episode01-11. 領主の館
着慣れないネグリジェに盛大な違和感を感じつつも、ふかふかの羽毛布団に横になれば玄江の意識はあっという間に闇に落ち、低く響く鐘の音に起こされるまでぐっすりだった。
朝食は部屋まで運んでもらう。何らかの穀物のフルーメンティ、何の肉かは不明だが、ひき肉とチーズを包んだオムレツ、黒ソーセージにポテトスコーンっぽいもの、そしてふわふわの焼きたてロールパンに紅茶と、スコティッシュ・ブレックファストとアイリッシュ・ブレックファストを足して割ったような内容であった。
味も良く、食文化が発達していることが伺える。アルマはオムレツをお代わりしていた。
ちなみに昨夜の軽食はシチューとトマトっぽいソースのパスタだった。
出来上がった衣装を合わせているうちに使いのものが訪れ、昼前に迎えが来る旨を伝えていった。
登り始めた日はそこまで高くなく、迎えの馬車が来るまで多少の時間が空いたが、その時間を使って玄江は部屋付きのメイドから常識的なこと、主に周辺地理と貨幣、貨幣価値について聞き出していた。正面から顔を見て話されたメイドは若干顔が赤くなっていたが、それはご愛嬌というものだ。
現在玄江がいるのはエニストール王国。エニストールの西部に広がるウォルタール地方、その主要都市のひとつであるフィラートが、玄江たちがやってきた街となる。人口は5万人弱というから、それなりの規模だろう。
フィラートを治めるのはアルディア・ミルトス・ラナ・ベルナーシェク。ミルトスは洗礼名でラナが身分をあらわす。フィラートと周辺のいくつかの都市を配下とし、周辺都市についてはさらに町長とも言うべき貴族を用いているとのことだった。
エニストールは、探索の困難さから人類が進出を足踏みしている未踏領域に隣接している。同様の国が他にも二つあり、合わせて境界三国と呼ばれている。境界三国はそのありようからも仲がよく、国民の行き来も比較的ハードルが低い。言語や貨幣も共通しており、貨幣については境界三国共通貨、通称境界貨と呼ばれているとメイドは説明した。
貨幣について聞いたとき、玄江が最も驚いたのは、この世界の数字が10進法でなく6進法であるということだった。すなわち、1から5まで数えた次は桁が上がる。エフセイとの取引で手にした八角緑貨と円黄貨を例に取ると、円黄貨6枚が八角緑貨1枚と同価値ということになる。
貨幣は下から数えて赤、青、黄、緑となる。それぞれに八角形と円形があり、八角赤貨、円赤貨、八角青貨…という風に貨幣価値が高くなる。なので、八角緑貨は10進数で表すと八角赤貨46656枚分、最も価値の高い円緑貨は279936枚分となる。貨幣単位はリフだ。
一般的な宿が円青貨1枚から2枚に対し、玄江たちが泊まった部屋は円黄貨1枚と八角黄貨2枚とのことなので、およそ50倍である。
物価についても聞いたところ、一人分の一日の食事が八角青貨1枚と円赤貨3枚とのことだった。
ここでよく日本円換算されることが多いが、実のところあまり意味はない。
同じ一食についても日本では一般的なランチが500円~1000円に対し、たとえば東南アジア辺りでは50円程度だったりする。こうなると食事を基準とした1リフあたりの価値は3円~60円となり、幅が広すぎて日本での貨幣価値観だけで考えることがいかに難しいかが分かる。
ちなみにメイドさんの一ヶ月の給料は八角黄貨5枚と円青貨2枚で、平民としては高給取りに属する額となるということまで玄江は聞き出していた。
そうこうしているうちに微調整が済み、完成した衣装が届く。
ホワイトグレーのジュストコールは、袖口に申し訳程度に刺繍が施されている。ダークグレーのストライプが入ったジレ、ジュストコールに合わせたホワイトグレーのキュロットと太ももまでの長靴下。オー・ド・ショース――太もも周りが膨らんだ、いわゆる王子様スタイル――でなかっただけましと捉えるべきか。
これだけのものが一晩で仕立て上がるのかと玄江が手にとってみると、縫製は昨晩カーテンで確認したのと同じ本縫いであった。ミシンかそれに準ずる縫製機器が存在することを玄江は確信した。
すべてを揃えて着用し鏡の前に立った玄江は、派手な装飾こそないもののその容貌もあいまって、貴族といわれても納得してしまう見栄えとなった。しかし、現代社会を渡り歩いていた玄江にとってはコスプレをしているような違和感がぬぐえない。
着付けを手伝ってくれたメイドも「よくお似合いですよ」と言葉をかけた。高級ホテルで働くだけあってよくできたメイドである。決して「男装の麗人のようだ」とは口にしない。口にしないが目が大いに語っている。
