チョコレートはツチの中②
「こんばんは、明美さん」
『――明美さん?』
「ごめんなさい、師匠」
静かで圧のある声がスマホ越しに聞こえてくる。咄嗟に謝った俺に呆れて息を吐き、明……師匠は退屈そうに言った。
『あ、そういえばチョコ送っといたから、ホワイトデーに返しなさいよね』
「……ん? え? チョコ、ですか?」
『今日はバレンタインでしょう? なに、忘れたの?』
「ああ、いえ。まさか貰えると思ってなかったというか……送った、とは?」
『伝書烏に送らせたわよ。今は和歌山で休憩中らしいから、多分、明日になったら届くと思うわ』
「ありがとう、ございます?」
『三倍返し、よろしくね』
いつも通りのはずなのに、なぜか艶めかしく聞こえる声で言う明美師匠。いったい何を送ったんですかね……? ……もしかしてゴディバか? ゴディバなのか? 三倍の額を払える金なんてないぞ。バブル期め、許さん。
『送ったのはラゾン・メゾン・デュ・ショコラのトリュフ・コニャック……ってのは置いといて、さっさと今日の修行を始めるわよ』
なにそれ呪文? と思い、パソコンの検索エンジンをふかす。「ラメゾンデュショコラノトリュフコニャック」……価格、一万八百円(税抜)……!? これの三倍額を払える金なんてないぞ。新手の当たり屋だろこれ!
そこまで考えて思い出す。普段の言動で忘れがちだけど安倍明美、ブラックカード持ちの超お嬢様だった。世の中理不尽だよ。
『――基本的に妖は、人の何かを食べて生きる生命体だから仕方のない話よね。……ねえ、ちょっと聞いてるの?』
「え、あ、はい」
『ふぅん? じゃあ、わたしが言ったことを復唱してみなさい』
「あ……ごめんなさい」
『聞いてないじゃない。まったく、やる気あるのかしら』
そして再び同じ説明? をしてくれる明美師匠。曰く、陰陽師の仮想敵になる妖と呼ばれる存在は、昔ながらの妖怪や幽霊などのオカルト界隈では見慣れた姿で出現するものの、必ずしも同一存在ではないということ。
黒環さんから天津餓狼と呼ばれたあの餓狼は、日本以外で存在が確認されており、ジェヴォーダンの獣やらダイアウルフやらと呼ばれているらしく、日本のこの地域ではかつて天津餓狼と呼ばれていたから、かろうじて日本の生態系に適したあの姿であったと、東京では研究されているのだとか。
似た事例としては、八岐大蛇が挙げられる。インドのナーガや、ギリシャのヒュドラが同一存在として言われているが、各々の性質はまったく異なる。これは口頭伝承による二元論の性質変化が関わってくる。
ここから先は難しい話になるので省略するが、まあ簡潔に言ってしまうなら「人のイメージが妖の姿に直結している」という話だ。八岐大蛇は多頭の大蛇、吸血鬼は人の血を吸う悪魔、などなど。妖は人のイメージによって姿や性質を変える。現代まで生き残っている妖ほどパブリックイメージに近い姿を持っている。
この性質が災いしてか、妖という生命体は人の感情に最も近い存在になった。妖は人の肉や血、感情を糧としている。人に害をなすモノや人と共存するモノ、方法は多種あれど、人の何かに依存しているのは共通事項だ。
だからこそ陰陽師という存在が人類の生活圏を守護し、人に害をなす妖を排除しなければいけないのだ、と明美師匠は締め括った。
『今日アンタに課す課題は、アンタの地域に存在する、人に害をなす妖の掃討よ』
「は、え? 掃討、ですか? 一人で?」
『当然じゃない。アンタの他に誰が近くにいるの?』
「マジすか師匠」
『返事は?』
「はい」
マジすか師匠。鬼かな。一人で巡回なら兎も角、掃討って。キャパシティって言葉知ってる? 見習い陰陽師にやらせるような課題じゃないと思うよ?
『安心なさい。アンタの家付近の妖は事前に調査して、アンタ一人でも対応できる程度の妖を残して、他は掃討済みよ。アンタなりに妖を見極め、退魔の任務をこなしなさい』
いつやったんだよ。すごい通り越して、もう怖いよ師匠。というか、明日も連絡する予定が入ってたよね。こういう時って、いつも新しく課題が出されることが多いんだけど……いや、まさかね……
「期限は、まさか今夜だけ、ってことは……」
『あら、察しがいいじゃない。期限は今夜。頑張って掃討しなさい』
「……っ、〜〜〜〜!」
『返事は?』
「……はい……」
徹夜コースか。明日も学校あるんだけどな。ま、でもこれまで無理な課題を、明美師匠から出されたことはない。今回も大丈夫だろう、と思っておこう……うん。
『さ、というわけで行ってきなさい。わたしはもう寝るから、成果は明日にでも教えてちょうだい』
「はい……おやすみなさい」
ぶつ、と電話が切れる。スパルタとは聞いていたが、まさか開始数日で放り出されるとは。放任主義なのか、もしくはこれが陰陽師の育て方なのか。陰陽師の世界って怖い。
「さて、行くか」
クヨクヨしてても、しょうがない。さっさと終わらせて俺も寝よう。おばあちゃんを起こさないようにソロソロと靴紐を絞めると、家の外に出た。
「行ってきます」




