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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

公爵令嬢は不屈の悪

作者: ゆう梨
掲載日:2026/06/10

これは、地に落ちた名を再び掲げ、誇りある悪を築くことを目的としたとある公爵令嬢とその共犯者が共に歩むきっかけとなる話。



 かつて父は言った。


 我らオデュッセの血を引く者は国の闇の担い手であると。


 だからメイアン・オデュッセよ。父を見て学びなさい。この仕事はいずれお前に引き継がれる。その時に悪であることを何よりの誇りに思えるように。



 そんな父はそれから間も無く国に殺されてしまう。力を持ちすぎた暗部を恐れた国王の判断だった。


 国王の指示で犯してきたはずの罪を全て独断と公にされ、全国民に疎まれて、共犯として囚われた母と共に公開処刑に処されてしまった。

 父は最後まで何も語らず、全ての批難を受け入れて、そして潔く逝ったのだ。あの人は国のための悪であることを何よりの誇りに思っていたから。父の首が落ちたその瞬間を私はきっと永遠に忘れない。

 


 そして当時まだ五歳と幼かった私は、縁もゆかりも無い公爵家に養子として引き取られることになった。これまで見聞きしたことは忘れるようにと偉い人たちに念を押され、優しいお父様と少しお節介なお母様、それから二人のお兄様に恵まれて、それ以降の私は公爵令嬢として慎ましやかに暮らしている。








 








 ――表向きは。












 





 窓から溢れる月明かりが綺麗な晩。

 私はその静かな廊下の影にひっそりと立っていた。


 黒いドレスに黒い靴。レースの手袋も、毛先に行くほど赤が混ざる黒い長髪を一つに束ねるリボンも美しい黒。もちろん顔を覆うベールも。まるで葬儀にでも参列しているみたい。この素敵な衣装がたくさんの人に見てもらえないのは少し残念だ。



 カツリ、カツリ。聞こえてくる足音に息を潜めて耳を澄ませる。距離を見誤らないように。カツリ、カツリ。だんだんと近付いてきた足音に顔を上げる。


 一歩、二歩。影の中から踏み出した私の姿は彼の目にはいったいどう映っていたのだろう。



「ひっ……な、何者だッ!」


「お初にお目にかかります。イリエスタ男爵」



 ドレスの裾を軽く摘んで優雅にカーテシーを。これをするだけで貴族は一瞬油断するのだから不思議よね。


 そうしてゆっくりと頭を上げながら私は淡々とそれを告げるのだ。

 


「早速ではございますが、お命頂戴致します」


「なッ――」



 カツン。

 


 靴底が床を軽く叩く。

 次の瞬間には男爵の後ろに降り立った。


 手持ちのナイフで喉をひと突き。余計な声も上げることなくドシャリと倒れた男爵の見開かれた目が激しく揺れながら暗殺者を見上げていた。軽く首を傾げ、私はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。



「身寄りのない子供の売買、身分を振り翳した恐喝、税の横領、平民への不当な扱い、その他諸々。貴方絡みのご依頼は特に多い印象でした」



 こんなにたくさんの恨みを買うなんて貴方も私と同類ですねと。作りものの笑顔を貼り付けて笑う。当然ながら男爵は何一つ言い返してくることもなく、次第にその目から光は消えてどんよりと濁っていった。



 ナイフを回収した私はまた静かに闇に身を潜めて屋敷を出る。


 きっと夜が明ける頃には大騒ぎになっているだろうけれど、あの場に私がいた証拠はどこにも無い。捜査の手が私に伸びてくることなんて滅多なことがない限り有り得ない。


 

 屋敷を出て向かうのは街の片隅にある小さなお店。犯罪者御用達の闇の商人が営む雑貨屋だ。

 

 今日はお城で舞踏会が開かれているから一部を除いた貴族や平民のほとんどがそちらに意識を向けている。それでも周囲への警戒は怠ることなく移動し、ここまで来るのに人の気配も視線も一切感じなかった。



