episode01-19. 暴走
二人とネヴァイアルスの戦闘から目を離すことのできないラグアルディアには、玄江の体に針が刺さる瞬間もしっかりと見えていた。
『だから逃げてって言ったのに!』
ネヴァイアルスの尻尾に刻まれた紋がうっすらと光を放つ。光は針の刺さった玄江に吸い込まれるようにして消えた。光が消えると同時、ネヴァイアルスが尻尾をぶんと大きく振る。玄江の体も大きく振られ、投げ飛ばされた。
飛ばされた先にあるのはラグアルディアが隠れている木で、危ない!と咄嗟にラグアルディアが隠れるのと同時、肉の塊が勢いよく打ちつけられる鈍い音が響く。ついで、その肉が地面に落ちる、どさりという音。
あ、これは死んだな。と、ラグアルディアは思った。煌術か理術かは分からないが、先の様子を見る限り、体内に直接撃ち込まれている。その上で受身も取れずに木に叩きつけられた。少なくともラグアルディア自身が食らったとしたら、生きてはいないだろう。
ラグアルディアがそーっと顔を出して様子を見る。果たしてそこには、うつ伏せになり血を流してはいるものの、まだ動いている玄江がいた。
『だ、大丈夫!?』
思わず聞くものの、そんなわけがないことはラグアルディア自身よく分かっている。玄江の下の地面に血の染みが広がっていく。
『治療したほうが!いや、間に合うの?でもやらないよりは…』
ラグアルディアは葛藤の末、腰にくくりつけたバッグから一本の瓶を取り出す。木で出来た小さな瓶で、粘土で封がしてある。中に込められているのは止血と麻酔、造血作用を持つ薬品と、聖別された水を混ぜた回復薬だ。傷口にかけて使うものだが、効果のほどは確かなものだ。
一本でラグアルディアの二か月分の生活費が飛ぶ取っておきだったが、ここで使って三人とも生き残ることが出来たら、玄江に恩を売ることに繋がる。
鞄から取り出してもなお逡巡したラグアルディアだったが、意を決すると瓶の封を砕いた。
* * *
ぞぶり、と異物が体内に侵入する感覚を玄江ははっきりと感じていた。さらに追加で何かを体内に放たれる感触。刺さったままの尾が振られ、傷口が広がったことも確りと感じ取れる。遅れて、痛みが届いた。
「ぐああぁぁ!」
痛みに叫ぶ玄江を浮遊感が襲う。尻尾で振り回され、投げられたのだ。数瞬もおかず、木立をへし折る感触。勢いは止まらず、玄江はことさら太い木に背中から打ちつけられた。
木の根元にどさりと落ちた玄江だったが、痛みで体が思うように動かない。さらに、針から出た毒が回り始めたのだろう、傷口を中心に痺れるような感覚が広がり始めたことに玄江は気付く。血流に乗った毒は回るのが早い。
(麻痺毒だったか。神経毒じゃないだけましか)
痛みの中、なぜかそこだけは冷静になれた玄江。一度冷静に物事を考えると、痛みは続くものの、意識はクリアとなる。
(今の状態で正面からの戦闘は無理だ。となると、煌術か。アレを吹っ飛ばすくらいの出力は出せるのか?)
玄江が見せてもらった煌術はほんの基礎だけ。しかし、メイドの言葉に従えば、イメージと出力が重要ということになる。
痺れつつはあるものの、体の中のナニカの流れは感じ取れている。むしろ、先ほどより鮮明に分かるような気がしていた。おそらくは針を刺された後に体内に撃ち込まれた何かの影響だろう、流れがかき乱されていることまで、今の玄江にははっきりと分かる。
整然とした螺旋の流れがかき乱され、ナニカが体中を駆け巡っている。それはまるで、大通りを整然と行進していた群集が散らばり、入り組んだ路地を走り回っているかのようだった。
今までうまく流れなかった背中付近にも、ナニカが巡り流れている。吹き飛ばされる直前に掴みかけたものをもう一度思い出す。
玄江はそのナニカをそっと背中から押し出した。
* * *
ラグアルディアが封を砕いた瓶の中身を傷口に振りかけようとしたところで、玄江が身じろぎをした。
服にあけられたスリットから羽が伸び始める。羽に気付いたラグアルディアがギョッとして動きを止める。ラグアルディアの目は羽を凝視していた。
その羽は、異様だった。
今まで玄江が見てきた、蝶や蜻蛉のような翅ではなく、長く半透明の羽根を何枚も重ね合わせた翼。それが四対。
ラグアルディアはそれが何かを知っていた。御伽噺や伝説に幾度も登場し、挿絵や絵画に描かれてきたもの。
『竜の…翼…』
ラグアルディアの絶句をよそに、玄江は翼を伸ばす。羽根の一枚一枚が木漏れ日を受けて輝く。プリズムを通したような七色の光が羽根を彩る。
