夏の桜
かつて、桜が散るように儚く消えた命があったことを、忘れてはいけない。
もしかすると、こんな哀しい別れがあったのかもしれない。
戦争は二度と繰り返していいものではない。
きっとそれは、私たちに哀しみしかもたらさないから。
馴染みの郵便配達員が、私の運命を携えてやってきた。
召集令状、通称赤紙。大日本帝国海軍、充員召集としての学徒出陣。太平洋戦争はどんどん激化し、東京は前月の絨毯爆撃をうけて、既に焼け野原だった。
たった3ヶ月前の話なのに、内地で見たあの満開の桜の薄桃色が、遠い昔の記憶のように思い出される。不意に哀しくなる。自分の意思で捨てたのに。
「私はもう、帰ってくることはないのでしょう」
「そんなことはありません。貴方は大日本帝国にふさわしい、立派な男性ですもの。敵方をたくさん倒し、英雄になって戻ってくるわ」
桜の木の下で、出征前日に幼馴染みと語らった。彼女は私を激励しようと、笑顔すら見せてそう言った。
私たちが互いを想っているのは、紛れもない事実で。
でもその事実が、彼女を苦しめる結果になるのなら。
「非国民!!」
私には、その事実をもみ消す義務がある。
「失望した。お国の為に、私はこの露命を捧げるのだ。こんな私でも、死ねばあるいはお国の為になることもあるかもしれないと、その覚悟で私は陛下からの召集令状をお受けしたのだ。だというのに、君は、君という奴は…」
酷く傷ついた顔をして、彼女は泣きながら走り去る。私はその背中に追い討ちをかけるように吐き捨てた。
「恥を知れ!!」
先週、特攻の参加を希望するか否かを問われた。
十死零生。強要はしない。
上官はそう言ったが、拒否しようものなら何をされるかわからない。私たち新参兵は、全員が特攻に志願した。
そして今、私は操縦席にいる。
内地を出るとき、親兄弟とは縁を切った。そして、自宅で自分しか使わないものは何もかも処分した。
戸惑うことなく全てを捨てた自分に思うことは何もない。
敵方の空母が見えてきた。
攻撃開始の信号を打ち始めると、ふと浮かんだのは不思議なことに、桜の花と彼女の笑顔。
あの涙に、何か一言詫びるなら。
「愛してる」
私は大きく操縦桿を引いた。