うさぎさんと亀さんの譲り合い
ぼくは高台からこの世界を見おろしていました。
この世界は単純でした。
草原がどこまでも広がっており、その中を道が一本走っているだけです。道は両側を低い壁で閉ざされていました。
その道を、おおきな亀さんと、スリムなうさぎさんが走っています。
どこへ行くのかは知りません。
きっとそれぞれその幸せな場所へ向かっているのだろうと思いました。
道はとてもゴチャゴチャで、混雑していました。
おおきくてノロマな亀をうさぎは邪魔がって、亀もチョロチョロと落ち着きのないうさぎのことを邪魔がって、お互いに邪魔し合っているのです。
道は亀とうさぎが二匹ずつ並んで走れる広さでした。三匹は並んで通れません。
うさぎさんが自慢の速足で、ぴょんぴょんと跳ねながら道の右側を駆けてくると──
左側からうさぎさんの前に、いきなり一匹の亀さんが、のっそりと車線変更をしてきました。
「うわあっ!」
うさぎさんはそのおおきなお尻にぶつかりそうになって、悲鳴のような声で文句を言います。
「邪魔だ、亀! てめー鈍いくせに前出てくんな!」
亀さんは後ろをチラッと振り向き、小馬鹿にするような笑いを浮かべて言い返します。
「おまえのほうが邪魔だ、チョロうさぎ。ぼくは仕事で荷物を運んでいるんだぞ」
その通り、亀さんは誰かに届ける引っ越しの荷物を甲羅の上に乗せていました。
「俺にはそんなの関係ないだろ! 速い俺さまを先に行かせてからでもじゅうぶん車線変更できるじゃないか!」
怒るうさぎに亀は悠々と説きます。
「これが余裕というものだよ。荷物を崩さないよう、早めに障害物を避けておくんだ。ぼくは道を走るプロなんだ。君はどうせレジャーなんだろう? どこかへ遊びに行くところなんだろう? 仕事の邪魔だ、外に出てこないでくれるかな」
「この野郎!」
ムカついたうさぎが、亀の左側から無理やり追い越して前に出ました。
ムカついていたので、前に出るなりいやがらせの急ブレーキを踏みました。
「わあっ! ぶつかる!」
亀もびっくりして急ブレーキ──
亀の後ろにできていたうさぎの列が、次々に急ブレーキをかけて、道は大混乱になりました。
ぼくは高台の上からそれを見ていて悲しくなりました。
あの亀さんは、自分より遅い亀さんに追いつきそうだったから車線変更をしたのでした。でも、うさぎさんが言う通り、うさぎさんを先に追い越させてからでもじゅうぶん間に合いました。亀さんはそれを「余裕」と言いましたが、ぼくには焦って早すぎる車線変更をしただけにしか見えませんでした。
うさぎさんも急いでいるなら亀さんの前に出た時に急ブレーキなんか踏まなきゃいいのにと思いました。結果、みんなの迷惑になった上に、自分に何の得もありません。もしそれで亀さんに追突されていたら、時間を無駄にするだけでなく大怪我をしていたかもしれません。
道路交通において、譲らないということは、ときに、誰も得をしない競争を始めることなのです。
「みんなが譲り合いをすれば、どうなるだろう」と、ぼくは妄想しました。
さっき、もしも亀さんが、うさぎさんを先に行かせてあげてから車線変更していれば、何の問題もありませんでした。
でも、たくさんのうさぎさんが、右側に隙間のない行列を作ってやって来ていたら──? 亀さんは車線変更ができません。
その場合、亀さんが遅い亀さんに追いついた時点で右ウィンカーを出します。「困ってます。譲ってはいただけませんか?」という意思表示です。
それを見て、うさぎさんが「ノロマが」「出てくんな」と無視するなら、亀さんは遅い亀さんにつっかえてしまいます。
亀さんは一匹だけではありません。すべての亀さんが左側車線に長い行列を作って、渋滞になってしまいます。仕事にも遅れてしまいます。
それはうさぎさんたちにとっても大迷惑です。うさぎの中にも速いのと遅いのがいるので、右側車線も大渋滞になってしまうことになるのです。
ぼくは新しいイメージを頭の上に浮かべました。
亀さんが左側を走っていて、自分よりも遅い亀さんに追いついた場面です。
右側にはうさぎさんが列を作って走っていて、車線変更できる隙間がありません。
そこへ自分の前にじゅうぶんな距離を保って走ってくるうさぎさんがありました。
亀さんはそこへ右ウィンカーを出しました。
「そこに車線変更させてもらってよいですか?」という意思表示です。
それを見て、うさぎさんはニコッと笑いました。
「困ってるんだね? どうぞ、どうぞ。俺の前に車線変更しなよ」
うさぎさんは、少しだけアクセルを緩めました。
ほんの数秒、速度を調整しただけです。
すると、うさぎさんと亀さんの間に、十分な車間距離が生まれました。
「おお、これはありがたい」
