29話 小焼けは消えた
太陽の沈んだ東京駅。
雪は溶けても星の周期は変わらず、肌寒い夜はそのままだ。
ビル風が抜ける大都会の真ん中は、特にその影響を感じる。やっぱり九州って暖かいんだな……
地元に想いを馳せつつ、しかしホームシックにはならない程度に感情をコントロールしながら、駅前広場をゆったり歩く。
時刻は既に七時半を過ぎている。
どう考えても、帰宅時刻が九時を回りそうだ。しかし『まぁそれでもいいや』なんて考えてしまう程度には、気持ちがふわふわとしていた。
「……やっちゃった」
いやぁ、やらかした。
なんせ俺の通学路に、東京駅は含まれていない。
館山から新宿で下車し、新宿から高尾まで中央線で一本で行けるのに、東京駅に寄る必要がないからだ。
「いやまさか、逆の電車に乗ってしまうとは……」
高尾駅に行く電車の逆方向。
その終点が東京駅である。
電車慣れしてないのが致命的だった。
せっかくなら、と。東京駅で降車し、あの日見た風景を今度は夜景で望む。
「ふぅ……」
クラスメイト達とは既に別れ、一人慣れない街の景色を眺める。
上京した時にも見た光景は、夜になると木々がライトアップされ、また一段と違う風景に変わっている。
未だに長袖を着ている人もいれば、半袖で街を練り歩いている人もいる。
暑いのか、それとも寒いのか。曖昧な気温を肌で感じながら、俺は花壇の淵に座った。
「疲れた……」
都会は歩くだけで疲れる。如何にも田舎者な感想だ。しかしこの空気は慣れない。
音のない部屋。耳鳴りのする居間。水の音もしないキッチン。
そんな光景に慣れ過ぎていたのか、多くの人が闊歩する東京駅前広場は、俺にとっては轟音に等しい。
「おばあちゃん、元気にしてるかな……」
地元に置いて来てしまった祖母は、出立の日にはキチンと見送ってくれた。
優しいが、芯のある祖母の事だ。変な詐欺には引っかからないとは思うが、大丈夫かな……
「――うぁ?」
学生服の胸ポケットから、ひょっこりとシトナイが顔を出す。
青い服の小柄な相棒は、心配そうに俺を見上げ、落ち着くようにとぽんぽん服を叩いた。
「……宥めてくれてんのか?」
「だッ」
「ありがとな。あとごめんな、俺の判断ミスで放出禁止されちゃって」
「うぅ……」
シトナイも『やり過ぎた』と反省しているのだろう。
ポケットに顎を掛けて項垂れている。
課題は山積みだ。出力の調整、新戦法の開拓、俺自身の強化などなど……
「一緒に頑張ろうな」
「だぁ!」
……少し、ノスタルジックになり過ぎた。
気持ちが沈んでは、元も子もない。
頰を叩いて乾いた音を出し、心機一転、気持ちを入れ替えて立ち上がる。
「――よし、帰るか」
休憩は終わりだ。今の住所は八王子。東京駅からでも一時間は掛かるだろう。
モタモタしていたら夕飯が無くなる。
東京駅から八王子までは、中央線快速で一本だ。さっさと帰ってご飯を食べよう。
「……うぁ?」
――と。
クイクイとネクタイを引っ張られた。何事か、とシトナイを見やる。
この先を見ろ、とでも言わんばかりに、ぶんぶんと針を抜針して振っていた。
「……ん?」
丸の内駅舎から見て真正面。
皇居へと続く並木道。
特に何もない、何も感じない。
「なんかあったか?」
「う、だァ!」
今度は両腕を振って、事の大きさを伝えようとしてくる。
しかし残念、まじで何を言ってるのかわからない。
コミュニケーション能力不足とは、また違ったもどかしさを感じる。
「案内してくれるか?」
「バッ!」
言葉が通じないなら、行動で示すべきだ。
一に対話、二に実行。
……三以降? 今の所ないですよ?
「よし、行こう」
俺はポケットの中の相棒に案内され、東京駅から歩き始めた。
◆◇◆◇◆
シトナイは感知能力が高い。
修練場……山姥の隠れ家での修行を、毎日行っていた身からすれば、何度それに助けられたことか。
幽霊は姿を隠せる。
師匠曰く、エーテル体は互いに物理干渉が出来ない代わりに、精神的な攻撃を仕掛けてくる。
俺もやられた、生命力の吸収がそれだ。
そして実体を隠す事も可能で、肉眼で見ることが出来なくなる。
無論、相手も此方に干渉出来なくなるらしいが、見えなくなるというハンデは相当な物だ。
あのクソ悪霊め。
一向に成仏する気がないのがウザいが、それもシトナイの感知で全て暴けるが故に、俺は怒ることを忘れた。
そう、シトナイは見えない物を感知することが出来るのだ。
接触される前に感知、撃退がいつもの流れ。
俺では気付けないことも、シトナイがいれば大体わかる。式神万歳。ありがとうシトナイ。
「こっち……?」
「うぁ!」
俺の問いに、シトナイは頷いた。
そうは言っても、この先は路地裏だ。スプレーで吹きかけた落書きや、多くのポイ捨てゴミが放棄されている。
こんなところに何があるんだ……?
「う!」
ここ! と針を向けているが、この先は袋小路。何かあるとは思えないし、夜なだけあって雰囲気が怖い。
「な、なぁシトナイ? もう帰らない?」
「やーッ!」
「やー、じゃないんだよ。今度でも良くない? 土日だったら予定はな……修行があるんだっけ」
明日からは本気出す、で本気を出す例の方が少ない。やるなら今日のうちに済ませるしか、ないか……
「はぁ……厄日だ」
唯一の攻撃手段は禁じられ、第一印象でヘマをして、いま現在何かに巻き込まれようとしている。
これを厄日と言わずして、他に何が起これば厄日になるのだろうか。……想像もしたくない。
ハードルは低めにしていこう。後が怖い。
「で、ここに一体何が――」
――キィィィン、と。
甲高い音が鼓膜に響いた。
「え?」
金切音に近い、長い音。
警報にも似た、音の波。
冷や汗が、吹き出る。
鳥肌が、聳え立つ。
心がざわめき、危険を知らせる。
これは、間違いなくヤバい奴だと。
「シトナイ! 撤退!」
「ダァ!」
俺の言葉に頷き、シトナイは胸ポケットの中に顔を埋める。
暗い場所、人気のない路地。関わったらダメな物が出る条件としては、過ぎるほどに揃っている。
走る、走る――走れ!
この場から離脱しろ。一刻も早く、この死に場所から逃げ切れ!
「はぁ、はぁ……くっ」
胸が痛い。肺が一杯いっぱいだ。
高鳴る心臓が回す血流が、酸素の通りを過剰なほどに良くしている。
お陰で胸がすごく痛い。身体が揺れるたびに、肺胞がはち切れんばかりに膨れ上がるようだ。
ただ、足は止めない。
この空間には、何かがいる。
関わってはいけない物がいると。
――キィィィン、と。
また、耳鳴りがした。
チラリ、と背後を一瞥する。
きっと気のせいだろう。そんな自己暗示と共に、俺は一瞬だけ見えた光景に戦慄する。
……居たところで、おかしくはない。芦屋だって、妖怪はいると言ったんだ。なんら不思議はないけれど――
――ポゥ、と。
複数の、紅い人魂が現れた。




