18話 仮面の下の真実
橙色の光が収まった星隠社。
セーマンの上に倒れた天は、餓狼の腹へと消えたはずの足を取り戻し、すやすやと眠っていた。
その寝顔を確認した黒環は、表情を安堵に変えると膝から崩れ落ちた。
「……黒環!」
完全に崩れ落ちる前に、近くで待機していた明美が駆け寄り、倒れる前に体勢を立て直した。
「アンタ、すごい汗じゃない」
「当然じゃ。其方もよく知っておろう? 治癒術は、術者の“力”を代償に行う」
「ええ。よく知ってるわよ。……妖力を命綱に生きているアンタら妖にとって、命懸けな行為だということもね」
妖にとって妖力とは、人間にとっての生命力。
人類は力の陰陽を切り分けることで、生命力を代償にせずに済むが、妖はそうではない。
吸血鬼が血を飲むのと同じ。感情を糧に、彼らは生きているのだ。……それが、人の感情を消す理由になってでも。
「……相当、無理したでしょう」
「無理をした、どころではない。すべて使った。もう、すっからかんじゃ」
そう、カラカラと笑った黒環の笑顔は、明美から見ても痛々しい。
すっからかん、ということは、つまり……
「逝くのね……」
「……残りは雫、何適分じゃろうなぁ」
ふぅ、息を吐き出して、あぐらを掻いて座り込む。
自分の命を賭けて、人の命を救い、消えようとする妖なんて初めてだ。
このまま消えゆく運命を、呑み込んでいいのか? 呑み込んで、この後起きる天はどう思うのか?
明美は考えるまでもなく、黒環に提案する。
「……わたしの感情を食いなさい」
「ほう?」
「喜びも、悲しみも、アンタにくれるから、消えないで。……アンタが消えたら、高原くんは本当に……」
「断る」
にべもない即答だった。
明美の目が、狐面の下の視線と合う。
「陰陽師の感情なんぞ、硬いモンしかないじゃろうて。単純に不味い」
「……でも!」
「デモもヘチマもない。わしは其方の感情なんぞいらん」
「アンタ、最後の高原くんの肉親でしょう!?」
その言葉に、黒環の言葉が止まった。
明美は追撃するように言葉を紡いだ。
「不思議だったのよ。高原くんにはお祖母さんがいるって話だったのに、一向に姿を現さないし……土曜日っていう、誰もが家にいるはずの日にも見なかった……まるで、避けられてるみたいな」
「……」
「アンタの、その仮面の下に隠れた真実が答えなら、すべての辻褄があう。姿の見えない人物の答えは――」
「それ以上は言うな」
黒環のドスの利いた声に、明美は言葉をつぐんだ。
天の側までずりずりと寄ると、天の乱れた髪を直しながら言う。
「聞かれたらどうする」
「……聞かれてまずいことなのね?」
「……」
墓穴を掘った、とでもいうようなバツの悪そうな黙秘である。
静寂が支配した境内で、黒環はぽつりと呟いた。
「わしはテンと因縁があってのぅ」
「……因縁?」
「ああ。テンの親は事故で死んだ、というのは聞いたか?」
「ええ。交通事故で、炎に巻かれたって――アンタ、まさか」
明美の言葉に、黒環は深く頷いた。
「そうじゃ――テンの親は、わしが殺した」
◆◇◆◇◆
「高原くんの……親を?」
「ああ……飾る言葉はない。わしが殺した」
黒環からの突然の告白に、明美は目を丸くして驚いた。
何のために? 妖だから? だとしたら、今の天と黒環の関係は、なんなんだ?
疑問は尽きない。だが明美が問うより先に、黒環が口を開いた。
「桃太郎は、知っておるよな」
「もちろん。童話のでしょ?」
「高原家は代々、鬼ヶ島……男木島の管理を任された家系での。ジイの泉の管理もしていたのじゃよ」
「ジイの泉……?」
「飲めば長寿、被れば不老になると言われる湧き水。……正確には、神格を得られる水が湧き出す泉じゃな」
「はぁ!?」
神格を得る、とはつまり。司る物がなんであれ、人間をやめて神になるということ。
なんだ、その陰陽界がザワメキそうな呪物は。天の親は、そんな劇物の管理をしていたのか……?
