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悲観楽土 〜高天原には、神はいない〜  作者: 光合セイ
バレンタイン特別章

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チョコレートはツチの中①

 ――聖バレンタインデー。それは家庭と結婚を司るローマの女神・ユーノーを祝うルペルカーリア祭を、キリスト教圏の文化として取り入れた祭日。


 日本においては伝統的に、男性が女性からチョコレートを受け取る日、と定められている祝日であるが、昨今の日本においては女性同士で義理チョコを渡し合う、恋人同士がイチャコラする、家庭の大黒柱にチョコを渡す、などなど。俺にとっては何の意味も目的もないハレノヒである。


 おばあちゃんに渡せば良いのでは? という疑問の声が聞こえてくるから、お答えしよう。最近、マジで家にいないのだ。朝、目を覚ます時には家を出ている。昼は最近、俺が学校に通っているから会えない。夜、俺が帰る頃にはパートの疲れからか、ご飯を作った後すぐに床に着いている。俺が帰る頃には床の中だ。早い。

 仕方ないので冷蔵庫にチョコを入れ、明日気づくのを願って俺は息を吐いた。それが、俺のバレンタインだ。俺にとっては祝う日ではなく敬老の日や誕生日に次ぐ、おばあちゃんを労るための日。俺の中の無力感が育っているのを、ひしひしと感じる祭日なのである。


 これは餓狼との戦いを経て、俺の日常が少し変わった後の話。具体的に言えば、そう。本編より少し時を遡り、俺が神祇専門高校に進学するより前の話――



◆◇◆◇◆



 その日の天気は雨だった。雲から滴る一滴の水がブレザーに当たり、俺の肌から鳥が立つ。傘をさしてるのに何で? と思うのも束の間、ビチャリと踏んだ水たまりで靴が浸水し、靴下までじんわりと冷たくなる。


 俺の隣を通過する車も、心なしかゆっくり動いている。車道の水たまりを飛ばさないためだろうか。歩道を歩いてる身としてはありがたい。


「高原くん! おはよう!」


 いつの間にか過去の傷を克服しつつある俺の心への感傷に浸っていると、背後からぺちゃぺちゃと走っていくる長靴の音を聞いた。挨拶してきたのは、クラスメイトである渡辺晴香(わたなべはるか)だ。


「あ、おはよう、渡辺さん」

「はいチョコあげる。今日はバレンタインだからね!」

「え、ありがとう。……そうか、今日バレンタインか」

「あ、義理チョコだよ?」


 言われなくてもわかってます。義理チョコでも、嬉しいものは嬉しいのです。貰った事ないからね。元引きこもりだもん、俺。


「あ、そういえば渡辺さんって、いつ東京に行くんだっけ? 高校入試の会場って東京だったよね?」

「一般入試は二月下旬だね。でもこの前推薦で受かったから、もう試験は受けなくてもいいんだ」

「え、あ、そうなんだ。……おめでとう?」


 そういえば最近の面接は、ネットを介した物が主流だと言われている。そうか、面接会場に行かなくても試験が受けられる時代なのか。現代ってすげー。


「ありがとう。高原くんの方は、試験は大丈夫なの? 確か千葉県の高校なんだっけ。準備は出来てる?」

「俺の方も、ほとんど推薦入試に片足突っ込んでるような物だし、まぁ多分大丈夫だよ」


 ほぼコネ入学になるからね。安倍家のツテ万歳。俺の偏った知識では一般入試は通過出来ないし、面接をすることになってもキチンと受け答え出来るとは思えないし。通信制以外の高校に進学するには、これしかないよね。


「そうなんだ。一緒に東京に行けるといいね!」

「あはは、そうだね」


 頑張って試験を受けた渡辺さんに負い目を感じながら、俺は笑うことしかできなかった。



◆◇◆◇◆



 午後四時。今更受けても味のしない授業を終え、俺は一人学校を出る。他の生徒たちは、持ち込み禁止と言われたチョコを隠し持ち、ある者は渡しに、ある者は心を浮つかせながらチョコレートを待っている。哀れ。

 俺にとって関わりのなかった人たちが紡ぐ、三年間の最終イベント。おじゃま虫は退散す、あとは若い人たちでどうぞ、とばかりにこっそりクラスから抜け出し帰宅した。俺にはあげる人もいなければ、用意したチョコもない。一番哀れ。


 見知らぬ誰かが事故を起こした結婚記念日。隣の家の優しいおじさんが入院した誕生日。そんな、何処にでもある祭日を過ごしながら、俺は日常的になりつつある下校路を歩く。


 朝の雨は止んでいた。昼頃には雲は晴れ、虹が架かっていたそうだが、俺はそれを目にすることが出来なかった。俺の教室は日のある方角。虹が架かるのは逆方向だったのだ。なんて間の悪い。そんな悪運が憑いてるからこそ、きっと俺は一人なのだろう。


「甘い……」


 渡辺さんに貰ったトリュフチョコレートを舐める。口内が少し幸せに包まれた。少しずつ溶けていくトリュフを、コロコロと舌の上で転がす。歯が寂しくなったので噛み砕いた。じわり、と甘さが広がる。


 だという、のに――


「……」


 何処となく、心にぽっかりと穴が空いたような感覚だった。口に含んだチョコレートが、その穴を埋めようとしているが、足りない。沈下した地面を埋めるには、土もコンクリートも足りなかったような。そんな感覚。


「すぅ――は、ぁ――」


 西に落ちる太陽を見る。地平線に沈んでいくのが見える。科学者でも宗教に入信することがあるように、人は何かに縋ることで心を満たす生き物だ。……俺には、何があるのだろう。人の好意も、誰かの施しも、チョコの甘さも。俺を満たすには不足らしい。


「……帰るか」


 ここで立ち止まっていても意味がない。振り返っても、誰もいない。俺には、誰もいないのだから。



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