episode01-18. いないはずのもの
羽を出す練習をしていた玄江だが、苦戦していた。
煌力と思われるナニカについては、螺旋を描くようにして体の中を循環していることは感じ取れている。ナニカの一部を螺旋の渦から搾り出すことも出来る。しかし、絞り出したナニカを丹田から背中側に流そうとするとうまくいかない。
パーツがきちんと嵌っていない、あるいは接触の悪い回路に無理やり電気を通そうとしている。玄江の得た感触を説明するとそうなる。その、嵌っていないパーツが羽ということなのだろう。
玄江はより深く集中する。
己の中を流れるナニカをより正確に掴むために。流れの阻害の原因を探るために。
螺旋の渦を離れ、丹田から尾てい骨へと回ったナニカは、背中まで回りきらず、体の奥で淀んでいる。細い、バイパスのような経路を渡って、ほんの少量が背中を抜け、首の後ろを通っている。
アルマは、羽を出すときの感覚を『背中に力を集めて押し出す』と表現していた。この、淀んだものを押し出せばいいのだろうか。
玄江は、溜まったものを体の外に押し出すようなイメージを意識する。
体表近くまで押し出されたナニカが、今までとは違う流れを形成し始める。これはいけるか?玄江がそう感じた時だった。
「ぬしさま!避けよ!」
悲鳴のようなアルマの声とほぼ同時。
瞑想し、深く集中していた玄江の反応は遅く。
玄江は突進してきた大型の獣に跳ね飛ばされた。
* * *
『紋章獣!?どうしてこんな森の浅いところに!?』
大型の獣が向かってくることに気付いたラグアルディアが玄江たちのもとまでたどり着くより早く、玄江は跳ね飛ばされた。
代わりに、森の中の小さな空きスペースを占領するのは、薄汚れた白い鱗を持つ大型の獣。
ダックスフンドとドーベルマンを掛け合わせて、胴を三倍くらいに伸ばしたものを、そのまま十倍に大きくして毛を鱗に変えたら、ちょうどその獣のようになるだろうか。ただし、犬とは違って天を突くような角を持ち、胴からは何対もの脚が生え、さらには蠍のような尻尾を持っているが。
紋章獣ネヴァイアルス。それが獣の名であった。
紋章獣とは、その名の通り、体のどこかに紋を持っている。玄江が倒したグーヴァ・クォルス・ヴェルハッドであればその手のひらである。
紋を介することで、獣の身でありながら煌術、理術を使うことができ、その脅威は他の獣の比ではない。
紋章獣はその脅威度から下級、中級、上級、特級に分類される。下級の紋章獣でも、単独で討伐するとなれば上級シーダー並の実力が必要となる。これが中級となれば上級シーダーで組んだ複数のパーティーが必要となり、上級ともなれば国が軍を差し向ける事態となる。
最弱となる下級は、一般の獣に近い形態をしたものが多く、六腕を持つ熊であるグーヴァ・クォルス・ヴェルハッドもここに分類される。名称もまた獣に準じ、紋章を意味するクォルスと、ヴァルハッドのような、特徴を示す言葉が付記される。
逆に中級以上では複数の獣の特徴を持ったり、あるいは類似の生物がいない固有種となるため、その名称も固有のものとなる。
そして紋章獣ネヴァイアルスは、上級に近い中級に分類されていた。決してこんな森の浅いところ、町の近くで見かけていい相手ではない。普段ならいるはずがない。
玄江を跳ね飛ばしたネヴァイアルスは、アルマを見下ろして威嚇している。アルマもまた、戦闘体勢に入り、無手ながら構えを取っている。
『逃げて!一人でかなうような相手じゃない!』
アルマに向かってラグアルディアが叫んだ。その声を合図としたかのように両者が動き出す。
先に動いたのはネヴァイアルスだった。アルマをひと飲みに出来そうな口を大きく開けて、そのまま飲み込もうとする。口の上下には鋭い牙が並び、噛み付かれただけでも大怪我を負うことは必至である。
後手に回ったアルマは、しかし、ゆったりとも言える動きでネヴァイアルスの口をかわす。とんっ、と軽く左に跳んだ体はネヴァイアルスの口のぎりぎり横を抜ける。アルマがネヴァイアルスの角に手をかける。ネヴァイアルスの勢いを回転力に変えたアルマの蹴りが、その側頭部を強打した。
重量にして100倍以上の差があるだろうネヴァイアルスの体がぐらりとよろめく。地にふわりと降り立ったアルマが、喉であろう部分を蹴り上げる。
ネヴァイアルスの上半身が、浮いた。
『うそ…』
ラグアルディアは思わずつぶやく。アルマが相対しているのは紋章獣。何でも屋上級でもてこずる相手だ。もとより、単独で相手取るものではない。ラグアルディアであれば防戦一方であっても数分と持たないだろう。そもそも、あの巨体を真っ向から相手に出来る有効な手段をラグアルディアは持ち合わせていない。目を狙うとか、口の中を攻撃するとか、そういった方法がせいぜいだ。
だからこそ、ラグアルディアにはアルマの異常さが理解できる。
煌術の<ヨド>の体系には擬似的に体重を増加させる、つまり一撃の重みを増す術がある。
理術の中には体重こそ変化はさせられないが、身体活性により体の動きを良くし、力を上昇させるものもある。ただし、後々相応の疲労に襲われるが。
