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もうね、絶対運命の相手だと思うの
出会いからいって、少女コミック以上のものだったの!
年はあたしより10歳上だから、ちょっと年の差あるかもしれないけどでもいいの!
顔は地味だけど、けっこう整っているし
本職は翻訳家だっていうから、収入は安定していると思うし
しかも英語とフランス語両方扱えるらしくて、将来面も安全だと思うの
なにより背が高いのよ、あたしより10cm以上も高いの!
聞いたら186cmだって、あたしより12cmも高いのよ!
ヒールある靴履いたって、あたしより高いのよ!
もう絶対運命でしょ? そうだと思うでしょ!?
と、現在進行形で一緒に登校しているクラスメイトでもある遠藤 七海に、一瑠は力説してみせた。握りこぶしを作ったほどの迫力だったにも関わらず、七海の反応はといえば「へえ」、のたったの一言だけだった。
七海とは物心つく前から一緒にいた幼馴染み兼親友で、非常にクールな性格だということは知っているが、いくらなんでもこれはないと思う。あんまりにも反応が悪い七海を、一瑠は仏頂面で見遣る。七海の、その性格とは真逆と思えるほど愛らしい顔立ちが目に入った。
七海は可愛い。とても可愛い。色素が抜けたようなこげ茶の癖っ毛に、少し吊り上がったような印象的の大きな目。マスカラをしなくてもいいほど、十分な長さがある睫。小さめの鼻。ぽってりと膨らんだ唇にはリップが塗られているようで、柔らかい色と艶がのっている。
背は標準より若干低く、170cm半ばの一瑠より20cmほど低い。バスケットをやっていた一瑠とは違い、その細い四肢には筋肉がほとんどついていない。
七海はまさに一瑠が想い描いている女の子そのもの、という容姿だった。
「———それで?」
七海がこちらに顔を向けてきた。相変わらず表情は無表情。せっかくの可愛い顔がもったいないと思う。
「『それで?』って?」
「相手はどこの誰?」
とはいえ七海も少しは興味があったようだ。その反応に一瑠はにんまりと笑って、無駄に胸を張ってみる。
「通ってる塾のせんせー!!」
ふふんと鼻をならして堂々と答えつつ、一瑠は昨日塾で2度目の再会を果たした護のことを思い出していた。
元教師というだけあって、護はとくに緊張している様子もなく堂々としていた。上背があり、それでいてしっかりと背筋を伸ばしていたせいか、余計にその印象が強かった。自分たち生徒を見る目には媚びたものはなく、純粋に一人一人の顔を覚えようとしている眼差しは真摯だった。
もちろん授業内容もよかった。学校で教鞭をとっていたということはある。というかすごかった。とてもブランクがあるようには思えない、しっかりとした内容だった。
その上話す発音は、まったくもって見事としかいいようがないもの。思わず生徒の一人が「発音本物ー」と呟いた程だ。
護にもその呟きが聞こえたようで「学生時代にちょっとばかり留学してたから、その名残りかな」と鼻にかけることもなくからりと笑っていた。地味な顔立ちながらそこそこ整った顔の護の笑顔は、びっくりするほど格好よかった。
「もう本当にカッコよかったんだからー」
そうしてつい思い出した護の笑顔に一瑠はにやけたが、その反対に七海は眉をひそめた。それはもう思い切り。
教師と生徒の恋愛なんてものは上手くいかないほうが多い、と七海は思ったからだろう。実際、クラスメイトの女子が数学担当の教師にアタックしているが、進展したという話は聞かない。
「それさ、やめといたほうがいいんじゃないの?」
案の定、七海からの返答は面白くないものだった。想定していたものだったとはいえ、一瑠は頬を膨らませ「ぶー」と唸る。
「それって相手がせんせーだからとか、あたしが生徒だからとか、そういう理由?」
「当然」
「そんなのどうでもよくない? 相手を想う気持ちがあれば、間柄なんて関係ないじゃーん」
「いやいやいや、何いってるの。大ありでしょうよ」
「たしかに教師と生徒の恋って、あまりいい印象を持っていない人いるかもしれないけどさ、本人同士がよければいいと思わない?」
少なくても一瑠は心底そう思っている。思っているのに、七海は同意するどころか溜め息をついた。
「あんたは何にも分かってない」
「『何にも』って何が?」
「一瑠はお互いの想う気持ちさえあればいいっていうけどさ、それだけじゃダメでしょ?」
「じゃあ何があればいいの?」
「いろんなもの」
「『いろんなもの』って?」
「気持ち以外のもの」
七海のいっていることがやっぱり分からなくて首を傾げたら、彼女は2度目の溜め息をついた。そして「やめときなよ」と、彼女は2回目になる否定の言葉を吐いた。
一瑠はムッと唇を尖らせる。少しくらいは応援してくれるかなと思った分、七海の態度に身勝手な苛立ちが募った。ちょうど足元に転がっていた石ころを、その八つ当たりで思い切り蹴飛ばす。
「やめない」
蹴った石は勢いよく転がっていった。一瑠はその様子を仏頂面で眺め、石が止まれば彼女も足を止めた。そうしてもう一度。
「ぜ——ったい、やめないっ」
「…………」
「だってきっとあの人、運命の人だもん。やっとやっと見つけたんだもん!」
「一瑠……」
「…………」
七海には分かるまい。そう一瑠は妬む。外見に対するひどいコンプレックス故、恋もまともに出来なかった虚しい気持ちなど。はじめて護を見つけた時、この人ならと思った喜びなど。その羨ましいほどの可愛い容姿と、小柄な体格をもつ七海には、この気持ちは分かるまい。
ぐっと身体の脇に垂らしてある手で拳を作り、一瑠は唇を噛んだ。
沈黙。しばらく気まずい空気がお互いの間に居座っていたが、やがて七海が根負けしたとでもいうかのように嘆息した。そして「わかった」と小さく呟いた後、彼女は止めていた歩みを再びはじめた。
「そこまでいうなら、もう何も言わない。一瑠が納得するまで頑張ったらいい」
小柄ながらきびきびと歩く七海の速度は速い。一瑠もその後を追うように歩き出したが、さっきの気まずさが抜けきれておらず、なんとなく顔が上げられなかった。
長年の付き合いである七海は、そんな一瑠の一度噛み付くと引っ込みがつきにくい性格を熟知している。だからあえてフォローもしないが、責めることもしない。放っておけばそのうち治ると知っている。
「ただ一つだけ、確認」
「……うん?」
ぽつりといった七海の言葉に、一瑠はようやく顔を上げる。先を歩く七海は振り返ってもこなかったので、その顔はよく分からない。たぶんいつもの無表情なのだろう。
「その先生? あんたより10も上なんだったよね?」
「うん」
「なら彼女とかいてもおかしくないんじゃないの?」
「……え?」
「だってそこそこにいい歳じゃない? 別に既婚者だっておかしい話じゃないでしょ」
「…………」
————カノジョ。
————キコンシャ。
その言葉に、一瑠はせっかく歩き始めていた足を思わず止めた。
運命の相手ならば、相手もフリーに決まっている。そう無意識に思っていた。だからすでに護に相手がいるなどと、考えてもみなかった。
また、七海が嘆息したのが感じられた。「一度何かにこれだって突っ込んでいくと、周り見えなくなる癖いいかげんにどうにかしなよ」とさらに追撃。その上彼女はこう続ける。
「恋とか好きとか、付き合う付き合わない云々以前に、まずそこんところ確かめなよ?」