「お邪魔します」


「おお、今日みたいな日にうちに客が来るなんて――って、なんだ。あんたか」


「ドットル。奥を借りるわね」



 祖父の代からお世話になっているこの店の店主ドットルは、私が物心ついた頃には既に腰の曲がったお爺さんだった。父は生前彼に全幅の信頼を寄せていて仕事で使う道具の大半はこの店で揃えていたらしい。今では私も道具の調達や仕事の仲介に使わせてもらっている。


 

 小物の並ぶ店内の奥、カウンターの横の扉から先に進めば倉庫として使われている薄暗い小部屋に入ることができる。杖を付いたドットルが後から付いてきたことは気にせず、私は手のひらをドレスの表面に滑らせるように動かした。すると黒と赤が混ざった光の粒が周囲に現れる。いつ見ても美しい光だけれど隠すことができないのが難点だ。だから人目に付きそうなところではあまり使えない。

 

 手のひらで撫でたドレスは途端に色も装飾も変わっていく。今回は動くのに適した軽めのものを選んでみた。どうせまたすぐに変えるのだけど、と靴も髪型も変えてベールと手袋は邪魔だから消してしまう。もちろんナイフや返り血も。



「いつ見ても見事なものだな、あんたの隠蔽魔法は」


「ありがとう。それで、私に何か?」



 付いてきたということは何か話があるのだろうから。ひらりと柔らかいドレスを翻して振り向けば、暗闇の中でドットルと目が合った。



「ああ、儂もそろそろ引退を考えていてな」


「それは……寂しくなるわ……」


「代わりに孫がここを継ぐことになっとる」


「へぇ……」



 犯罪者御用達の雑貨屋を継ぐだなんてドットルのお孫さんはなんて変わり者なのかしら。跡継ぎに名が上がるのだから善人では無いのだろうけど。

 それよりも人が変わるとなるとこっちもそれなりの準備をしないといけないわね。後でしっかり考えよう。



「あとはまた幾つか依頼が来ておるぞ。引き受けるかどうかはあんた次第だが」



 それを聞いて思わず口角が上がる。依頼の話は大歓迎。こうやって依頼を仲介してくれるから本当にこの店は便利で有り難い。



「もちろん、どんな依頼でも、私は承ります」



 丁寧に礼をして、今日のところはと店を出る。そうして次に向かうのは舞踏会が開かれている王城だ。あのキラキラした会場に特別な思い入れは無いけれど、向かうその足取りは軽い。


 だって、次の依頼があるんだもの。

 それは私を必要としている人がいる証拠だから。


 少し時間は空いてしまうけれど、次に雑貨屋へ行く時が楽しみだ。いったいどんな依頼なのだろう。

 

 

 王城に辿り着いた私は、出た時と同じように兵士のいない場所から城壁を登り、こっそりと庭に降りて鍵を開けておいた窓から中へ。近くに人がいないことを入念に確認した後また魔法でドレスを変えて、そうして舞踏会の喧騒に溶けこんでしまえば今日の仕事も無事に終わる。



 


 そう、かつて父は言った。


 我らオデュッセの血を引く者は国の闇の担い手であると。


 暗部の人間として生きた父は国に殺されてしまったけれど、私はそれを恨んではいない。寧ろ誰かの下に着くという運命から解き放ってくれたのだと思えるから。

 

 そんな父が死んで十一年が経ち今年で私も十六になった。公爵令嬢という表の地位は少し窮屈ではあるけれど、身を隠すにはちょうどいい。上手く使えばきっと大きな武器にもなってくれる。



 そして、いつか。


 地に落ちたこの名を掲げ、国王ですら手が出せない悪の番人としてこの国の闇を支配する。これが私の夢であり、オデュッセの名の下に生まれた者としての使命でもあるのだから。