しかし、アルマは羽を出していない。つまりは、煌術、理術に頼らず、生身で紋章獣を相手取っていることになる。それでいて、上半身だけとはいえ、ネヴァイアルスを浮かせるだけの重さを持った一撃を軽く繰り出している。
ネヴァイアルスは前脚――何対もある中で一番顔に近い足だから前脚だろう――で喉付近を押さえるようなポーズをとり、ゲハッ、ゲハッっと咳き込んでいる。よだれが周囲に飛び散り、アルマが嫌そうな顔をしながら避けている。
「ぬしさまよ、生きておりんすか?」
無防備に吹き飛んだ玄江を心配したアルマが声をかける。張り上げたわけでもないのに、その声はよく通った。
目の前で起こったことが信じられず、呆然としていたラグアルディアははっとする。玄江に死なれては困るのだ。
距離が離れて、かつ大きな木の陰に半分隠れているとはいえ、紋章獣たるネヴァイアルスを前に目を離すことはできない。そのことを意識しつつも玄江が吹き飛んだ方向へを目を向けると、折れた木立の影で何かがもぞりと動いた。
* * *
まったくの無防備で跳ね飛ばされた玄江は、その勢いが止まるまでに数本の木立を巻き込み、へし折っていた。受身を取る余裕もなく、横っ腹からぶつかったため、息が詰まる。数秒程度ではあるが意識も飛んでいた。
玄江がはっと気付いたときには、その体は地面に横たわり、巻き上がった半透明の葉やら、吹き飛んだときにへし折れた幹のくずやらが上に積もっていた。
「いつつつ…」
体のあちこちが痛い。特に痛むわき腹は、肋骨に罅が入っているかもしれない。が、動けないほどではない。
遠くからアルマが呼ぶ声が聞こえる。隣に座っていたのだから、結構な距離を飛んだのだろう。
痛みをこらえながら玄江は体を起こす。ようやく、玄江を跳ね飛ばした犯人の姿が見えた。犬に似た顔、しかしその体長は10メートル以上。尻尾まで含めたら20メートル以上だろう。それが咳き込みながらもだえている。
俺、大型トラックに撥ねられたようなものか、と玄江は思う。それでいて罅が入った程度なのかと、改めて体の丈夫さを認識した。
玄江は立ち上がり、ぱんぱんと葉や枝を落とす。吹き飛んでも剣帯から外れず、腰に残ったままの剣をすらりと抜く。最初に使っていた剣とは別のものだ。抜いた剣を右手に、玄江はネヴァイアルスに向かって走り出した。
「悪い。近付いてくるのに気付かなかった」
駆け寄りざまに一閃。しかし、技なく力のみで叩きつけられた剣は、鱗にはじかれる。ようやく咳き込みが収まったネヴァイアルスが、剣と鱗がこすれる音にグルルルと唸り声を上げ、不快な表情を示す。
『何してるの!そいつに剣は効かないわ!逃げないと死ぬわよ!?』
木陰からラグアルディアが悲鳴のような声を上げるが、二人はネヴァイアルスとにらみ合ったまま動かない。先に動いたのはネヴァイアルスだった。長大な体を撓ませるようにして二人に飛びかかる。いくつもの脚による蹴り込みが、重い体に似合わぬ俊敏さを与える。
「おお、怖いな」
超加速する大型トラックに正面から相対し、すれすれで避けるようなものである。さすがの玄江も思わず声に出していた。
左右に分かれて飛び退った玄江とアルマが、一歩できびすを返し、ほぼ同時に左右から蹴りを入れる。が、それを予測したかのように、着地と同時に右に向かって踏み込んだネヴァイアルスの体が、その口を大きく開き玄江を襲う。
軸足のみで立ち、蹴り足を振りかぶった体勢の玄江は、右手に持ったままの剣を地面に刺し、反動と腕のばねのみで飛び上がる。罅の入った肋骨がずきりと痛むが、玄江は努めて無視した。
無理やりなアクロバットによって、喰われることだけは避けた玄江だが、剣を手放してしまった。その剣は突進したネヴァイアルスによって地面からすっぽ抜け、離れたところに転がった。ネヴァイアルスにダメージはない。
ネヴァイアルスの真上を跳ぶ玄江は角を掴み、頭の上に降り立つ。ネヴァイアルスがアルマの攻撃を避けながら頭を大きく振るも、角に食い込んだ玄江の指が抜けることはない。
(さて、剣は効かないということだし、鈍器はないから打撃か?しかし、このデカブツに効くのか?)
一瞬たりとも動きを止めないネヴァイアルスの上で、バランスを崩しながらも試しとばかりに思いっきり震脚を入れる。ズドンと頭が沈むも、プルプルと頭を振るだけで、すぐにひらひらと攻撃を避けるアルマに襲い掛かる。大きな隙は作れそうだが決定的なダメージが与えられそうにはない。
頭の真上から剣を突き刺せば通りそうだが、残念ながら他の剣は宿に置いたままとなっている。
(あ、こういうときに魔法、じゃなくて煌術か)
「ぬしさま!」
玄江の背を、蠍の針を持つ尻尾が襲った。玄江が避けたタイミングでネヴァイアルスが大きく体を揺する。玄江が指をかけていた部分の角が欠け、玄江の体が宙を舞った。
空中にあって身動きの取れない玄江をネヴァイアルスが見逃すはずもなく、針を突き刺さんと、尻尾が襲い掛かる。体勢が整わないままの玄江に避ける術はなく、とがった先端が玄江のわき腹に吸い込まれた。
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