「くふ、まるで男装しているかのようでありんすな」
メイドが黙っていたのに、空気を読まないアルマが口にした。キッとアルマを睨んだ玄江は視線を戻す。鏡越しにメイドの視線が泳いでいた。
これが終わったら他の服を調達しよう。玄江は固く決意した。
* * *
アルディアからの迎えが来たのは、伝令どおり昼前であった。
街中を移動する小型の馬車だが、随所に凝らされた装飾と、大きく刻まれた領主家の家紋を背負う馬車を遮るものはおらず、それほど長い時間をかけず屋敷に到着する。領主の館は川を挟んだ対岸にあった。窓から見える様子からして、川を挟んで上流階級の屋敷群とそれ以外に分かれているようだ。
『よくいらした。昨日は良く眠れたかね?その服は仕立ててもらったのかね?』
「えぇ、すばらしい部屋を用意していただき、ありがとうございます。この服については、アルディア様の前に着ていける服の持ち合わせがなく、急遽仕立てていただきました」
馬車から降りたところにはアルディア自らが二人を出迎えた。傍らには昨夜もいた、家令と思われる老人もいる。
『旦那様』
『おお、そうだな。こちらだ』
アルディアが先頭に立って案内する。案内された先にはエヴィリーナと、エヴィリーナの母と思われる女性がいた。
『紹介しよう、娘のエヴィリーナとその母リーディアだ』
エヴィリーナとリーディアがカーテシーで挨拶する。リーディアはエヴィリーナにそっくりの三角のネコ耳を持った麗人だった。アルディアと並ぶとまさに『美女と野獣』である。
『リーディアと申します。昨日は娘を救っていただき、ありがとうございました』
「クロエです。エヴィリーナ様も心身ともに問題ないようで」
玄江は昨夜も行ったbow and scrapeもどきの挨拶を返す。
『ええ、おかげさまで』
簡単に挨拶を行うと、二人は部屋から退出する。家令が静かにドアを締め切ると、外の音は聞こえなくなった。
『さて、私自身の自己紹介がまだだったね。アルディア・ミルトス・ラナ・ベルナーシェクという。ここフィラートと周辺の街を治めている。いつまでも立っているものではないし、そちらに座ってくれたまえ』
アルディアが向かいのソファを勧め、玄江たちはアルディアが着座するのを見届けてから腰を下ろす。
『まずは、昨日のその後からかな』
「我々に話しても問題ないのですか?」
奴隷商人たちが何を企んでいたにせよ、内容によっては領地運営に関わる機密に及ぶ可能性もある。玄江はなあなあのうちに巻き込まれることを警戒して牽制する。
『話してまずい内容は話さないさ。娘を救ってくれた恩人に対してとはいえ、そのくらいの分別はある』
恩人をこちらの事情に巻き込むほど恩知らずではない、とアルディアも言外に返す。
『とはいえ、話す内容はさほど多くない。先に確認するがクロエ殿が相対した連中は、商人一人と護衛が四人で違いないかな?』
「ええ、合っています」
『うちの兵から聞いた話と捕らえた商人から聞きだした限りでは、連中は最低でも20人以上。クロエ殿が撃退、捕縛した以外の面子については今もって捕まっていない』
アルディアが区切ったタイミングで、家令がティーカップをテーブルに置く。ハーブティーの類だろうか、薄く紫に色づいた液体が湯気を立てている。アルディアが続きを口にする。
『どうやら連中は、娘の捜索のために手薄になった街中で何か仕出かそうと企んでいたようだ。その何かについては聞き取り中だがね。警備は厚くしているが、その企みとやらが潰れたわけではない。クロエ殿らがしばらくフィラートに逗留するのであれば、心の隅に留めておくといい』
アルディアがカップを手に取り、口にする。これでこの話題については終わりということだろう。
『前置きはこの程度にするとして、娘を助けてくれた御礼をしたいと思うのだが、まずはクロエ殿の希望を聞きたい』
アルディアが本題を切り出す。希望を聞いてくることについては可能性として考えていたため、間を置くことなく玄江は返事を返す。
「こちらの希望としては三つあります」
『三つとは多くないかね?欲張りは破滅のもとと言うが』
「ひとつひとつは、アルディア様におかれましてはそれほど負担とならぬものと思い、複数を提示いたしました。それに、三つのうちの一つ目は、こちらの事情について提示すること以上の詮索をしないこと、ですので」
『あぁそれは娘が約束したことだね。そのことについては私も詮索しないと約束しよう。なれば実質の願いは二つかい?』