            ◇





 舞踏会から数日が経っても私の周辺は穏やかだった。


 お父様は男爵の暗殺があったことくらいは知っているだろうに私には匂わせもしなかったし、お母様は元々娘がいなかったからか私に物を買い与えるのが好きで変わらず毎日のように新しいアクセサリーを贈ってくれた。


 上のお兄様は私をとても可愛がってくれている。毎日顔を合わせると必ず頭を撫でてから仕事に向かうの。そういうことは婚約者のお姫様にすればいいのにね。

 下のお兄様はたまに驚かせてきたりと少し意地悪なところがあるけれど、おやつの時間には必ずお茶に誘ってくれる。出される甘い焼き菓子はとても好き。


 そうして公爵家で数日を過ごした私は、ある日の夜中に屋敷を抜け出して例の雑貨屋を訪れていた。



「もう十一年も経つのに、あの家は息が詰まりそう」


「ほっほっほ、あんたの父親は貴族とはかけ離れていたからのう」


「公爵家に預けたのは私の監視が目的でもあるのでしょうに。それに関してはあまり役に立ちそうにないのよね、あの人たち」



 お父様もお母様も二人のお兄様も、私が裏で動いていることには未だに気付いていないから。知っていたらあんな穏やかな生活が送れるわけがない。私に対して疑念や恐怖を感じていれば、それを見逃すほど私も鈍感ではないのだ。だから今のところあの公爵家は安全地帯。いつまでもそうとは限らないけれど。


 他に客のいない店内で商品を見て回りながら話す私に、ドットルはカウンターの向こうでのんびりと腰掛けながら返答をしてくれる。この空気感が私は好きで、よくこうして話を聞いてもらっていた。これももうすぐ終わるのだと思うとやっぱり寂しさを感じてしまう。



「それより、この前言っていた依頼の内容を聞いてもいいかしら。厄介そうなものからお願い」



 商品を一通り見た後その中の幾つかをカウンターに並べながら話を切り出せば、ドットルは値段の計算をしながら依頼について教えてくれる。それは割と新しい依頼だった。



 


 王城の立つこの街から程近い場所にリースという村がある。


 山や川に囲まれたリースは災害の多い村でもあるが、今年はそれも無く天候に恵まれ作物がよく育った年なのだそう。本来ならば平和に時が流れているはずのその村に最近盗賊が出るのだと言う。



「その盗賊を裏で雇っていたのがイリエスタ男爵だったという話だよ」


「でもその人はもういないでしょう?」



 数日前に暗殺されたはずだわ、と首を傾げる私にドットルは穏やかに笑う。



「その後、後ろ盾を失った盗賊どもをリースの領主が更に雇ったようでな」


「へぇ、それは面白い話ね」



 盗賊による被害を受けた村には国からの支援が出ていたはずだ。それを主導したのは王太子殿下だと記憶している。民を飢えさせるわけにはいかないと国王を動かして始めた善行だったわけだが、それに味を占めた民が逆に利用し始めたということだ。実に滑稽な話である。これが明るみに出れば責任は誰が負うのやら。



「盗賊と領主をどうにかしてくれと、これはそういう荒事の依頼だよ。どうする?」


「引き受けるわ」



 暗殺された男爵が関わっているのなら私も無関係ではないということだ。盗賊は数十人規模と数はそこそこでほんの少し厄介ではあるけれど、殺して問題のない相手ならいくらでもやりようはある。


 依頼は一も二もなく引き受けて、カウンターに並べた道具の代金を払おうと貨幣の入った小さな袋を取り出したところで、手のひらをこちらに突き出したドットルが私の行動を止めるのだ。なんだろうと顔を上げると、一つお願いを聞いてくれたら今回の代金は無しでいいと言う。



