20話 西から東へ
安倍に買ってもらった新品靴の代わりに、買い替える必要がなかった愛用の靴を靴箱から取り出した。
身に纏った学生服を整え、俺は家の扉を開いて、静かに呟いた。
「……行ってきます」
時刻は朝の七時二十分。
バタン、と扉が閉まった後は、家の中に虚しく響いた。
◆◇◆◇◆
家から学校までは十数分で辿り着く。
家の近くに学校があるのはいいが、今まではこれを活かせない生活を送っていた。
ここに引っ越してくれたおばあちゃんには悪いことをしたな、と思いつつ、中学三年生として登校ルートを歩く。
……と、後ろからタイヤの走る音がした。
車が、ガードレール越しに俺の隣を走って行った。
「……ふぅ」
少し肩が跳ねたが、それだけだ。
前みたいにすぐにパニックには陥らず、胸を張って堂々と歩けている。
と、少し疲れが出た。
大丈夫とは言っても、精神的な疲弊はそのままだ。
ガードレールを手すり代わりに掴み、心を落ち着けるために息を吐いた。
……その時だった。
「おはよう、高原くん!」
俺を呼ぶ、声がした。
柔らかで、耳にスッと音が入ってくるような、ハキハキとした女声。
「渡辺さん、おはよう」
俺の同級生だという、渡辺晴香だ。
昨日、安倍と話した時に、登校への再挑戦をすることを話したら、その場で渡辺に連絡していた。
だからそれを知って、俺がまた倒れていないか確認しに来たのだろう。
……正直、助かる。
俺としても、あまり自信が無かったから。他に助けてくれる人がいるだけで、心が支えられる。
……あと俺、スマホ持ってないし。
「大丈夫? 気分はどう?」
「うん、大丈夫。なんとか、ここまで歩けてるよ」
「そっか。ならあと少し、頑張って歩こう」
俺は渡辺さんの言葉に頷き、学校への道を再び歩き出す。
しばらく無言の登校が続いた後、渡辺さんはおもむろに気まずそうな顔をして言った。
「……その、聞いてもいい?」
「うん? どうしたの?」
「えっと……高原くんって安倍先輩と、どういう関係なの?」
どういう関係?
……少し難しいかもな。俺と安倍って、どういう関係なんだろう。
少なくとも、三日前までは顔も知らない仲で、急速に距離が近くなった感が否めない。
かと言って、知り合いで済ませられるような間柄でもなし。
あの関係を友人と言っていいのかわからない。多分、ちょっと嫌がられる。そんな表情が察せられた。
だから、多分――
「師匠と弟子、かな?」
「……ふふっ、なにそれ!」
事実に基づいた精査だったんだが。なんか笑われた。まぁいいか。
別に元々、取って付けられるような間柄ではない。築いていくのは、これからなのだ。……きっと、多分。
くすくすと笑う渡辺さんの笑い声に釣られ、俺は久しぶりに心地よく笑った。
二人で一通り笑った後、落ち着きを取り戻した渡辺さんが問うてきた。
「……それで高原くんは、これからどうするの?」
「これから」
「うん。高原くんが長い期間、登校してなかったのは紛れもない事実だし、色々考えなきゃいけないんじゃない?」
一応、出席日数は取り計らってもらってはいるが、それでも高校進学をするための準備は何もしていない。
それを気遣って、聞いてくれているのだろう。無論、答えは決まっている。
「東京に行くよ。やらなきゃいけないことが出来たんだ」
「わらなきゃいけないこと?」
「うん、詳しくは言えないけどね」
そこはプライバシーってことで。
そう告げると、渡辺さんは「ふーん」と頷いた。
「じゃあ、私と同じだ」
「あれ、東京行くの?」
「忘れたの? 言ったじゃん! 東京の高校に行きます、って安倍先輩に!」
「……」
……言ってたっけ。言ってたような……まずい、覚えてない。