「はい、そうです。二つ目は、毛皮の売り先を探していただくことです。馬車に熊の毛皮が積んであったと思いますが、あれは私が狩ったものでして」
『グーヴァ・クォルス・ヴェルハッドの毛皮だね。確かに部下の報告書にも傷もないものが積んであったと書かれていたな。あれをクロエ殿が狩ったと?』
アルディアがやや疑うような目で玄江を見る。アルディアの側からすれば、細身の玄江がグーヴァ・クォルス・ヴェルハッドを狩るほどの実力を備えているようには見えないからだ。
「はい。私が狩ったことの証明にはなりませんが、エヴィリーナ様に確認いただければ私たちとともに積み込まれたことは証明できるかと」
『ふむ。あとで確認しよう。場合によっては我がベルナーシェク家で買い取っても?』
「もちろん構いません」
『よかろう。それで、最後のひとつは?』
「私たち二人分の身分証の発行をお願いしたく」
『――ほう?』
ここで玄江は昨日のうちに考えた『設定』を披露する。
「晶葉樹の森でしたか?私たちはその森の向こうから来ました。正確には森の中ですね」
『…晶葉樹の森の中に人が暮らす集落があるとは初耳だな。人が生きていける環境とは思わないが』
「長が時折隠れ里、という表現を用いていました。みな普通に獣を狩ってましたよ。毛皮が示すように、私でも何とかなりますので」
すでにエヴィリーナに、森の向こうから来たと話してしまっているので、その線を変えることは出来ない。なので玄江は、エヴィリーナ達に知られていない集落があるということにしたのだった。森の中に集落を築くのが難しい理由が森の獣の強さなら、それを狩れる者達が住んでいることにすればいい。
『隠れ里か』
「村、というか集落でしょうか。外との交流もなく、恥ずかしながら貨幣についてもホテルの使用人に伺うまで知りませんでした。当然ながら身分証なんてものもありません。しかしながらここフィラートに限らず、人のいるところで行動するためには身分証がないと不便だと伺いました。ご領主様であるアルディア様であればその発行に便宜を図っていただけると思い、希望いたしました」
玄江が話を終えると、アルディアが考え込む。
『詮索しないこと、毛皮の換金、身分証の発行。この三つでよいのだな?』
「はい。立派なホテルにも泊まらせていただきましたし、これ以上は不相応かと」
『よかろう。毛皮の代金と身分証については後ほど届けさせる。身分証ができるまでは昨日と同じ宿に泊まるがよかろう』
「ありがとうございます」
『明日か明後日には渡せるだろう。それまではあまり外をうろつかないほうがいい。身分証を持たぬまま何かに巻き込まれても保証が出来ぬ』
「承知いたしました」
アルディアが再びカップに口をつける。
『ところで身分証を得た後はどうするつもりなのかな?』
第二ラウンドとばかりにジャブを放つ。
「しばらくはこの街に逗留しようかと。言葉も覚えないといけませんし」
『そうか…何か職に就こうとは考えていないのかね?例えば…何でも屋とか』
「ひとところにとどまり続けるつもりはありませんので、今のところは特に考えていませんね。シーダーが何を指すのか分かりませんが、毛皮の代金でしばらくはしのげそうですから」
『ああ、何でも屋が分からなかったか。これは失礼。説明は難しいのだが、国の枠を超えた請負屋、といったところか。仕事内容は何でも屋の名の通り、草むしりから辺境の調査までさまざまだな。農閑期の稼ぎ先として領民も多数登録している。登録するのであれば紹介書を出そう』
アルディアの説明を聞いて、これはいわゆる冒険者のことじゃないかと玄江は気付く。
そして、アルディアが何でも屋を薦めてきた理由。今の玄江の立場は、バックグラウンドが不明だが、誰かの息がかかっているようには見えず、それなりの実力を持った人物、ということになる。権力者からすれば粉をかけておくくらいはしておきたいといったところか。指名依頼制度のようなものがあれば、ある程度玄江の手綱を握ることもできるのではないか。
「そうですね。検討してみます」
当たり障りのない返答。登録する前に規約や制限を詳しく確認したほうがいい。玄江は今後のスケジュールに追加した。これでこの話は終わりとばかりに、今度は玄江がカップに口をつける。
『そのうち街を離れるのであれば旅客証も必要だろう。身分証とともに用意させよう』
「そういうのもあるのですね。見落としていました。よろしくお願いします」