「その依頼にうちの孫を同行させてくれないか」


「それってこの店を継ぐ人?」


「ああ。腕っぷしだけは保証できる孫だ」


「腕っぷしだけは、ねぇ……」



 詳しく聞けばお孫さんは私と同じように裏で依頼を受けて仕事をしている人間なのだそうだ。けれどまだまだ経験が浅く危なっかしくて心配だと語るドットルは、孫思いの良いお爺ちゃんに見えるから不思議である。仕事の内容がこれなのに。要は私の仕事に同行し、少し勉強させたいといったところか。

 

 盗賊よりも厄介なお願いな気がしないでもないのだけど、これは他ならぬドットルの頼みだ。道具の代金も今回は無しで良いと言うし、その人は今後私もお世話になるかもしれない人だし、一応腕っぷしは保証してもらえるのなら足手纏いにはならないだろうし。断る理由は特にない。



「わかったわ。それじゃあ二日後の夜でいいかしら。この店で待っていてと伝えてくれる?」


「承知した。よろしく頼むよ」



 ――と、これが二日前のこと。



 私よりも背の低いドットルのお孫さんというから勝手に小柄な少年を想像していたのだけど。この日、訪ねた雑貨屋にいたのは私よりも頭二つ分くらいは背の高いガタイのいい大男だった。隣にドットルが並ぶと余計に大きく見えるからなんだか理解が追いつかずに静かに混乱してしまう。



「俺はクレム。あんたがオデュッセの生き残りか」


「……ええ。私はメイアン。この名は広く知られているから仕事の時はメイと呼んで」



 よく見るとこんな仕事をしているとは思えないくらい目立つ男である。明かりの下だとキラキラと光って見える白の短髪に綺麗な緑の目。鍛え上げられた肉体は程よく焼けていて着ている服の麻色との差が目に付く。赤黒い髪と赤紫の目を持つ私とは何もかもが正反対。

 腕っぷしだけはという話もこの体格を見ればなんとなくわかるけど、それ以外は正直やる気はあるのかと言いたくなるくらいの装いだった。


 少しの間観察するためにジッと彼を見上げていると、視線があちこちに移りやすく注意が散漫な様子が窺える。なのにどこかぼんやりとしていて表情は一切変わらない。



「貴方、歳は?」


「二十五だ」



 九つも上だった。年齢も性別も体格も価値観すら違いそうなこの人にいったい何を学ばせるというのだろう。


 本当にこのクレムを連れて行って大丈夫なのかと言いたくて、ドットルに目を向けると穏やかな笑い声が返ってくるだけだった。もし足手纏いになりそうなら笑い事ではないのだけど。



「魔法は?」


「少しなら」



 言って手のひらを上向きにして前に出したクレムはそこに一本のナイフを創って見せてくれる。これまた私とは正反対の白い光を伴いながら。私の隠蔽とは真逆の創造の魔法。仕事で役に立ちそうな魔法だけれど、その分とても目立っていて実際に使えるかどうかは怪しい気がする。いや、使い所の問題か。



「創ったものは長くは保たないんだ。少しすると消えてしまって」


「一瞬保てば十分だと思うけど」



 勝手に消えてくれるなら証拠が残らないということだもの。そこだけは大変羨ましい。私の隠蔽魔法は物を消したり見え方を変えるのに特化したものだから。彼の魔法は私の魔法の一部を内包しているに等しい。



 それにしても。改めてクレムの頭のてっぺんから足先までじっくり見て考える。麻のシャツに土色のパンツ、足元は使い古されたブーツ。腰に巻かれた革製のベルトには収納が幾つか付いていて使い勝手がとても良さそう。この服装や肌の日焼けを見る限り、普段の彼は行商人でもしているのかもしれないというのが私の考えだった。


 そしてそれはどうやら当たりのようで、必要とあらば荷馬車なんかも用意できるがと告げるクレムに、すぐさま必要無いと断りを入れた。この人は私を森も歩けないただのお嬢様だとでも思っているのだろうか。今のは侮辱とも取れる発言なのだけど、彼は特に深い意味も無く言っていそうな辺りが厄介だった。

