13話 餓狼は地に、子犬は天に
土御門長明、西国にて侍に邂逅す。
名は、戸次艦連と曰う。
雷を斬りたりと云う、いと阿呆なる者也。
艦連、童を携えて長明に問う、
「この童、空より来たりと申す。何ぞ憑きたるものあらむや」と。
長明、童に向かいて誠ならむやと質すに、童、頷きぬ。
次いで名を問う。童、これに答えて曰く――
――黒環、と云う。
――『外来日誌』より一部抜書。
◆◇◆◇◆
巨大な犬科動物は何か? と問われたら、どんな動物を答えるだろう?
黄金の犬・ゴールデンレトリバー?
警察犬・ジャーマンシェパード?
優しい巨人・グレートデーン?
世界には色んな大型犬がいて、霊長類となった人類と共存している。
所によっては牧羊犬に、軍に入れば軍用犬に、人を守るなら警察犬、あるいは介護犬に。
例えそれが犬ではなく、オオカミやジャッカルだとしても、その殆どは動物園で出会うことになるだろう。
じゃあ、そんな犬科動物の中で、最も大きいのは何かと問われたら――
――今、この場にいる者は全員、目の前の脅威を挙げることだろう。
鳥居を優に越す巨躯の狼が、明美と天の狭間に現れた。
耳鳴りか、無痛覚か。
原因がなんであれ、明美は狼の出現に抵抗することが出来ず、警護対象である天と引き離されてしまった。
「く……まずい……!」
札を取り出し、天の救出に臨もうとするも、何故か式神が反応しない。こんなことは初めてだ。
「召喚拒否……? ちがう、狼のジャミングだ!」
よく見れば、天の近くにいたはずのウロも、明美に侍っていた陰婆も姿を消していた。
神秘阻害。西洋ではジャミングと呼ばれる類の神智技術だ。
成立は二十世紀初頭と、比較的最新の技術はず。何故この狼が同類の力を使えている?
考えられるのは、この狼は誰かの手によって飼育されているもの、もうひとつは――
「――まさか、ジャミング技術の発想元になったっていう、ティンダロスの……?」
明美が自身の知識の扉を開いて分析するのと同じくして、狼がぐるると喉を鳴らしながら、尻餅をついている天へと一歩近づいた。
「……いけない、高原くん! 逃げて!」
大声で呼びかけるが、天が動き出す素振りはない。いや聞こえているが、動けないのか――!?
「【威圧】か!」
獣型の妖特有の予備動作。
音に“力”を乗せ、聞いた者の身体の自由を奪う妖術。心の弱い者なんかには、特に効果があるという。
「何してるの! 逃げなさいッ!」
喝を入れようと試みるが、しかし届かない。救助しようにも、間を狼に挟まれて身動きが取れない。
何か、隙になるようなことが起きれば、あるいは――!
「ぐぅ……ぅあ……!?」
声が、聞こえた。
発音元は、狼に追われている天。ついに【威圧】が解けて動き始めたのだろう。
後ずさるように後退したのち、立ちあがろうとするも失敗、匍匐になって逃げようとする。
注意が、完全に天へと向いた。
その隙を見逃すわけもなく、明美はジャミングを解呪し、狼を攻撃して天が逃げる時間を作
「……え?」
「あ――がァァアああ!!?」
刹那の間だった。
まばたきをしたその少しの時間で、天の両足が千切られた。
一口で飲み干した狼は、ニタリと裂けるほどの笑みを溢す。
さながら長年求めていた獲物を、ようやく得たような。背後の明美でもわかるほどの笑みだ。
対して天はといえば、絶叫を上げながら痛みに悶え、誰かに助けを求めるように手を前へと伸ばす。
「た、たすけて……」
その姿は、言っては悪いが惨めな姿だ。
敵対している狼に背を向けて、必死になって誰かに救いを求めている。
汗と涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、残った両腕だけで冷たい地面を這いながら、喚き散らすように声を張り上げた。
「だ、れでも、いい! たす、たすけて!」
哀れで、情けなく、実にみっともない。
けれど、あの巨大な狼を前にしたら、きっと誰だってそうなる。
明美は突き動かされるように、足を前に出そうとして――
――瞬間、思い出したように天が此方を向いた。
その視線に流されるように狼の目が、此方に向いた。そしてぐるると喉を鳴らすと、明美の足は地団駄を踏むように止まった。
【威圧】だ。まるで「次はお前だ」とでも言うかのように、明美は動きを封じられた。
自覚のないうちに、いまの出来事で心を弱らせていたらしい。その隙を突かれ、明美は再び動けなくなる。
(クソッ……、声も出せない!?)
声帯が動かない。
恐らく神経細胞の一つ一つに至るまで、狼の恐怖に支配されたのだろう。やられた……!
「ひぃ……ぐ……うぅ……!」
這いつくばって逃げている。
噛みちぎられた両膝からは、流れるように赤色の液体が流れ出て、その上を狼ペタペタと追って歩いた。
「ぅ、が、ァァアああ……!」
必死に足掻いて生きようとする。なのに、此方は何もできない。
天よりも遥かに力があるのに、怯えを利用されて動き出せない。それが歯痒い、彼よりも情けないと自覚する。
「う……ぐぅううう!」
喉が、動いた。ぴきりぴきりと、呪われた身体が解呪されていくように、石化が解けていくように。
狼が左前足を振り上げた。トドメを刺すか、あるいは愉しむために腕を落とすのか。
――どっちもダメだ。これ以上、彼を傷つけさせてはならない。
護らなければ。そのために、安倍明美は彼と行動を共にしたのだろう。
彼が傷ついているのは、自分の責任だ。ならば助けなければ。彼を護るのが、陰陽師としての責務なのだから――!
「むぐうぅぅぅ……くはっ!」
――解けた。即座に明美は両手で印を作る。
右手に生の神秘を、左手に死の神秘を。
両手の指を組み合わせる。ジャミングは解呪した。……いまなら使える!
「反転総図――!」
「やめろ、バカ娘。その位置ではテンまで巻き込むじゃろ」
――ヒュン、と一陣の風が吹く。
奇跡は、起きなかった。
明美の秘術は失敗し、しかし狼は苦虫を噛んだような顔になって、天の目の前に現れた女性を睨む。
しかし天の前の女性は、狼の睨みを意にも介さずニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
「くふふ、惨めだのぅ童」
コツン、と。
這って逃げる天の頭に、細く固い脚が当たった。
その瞬間、天が腕で踠くのをやめ、上を眺めるように顔を向ける。
「よぉ生きた、よぉ足掻いた――後は、わしに任せぃ」
カラカラと、鈴のような軽やかな笑い声を聞き、明美は目を丸くして女性を見る。
天が意識を離して気絶するのと同時、足の無くなった体を持ち上げ、明美を見据えて言う。
「助けに来たぞ、土御門の末裔。そら、感動に咽び泣け」
「なんで……どうしてアンタが来るのよ――黒環!?」
狐面を付けた巫女装束。
天を裏切ったはずの黒環が、大事そうに天を抱えて立っていた。




