研究室は眠らない
佐和子は某大学の建築学科に入学した。
お世辞にも偏差値が高いとは言えなかったが、デザインを学びたかった佐和子は、芸術学部が有名なこの学校に進学を決めた。
高校時代は友人との思い出作りに夢中であまり勉強をしてこなかったが、大学ではやりたいことが明確だった。
所謂「空間建築」を学びたかったのだ。
この空間が人の力や出入りで意味をもたらす。
そんな設計がしてみたかったのだ。
アルバイト4つ掛け持ちしつつ、大学の課題をこなし、部活も2つ掛け持ちし、建築学科の非公認サークル(以下Hと呼ぶ)に参加しないかとの先輩からの誘いも受けた。
Hでは見込みのある1年生を先輩が見つけてはT先生へ紹介し、授業外の設計室で建築の歴史や設計などを学ぶことができる。喜んで頭を縦に振った。
Hの活動は多忙を極める。
バイト疲れした身体。部活疲れした身体。
それでも渾身の気合いでなんとか1年は持った。
Hでの活動は人生論まで説いてくれた。
設計したもの全て我が子のようで、それをプレゼンにするのは毎度怖かったが、楽しくて楽しくて仕方がなかった。
模型をどこまで作ったのか分からず倒れ込む佐和子
。
深夜になったのか朝方なのかわからない。
鳩の声で起こされるように、浅い睡眠を時間がある時だけ取っていた。
時折夜の学校に忍び込んでは朝方まで模型を作っていた。そしてまた歴史の勉強だ。
1年後期には気絶するように寝ては、試験の時に友人から鬼のように連絡が入る。
「何してるの!?」「もう試験始まるよ!!」
返す間もなく大学の試験は終わりを告げる。
2年生の時に「留年」と成績表に手押しされた黒い判子を眺めて、親から出してもらった学費がまた高額になる事実。
私大なので、1年間の学費は馬鹿にならない。
意を決して親に頭を下げて4時間正座しながら電話でのお説教。
それでも伝えた。
「もう1年だけ頑張りたいです。」
やっとこさ、1年だけなら学費を出してやるとの言葉を貰った。心底安心した。
アルバイトと部活を辞めた。
余分なお金は使わなければ十分暮らしていける環境を整えてくれた両親には頭が上がらない。
学校の単位も、2年次に「フル単」を取らなければ再留年が決まる。恐らく一生分くらい勉強をした。
だがそれでもHの活動だけは続けたかった。
自分が目指してきたのは、Hに集約されるから。
我ながら見事にフル単を取った。再留年は免れた。
しかしHの活動の中で、スランプを起こして心底絶望した。
1回だけの失敗なら挫けない。でも何度も何度も上手く表現できない。これが作りたかった訳じゃない。模型をつくっては壊しての繰り返しの日々。疲弊していく。
ある日、コンペに出すための設計を行っていると、睡眠不足のせいか、過度のストレスなのかわからないが、笑えなくなった。
それでも走った。たった一人でも走り続けた。
それでも、図面が引けない。絶望だ。
T先生に、ついに言うことにした。
家も近所だったので、居酒屋へ行って話すことになった。
「先生……。」
「どうした?」
「わたし、ダメになっちゃったみたいです。」
「線が、引けないんです。」
堪えきれず零れる涙。大事な縁を貰ったのに答えきれない悔しさ。自分の設計能力を痛感した悲しさ。
すべてが大粒の涙となり、握る生ビールの取っ手は次第に熱くなる。
「…そうか。」
人目もはばからず号泣する佐和子に、Tはそっと言った。
「じゃあ、お前は今日から飲み友達だな!」
佐和子は、はっとT先生の顔を見つめた。
厳しさも優しさもたっぷりなT先生。
その顔は少しばかり寂しそうで、それでもたくさんの包容力に満ちていた。
程なくして大学は卒業し、外構設計の会社に入った。
かなり営業職が強い会社ではあったが、夢だった「設計で食っていく」が実践できた。
今は地元に戻り新たな挑戦をしている。
眠らない研究室は、今日も人生を教えてくれる。