冷や汗をダラダラと垂らしながら、あくまで無言を貫いていると、渡辺さんは何か察したのか「そうなの!」と叫んだ。
「だから、一緒だね!」
はにかんだ笑みを浮かべる渡辺さんに、俺は満開に咲いた花を幻視する。
……これが、友達同士の会話、というやつなのだろうか。俺にはわからない。
わからないが……少なくとも、居心地の悪い空気だとは思えなかった。
「うん。そうだね」
どうにも俺は、他人の笑いに釣られやすい。
◆◇◆◇◆
――時は流れ、数ヶ月後。
春の麗らかな風が誘われた夢から覚めると、山陽新幹線の東の終点・東京駅へと辿り着いた。
人が雑多し、車の通行量も地元とは比べ物にならないほど。だが少なくとも、俺はそのトラウマに押されることはない。
実家から持ってきた荷物は少ない。
そもそも荷物が少ない、というのもある。だが安倍家に手伝ってもらい、既に寮に荷物を運んでもらったことが大きいだろう。
だから俺は、代わりに渡辺さんの大荷物を手伝って、両手を埋めていた。
「ありがとうね、高原くん。じゃあ私、こっちだから」
「バスまで手伝うよ?」
「ううん。親戚が来てくれるから、大丈夫だよ。それより高原くん、迎えの時間は大丈夫?」
「一応……うん、少しだけ猶予はあるかな」
スマホの画面で時間を確認する。
待ち合わせまでは一時間くらいある。これくらいなら、このバカデカい東京駅でも余裕は持てるだろう。
「そうなんだ。早い到着になっちゃったね」
「ま、東京駅を見て回ろうと思ってたからね。さすがの安倍さんも、こんな早い時間に来てなんか――」
「――あら、わたしを待たすつもりかしら?」
……言った傍からこれだよ。
俺は肩から崩れ落ちそうになる気分を、すんでのところで持ち直した。
「お久しぶりです、安倍さん」
「ええ、高原くんも元気そうね。渡辺さん、手伝いはいるかしら?」
「安倍先輩、お久しぶりです! そろそろ親戚が来るので大丈夫です」
「そ。なら無理に引き留めることは出来ないわね。わたし達は退散するわよ、高原くん」
とんでもない速度で別れの時間が来たんだけど。これがタイムパフォーマンスってやつ? 感傷的にならせて? 上京ぞ?
俺は苦笑して、渡辺さんに別れを告げる。
「……と、いうわけらしい。じゃあまたね、なんかあったら連絡して」
「うん。高原くんも頑張ってね!」
「ありがとう」
約二ヶ月間、日常となっていた生活と別れ、俺はスタスタと歩いていく安倍の背後に付いていく。
「帰ったらすぐに修行に取り掛かるわよ。今日のうちに、式神召喚は出来るようになってもらうから」
「……そんなに、すんなり行くもんなんですか?」
「普通なら5歳のうちに召喚してるのよ。アンタは出が遅いんだから、テンポ上げていかないと。わかる?」
「はい、師匠……」
師匠に続いてプリウスの後部座席乗り込むと、恐らく執事と思われる老齢の男性がハンドルに手を掛ける。
「シートベルトは付けましたかな?」
「あ、はい」
俺が頷くと、男性は満足そうに頷いて発進させる。
僅かにダンディズムを感じる。かっけぇな。
目を輝かせる俺を一瞥もせずに、師匠は「あっ」と小さな声を上げて問うてくる。
「……そういえば、お婆さんは元気?」
「え? あ、はい。今日も元気に老人会に行ってると思いますよ」
見送りこそなかったが「いってらっしゃい」と書かれた置き手紙を貰った。
「……そ」
「なんなんですか、いったい」
「なんでもないわよ」
プリウスが東京の街を駆ける。
やがて車は山へと入り、都会から姿を消した。
――今この時、俺の新生活がスタートした。
第1章『天津餓狼』編 完
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