episode01-01. 始まりは洞窟の中
ややごわごわした、何かの獣の毛らしき感触。しかし、その下にあるべき獣特有のしなやかな筋肉も、体温も感じられない。
右頬に感じるちくちくとした毛の感触と、肌を撫でる冷ややかな空気が覚醒を促し、玄江の意識が夢の淵から浮上して行く。
「ん…うぅ?」
薄く開いた口から息を吸い込む。
眠りから覚めた玄江が薄く目を開けると、そこは玄江が召喚陣を描いてた、日の光を拒む閉鎖された部屋ではなく、軽く運動できるくらいの広さを持った、岩肌に囲まれた空間だった。
目を開けたその先には、入り口らしき穴からわずかに光が差し込んでいる。光の加減から、玄江のいる場所はおそらくは入り口からL字に進んだ先になるのだろう。
体を起こした玄江の手の下では、何かの獣の毛皮の長い毛が、手のひらの形に押し潰されている。
毛皮の下も石である。それも、自然の状態ではなく、明らかに何らかの手が入っている。ほぼ平らに均された表面は、中央にあたる部分と、おそらくは出口であろう、光が入り込んでくる方向が削れており、大型の何かが頻繁に通っていたことを伺わせる。
つまり、ここは大型の獣の巣穴であり、中央には毛皮が敷かれ、その上に玄江が寝ていたという按配だ。
毛皮は、そのサイズから、敷物にされた生き物は体長10メートルはあるものと推測される。
「ようやっとお目覚めかね、ぬしさまよ」
夢の世界から抜け切れていない玄江の後ろから、鈴の音のような声がかる。玄江がゆっくりと振り向くと、そこには一人の少女がいた。
年のころは13か14くらいであろうか。やや細められた利発そうな瞳とちょこんとした鼻。桜色をした小さな唇は口角が軽く吊り上げられ、すっと伸びた眉と合わせて小ばかにしたような表情を作り上げている。
しかし、その表情は少女によく似合っており、見るものは不快を感じる前に少女に見惚れてしまうだろう。
緩やかなウェーブのかかったプラチナブロンドの髪は胸の上で切りそろえられ、少女の僅かな身じろぎにさらりと揺れている。
その少女の体を漆黒を基調とした衣装が包んでいる。ゴシックドレスとでも表すればいいのだろうか、フリルで縁取られたスクープドネックの膝上丈のワンピースの裾には三重にオーガンジーが縫い付けられ、たっぷりとしたフレアーが襞を作っている。その上から締められた、レースのテールロングスカートのついたコルセットが、腰周りのメリハリを演出している。
そして何よりも人間離れをしたものがその背中にあった。
薄闇の中でもはっきりと分かる、蝶の羽をそのまま大きくしたような、半透明の3対の羽。正面から見ても少女の体からはみ出しているその羽先が、少女の呼吸に合わせるように緩やかに開閉している。10人が10人とも振り返るような美貌とあいまって、その姿は神話や伝説に語られる妖精を髣髴とさせた。
地球ではありえない光景を前にした玄江は、一瞬で吹き飛んだ睡魔も忘れて、少女から眼を離せなくなっていた。
「そんなにじろじろ見るでない。わらわの顔に穴があいてしまいんす」
少女の口が開き、玄江の頭が再起動を開始する。
「あ、すまん…」
ばつが悪そうに目をそらす玄江。が、回転を始めた頭に少女の奇妙な口調が刺さり、そらした目を再び少女に向ける。
「もしかして、アルマ、か?」
「穴が開いておったのはぬしさまの目でありんしたか。この節穴め。もしかしてもなにも、わらわはわらわでありんす」
薄い胸をそらしてあきれたような口調を返すアルマ。そこには玄江の知る赤毛の妖艶な美女の姿はかけらもない。いや、人を小ばかにしたような表情には面影が残っているといえば残っているのかもしれない。
「チェンジで」
「却下」
「なんでちびっ子なんだよ…さっきまでの美女の姿はどこいった」
「いくらか力を残してきたからの。ぬしさまが許可したことでありんすよ?」
確かに後始末のためにもとの体を使ってもいいとは言った。しかし、こうなるとは聞いてない。
はぁ、と大きくひとつため息をつき、玄江は周囲を見渡す。
洞窟の中なのは――まぁいいだろう。玄江が願った異世界の出発点ということであれば理解できなくもない。
目の前のアルマもそうだ。確認は必要だろうが、彼女は玄江が願い事の要件のひとつとして出した、旅のパートナーということであろう。
