10話 過去の傷
首都高速から東名高速道路へ乗り継ぎ、南西へタイヤを走らせる。途中、厚木ICから小田原厚木道路へ乗り換え、さらに南西へ。
西に向かって進むと景色が山がちになってきて、やがて西湘バイパスに入ると、海が見えてくる。
――はずだった。
見えたのは、逆走してくる黒塗りの車。
暗いトンネルを抜けた先、グレア現象で遮られた視界の中で出会ったのは――地獄だった。
すさまじい轟音が耳をつんざくのと同時、俺は車窓の外から伸びる手に抱えられ、熱と炎から解放された。
持っていた水を溢した、肌が少し焦げた、鼻腔に煙の匂いが残った。その時、車内から聞こえた言葉は、俺の頭に焼き付いていた。
『生きて、死になさい』
母の言葉は、今も頭に焼き付いている。
その言葉に生かされ――心は殺され、高原天は過去に呪われた。
◆◇◆◇◆
「……っ」
目を開くと、見知った天井だった。
明らかに布団の中の暑さで出た物ではない、大量の汗が吹き出しており、布団の上はぐちゃぐちゃになっていた。
「気持ち悪い……」
汗もそうだが……過去に執着する自分が。
吐き気を催すほど気持ち悪い。
朝っぱらから、嫌な気分が心を満たす。ネガティブな自分が心底、嫌いだ。
「……はぁ」
いけない。こんな気分になっては、いつもの繰り返しだ。こんなことをやり直したって、何も起こらない。
とりあえず、起きなければ……
……と、不自然な足音がバタバタと、すごい速度近付いてくるのがわかった。
ジタバタドタバタ。音の数からして二本足ではない。不規則なようで、規則のある音……四本足だ。
……何の音だ? 閉まっている扉を見る。
キュキィーッ! と俺の部屋の前で止まると、その四本足は器用にドアノブを開け放った。
部屋の中の曇った空気が一瞬にして晴れ、俺の頰に冷たい外気が掠める。
そして扉を開けた張本人は勢いそのまま、ベッドに横たわる俺の上へとダイブ……してきた!?
「ごふ……!?」
わんわん! 一匹の犬が腹上で鳴いた。
もふもふの白い毛並みを揺らし、俺の顔をぺろぺろしてくる中型犬を、俺は抱き上げ床に下ろした。
「ぐっ……ウロ……腹、痛いから」
「あら、やっと起きたのね」
「……おはようございます、安倍さん」
部屋の外で、エプロン姿の安倍明美が、ニヤニヤと楽しそうに此方を見ている。
名前はウロ。お察しの通り、この白犬は安倍の飼い犬……もとい式神らしい。
昨夜、守るため、と呼び出していたのを見た。
目を輝かせながら、まるで「あそぼあそぼ」と訴えてそうな姿からは、あまり頼もしさを感じられないんだけど。
……本当に、大丈夫なんだよね?
「起きたなら早くご飯食べなさい。冷めるわよ」
「若様の愛情たっぷり手料理じゃ。早よ動け」
「ちょ。陰婆。余計なこと言わないで」
「ほっほ。事実ですじゃ。婆としては、若様の花嫁修行にもなって嬉しいですじゃよ」
いぶし銀のような白髪を簪でまとめた老婆が、安倍を揶揄うように笑う。
この陰婆? も安倍の式神である。万が一の時、俺を退避させられるようにと、ウロと同じく昨夜呼ばれていた。
……慎重というべきか、几帳面というべきか。
ともかく俺が言えるのは、安倍はやるとなったら徹底的にする人間だということだ。
「ほら、早く起きて顔洗いなさい。でないとウロをもう一回、アンタの上にダイブさせるわよ」
「起きます。やめてください。……二回目は流石に吐く」
「そ。じゃあダイニングで待ってるわね」
「朝食を胃液味にしたくなかったら、早よ動くんですじゃよ」
外気より冷たい態度の安倍は、陰婆とウロを連れて行ってしまった。
……このまま二度寝してやろうか。
いや、最早俺に寝る選択肢はない。したらウロが腹を蹴るし、そもそもそんな気分じゃない。
「はぁ……」
朝から本当に、やかましい。
◇◆◇◆◇
朝食はザ・和食といった献立だ。
お米、お味噌汁、鮭の塩焼き、お漬物……この漬物、麹が付いてるんだけど、もしかして自家製?
「どうじゃ、婆特性の大根漬は。美味いですじゃろ?」
「はい」
「なんて淡白な感想。それじゃモテませんじゃよ?」
「……いや、モテようと思ってませんし」
「その割には、身なりには気にしてるのね。さっきまでボサボサだったのに。今はきちんとしてる」
そりゃあ、身内以外の女子と食事となったら、ねぇ。
俺だって身なりくらいは気にする。誰だってそうする。決して、モテたいというわけではない。
「寝癖、梳かしきれてないわよ」
「え。本当ですか?」
「ええ。横が跳ねてるわ」
まじか。ちゃんと確認したはずなんだけどな。少し触ると、ぴょんと跳ねているのがわかった。これか。
「アンタって、服は持ってるの?」
「……俺はあまり外に出ません」
「そ。なら今日、出掛けるわよ」
「はい……?」
卓上の飯を食べ終えたらしい安倍は、パチンと箸を鳴らして立ち上がる。
「服を買いに行くわよ。すわ、アウトレットモール!」
「いや、今日も登校しようと思って……」
「今日は土曜日よ」
……あ。