 

 これは大変そうと小さくため息を吐いて、しかし引き受けてしまったものは仕方ないと腹を括った私は目先の依頼に向けて頭を切り替えることに。

 私には朝を迎えるまでの数刻しか時間がない。こんなことでいつまでも話している余裕は無いのである。



「細かいことは移動しながら話しましょう。奥を借りるわね」



 クレムの返答を聞くことなく奥の小部屋に入ると、私は早速着ていた黒いドレスの表面に手のひらを滑らせて見た目を大きく変えていく。これから向かうのは防壁の外の小さな村だから村娘に見えるような簡素な服を。


 そうして特徴的な髪を手拭いで軽く覆って現れた私をクラムがポカンとした顔で見ていたのは少し面白かった。抑揚の無い話し方をするから感情が気薄な人なのかもと思っていたけれど、注意して見れば案外表情がコロコロ変わっているのがわかる。おそらく根は真面目で素直な人なのだと思う。



「さぁ、行きましょう」


「あ、ああ……」



 ゴツゴツとした大きな手を取って微笑むと困ったように目を逸らされた。どうやら女性には慣れていないらしい。貴族社会では滅多に見られない初心な反応に胸の奥がくすぐられたような気持ちになりながら、私はドットルに挨拶した後クレムの手を引いて雑貨屋を後にしたのである。





            ◇





 この街には生活排水を川へ流すための地下水道が至る所に造られている。中は迷路のように入り組んだ造りになっていて、安易に入り込んだ素人が出口を見つけられずにのたれ死んだなんてのは裏社会ではよく聞く話だった。



「あんたみたいな人間もここを使うんだな」


「それは公爵令嬢としての私のこと? だとしたらその認識は改めた方が懸命だわ」



 蝋燭のランタンを片手に水路の横の細い通路を歩いて進む。後ろをのそのそと着いてくる大男の気配はなんだか妙に焦ったい。距離感を測りかねている感じ。貴族と関わる機会なんて早々無いだろうから気持ちはわからなくもないけれど、これをずっと続けられると仕事に影響が出そうだからやめてほしいというのが本音である。


 私は公爵令嬢と言っても養子であり、元は貴族とは縁もゆかりも無いただの平民の娘。根本にあるのは五歳までに培われたオデュッセの後継者としての価値観で、それ以降のものは付属品に過ぎないのだと私自身は常に思っている。



「私はメイアン・オデュッセ。それ以外の何者でもないの」


「悪いがその感覚はわからんな。俺からすればどんな格好をしていてもあんたは貴族のお嬢様にしか見えない」


「それでいいわ。今は、ね」



 地下水道の地図は私もクレムも頭に入っていた。だからお喋りをしながらも迷うことなく進んでいき、半刻程歩けば街の防壁すら超えた先の川沿いの森の中に出る。ここから問題のリースの村までは歩いてもそれほど距離はない。


 村から北へ進んだところには昔山が削れてできたとされている岩場の洞窟が存在する。盗賊が身を隠すにはちょうど良い場所だろう。もちろん、これから向かうのはそこだ。火を消したランタンを地下水道の出口付近の茂みに隠し、私たちは森を行く。



「なぁ、盗賊は全部殺して良いんだよな?」



 不意にそんなことを言い出すから立ち止まって振り向いた私は、月明かりに照らされたクレムの姿に一瞬目を奪われた。白い毛並みがキラキラと輝く彼はまるで白狼のよう。



「構わないわ」



 私はそう返して「けれど」と正面からその男を見る。



「貴方に信念が無いのなら引っ込んでて」


「信念だと? そんなもの、俺たちに必要だとは思わないが」



 依頼を受けて動く私たちの仕事は大半が殺しだ。表には出せない裏の仕事。この世界は中には殺しを楽しむような人間も一定数いるわけで、そういう奴らは総じてオデュッセの血を毛嫌いしている者ばかりだった。戯言(たわごと)の一族。そう揶揄されることもしばしば。