『他にも見落としているものがあるかもしれないな。後でも構わぬので気付いたら連絡するといい。必ずとは言い切れないが、最大限便宜を図ろう。さて、話はこの程度でいいかな。ささやかながら昼を用意している。食べていかれるがよい』
「それは是非とも」
◆ ◆ ◆
エヴィリーナとリーディアを交えた昼食を終え、玄江たちを見送ったアルディアは、執務室の椅子に深く腰掛け、大きく息を吐く。
机の上には追加で届いたであろう報告書が置かれている。気を取り直したアルディアが報告書を手に取る。
「檻はオルステッド鋼で確定か。どんな力であれば破れるのだか…」
先ほどまで顔を合わせていたものたちを思い返す。
16、7歳なのだろうが年の割りにやや低い身長。さして筋肉が付いているようには見えない細身の体に女性と間違うような顔立ち。
鉄鋼の数倍の強度といわれるオルステッド鋼をどうこうできるようには思えないが、エヴィリーナの言によれば封術を施された状態ながら素手で引きちぎったという。さらに言えば、本人証言ではあるがグーヴァ・クォルス・ヴェルハッドを仕留めている。
事実であれば実力は最低でも何でも屋何でも屋の上級クラス、あるいは王国首都に構えるエニストール騎士団の部隊長クラスはあるということになる。
娘をあっさり攫われた以上、身の回りの警備も万全と呼ぶには程遠いものとなっている。強者はなるべく取り込みたかった。出自の話は胡散臭いものであったが、万が一事実であるならばその集落の者達も取り込みたい。
とはいえ、娘の恩人という立場に加え、話の最初に「巻き込むなよ?」と釘を刺された以上、下手な手は打てない。一歩間違えれば、ラナ・ベルナーシェクは娘の恩人に仇で返すという評判につながってしまう。
「しかし、本当に田舎ものか…?」
ものを知らないらしきことはホテル・マルニエラからの報告にも書かれている。しかし、その割には交渉事には長けていた。やり手の商人のごとく、提示する情報は最小限にしつつ、得る情報は最大限になるよう話の流れを作ろうとしていた節がある。それに彼の知る様式とは違うようで少し戸惑ってはいたが、昼食時のテーブルマナーもなっていた。
この街で職を持つ、あるいは何でも屋に登録するのであれば手綱を握ることも出来た。しかし、それもうまくかわされている。
あまりにもちぐはぐ過ぎて、人物像がつかめない。
「話す言葉は聞いたことのない言語だった。ものを知らないというよりは知識とずれがある…?どこぞの貴族の隠し子か?それとも裏界の住人か?いや、裏界であればユールトリアで話題になっているか」
昼食会での会話も思い出しつつ、アルディアは玄江の人物像を絞り込んでいく。そしてふと、条件に合致するものを思い出す。
「まさか…竜か?」
ドラゴン。幻獣種にして世界有数の強者の種族。四対の翼を持つもの。
時折人の姿を取り、人里に下りてくるという。その理由は見聞を広め知識を蓄えるためとも、長い生の退屈を紛らわすためとも言われる。
目立つことを好まず、争いも極力避けるが、気に入った者のためであればその超常の力を振るうことを厭わない。その様は英雄フェルイジの伝記などにも描かれている。
膨大な知識を誇るが世俗の常識に疎い。というよりも古い。これは数百年前に旅した同族の話を基礎としているためだという。
そして目立つことを好まない割りにその容姿は類まれなる美貌であり、そのせいでよく争いに巻き込まれるという…
まさに玄江に当てはまる特徴である。
「竜だとしたらなぜ娘を助けた?気まぐれか?」
竜に知り合いなどいない。それはエヴィリーナもだ。
「…しばらくはフィラートに滞在するということだし、様子を見るしかないか」
もし本当に竜種であれば、大げさにして不興を買ってもまずい。それこそ街のひとつやふたつ、軽く消し飛んでもおかしくはない。
消極的な手しか打てないことに歯噛みしつつも、アルディアはそう結論付ける。
「なれば、少しでも印象よく思ってもらわないとな」
真新しい紙を手に取り、身分証と旅客証の発行と毛皮買取の指示を書き連ねていく。もちろん、毛皮買取には代金に色をつけるよう指示することも忘れない。念のため何でも屋組合向けの紹介状もしたためる。
賊についてもその行方や目的がつかめていない。
まだまだ続きそうな騒動の種に、アルディアは深くため息をついた。
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episode01は隔日更新でお届けします。次回更新は4月27日18時頃を予定しています。




