12話 犬神の遠吠え
その日の夜。
バタン、と扉の閉まる音で目を覚ます。
恐らく昼間のこともあって、目が閉じ切っていなかったのだろう。ちょっとした物音で頭が覚醒した。
「……?」
閉まったのは、音的に俺の家のドアだ。
隣の家のドアが強く閉められた音では、決してない。
窓の外を見ると、陰婆を引き連れた安倍が歩いていくのが見えた。
時計の長針は午前二時を指している。
「……こんな時間に外出?」
学生服を見に纏って、しかも陰婆を連れて。何処に、何の用があるんだ?
夜の街に繰り出す人でもないし、そもそもこの街に知り合いがいる様子もなかった。
ということは、調査にでも出掛けたと考えるのが正しいだろう。
「あの方向は……星隠社か?」
”陰陽師の調査”と言ったら、俺なら神秘的な場所を連想する。
この地域で神秘的な場所……つまり寺社仏閣といったら、星隠社しか思いつかないし。多分そこだろう。
「……行ってみるか」
安倍よりは土地勘があるし、少しは役に立つだろう。
頭が覚醒してしまった以上、目を閉じてもまた寝れる気がしない。俺は今日安倍に選んでもらった服に着替え、部屋のドアを開ける。
わん! とウロが鳴いた。部屋の外で待っていた……というよりも、警護してくれていたのだろう。
「おはよう。一緒に行くか?」と撫でると、くぅんと頭を擦り付けてくる。相変わらず何を言ってるのかわかんない。
「よし、行こうか」
俺は星隠社に足を向けた。
◇◆◇◆◇
昨日、京都の知り合いから連絡が届いた。
内容は、犬神信仰に関する続報。
犬神の出自には諸説あり。
かの弘法大師が描いた猪除けの絵が発祥だとか、打ち取られた鵺の四肢が弾けて各地に飛び散り犬神になったとも言われる呪いである。
あるいは南北朝時代の僧侶が割った殺生石の破片が東でオサキに、西で犬神になったなんて伝説もある。
「陰婆、本当にここに何かがいるのよね?」
「ええ、そうですじゃ。しかも封印が解ける刻も近い。今日か明日……詳しい日時まではわかりませぬが、きっと何か恐ろしいモノが……」
「はいはい、脅かさなくていいから」
「つれませぬな、若様」
おどろおどろしい雰囲気で脅かしてくる陰婆をいなし、いかにも古そうな拝殿の柱に触れる。
結局何が真実なのかは不透明だが、気になるのはオサキ――尾裂という単語である。
尾裂とは、これも怪異の類ではあり……これも諸説はあるのだが、問題は多尾のキツネの怪異であることである。
「……ダメだ、どうしても黒環を連想してしまうわ」
こうなると、この神社に祀られている……否、封印されている犬神と、黒環に関係性を繋げずにはいられない。
陰陽師の悪い癖だ。連想できるものがあれば、なんであっても繋げたくなってしまう。犬と狐、どちらも犬科の動物。
「黒環……ここで何をしているの?」
「彼奴も相当な妖ですじゃ。封印に関する技術も持っていましょう。それが封印か、はたまた解放かはわかりませぬがな」
「そうよね。再封印ならともかく……もし解放された場合の被害の推定は?」
「まずこの街から人が消えますじゃろな。それだけ溢れる瘴気が多い。故に、人は本能的に近づかない。否、近づけない……瘴気とは人の体に害為す物であれば、尚更ですじゃ」
人は本能的に近づかない。言うだけなら容易いが、実際に起こっている事象として見るには不審すぎる。
いったい何が封印されているのか。いまの明美では、推測することも難しい。
「……待って。じゃあ高原くんは何で、この神社に近づいたの?」
「気づかれましたか」
人は本能的に近づかない。
陰婆は、そう言った。だが高原天は、この社で黒環と出会ったのだと言う。
「せめてお爺様がいてくだされば……今から呼んで間に合うかしら」
「間に合うか否かで言えば、わかりませぬじゃ。しかし呼んでおくに越したことはないかと思いますじゃ」
「そうよね。……まったく、なんだってこんな面倒な案件が、この辺境の地に転がっているのよ」
愚痴りながらスマホを取り出し、秘密回線から祖父へ電話を繋いだ。
まぁ、そのための学生服だ。
学生服は礼服……中世期の狩衣と同等の神秘的耐久力がある。これを着ていれば、大抵の窮地は切り抜けられるだろう。
それに、辺境であるほど面倒事が多いのも事実である。人がいなくなればなるほど、その神秘の秘匿性は上がっていく。
この田舎の過疎化が進んでいる時代において、陰陽師も情報収集能力を試される時代になってきてしまった。技能を伝統する陰陽界隈では、そんな人材は少ないというのに……
「よし、とりあえず来てくれるって」
「それは安心ですじゃな。ご当主様がいてくださるならば、これ以上ない戦力ですじゃな」
「ま。それで足りるかって話でもあるけれどね。……それでも足りなかったら、一族総動員を掛けるしかないわ」
起こっている事が事だ。当主、そして次期当主が出陣しているのに反発する者は、さすがにいないだろう。
そんなのが居たら、祖父がしなくとも自分の代で勘当してやるが。
国家公務員たるもの、人の模範であるべし。教えに背く者は、誰であろうと勘当……つまり免職である。
「あ、いた、安倍さん!」
「……え? 高原くん、なんでここに?」
と、自分の理念を再確認していると、社の外から声を掛けられた。
この街で唯一聞き馴染みのある声。狐に憑かれた男の子だ。隣には警護として付けた天空が、ぶんぶんと尻尾を振っている。
「えと、安倍さんが家を出ていくのを見て、もしかしたら調査をしてるんじゃないかと思って……その、土地勘ならありますし、お役に立てるんじゃないかと」
「ほっほ。高原様は自分を売り込みに来たようですじゃ。好かれましたな、若様」
「そんなんじゃないでしょ、黙ってなさい陰婆。あ、高原くん。その鳥居からこっちに入らないで聞いてもらえる?」
「え? あ、はい」
そもそもこの領域は、人が入っていい場なのかすら怪しいのだ。これ以上進ませるわけにはいかない。
「そこから先は危険な領域よ。死にたくなかったら、それ以上前に――」
次の瞬間、二人の間に戦慄が走る。
何が起こったのかわからない。
急に背筋が凍ったのだから。
陰陽師でない俺には、わからない。
頭が、鼻が、目が、耳が、肌が。
機能を停止したように動かなくなり、心までもが完全に冷え切った。
数秒ほど、経ったろうか。
少しずつ靄が晴れていくように、身体が機能を取り戻し始め、キーンも耳鳴りがした後に、
――ワォーンと、遠吠えが聞こえた。