亀さんは安全を確認してから、ゆっくりと右側の車線に移りました。
うさぎさんは、そのままの車線を走り続けます。
亀さんも、無理なく前の亀さんを追い越すことができました。
「ありがとう、うさぎさん」
「どういたしまして。お互いさまだよ」
うさぎさんは、ぴょんぴょん跳ねるように走っていきました。
亀さんも、荷物を揺らさないように気をつけながら、先へ進みました。
その後ろを走っていた車たちも、ほとんど速度を落とすことなく走り続けることができました。
誰かがほんの少し譲っただけで、道路全体がスムーズに流れたのです。
譲るということは、必ずしも自分が損をすることではありません。
ときには、自分がほんの少し速度を調整することで、みんなが得をすることもあるのです。
ぼくはまた新しいイメージを頭の上に浮かべました。
今度は、うさぎさんのお話です。
左側の走行車線を走っていたうさぎさんは、前方に工事区間を見つけました。
工事区間の手前では、車線が減少しています。
うさぎさんは、右側の車線に移る必要がありました。
しかし、右側の追越車線には、亀さんが列を作って走っていました。みんなが『この先工事中』の看板を見て、焦って早すぎる車線変更をしていたのです。しかも車間距離が詰め詰めです。
うさぎさんは方向指示器を出しましたが、亀さんはなかなか車間距離を広げてくれません。
うさぎさんは困りました。
「うーん、どうしよう。このままでは、車線がなくなってしまうよ」
そのとき、亀さんの後ろを走っていた別の亀さんが、うさぎさんの合図に気づきました。
「おや、あのうさぎさんは車線変更をしたいんじゃな」
その亀さんは、前の亀さんとの車間距離を保ちながら、うさぎさんが入れるだけの余裕を作りました。そしてウィンクをして、「譲ります」の合図をしました。
うさぎさんは、その隙間を確認し、安全に車線を変更しました。
「ありがとう、亀さん!」
「なあに、困ったときはお互いさまじゃ」
うさぎさんは工事区間の手前で、無理なく合流することができました。
亀さんも、前の車との距離を保ったまま走り続けました。
もちろん、亀さんがいつでもうさぎさんに道を譲らなければならないわけではありません。道路は、うさぎさんのためにあるものではないからです。
けれども、安全に譲れる場面で譲ることができれば、道路はもっと走りやすくなります。
「譲り合い」とは、速いうさぎさんに遅い亀さんがいつでも譲ることではなく、お互いに譲り合うことなのです。文字通りです。
うさぎさんも亀さんも、それを少しだけ理解したのでした。
「でも……」と、ぼくは思いました。「もしも、みんなが必要以上に譲り合いすぎたら、どうなるんだろう?」
ぼくはまた新しいイメージを頭の上に浮かべました。
亀さんが遅い亀さんに追いつきそうになったところです。そこへ右後ろから速いうさぎさんがやって来ました。
亀さんは思いました。
「あのうさぎさんが追い越していったら、ぼくも追越車線に出よう」
うさぎさんも思いました。
「あっ。亀さんが追い越しに出そうだぞ。先に行かせてあげよう。譲り合いが大事だもんな」
うさぎさんがなかなか追い越していかないので、亀さんはブレーキを踏みました。
亀さんがなかなか譲られてくれないので、うさぎさんも合わせてブレーキを踏みました。
そこへ後ろからたくさんのうさぎさんたちが追いついてきました。
亀さんも追いついてきました。
みんなが思いました。
「なんだ、なんだ?」
「なんか渋滞になってる」
あるうさぎさんは思いました。
「まぁ、急いだってしょうがない。ゆっくり行こう」
ある亀さんは思いました。
「わしは急いどるんじゃが……」
イライラするみんなは思いました。
「あの亀が元凶か!」
「いや、このうさぎが悪い! 直進のほうが優先なんだし、追越車線にいるのに追い越さないのは交通違反だ!」
亀さんもうさぎさんも、相手のことを思いやって、譲り合いをしようとしたのに、みんなの迷惑になってしまったのです。
ぼくは思いました。
「過ぎたるは及ばざるが如し」ってことか、と。
高台からゴチャゴチャと混雑する道を見下ろしながら、ぼくはそんなことを色々と思いました。
ぼくはまだ子どもなので自転車にしか乗れません。
でも、大人になったらあの道をみんなと一緒に走ることになります。
ぼくが亀になるのか、それともうさぎになるのかはまだわかりません。
ぼくはまだ未分化な『未成年』──亀にもうさぎにもなれる存在なのです。
そんなぼくだから、思いました。
「ぼくはどっちになるにしろ、ぼくが走ればあの道が円滑に、そして何より安全になるような走り方をしよう」
そしてとどめにこう思いました。
「自分の運転が、自分最高の『自信作』といえるようになりたい」