血を流す玄江から生える、美しい翼にラグアルディアは見蕩れる。手の中で傾いたままの瓶から回復薬の中身が、線を作って零れ落ちていることにも気付かない。
広がる四対の翼。
人が持ちえることの叶わぬもの。
それは伝説の再来。
玄江が、吼えた。
* * *
翼を出した玄江だが、その実、制御が振り切られないように必死だった。
翼を出した途端、まるでダムの水門が開け放たれたかのように、膨大なナニカが背中を流れ始めた。体内を循環し、濃縮され、圧縮され、勢いづいたナニカが外に出ようと暴れる。
暴れるナニカが血管を侵食し始める。血流に乗ったナニカが全身を駆け巡り、巻き込まれた麻痺毒が藻屑となって効果を失う。痺れていたはずの体の制御が戻る。痛覚が鈍感化し、猛烈な勢いで傷が治っていく。
千切れた筋肉が繋がり、血管が繋がり、神経が繋がり、骨の罅が塞がる。
逆再生したかのように修復される気持ち悪い感覚と、鈍感化してなお引きちぎられるような痛みに玄江は思わず声を漏らした。
制御を振り切ろうとするナニカを意志力だけで無理やり押さえつけ、玄江は体を起こす。
目の前には昨日から付きまとっていたラグアルディアがいた。
「はなれて、くだ…さい」
それだけ言うのがやっとだった。ここでナニカの制御を手放したら、ラグアルディアは確実に巻き込まれ、命を落とす。直感ではあるが、玄江にはその確信があった。
腕を伸ばして手のひらを広げた、こっちに来るなと示したジェスチャーが通じたのか、ラグアルディアが数歩後ずさる。その手から中身のなくなった瓶が落ちた。
玄江の腕一面を何らかの紋章が覆っているが、それがナニカを気にする余裕は、今の玄江にはない。
血が足りず、重い体を引きずるようにして玄江は小さな広場を目指す。そこでは今もアルマが戦っているはずだ。
一歩踏みしめるたびに、ナニカが踊るように体内を跳ね回る。修復中の傷が痛む。それでも玄江は足を止めない。
ネヴァイアルスの周りをひらりひらりと飛び回るアルマを、玄江の目が捉えた。いつの間にか広げている三対の羽と合わせて、その姿はさながら妖精と犬がじゃれあっているようだ。
玄江に気付いたネヴァイアルスが、ひるんだように後ずさる。だが、逃げ出しはしない。唸り声を上げ、玄江を威嚇する。
「アルマ、離れ、て」
玄江の声が聞こえたのか、アルマがとび退る。代わりにネヴァイアルスが玄江目掛けて飛び込んできた。
玄江は飛び掛ってくる獣の名を知らない。ラグアルディアが紋章獣と叫んでいたが、それは魔物とか怪物とか全体を称するものなので、あまり意味はない。
獣を倒せ。
その意思だけを流し込み、玄江は、ナニカの制御を手放した。
* * *
玄江の背で七色に輝く四対の翼が、羽ばたくように広がっている。
玄江から湧き出した膨大な煌力が渦を巻き始める。煌力それ自体は無色と言われているが、今の玄江の周囲では煌力の流れに従って、風が揺らめき、渦をなしている。その様子は、離れた場所にいるラグアルディアの目にもはっきりと見えた。
感じるのは畏怖。
それは巨大な竜巻や、滝を見たときに感じるそれに近い。立ち向かおうと考えることすらおこがましい、畏れ。
ここから逃げ出そうとは思わなかった。いや、正確には、そんなことも考えられないほどに、ラグアルディアは呑まれていた。
ラグアルディアの視線の先では、ネヴァイアルスが玄江に飛び掛っていた。
玄江が指先をネヴァイアルスに向ける。
複数の紋章陣が空中に描かれた。
大きさも、位置も、粒度も、精度も、内容も、てんでばらばらなそれらに共通するのは、ネヴァイアルスを向いている、ということだけ。
ネヴァイアルスが、飛び掛った姿勢のまま、空中でぴたりと止まった。
蒼白く揺らめく焔の槍が、眩いばかりの輝きを糸引きながらネヴァイアルスに突き刺さった。
暴虐の嵐が圧縮され、空間が軋みの声を上げた。
突き上がった岩槍によって地盤がめくれ上がる。
白雷が所狭しと枝を伸ばし、空気を灼いた。
紫に輝く帯が薄く広がり、羽衣のように踊り揺れる。
生み出された衝撃波が地盤ともども周囲の木々を薙ぎ払った。
ラグアルディアもまた悲鳴を上げる暇もなく飛ばされる。
ひときわ大きな紋章陣が空中に輝き、天地を繋ぐ光の柱が出現した。
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