーティのためにおめかしした私が現れたら、もう何が起こるか想像したくない事態が発生する。
早急に話を変えなければ私の自由はない。
「おっお兄様。学校はどうですの?」
「あぁ……うん。最近は面白くない。」
おや?兄の表情が急に暗くなった。前の休みでは面白い、楽しいと元気いっぱい話していたのに。何かあったのだろうか?
「何かあったのですか?」
「うぅ……騎士クラスで友達が……出来なくて……」
あぁ。なるほど。納得がいった。
兄が通っている王立ゲヴィネン学園は7歳から7年間通う学校である。この部屋の窓からも見えるが、真っ白な王都の中で目立つ真っ青な大きな建物がそれである。なんでも勇者の仲間だった魔道士が身につけていたローブの色を真似したらしい。
そのゲヴィネン学園では最初の2年間はどのような子も同じ授業を受ける。生きていくために万人に必要なことを学ぶらしい。そして三学年目になるとクラスが別れるのだ。かなり多様化されていて、領主、騎士、魔法使いなどはもちろんのこと、鍛冶や薬学、商人など様々なクラスに別れている。
兄はそこで騎士クラスを選んだのだ。兄には剣の才能があるため、両親も認めている。まぁ領主の勉強は学校でなくとも、父が自ら教えることも出来るしな。
しかし、兄は長男で次期当主である。騎士というのは家を継げぬ次男以下が働き先に選ぶことが多い。兄のクラスメイトもほとんどがそうであろう。
次男以下ばかりの中にそこそこ位の高い家の長男がいるとなるとやはり少々やりにくいのであろう。
「先生は簡単なこと答えても、流石シュルテルプリヒ次期当主ですねって褒めるし……クラスメイトはやたら突っかかってくるし。もう学校行きたくない。ユルと遊んでたい。」
「あらら……」
訂正しよう。かなりめんどくさそうだ。
まさか学舎の教師までもが権力に媚びてくるとは……しかも誇りと名誉を大事にする騎士クラスの教師がそんな家柄でひいきするなんて……。そりゃ本人は嫌がるし、周りは面白くなさそうだな。
少なくとも私に立ち向かってきた騎士達はそんなやついなかったぞ。これも時代の流れというやつなのだろうか。たかが400年で世界は変わるものだ。
「ねぇねぇお兄様?」
「なんだい?」
「お兄様は本当に騎士になりたいの?」
「もちろんっ!皆を守れる騎士になるんだ!ユルもお父様もお母様もみーんな僕が守るんだ!」
「おうち継がないの?」
「うーん……いつかは継ぐけど……お父様がもっとおじいちゃんになってからにするよ!」
これは……まずいな。いや他のことをやって後から領地を継ぐというのはよくあることだ。だが他の騎士クラスの者からしたら許せる話ではない。
自分達が目指せなかった輝かしい道を選びながらも、同じ誇りまで持とうとする者が現れたら人は妬む。
少しでも兄に騎士として不備があれば、どうせ領地を継ぐ間の遊び感覚でやっていたからだろうと言われ、騎士を終えた後の領地の内政で躓けば、騎士なんかやっていたからだと言われるであろう。多くの物を持とうとすれば多くの人から足を引っ張られるものだ。
兄はそれをまだ知らない。さて、問題はそれをどう教えるかだ。多分このまま伝えても伝わるだろうが、今の私は三歳児である。
こんな硬いことを喋る三歳児は気持ち悪いだろうし、私も嫌である。三歳児らしく、わかりやすく説明するという高難易度の問題だが、今伝えなければ兄は悩み続ける気がする。頑張ろう。
「じゃあお兄様はいっーぱい頑張らなきゃね!」
「??なんでだい?」
「だってお兄様は騎士にも領主にもなるんでしょ?そしたら騎士になろうとする人よりも、領主になろうとする人よりも、頑張らなきゃきっとなれないよ。」
「まぁ……そうだけど……」
「そうじゃなきゃなろうとしてる人達に失礼だよ!」
頬を膨らませてめっという私の姿は、昔の部下に見られたくない。中身を知ってると気持ち悪いと思うが許せ。私は今三歳児なのだ。幼児なのだ。きっと許されるはずだ。
「失礼……なのか……」
「失礼だよ。騎士になりたかったけどなれなかった人にも、領主になりたかったけどなれなかった人にもね。」
「そうか……そうだな!ユルはすっごく賢いな!」
いつも通りの明るい笑顔を浮かべて私の頭をくしゃくしゃと撫でる兄を見て、ちょっと三歳児のレベルを超えてしまったような気がする。
だがまぁ、兄のシスコンフィルターでごまかせるレベルなので問題ないであろう。たぶん。
「だからもうサボっちゃだめっ!」
「えぇ……ユルがこっち来てる間はずっとサボろうと思ったのに……」
だめだ。それはいけない。こんな撫で回されるのが毎日続いたら私は禿げる。ストレス的な意味でも摩擦熱的な意味でも。
仕方がない。奥の手を使おう。
「……頑張らないお兄様なんて嫌いっ。」
「なっ!?」
そっぽを向いてそう言った私を見て兄は、撫でていた手を止め、唖然とした表情をした。そしてすぐに真っ青になって謝り始めた。
「ごめんっ!ユル!本当にごめん!ちゃんと頑張るから嫌いになるなんて言わないでくれぇっ!」
「……サボらないで学校行く?」
「行く行く!もう何があっても行く!」
「騎士の訓練も、領主のお勉強も頑張る?」
「めちゃくちゃ頑張る!もう首席とる勢いで頑張るからっ!」
もう泣きべそをかきながら懇願する兄である。この手を使う度罪悪感と彼の今後の不安感でいっぱいになるのであまり使いたくないのだ。
しかしこちらは勇者との接触がかかっている。すまないが譲るわけにはいかないのだ。
私はくるっと回り、兄に抱きつきながら微笑む。
「じゃあ嫌いならないよ。」
「ユルぅぅぅー!」
涙を流しながらも嬉しそうにする兄を見て、やっぱり不安になる。この人ちゃんとした大人になれるのかと。
「だからパーティの日もちゃんと訓練頑張ってね!」
「おう!誰よりも強くなってやるぜ!」
私からすればすでに最強の兄なのだがな。
とにかくこれで兄参加という最悪の事態は避けることが出来た。
「誰よりも強くなってユルに近寄る悪い虫はみんな僕が倒してやるからなっ!」
「あはは……」
魔王に近寄る悪い虫ってなんだろうか。やっぱり魔王に近寄ってきて、攻撃してくる勇者だろうか?それは困る。いくら勇者でもこの兄には勝てる気がしない。
とにかく兄と勇者を引き合わせてはいけないと心に刻んでおこう。