森の隠者
その日は、秋になったばかりにしては寒く、冷たい雨が降っていた。
「今日、野草を採りに行くのは中止だな。」
書斎から研究資料を持ってきて、お気に入りの安楽椅子に腰をかける。
暖炉をつけるほどでは無いが、家の中にいても肌寒い。
「何か羽織るか。」
衣装棚から厚手の上着を見つけて肩に羽織ると、再び椅子へと向かう。
誰にも邪魔されない静かな時間。
「この理論は新しいが・・・やはり・・・実証まではされていないか・・・」
最近、髪も白くなり昔に比べて独り言が増えたと思う。
誰もいない家で、一人でブツブツ言う人間というのは、傍から見れば立派なボケ老人だろう。
「ボケ老人か。ここなら誰かに迷惑をかける事も無いな。」
自分で言った事に少し寂しさを感じたが、望んで人里をさけ森の中で暮らしているのだから今更の事だろう。
この生活を続けて既に三十年ほどになる。
今の生活に文句は無いが、昔思い描いていた老後と良くもかけ離れたものだ。
「ふぅ。もう文字がぼやけてきたか。歳をとったな。」
目頭を押さえて焦点をあわせると、段々激しくなる雨に意識をむけた。
二十代の頃の私は純粋だった。
我が家に伝わる魔陣術を使って、この国を守ると理想に燃えていた。
享楽の神ダコナが残したと言われている魔陣術。
他の魔法とは違い、魔法陣を書く事で発動させる魔術。
少量の魔力で描く事ができるため誰にでも使えるが、用途のわからない物が多く廃れていった技術だ。
私の家には、二つの魔陣術が伝わっていた。
一つは、描いた陣が数秒後に崩壊し、周囲を巻き込んで爆発するというもの。
もう一つは、陣を踏むと下の土が上空に転移するというものだ。
端的に言うと、踏んだものを落とし穴に落とし、生き埋めにするという陣だ。
これだけ聞くと、なぜ廃れてしまったのか判らないと思うが、これだけ使える陣というのは珍しいからだ。
他に風の噂で聞いた魔陣術は、頭の上に花瓶を落とすものや、異臭を放つもの。
はては、踏むと大きな音が鳴るというものもあるらしい。
さすが享楽の神と呼ばれるだけあって、意味のわからないものが多い。
他に廃れた理由としては、魔陣術は応用ができない事もあげられる。
例えば爆発する陣は大体三秒くらいで、爆発するのだが、陣を描くときの魔力を増やしたり、巨大な陣を描いてみたりしても、時間も威力もまったく変わらない。
どんな事をしても陣は三秒後に一定の威力で中心が爆発する。
なので、誰にでも使える反面、ある程度の結果しか発揮できない。
しかし、私はそこに目を付けた。
今まで軍は、魔術師というものに重きを置いていなかった。
魔術は才能によって差はあるが、兵士の半数は使える術だ。
その中で、魔術に特化した魔術師というものは、それほど利点がなかった。
強力な魔術は、集中が必要なのに加え、味方を巻き込む危険がある。
細かな術であれば、剣で切ったり弓を射るほうが格段に早い。
昔は魔術師を集めた部隊というものもあったらしいが、すぐに解隊されたらしい。
それはお互いの魔術が影響しあってしまい、結局使用する魔術は初級の炎の矢のみに限定されたからだ。
これらの理由で、魔術師というものは団体行動に向かないとして、軍からは爪弾きにされていた。
そこで、私は魔陣術が誰にでも使えるという点と、効果が一定であるため他の陣に影響が無い点を軍の上層部へ進言した。
それが評価され魔陣術の部隊が作られ、指揮官には私が選ばれた。
自分で言うのもなんだが、この部隊は大成功だった。
部隊半数が落とし穴の陣を作り敵が落ちた所を、もう半数が爆発陣で殲滅する。
20人の部隊で、50体の魔物の群れを撃破した事もあった。
一時期は国の防衛の要と言われたほどだった。
それでも私は満足せず、他の魔陣術も戦略に組み込めるか研究に没頭した。
水面下で動いていた陰謀に気付かずに・・・
ある日、部隊の教練を行うため教練場で兵士を待っていると、別部隊の人間が伝令をもってきた。
「ムント中隊長。ガゼム将軍がおよびです。」
「了解しました。ただちに向かいます。すみませんが、これから教練のため今日の予定を副長に伝えてもらえますか。」
「申し訳ありませんが、お受けできません。」
「なぜですか?」
「ムント中隊長。貴方の隊214名は、昨日付けで全員除隊しております。」
「はっ?」
「ガゼム将軍の招集も、その事についてのようです。」
「全員ですか。」
「はい。おかげ様で事務職連中は徹夜作業だったようです。」
「なぜ・・・」
「私には判りかねます。」
その後の事は、良く覚えていない。
管理不行届だとか、職務怠慢だとか色々言われたようだが、真っ白になった私の頭には何も届いてこなかった。
いつのまにか私は、責任を取って除隊させられる事になっていた。
除隊後、しばらくして判った事だが、この事件はガゼム将軍が仕組んだ事だった。
今まで軍のお荷物だった魔術師が、一躍脚光を浴びたため前線で戦う兵士達から色々と不満があがっていたようだ。
ガゼム将軍も魔術の才能が無く、剣を振るった武功で出世してきたため、頭でっかちな私を快く思っていなかったらしい。
そんな時、チャバス大将が体制の見直しを検討しているという話が流れてきた。