そして玄江が引っかかった、残るひとつのこと――自分のことである。
「声が少し高いな」
口に出して改めて確認する。
そう。玄江の記憶よりも声が高かった。そして、その心当たりもあった。アルマに頼んだ願い事。その要件のひとつ。
「まさか――」
中東での記憶を思い出しながら、声だけでない違和感を感じていた玄江は自分の腕を見る。目の前に広げた手のひらと、そこから続く手首は玄江の記憶するそれよりも細く、色が白い。
世界を見て回れるだけの体。
玄江は確かにそう口にした。
言い換えれば、肉体改造だ。しかも、振り返ってみれば提示した条件はなんともアバウトだ。曲解しようと思えばいくらでもできる。
そして目の前にいる相手は望みを曲解し、理想とかけ離れた形で実現する物語に事欠かないジンである。娯楽が報酬と言って憚らない以上、アルマも同じようにしている可能性は非常に高い。
肌寒さと、触れる布の感触がないことから、服を着ていないことは分かっていた。しかし、それが些細なことといえるくらい重要な、本人にとってはとても重要なことを確認する。
すでに自分が元の――アルマを召喚したときの、地球での姿でないことは、分かっている。口には出して条件とはしなかったものの、己の根幹をなすモノすらいじられているとしたら――
猛烈なまでの嫌な予感に冷や汗を流しながら玄江はそろそろと自分の体を見下ろす。
見下ろした視線の先、玄江の胸部には控えめながらもしっかりと主張する双つの丘が―――なかった。
いやまて、ものすごい貧乳ということもあるかもしれない。ぺたぺたと胸を触り、腹回りを触り、下まで触ろうとしたところで、モノがある感触に気付く。
「―――ふう…」
いつの間にか詰めていたらしい息を吐く玄江。
「懸念が外れて一安心、というところでありんすな」
安堵した表情を残したまま顔を上げると、その先には笑いをこらえるアルマの顔。
「そんな顔をするでない。かわいい顔が台無しでありんす」
「かわいい顔…?」
玄江の記憶にある自分の顔は日本人らしいしょうゆ顔。年よりも幼く見られがちだったが、間違っても可愛いという形容詞が付くものではなかった。顔に手を触れると、つるんとしたすべすべの肌触りだ。指に絡まった髪も、元と同じ黒髪ではあったが、もとは短髪だったのが肩までの長さとなっており、肩上辺りで切り揃えられている。
どんな顔なのかは非常に気になるのだが、手元には顔を確認できるようなものはない。
「先に言うておくが、わらわは鏡は持っておらぬよ」
鏡はないかと聞こうとした玄江だったが、アルマに先手を打たれる。
「それよりもとっとと何か羽織りなんし。ほれ、あちらに着れそうなものが転がっておる」
アルマがついと指差した先は岩肌が削られており、洞窟の主のガラクタ置き場、もとい宝物置き場なのだろうか、壊れた鎧やら布切れやらが顔を覗かせていた。
確かに、女性の前でいつまでも全裸というわけにはいかないだろう。
アルマに、着替え終わるまで後ろを向いてもらうよう頼んだが、そのお願いはすげなく却下された。曰く、「ぬしさまが恥ずかしがりながら着替えるさまも、わらわにとっては見てて面白いものでありんすから」
娯楽の提供を報酬としている以上強く言うこともできず、玄江の着替えはニヤニヤと笑うアルマの前で行われることとなった。
ガラクタ置き場に向かいながら、玄江はこっそりとため息を吐く。
――なんか色々と残念過ぎる
とはいえ、着替えないわけにもいかず、玄江は転がっている装備やらアイテムの中から着れそうなものを探していく。
大きな爪痕が刻まれた盾。ビリビリに破れたローブ。黒焦げの金属鎧。
おそらくは、この洞窟の主に挑み、敗れていった者たちの身につけていたものなのだろう。無傷のものはほとんどなく、また敗者、もとい挑戦者達の骨の類いも転がってはいなかった。
ただ、数だけはそれなりにあるので、なんとか損傷の度合いの低いものをチョイスしていき、その中から体格に合いそうなものを絞っていく。
玄江の体格の地球の頃より幾分か細くなっている。といっても、筋肉がついてない訳ではなく、いわゆる細マッチョ体型である。女性並みの細さだが、筋肉はついているといったほうが正確か。
「ところで」
服を当ててみたり、鎧を当ててみたりしつつ、玄江はアルマに問いかける。
「この洞窟の主は?」
