33話 リストバンド
「……高原、大丈夫か?」
「朝からずっとぐったりしてるよね……」
「大丈夫〜……」
「大丈夫じゃなさそうな声をしてるねぇ」
リストバンドの効果に疲れ、机に突っ伏している昼休み。
鞄から出した弁当も喉を通らず、仕方なく弁当箱を鞄の中に突っ込んだ。
……腹は減ってるのに、食欲が湧かない。
米の匂いが鼻腔をくすぐると……米農家の方に申し訳ないが……吐き気がするほどだ。
余程疲労が溜まっているのだろう。
「このリストバンドのせい、ですかね……?」
「あまり迂闊に触らない方がいいよ」
「え、もうさ、わへぇ……」
「「芦屋ーっ!?」」
倒れ込む芦屋に長門と倉橋が抑え、体勢を立て直す。どうやら転倒は免れたようだ。
一方その頃マイペースな卜部は、まじまじと俺の腕を覗き込んでいた。
「へぇ……呪いが込められているのかぃ?」
「らしいよ。くれた人曰く、死ぬことはない修行用なんだってさ」
「ふーん……ちょっと見せて貰ってもいいかぃ?」
「いいけど、あまり触らないでよ? 芦屋るからね」
「もちろんだとも」
どうにか気を取り戻した芦屋から抗議を受けつつ、俺はリストバンドを机の上に置いた。
「……ふぅん。シャーマンの呪いに近いねぇ。テカムセの呪いかなぁ?」
「いや、少し違う。……けどアメリカの神秘に違いはないだろうな」
「長門くんも、わかる口かぃ?」
「ああ。長門家の降霊術は、インディアンのシャーマニズムと似ているからな。少し研究しているんだ」
と、卜部の分析に割り込んで話し込む長門。
それを尻目に、俺はぷんぶん怒って抗議してくる芦屋を、倉橋と一緒に宥めていた。
「生地の種類は、わかるかぃ?」
「人工布にも見えるけど、厚みからして間違いなく天然物だな。カシミヤとか、か?」
「カシミヤだとしたら、糸の間が狭く見えないかぃ?」
「ふむ。高原、裏を見せてくれないか? 原材料が知りたい」
「え……? 原材料は書いてなかった気がするけどな。……生産地は書いてたと思うけど、ほら」
長門に言われ、俺はリストバンドを捲って裏返した。
もちろん原材料は書かれていない。そこには、見えずらい卵色で『MADE IN CELAENO』と書かれているだけだ。
「めいどいん、しー、いー、える……」
「CELAENOと書かれているな」
「ケライノーとも読むわね、それ」
次に割って入ったのは倉橋だった。彼女は自信なさげに「えぇと……」と言葉を詰まらせながら言う。
「確か、ギリシア語由来の言葉、だったはずよ。意味は、えっと、黒い女、だったかな?」
「クトゥルフ神話にもあった、と思うよ。セラエノ大図書館、だったかな」
次々出てくる新情報。そのリストバンドのせいで、脳みそ諸共疲れている俺には、もう付いていけない。
「あ、あとクトゥルフ神話で黒と言ったら、ナイアーラトテップですよね! 化身の殆どが黒色か闇に関係してますし!」
「リストバンドは白いから、あまり関係なさそうかな」
「…………うぅ、確かに」
「ふむ……ここが我々の限界点か。あまり高原の助けになりそうな情報は出なかったか。こういうのも何だが、残念だったな」
そう言って長門は俺の肩をポンと叩く。
どことなく声が優しい。メガネ系イケメンめ。俺が同性で良かったな。性根が暗い人間は、一度異性に優しくされると惚れるんだぞ。気をつけろ。
「セラエノ……地球上に、そんな名前の地域なんてあった覚えはないんだけどねぇ」
「ケライノーは、プレアデス星団の恒星のひとつよ。家で嫌というほど覚えさせられたから、間違いないはず……」
「倉橋さん家の専門って、暦学だったっけ」
「ええ、そうよ。こっちは庶家出身だっつーのに、無理やり覚えさせられたんだから……」
すっごい気持ちわかるわぁ。
俺も高尾山で修行漬けの日々を送っていたから、毎日筋肉痛との戦いだったし。普通の人間と陰陽師は、恐らく根本的に生活が違うんだろうな。
「……と、ごめんなさい。つい愚痴を」
「はっは。ここにいる殆どの人間は、倉橋の気持ちがわかる。悪く思う必要はないさ」
口を押さえて黙った倉橋に、長門が笑いながら言う。
確か長門も中学校までは普通の生活を送っていたんだっけ。名門だけど、どこも似たような感じなんだな。
てか、すかさずフォローに入るあたり、やっぱり性格もイケメンだな。見習うところが多そうだ。
「俺も慣れない修行の毎日を送ってるからね、倉橋の気持ちはわかるよ」
「それは、そうよね。だからそのリストバンド付けているんだものね」
「あ、アタシも普通の生活を送ってたよ! ……オカ研に入ってたこと以外は……」
「研究熱心だねぇ。僕は部活はサボってたよぉ」
「あ、皆んな部活はどうするの? 確かこの学校もあったよね?」
「あー、確かに」
そうして、話題はリストバンドから部活へと移った。
俺は疲れて眠い頭を必死に回しながら、話題についていく。これが学校生活か、なんて思いながら、俺は難波先生が戻って来るのを待つのだった。
◆◇◆◇◆
「難波先生。こんにちは」
「仁黒先生。珍しいですね、貴方が職員室にいるとは」
「ええ、難波先生に少し用事がありまして」
お昼休みの職員室。
コンビニ弁当に付いてきた割り箸を置いて、難波は食べる手を止めた。
そして彼女に話しかけてきた白衣の男性教師に向かい合う。
仁黒理保険主任。
普段から柔らかい笑みを絶やさずにいる、この学校で唯一の非術師教師だ。
国から派遣された保険医であり、入れる教室も制限されているためか、基本的に自分の職場である保健室から出てこない人なのだが……
「私に?」
「ええ。昨日、保健室に来た男子生徒がいたでしょう? その後、体調に急変がないかなどを尋ねたく」
「ああ……確かに報告に行かせるべきでした。報連相を怠ってしまい、申し訳ありません」
「いえいえ、先生も忙しい人なのはわかっていますし! ……それでその、大丈夫でしょうか?」
仁黒は昨日、保健室に運び込まれた男子生徒……高原天に「大丈夫」と言ってしまった手前、念の為の経過観察をしに来たといった風だ。
外傷、内傷ともになし。しかし陰陽師のことには疎い故に、完全な結論を出せるわけでもない。だから、なのだろう。
「ええ、問題はないと思います。……ただ、家の人から妙な修行を課されたそうなので、それが原因で、また保健室のお世話になることはありそうですが」
「なるほどなるほど……でしたら、何かあったら保健室を頼ってください、と彼に伝えてください。無理は禁物ですからね」
「ええ、伝えておきます」
難波がそう言うと、仁黒は満足したように職員室から出ていった。
「ふむ……高原も、難儀な人生を送っているな」
入学前は、九州の地方都市で事件に巻き込まれ、それが原因で安倍を頼って陰陽道入り。
入学初日で保健室送りにされるとは、文字列だけを見たら波乱万丈な生活を送っている、と言わざるを得ない。
「子供は健やかに育っていればいい。間違っても、変な事件に巻き込まれる必要はないのだがな」
難波の呟きは、昼休みの暖かな陽気の中へと溶けるように消えた。




