22話 山姥の隠れ家
高尾山には天狗が住む。昔から聞かれる話のようで、いわゆる天狗伝説の一種である。
俺に取って天狗とは、あの餓狼との戦いで体に憑依した猿田彦が一番に浮かぶ。だが実際の天狗は、修験道の行者が神格化された存在と言われる。
つまり伝説上の存在でしかないのだ。本当に山神がいるわけではない。遠慮なく俺は長っ鼻の天狗まんじゅうを咀嚼し飲み込んだ。
「ふぅ……」
「山の上で食べる菓子も悪くないわね」
「ですねー……」
ベンチに座る俺の隣で、安倍も天狗まんじゅうをもぐもぐしていた。食べている時に口を開くな。なんでそんなに小市民感があるんだ、この安倍家のご令嬢。
「……さて、体力も回復したことだし、そろそろ行くわよ」
「修練場、ですか……」
「嫌そうな顔をしない。アンタのために来てるのよ」
「はい……」
もう疲れたんだけど。歩きたくない。けど文句は言えない。
ネガティブになるのは良くない。せっかく来たんなら、心を入れ替えないと。
「行きますか」
◆◇◆◇◆
高尾山の修練場は、山頂でも麓でもなく、山の中腹に存在する。
本来は山の傾斜の危険性だったり、信仰上の理由だったりで人の入れない領域なのだが、陰陽道の大家・安倍家ともなると修行場として扱えるらしい。
修練場までの道のりを、途中まで案内してくれたお坊さんにお礼をして、道なき道を歩き始める。
獣道、と呼ぶのも烏滸がましい。
足元は草が生い茂り、何故かぬかるんでいる歩きづらい道を、泥を凹ませながらぬちゃぬちゃと歩く。
「……あの、師匠?」
「何かしら」
「この先に、本当に修練場があるんですか?」
「疑ってるの? 寺も巻き込んで、って?」
「いやまさか。……ただ、その。修練場というには、少し人の気配がなさすぎるような……」
「陰陽師の修練場に、常時人の気配があっちゃダメでしょ。一応、秘匿組織なのよ?」
それは確かに。
陰陽師の仕事は霊地の保全、占星術の他に、妖の退治も含まれる。
この妖の退治というのが厄介で、これが無闇矢鱈と広まれば世界を混乱に陥れる面倒な物。
江戸以前の鎖国時代なら兎も角、時代がグローバルへと移ろってしまった以上、無用な混乱は世界に伝播してしまう。
そうなれば事態は日本だけに留まらず、世界の経済や文化交流などにも影響が出てしまう。
そんな時代で利益を得ているアメリカは、この事態を特に恐れており、裏から他国に対して神秘の言及への抑圧を通達しているという。
まぁ、半分以上は都市伝説でしかないが。少なくともアメリカが何かを隠しているのは事実。
妖怪異の蠱毒となっている日本列島には、重く関心の目が向けられているのだとか。
「だからって普通、こんな場所に作ります? 自然の要害じゃあるまいし、ここまで行かなくても……」
「何言ってるの。わたし達が向かってるのは、その自然の要害なのよ」
「……え」
「まさか人工物だと思った? そんなわけないじゃない。……ほら、見えてきたわよ。あそこが修練場」
安倍が指差す方向。鬱蒼とした森を抜け、ここもまた木々で天を隠された洞窟の入り口。
「――地下洞窟。通称、山姥の隠れ家よ」
◆◇◆◇◆
洞窟内は気温が低く、幽霊でも出るんじゃないかと思う程度には薄寒い。
ぴちゃんぴちゃんと、天井から滴り落ちる水が頭に肩を跳ね、頬に当たると俺の背筋を凍らせる。
少し水の匂いがするのは、天井から滴る水が原因なのだろうが、何処か曇天の空をイメージさせ、俺がすくみ上がる要因になっている。
「まさかり担いだ、足柄山の金太郎。聞いたことあるでしょう?」
「童話の話ですか?」
……このタイミングで?
心と会話の寒暖差で風邪を引きそうだ。
「そ。金太郎の母親である八重桐は上京して、京都で懐妊したんだけど、孕ませた男には家格があったせいで正妻以外との子は御家争いの元になるとして、酷い仕打ちを受けたのよ」
「はぁ……」
金太郎って、そんなディープな話だったの?
熊と相撲をとったくらいしか知らないや。
「女で一つで子供を育てられない時代だったから、仕方なく帰省したんだけど、両親は未婚なのに出産した女は家に上げられないと言って八重桐を追い出したの。まぁ、当時の価値観からしたら仕方のない話ね」
「仕方ないんですか」
「ええ。当時は男は暗くなるまで働いて稼ぎ、女は男を奉仕するっていう価値観だったから。不義の愛に傾いた女性を認められなかったのよ」
はぁ……同じ日本でも、現代と昔でそこまで価値観が違うのか。時代って怖い。
「善悪の基準がどうであれ、周囲への恨みを募らせた八重桐は変生して、山姥となった後に金太郎を出産した。その後は童話の流れと近からず遠からずよ」
「へぇ〜……それが、どうしたんですか?」
結局何が言いたいのかわからない。金太郎の前日譚を語っただけじゃないか。
……いや待て、そういえばこの洞窟の通称って、山姥の隠れ家だったような。
「源氏の侍に金太郎は勧誘されたわけだけど、そもそも何で源氏の侍がやって来たのか。答えは簡単、山姥の退治よ」
「……あ、まさか」
「山姥となった八重桐は、源氏の侍から逃げた。そしてこの洞窟に辿り着き、尚も恨みを募らせて悪霊へと変化した――」
ヒュン、と風を切る音がした。
まるで刃物が空を撫でるような。そんな、耳障りな鋭い音だ。
「それがこの、山姥の隠れ家の歴史よ」
――首に、刃物が当たった。