蒼く縁取りの入った鎧は体格に合わなかったらしく、横に置かれた。
「洞窟の主はぬしさまよ」
奇跡的に傷の少ないズボンを発掘した玄江の手が止まる。
「それはどういうこと?」
「もともとの洞窟の主を、ぬしさまの肉体を構成するのに利用しんす。ぬしさまが強靭な肉体を所望したからの。洞窟の主を使うたことでなかなかにいい体を作ることができたでありんすよ」
「そういえばエイドスだけ送ると言ってたな。さしづめ、ヒュレーといったところか」
ようやく装備が決まったのか、玄江短丈の草色の前ボタンのシャツ、左腿部分にポケットのついた紺のズボン、剣帯、赤みのかった鈍色の金属籠手、爪先に金属補強の入った厚底の革のブーツ、そして草色のローブをがらくたの中から選び抜いた。ローブは右脇のが少し焦げている。
結局サイズの合う鎧は見つからなかったらしい。残念ながら下着はなかった。あったとしても身に付けたいとは思わない。
「で、どんなモンスターを使ったんだ?」
「竜種よ。この世界でも有数の、強者の種族よの」
「竜か。やっぱりいるんだな。お?」
シャツを着る途中で引っかかったのか、玄江が自分の頭に触れる。髪に隠れるほどの小さな突起が左右にひとつづつ。
「これは、角、か?」
「うむ。名残を残さぬとうまく力を扱えんせんゆえ」
「そういうものか」
ひとまず納得し、玄江は着替えを続ける。ぱっと見には気付かれない程度なので、神経質に気にするほどのことでもない。
着るものを着たら、次は武器である。剣やら杖やらを引っ張り出す。
「まぁ、ドラゴンの力というなら、相当強そうだ」
鞘に納められた長剣を一振り掲げる玄江。戦っているときは抜いていただろうに、竜が鞘に納めたのだろうかと内心首をかしげながら、すらりと鞘から抜き放つ――途中で玄江がびしりと固まった。
目線の高さで抜こうとした長剣の腹に、玄江の顔が映り込んでいた。
「うむ、 最初はそのまま竜にしようかとも思ったのじゃがな。さすがに旅には不便じゃろうと、無理やり人の形に押し込めて――ぬしさま、どうしたのかや?」
アルマの声は届いていないようで、長剣に視線が固定されたまま、玄江の口からうめき声のような独り言が漏れる。
「…これが、俺か…うわぁ…」
卵形の輪郭、整った鼻梁、涼やかながらほわっとした印象を与える目元。
男性と言われた方が違和感を感じるような、中性的な顔立ち。少女から女性に、いや、少年から青年に移ろい行く年頃の人物が、長剣の表面で玄江と同じ表情を浮かべている。
「お?顔を見ることができたのかや?なかなかのできばえでござんしょ」
「いや、うん。確かに美形?だけど、これは…」
「美人は得と言いんすからの」
未だ茫然自失の体から抜け出せない玄江。薄い胸を張って、ふふんと自慢気なアルマ。
しばらく固まっていた玄江だが、なんとか心の折り合いをつけたらしい。再起動すると、長剣を鏡に角度を変えて顔を観察する。
「うーん…この世界の基準が分からんからなんともだけど、交渉ごとには使える…かなぁ」
納得いくまで観察したあと、鏡もとい長剣を鞘に戻し、剣帯に差し込む。さらに装備を漁って見つけた、大振りのナイフを腰の後ろに付けて、とりあえずの装備が完成した。
* * *
「さて」
服を着たら次は現状確認である。散らかったガラクタ装備はそのままに、玄江はアルマの前に戻る。アルマは戻ってきた玄江を上から下までじろじろと眺めている。玄江とアルマでは頭ひとつ分身長が違うので、玄江からはアルマのつむじが見えた。
「まぁそれっぽい格好にはなりんすね。似合っておりんすよ」
「それはどうも。動く前にいくつか確認したいが、大丈夫か?」
「わらわに答えられることであれば」
アルマの回答を聞くと、玄江はどっかと腰を降ろす。ちょっとそこらで立ち話、といった量でもないし、アルマのためでもある。見上げ続けるのは意外と疲れるのだ。
あぐらをかいた玄江の前にアルマもちょこんと座る。こちらはいわゆる女の子座りだ。
「やれやれ、せっかくの顔もがさつな行動では台無しでありんす」
「ん…?」
「ほれ、ぬしさまの世界の言葉で何と言ったかの…そうそう、ろーるぷれいじゃ。せっかくなのじゃからぬしさまもろーるぷれいとやらで楽しんだほうが面白いと思いんすよ」
「ふむ…まぁ、人前ではそれなりの態度を取るようにするよ」
「よござんしょ」