 

 けれど私は、その戯言が好きだ。


 オデュッセの教えが好きだ。


 在り方が好きだ。


 そう在るための歩みが好きだ。



 どんな理由があれどこの仕事は悪であり、行き着く先は地獄だとしても。私はその過程に胸を張れる人間でありたいと思うのだ。断頭台で恐れも未練も何一つ見せなかったあの父のように。



「この依頼はあくまでも私のもの。言うことが聞けないのなら私は貴方から黙らせる」



 森に風が吹き抜ける。長い髪が顔にかかっても私はその視線を逸さなかった。視線の先ではほんの少しだけ目を見張ったクレムが息を飲んでいる。そして。



「……わかった」



 風が止んで聞こえた声はどこか緊張を孕んだものだった。そのまま降参とばかりに両手を開いて頭の横に上げ、長く息を吐いてから彼は頷く。

 


「あんたを怒らせるなって爺さんにも言われてる。俺には信念って奴は無いから今回は大人しく見学させてもらうよ」


「クレム、貴方、本当に素直ね」


「それは……この仕事に向いてないって言いたいのか?」


「いいえ。寧ろ向いていると思う。人の話を聞けるのは利点だわ」



 癖の強い人間が多いこの裏社会で他者の意見を受け入れられる者がほとんどいないことを私は知っている。その点クレムの素直さは無用な争いを避けるにはこれ以上ない才能だ。それどころかこういう人って可愛がられるんじゃないだろうか。私もたった今彼を少しだけ見直したくらいである。



「まぁ、あんたの仕事が見られるってだけでも価値はあるからな」


「……そう。光栄ね」



 いや、でも、ちょっと素直過ぎじゃないの。こんなんでこの人これから大丈夫なのだろうか。いつか悪い人間にコロッと騙されてしまいそう。ドットルの言っていた危なっかしいってもしかしてこういうことだった?


 少し距離のあったクレムが歩いて私の横に並ぶ。見上げるほどに背の高い彼が「行かないのか?」と小首を傾げる仕草はなんだか体の大きさに似合わず可愛らしくて思わず凝視してしまった。これを素でやっているのだからクレムは恐ろしい男である。





 さて、そんなやり取りを終えて森をしばらく歩いた先で私たちは盗賊が身を隠していると思われる岩場の洞窟に辿り着いた。木の影から様子を伺っていると短時間でも数人の出入りを確認し、更にそいつらの口からイリエスタ男爵やリースの村の領主の名が出たことで当たりであることを確信する。


 しかし、流石に洞窟内まで着いて来られると私よりもクレムの方が目立つので標的になってしまいそうだ。そう懸念を告げるとすぐに問題ないと返ってきた。曰く、自分の身は自分で護れると。それならまぁ、いいでしょう。



 出入り口付近で屯していた数人はナイフを投げて一撃で絶命させる。こうするのはもちろん投げたナイフを回収し易くするためだ。私の隠蔽魔法は物を手元に戻さないと効果が無いものだから道具の回収は必須なのである。


 魔法というのは千差万別、誰でも何かしら使える便利な能力だけど結局は身体機能の一つなわけで汎用性は低いものばかり。あとはそれを何に使い、どう生きていくかだ。



 迷わず洞窟へ足を踏み入れると当然ながら突然の侵入者に内部は一気に騒がしくなる。弓矢を持ち出す者、剣を構える者、松明を掲げる者、水の入った桶に手を伸ばす者。きっとそれぞれが持つ魔法に合った道具を手にしているのだと思う。事前の情報で数十人規模と聞いてはいるが、それだけの数となると危険な魔法が飛び出してきても不思議じゃない。気を付けよう。