その事で、ますます魔術師主体の軍になる事を恐れたガゼムは、部下に魔術師いびりを命じたのだ。
ある者は教練後に呼び出され、見えない部分を殴られる。
またある者は、残った家族に危害を加えると脅される。
日々、前線に犠牲を強いて、残り物を集団でなぶる卑怯者と罵られ、理不尽な暴力を振るわれる。
恐ろしい事に、街でもその噂を流したらしく、防衛の要は一転して卑怯者の集団として広まった。
身も心もズタボロになった兵士にとって、今除隊すれば何の罰則もなく僅かながらの退職金も貰えるという話は、この世の救いのように思えただろう。
私は間違っていない自信がある。
事実、私の軍では死傷者の数が極端に少ない。
前線に出ている兵士も、逆に魔術師が取りこぼした生物を狩っていれば、お互い無理する事なく、もっと被害を抑えられたのだ。
しかし、そんな事は今更である。
声高に叫んだ所で、負け犬の遠吠えでしかない。
軍の体制も、以前の魔術師を排した形に戻っていた。
全ての事実を理解した時、私は森での生活を選択した。
しばらく、人の悪意から離れたかったのだろう。
それから趣味の料理や、魔陣術の研究に没頭する生活を続けた。
時折、人恋しい時もあったが、心の傷は深いらしく街での生活に戻る事はなかった。
「あれから、三十年か。」
思えば、人生の半分以上をこの森で過ごしている。
趣味の料理はそれなりの腕になったが、魔陣術の研究はいっこうに進まないのが腹立たしい。
昔を思い出しながら、お茶を飲んでいると不意に雨音に紛れて悲鳴が聞こえたような気がした。
嫌な予感がし玄関を開け、周囲を見渡してみる。
薄暗い森の奥から見える魔法の光とかすかに聞こえる金属同士を打ち付ける音。
正直、面倒事には関わりたくなかったが、もし野盗だった場合、この家まで襲われる可能性がある。
「様子を見に行ってみるか。」
手早く外套をはおると、狩り用の鉈を持ち光の方へ歩きだす。
途中、見つからないように、身を隠しながら近づいてみると、村人らしき男と三人の兵士が睨みあっていた。
今まで三人がかりで斬られていたらしく、男の体には無数の傷があり腹からは腸がはみだしていた。
「何をやっているんだ。」
事態を理解すると即座に、兵士と男の間に入り、鉈で軽く兵士を牽制する。
「お前こそ何者だ。この男の家族ではあるまいな。」
三人の中で一番若いであろう兵士がまくし立てる。
「私は、この森で隠居している老人だ。この男とは関係ないが、普通の村人を三人がかりで殺そうとは、見過ごせんな。」
喚く兵士を眼光で威圧し黙らせる。
現役から退いて長いが、森の中で狩りをして生計をたてているのだ。
まだ若いものに遅れをとる気はない。
「おいおい、勘違いしないでほしいな。こちらに殺す気は無かったのだ。」
若い兵士を押し退け、この三人の隊長であろう男が剣を鞘に収め、前へと出てきた。
「信じろと?」
先ほどの兵士同様、威圧をするが軽く流される。
「信じてほしいねぇ。大体、この男が斬りかかってこなければ、さっさと引き返していたさ。こんな森の奥にきてまでやる任務ではないからなぁ。」
先ほどから、村人の剣が揺れている。
剣を持っているのも限界のようだ。
「じゃあ、このまま帰るんだな。」
「あぁ、そうさせてもらうよ。ただ大丈夫だと思うが、その男は治療しないでくれよ。生きていると復讐されそうだ。」
「もう、助からんだろう・・・」
これは嘘ではなく、男はもう目も見えていない状態だろう。
「そのようだな。じゃあ邪魔したな。」
軽く手をふり、引き返そうとした兵士に、先ほどの若い兵士が声を上げる。
「いいんですか。あいつは『不死者』のかぞっ」
ゴッ
今までずっと黙っていた壮年の兵士が、急に若い兵士を殴り飛ばす。
それを、興味無さそうに見ていた隊長格の男は、倒れた兵士の頭に手を乗せてニヤニヤしながら引き起こす。
「おぉーぃ。俺が帰るって言ってんだから帰るの。それともココで殉職したいのか?」
どうやら凄い力で頭を掴んでいるらしく、ミシミシと骨をしめる音がする。
「ぐぁっ、すっすみませんでしたっ。帰還いたします。」
涙目になりながら顔を歪ませている兵士を満足そうに眺めると、隊長格の男は若い兵士を投げ捨てた。
「ジギ、そいつ持ってこいよ。」
隊長格の男は、もう興味を無くしたように森の外に向かって歩き出した。
ジギと呼ばれた兵士も、ふらつく若い兵士に肩を貸すと、こちらを見ることなく帰っていった。
兵士達の姿が見えなくなると、鉈を収め男のもとへ行く。
「おい、まだ生きているか?」
剣を杖にして、かろうじて立っている男に声をかけると、空気が漏れるような掠れた声が返ってきた。
「・・・つ・・・つま・と・・こども・が・・・もりのおくに・・・」
「そうか・・・わかった。まかせろ。」
そういうと、森の奥にむかって走り出す。
後ろ髪を引かれる想いだが、あの状態で私が出来る事は何も無い。
それより、彼の妻と子供を保護するほうが先決だ。
この奥は、ヴォルグの縄張りになっている。
ヴォルグは血の臭いに敏感なので、もう近くに来ているかもしれない。
一匹程度なら何とかなるが、ヴォルグは群れで行動し動きも素早いため戦闘になったら、逃げる事すらかなわない。
焦る気持ちで、私は森の奥に走っていった。