14話 狼と狐
ゆらりゆらりと海の中。
思考という名の波に攫われ、俺の身体は揺れている。
身体は自由に動かない。四肢は鎖に繋がれ、振り解こうにも足が無ければ立ち上がれない。
ようするに、理不尽なほどに不自由だ。
身体は過去の傷だらけ、腕は血だらけ、足は無くなった。
救いは、どうにか頭が働くくらいか。
それでも、動けなければ意味がない。
ちゃちな俺の頭では、振り解く程度の対抗策しか思いつかない。
助けは来るのか? ……ないだろう。ここには誰も届かない。
神でさえ、なんであれ。
――俺の心には、届かない。
◆◇◆◇◆
「久しぶりじゃのぅ、人喰い狼」
ニタァ、と嗤った黒環に対し、今までの余裕は何処へやら、狼は警戒するように唸る。
不可分のイレギュラーの登場には、【威圧】だけで明美と天を圧倒していた狼も、流石に愉悦を崩さざるを得ないようだ。
「警戒するな、発情期を過ぎて賢者となったか? まさか、貴様が? 笑えるな! 有機体を腐らせる貴様が芽吹かせられるのは、お笑い種だけか?」
ケタケタと汚い笑い声を出して、じりじりと構え始める狼を煽る。
煽りながら、黒環は天を安全だと思われる場所まで運び、降ろして寝かした。
「ふむん。なんじゃ返事をなくしおって。名前を呼ばれんくて、拗ねてしもうたか? ――なぁ、天津餓狼?」
天津餓狼。狼をそう呼んだ黒環は、両手を合わせて天津餓狼を睨んだ。
授業で習った。妖術を使うには、掌印を作ることが必要なのだと。つまり、戦闘態勢である。
「ならば遊ぼうか。なぁに、死んでしまっても気にするな。人にとって貴様の死とは、喜ぶべきことじゃよ――」
一触即発。雫が跳ねれば、いますぐにでも動き出しそうな空気が流れる。
両者ともに静止。腹のうちや次の動きを探り合い、火花を散らせる二匹の隙間を縫って、明美は天へと接触を果たした。
「はぁ……はぁ。高原くん!?」
鳥居のそばで横たわる天の出血は凄惨。
噴出量は初期症状から少し時間が経ち、少量となっているが、決して止まってはいるわけではない。
放っておけば出血多量に死に至る。同じ卓の肉を食らった同士として、これを放ってはおけない。
「南無観世音菩薩……傷を抱えしこの者の苦しみ、疾く疾く救いたまえ――【六根清浄】!」
空に星形を刻み、心経を唱える。祈りの対象を指定し、天の足に祈りを捧げた。
すると、ミチミチとグロテスクな音を立てながら、天の足の肉が塞がり始める。しかし再生は完璧ではない。申し訳ないが、足を復活させることは今の明美には出来ない。
「――ふぅ、相当力を使ったけど、ひとまず、これで大丈夫かしらね……お陰で、参戦は出来なくなったけど」
火花散る戦場に目を向けると、既に戦闘は始まっていた。
狼は爪と牙で間隙なく攻撃し、狐は炎で応戦する。一目だけ見れば狐が防戦一方。しかし表情から余裕が見て取れた。
旧知の仲らしいし、何かしら秘策があるのだろう。
「……はぁ。とりあえず、高原くんの安全が優先ね。早くココから離れないと、ぉ――?」
立ち上がろうとした膝が、ガクッと崩れ落ちる。
何でだ? 確かに力は使ったが、立ち上がれなくなるほど消費した覚えはない。
と、強めの一撃を入れた狐が、此方に向いて言う。
「動くな小娘! 餓狼は常に、害のある霊力を放出している! 近くにおる以上、其方も取り込んでおる! 無理に動けば血管を巡り、五体のうちから溶けていくぞ!」
「……はぁ、なるほど」
息苦しい、とは思っていたのだ。
話す度に息が漏れたのは、その過剰な霊力に体内の酸素が圧迫され、口から出てきた結果ということか。
「まったく、相変わらずの害獣ぶりよな。人に迷惑をかけて、申し訳ないとは思わんのか!」
「――!」
返事とばかりに咆哮を返す。
先程よりも強力な【威圧】。さしもの黒環も当てられ、地に着いた足が硬直し、直後に迫る狼の攻撃を受けそうになる――が、そこは黒環。
「効くと思うたか? 残念じゃの! 【浮上狸】!」
本来は自分を浮かばせる妖術を、覆い被さるほどの巨躯に使用し、爪も牙も届かせない。
さらに空中で身動きの取れなくなった狼に対し、さらなる妖術で追撃する。
「【狐火】!」
あの夕暮れに見た、突き上げられる極太の火柱が、狼を焼き尽くさんと建立される。
「くはは! 汚物は焼くに限るのぅ!」
言いながら、両手の指を組む。明美は、その印に見覚えがあった。何故か?
決まっている、先程自分も使おうとしていたからだ。
狐は高らかに笑いながらも、しかし顎を引いて油断せずに炎を睨み続けている。
すると炎の中が黒く蠢き、火中を脱した狼が襲い掛かってきた!
【浮上狸】によって止められた時間を再生するように、黒環に覆い被さるように爪と牙を光らせる。
「さすがの耐久力じゃな。……じゃが、さしもの天津餓狼とて、炎に巻かれれば弱りもしよう?」
ニタリと笑った組み合わせた両手の指を、引きちぎるつもりかと思えるほどの力で引っ張り離す。
「反転総図【孤影悄然】――永遠に落ちろ」
瞬間――狼の姿が消えた。