 対する私の武器は小型のナイフが六本のみ。魔法も直接戦闘に役立つものではないから頼れるのは基本己の体ひとつである。



「それでは、お命頂戴致します」



 ただ真っ直ぐに駆け抜けた洞窟内で私は瞬時に体勢を低くし、片足の爪先を軸にくるりと方向転換した。横を走っていたクレムはもちろん、後を追ってきていた盗賊たちが驚く表情が目に入る。

 けれど次の瞬間にはそこにいた敵は残らず首を深く斬られてバタバタと倒れ出す。彼らの背後にふわりと降り立った私の両手にはナイフが一本ずつ。魔法も使われる前に仕留めてしまえばそれはただ人間と同じ。数十人の素人相手に後れをとるほどオデュッセの人間は弱くない。


 洞窟の奥から飛んでくる氷の矢を血の付いたナイフではたき落とすと同時にまた走りだす。驚いたまま佇むクレムの横を駆け抜けて、氷の弓矢を持った男の背後に回って左右から首にナイフを突き刺した。次。

 松明の火を操る男を足を引っ掛けて倒し燃やす。桶の中の水を球状にして打ち出してくる男の攻撃は回避して懐に飛び込み喉をひと突き。


 次から次へと挑んでくる盗賊を一人一人丁寧に葬っていく私を側で見ていたクレムがどう思ったのかはわからない。それは時間にして四半刻もなかったと思うけど、あらかた片付いた頃には私は返り血で汚れきっていた。



「怪我はない?」


「あ、ああ。というか、俺は何もされなかったよ。みんなあんたしか見ていなかった。俺も……」


「それならよかった。あとは」



 ふと奥に目を向ければ、大剣を手にしながらプルプルと情けなくも震えた男が姿を現した。派手な装飾品、立派な大剣。一目でこの盗賊のボスだと理解する。その顔は真っ青で、震えの正体は明らかだ。



「ば、化け物……!てめぇみてぇな化け物がなんでこんなところにッ……!!」


「依頼よ。私は依頼を断らない主義なの。人の恨みを買ったのが最後ね。私のことは――どうぞ、あの世で恨んでくださいませ」


「ヒィッ!」



 タンッと地面を強く蹴って一瞬で距離を詰めれば、がむしゃらに振り抜かれた大剣が魔法によるものなのかぐにゃりと形を変えて目の前に迫っていた。それを男の頭に手を乗せて逆立ちして回避する。そのまま首を一捻り。実に呆気ない幕切れね。



「あとは外に出ている人たちだけど……すぐに戻って来るかしら」



 探しに行くのは手間でしかなく、時間もかかる。待っているのが一番効率的だ。そう思って一先ずナイフと自分にベッタリと付いた血を魔法で消していると、側に来たクレムが何かを差し出してきて私は彼の手の中に視線を落とす。



「ナイフ?」


「あんたのナイフはよく見てないから再現はできなかったけど、これが俺の知っている中で一番合うんじゃないかと思って」



 服を綺麗にしてからそれを受け取ってみた。軽すぎず重すぎず持ち易く、全体の均衡が取れた真新しいナイフだ。先程の言葉からするに彼の魔法で創られたものなのだろう。実に良い仕事である。

 サッと横に向かってそれを投げると、戻ってきたところだった残党の額にサクリと刺さって倒れていった。すぐに白い光を伴って消えてしまう、残らない凶器。



「やっぱり、凄い魔法ね」


「あんたにそう言ってもらえると……その、嬉しい」



 ――あれ?