「んじゃ、確認しておきたいことだけど。まずはこの体についてだな。竜種を元にしたということだけど、具体的には他の生物と比べてどのくらいの強さなのか」
色々と聞きたいことが多い中、生命維持に必要な情報を優先として、玄江はまず新しい肉体について聞く。例えば人の体で北極熊のパワーを手に入れましたと言われても、周辺の獣はティラノサウルス並です、だったら意味がないのだ。
「そうさの…同じ竜種ならともかく、一対一であれば、そこらの獣に遅れをとることはないと思いんす。少なくとも、人のうちで敵う者はおるまいよ。どれだけ動くかは外に出たときに確認するがよかろ」
そんな心配をするまでもなく、玄江の体は規格外だったらしい。
「地理的にはどの辺りになるかは分かる?」
「さて、の。全体から見て大陸の東よりの位置ということはわかりんすが、国名などは知りんせん」
「近くに街とか、村はある?」
「こちらの世界の単位は知らぬが、直線で200スタディアというところかの。小さな町がありんす。本当ならもっと距離を開けたいところでありんすが、それはそれで移動が面倒でありんすからなぁ」
「おぅ、まさかの単位違い。スタディアっていうと、古代ギリシアだったか。何メートルだっけか…」
「平地を人が歩いて1日に720スタディアよ」
「200だと平地を7時間くらい歩いた距離か。ってことは、30キロくらいか」
町があるということは、生活に必要な水源があるということでもある。河川か井戸かは不明だが、最悪でも一昼夜――いや、剣と魔法と冒険の世界を求めたのだから、モンスターが徘徊しているだろうことを鑑みて、二日か――程度の距離で水が得られるというのは、玄江にとっては十分有益な情報であった。
問題があるとすれば、水源が井戸で利用が有料だった場合だが、そこらの装備と一緒に転がっていた貨幣や宝石類でなんとかなるだろう。
また、下手したら人里まで数百、数千キロメートルということもあり得ただけに、移動が面倒というアルマの配慮はありがたかった。
まだ見ぬ植物はともかく、狩猟に問題はない肉体と水源が判明し、玄江は命に関わる事態は回避できそうだと判断する。火はそこらの枯れ木で起こせばいい。
「この洞窟は安全だろうか」
仮にも竜の巣穴である。普段であればそうそう近づく獣もいないだろうが、今はその巣の主も失われている。
「匂いが残っているうちは大丈夫と思いんすが、いつまでも安全ということはなかろ」
アルマの回答も概ね玄江の考えと一致していた。
すぐに死ぬようなことはなさそうなので、次は命に関わらない質問、それも、さっきからずっと気になっていたことである。
「アルマは、位置付けとしては、妖精になるのか?」
そう、アルマの背中で揺れている羽である。いかにも異世界です、と主張しているのだから、気にならないほうがおかしい。
ちなみに妖精といえば30センチ程度の小さな姿を想像するが、体が小さくなったのは20世紀前半のコティングリー妖精事件からである。
それより以前では例えば、アーサー王伝説においてランスロットを育てた湖の貴婦人ヴィヴィアンや、エクスカリバーを与えた湖の貴婦人ニミュエなど、人間と同じサイズで描かれている。
「妖精…?あぁ、この羽でありんすか」
アルマの言葉に合わせて羽がピコピコと動く。
「この羽はこの世界の生物特有のものでの。ほとんどの生き物が持っておる。そして出し入れも自由。こんな風にの」
「おおっ!」
体を捻って背を向けたアルマの背中から羽が音もなく小さくなり、きえる。あとには、服の肩甲骨の下辺りにあいた一対のスリットから、アルマの肌が覗くばかりだ。服のスリットは玄江の服にもあったのだが、玄江は斬り傷の類いかと思っていた。
「もちろんぬしさまも持っておるよ。まぁぬしさまの世界にはなかったものだから、出し入れに慣れるまで時間がかかるやもしれなんだが」
玄江も出せると聞いて背中を意識して羽出ろーと念じてみるが、何も起こらなかった。
「そのうち確認できるだろうし、後回しでいいか。次は――周辺探索か」
「妥当でありんすな」
あぐらを崩し、よっと立ち上がる玄江。その足を洞窟の入り口に向ける。
二人は薄闇の洞窟から光の差す下へと向け、一歩を踏み出した。
episode01は隔日更新でお届けします。次回更新は4月7日午前0時頃を予定しています。