「泉は枯れた。だが同時に、残りを持つ者もいた」
「それが……高原の家?」
「うむ。テンの親は、霊山に向かおうとしておったでな。来る天津餓狼戦に向け、わしはその水を狙った」
狙った、ということは、黒環も神格を得ようと動いたのだろう。
「熱海で事情を話し、譲って貰おうと追っていたのだがな。西湘近郊で、わしは異変に気がついた」
「異変?」
「黒塗りの車が、逆走してきおった」
「……」
「間違いなく衝突する。じゃから【狐火】を巻き、守ろうとしたのが……間違いじゃった」
その後のことは、明美も天から聞いていた。
橙色の炎に巻かれ、衝突した車は鋼鉄の棺桶となって、両親を焼き殺したのだと。
「親は手遅れ、故にわしは車の中から子供を救出した。ついでに水の在処も探したが……なかった」
「……なかった?」
「なかった。一滴もな」
はぁ、と溜息を吐き出した黒環は、天の頭を撫でながら言う。
「既に飲まれたか、そもそもジイの水なぞ無かったか」
「十中八九、後者でしょうね。そんな劇薬の管理を、陰陽庁が見逃すわけない」
「わしもそう考えた。故に、すぐに遺された子供に思考が移ったのじゃよ」
遺された天をどうするか。恐らく児童養護施設に預けるのがセオリーだろうが、現在を見れば黒環の答えが違ったのは明白だ。
「わしは数年、テンの祖母を偽った。老衰で逝ったという天の祖母、という幻覚を見せてな。幸い、憔悴していたテンは、すんなりわしの嘘を受け入れた。飯を作ってやったり、寝かしつけたり、色々な」
「世話焼きなのね」
「これでも、数百年生きる大妖怪じゃぞ。母性のひとつくらい、養われておるわ」
妖に母性……鬼子母神も、釈迦の説法以降は子供に甘い妖になったという。前例があるなら、おかしくはない、のか……?
「……アンタと出会った時に、反転総図を使われたって言ってたのは?」
「神社の本殿に土足で上がるような馬鹿には、少し灸を据える必要があるじゃろ?」
「やり方が大雑把すぎるでしょ……」
「わしの反転総図は、殺すために存在していない故な。モノは使いようというものじゃよ」
これで、恐らくすべての情報が揃った。
黒環は天の為に行動し、天を想っているなら、明美の考えは変わらない。
「なら尚更、アンタはわたしの感情を食べるべきよ。……高原くんを、裏切ったまま逝くつもり? 卑怯よ」
「言ったじゃろう。妖に善悪を期待するなと。大妖怪としての黒環は、テンの近くに居ていい存在ではない。陰陽師なら、わかるじゃろ?」
「っ……、……えぇ、そうね」
言い返せない。
これを反対すれば、陰陽師・安倍明美の人生を否定することになってしまう。さすが妖、卑怯だ。
「そ。なら感情は分けてやらない。勝手に野垂れ死ねばいいわ」
「そうさせてもらうわい。あ、じゃが――」
くふふ、と笑っていた黒環は、ハッと真顔になったような声音に戻り、天の頬を撫でながら言う。
「――テンを任せてもよいか? わしが居なければ生きれない子じゃが、今回の件で、少しは自立出来たはず。迷惑はかけないと思う」
「……メリットは?」
「陰陽師も少子化問題を抱えておるのじゃろ? 其方の先祖ほどではないが、この子も狐が育てた子。戦力になるとは思うんじゃがのぅ」
つまり陰陽師として育てろ、と。
確かに、魅力的な提案ではある。陰陽師が増えれば依頼も分散され、将来的には明美も楽が出来る可能性がある。メリットとして、考えられるか。
……それに天涯孤独になる知り合いを放ったらかしに出来るほど、明美は薄情な性格ではなかった。
「わかった。任されたわ」
「そうか……自立した草鞋で、立てると善いがのぅ」
くふふ、と笑った黒環は、再び天の頭を撫でる。
しかし手は頭に届かず、泡のように消失した。
「……と。最後の妖力が、切れたか」
「遺言はある?」
「ない。伝えるべきことは伝えた」
「そ。……あ、待ちなさい。最後にひとつ」
「なんじゃ?」
今度は左手。そしてつま先から頭へと上るように、少しずつ消えていくのがわかった。
そんな中で、明美は黒環に聞かなければならないことを問う。
「――悲観楽土って、なに?」
昨日の明朝。まさにこの場所で提示された疑問。
黒環の口から出た言葉を、そっくり問うた。
しかし黒環は黙った後に、くふふと笑って明美に答える。
「さてな? その答えは、未来の其方と――天に預けるとしよう」
「なにそれ。アンタもわかんないの?」
「そうとも……じゃが、」
黒環は仮面を外して、不敵に笑う。
「黒環にそれは、必要なかった」
天に少しだけ似た顔が、露へと消えた。