 違和感は確かにあった。戦っている時に感じる視線とか、そこに宿る熱とか、そわそわと落ち着かない雰囲気だとか。クレムの私を見る目は先程とは明らかに変わっている。



「よかったら……これからは、俺の道具を使ってくれないか。って言っても俺の道具はすぐに消えてしまうから仕事に同行させてほしいってこと、なんだけど……」


「え……」


「っああ、悪い、えっと、急に言われても戸惑うよな……」



 確かに戸惑うけれど。それよりも、この短時間で彼の中でいったい何があったのかということの方が気になって仕方がない。


 私を貴族の令嬢と少なからず下に見ていた男が。私が信念を掲げることを疑問に思っていそうだった男が。何故今目の前で顔を赤くして狼狽えているのか。



「その……あんたが、あんたの戦いが、あまりにも綺麗で……魅せられた」


「それは、」



 良くない傾向だ、と言おうとして前に出されたクレムの手のひらに止められた。



「わかってる。あんたはどうあがいても犯罪者だ。あんたが言いたいことも理解しているつもりだよ。だが……」



 私の目の前で懺悔するみたいにクレムが膝を付く。何を馬鹿なことを言っているんだと突き放すことくらい簡単にできたはずなのに、この時の私は見上げてくる彼の視線をジッと見返すことしかできずにいた。裏社会にいる人間にしては真っ直ぐすぎる視線に見入ってしまったのかもしれない。

 


「俺の魔法を使ってほしい。こんなことを言うのは烏滸がましいことだが、あんたにこそ使ってもらいたいんだ。そして可能ならあんたが大切にしている誇りと信念を俺にも教えてほしい」



 クレムはとても素直な人だ。素直で純粋で、信じ込みやすい。そんな彼の目に私はいったいどう映ってしまったのだろう。聞くのは少し躊躇われて、結局私は聞かなかった。

 


 ドットル、ごめんなさい。どうやらクレムにとっての悪い人間は他ならぬ私だったみたい。



「……地獄まで付き合ってもらうことになるけど、良いのかしら」


「もちろんだ。ありがとう、メイ」



 言った途端に立ち上がり距離を詰めてきたクレムによって体を掬い上げられた。背中と膝裏を支えられて、服越しに体温も伝わってくる。まるでお姫様にでもなったみたい――なんてことを私が思うはずはなく、頭はすぐに切り替わったけれど。



「残党を片付けたらすぐに領主の家に向かいましょう。夜が明ける前には帰らないといけないの」


「公爵令嬢は大変だな」


「本当に。でも、良い隠れ家なのよ?」



 優しいお父様と少しお節介なお母様、血の繋がらない妹を可愛がってくれる二人のお兄様。息が詰まりそうなほど温かくて穏やかな公爵令嬢という生き方はきっと多くの者が羨むものなのだろうと思う。けれど。


 私はそれを利用する。代々国王に仕えた暗部の一族、オデュッセがまた上り詰めるために。闇の中からひっそりと、じわじわと、しかし確実に。





 残党退治は待っているだけのとても退屈なものだった。でも、最後の一人にもう他に残っている仲間がいない事を入念に確認したから大丈夫。その後はすぐさまリースの村の領主に会いに行き、特に手こずる事もなくサクリと始末して帰路に着く。日が昇るまでにはお屋敷に帰れそうで安心した。



「これはまた……随分と懐いたものだ」


「貴方のお孫さん、純粋すぎやしませんこと?」



 領主の家、帰りの地下水道を経て雑貨屋に戻った頃、ついに引っ付いて離れなくなったクレムの姿には流石に私も苦笑せざるを得なかった。最初に対面した時の印象とはかけ離れすぎていて。なんだか大型の動物に懐かれた気分。地面に降ろしてくれたのはいいものの、後ろから肩に回る太い腕と視界の隅にチラつく白髪は少し鬱陶しかった。



「爺さん。俺、この店も、この人のことも、頑張るから」


「ん? あ、ああ……だがそいつは……」


「言うな。わかってるから」



 肩に回された腕がぎゅうぎゅうと締まる。鬱陶しい上に暑苦しくて少し痛いのだけど。これからずっとこんな感じなのかしら……という私の懸念は見事に的中し、この日から長く続くことになる私たちの関係は何を間違えたのかこの距離感で進んでいくことになる。


 

 家族でもなく、恋人でもなく、ただ一人の共犯者として。


 私たちがいずれ地獄に落ちるまで。




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