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悲観楽土 〜高天原には、神はいない〜  作者: 光合セイ
第1章 天津餓狼編

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9話 黒い妖

 天文一八年(1549年) 秋。


 南蛮渡来の報、諸国これに動く。

 西国おおいに忙し。


 筑前国(ちくぜんのくに)太宰府(だざいふ)にて。

 天満宮、星に異変あり、と云う。

 朝廷、土御門(つちみかど)長明(ながあき)遣わす。


 ――『外来日誌』より抜書。



◆◇◆◇◆



「……ここが星隠社(ほしのかくれやしろ)……」


 木々も寝静まる丑三つ時。

 明美はひとりで、件の地域で唯一の神社へと赴いていた。


 犬神を祀る神社と言われているが、日本には古来より神を祀る寺社があっても、犬神を祀る寺社など存在しない。


「……祭神がいないのに、なんて上等な造りをしてるのよ」


 ――犬神なんて神はいない。


 そもそも犬神信仰とは、蠱術(こじゅつ)と呼ばれる、いわば呪術の一種である。

 ”神”の名を冠した術。つまり犬神とは、呪術の一形態でしかない。決して、信仰対象としては見られない物のはずだ。


 もし仮に神社が建立されようものなら陰陽庁……或いは朝廷が動き出すほどの一大事。

 扱いとしては、菅原道真や平将門のような御霊(ごりょう)信仰となるはず。


「狛犬も、狛狐もいない……。なのに鳥居や神殿はあるのね」


 神を守る存在がいない。


 少し調べてみたが、犬神に関する宗教施設の資料は存在しなかった。京都や東京の知り合いにも頼んだが、成果はゼロ。

 夕方のニュースで紹介されていた古文書が、少し気になるくらいか。



 ――じゃあ、この神社は何か?



 答えはまだ、得ていない。

 しかし、明らかに異質な存在であることに変わりはない。


「……この石畳、割れてるじゃない。神主は誰よ、ちゃんと管理しなさいな」


 もしかして、神主などいないのではないか。

 ……そんなことがあるか?

 仮にも神社。人々の願いによって出来た宗教施設に限って、誰も彼もが忘れてるなんて――




「仕方なかろう。神主は呆けたジジイじゃ。あれもアレなりに頑張っとるんじゃぞ?」


 再三言うが、時刻は丑三つ時。

 人など絶対存在しない時間帯である。


 両手に符を装備して臨戦体制を取る。


 しかし声の主は、カラカラと笑いながら「待て待て」と諭すように、空を手で払った。


「すぐ戦おうとするな。騒ぎ足りない年頃か? 良い男を紹介してやろうか?」


「……一体、何の真似よ――黒環」



 拝殿の屋根上に座る影。

 月を舞台の淡いライトのように浴びながら、仮面の奥から鋭利な視線を此方に向ける。

 狐面で顔を隠した化け狐――黒環は、明美を見下ろしながら、パタパタと素足を揺らしていた。


「貴様こそ、この社に何の用か? 人の子は寝る時間じゃぞ」

「アンタのせいで寝ずの番よ。お陰で明日は肌が荒れるわ」

「寝た方が良かろうに。というか貴様、式神使いじゃろう。式神使え、馬鹿なのか?」


 術者が寝てる時に、式神を動かせるわけないだろう。

 そう言ってやりたいところだったが、どうやら式神術の基礎を知らないようなので黙っておく。

 無駄に警戒させた方が、余計に気を散らして、此方に手出しが出来ないはず。


「ま、よいわ。それより小娘、話をしていかんか?」

「話? アンタと?」

「そうとも。さしずめ寝れんくて、夜の散歩に出たんじゃろ? それとも何か。他に用でもあるか?」


 コテン、と首を傾げて問うてくる黒環に、夕刻とは違う雰囲気の違和感を感じる。

 あれだけ高原を煽っていた彼女からの打って変わりようは、明美の調子を狂わせるには十分だった。


「……わかった。けど、少しでも変な行動をしてみなさい。竜の息吹がアンタを焼くわよ」

「竜か。それは面白そうだが、遠慮しておこうかの。わしは別に戦いとうない」


 ストン、と屋根から降りた黒環は、まるで「ついて来い」と言わんばかりに歩き出す。

 明美はその巫女の背中を訝しみながら、いつ刺そうかと狙いを澄ますが、しかし何をしても防がれそうな気がして、大人しくついて行った。



◆◇◆◇◆



 案内されたのは拝殿の縁側。

 黒環は慣れたように座り、ポンポンと隣を叩いた。座れ、ということだろうか。少し離れた場所に座ると、黒環は「ふむん」と鼻を鳴らす。


「……さて、テンは元気か?」

「羨ましいことに、安眠中。わたしの式神が結界を張ってるから、そう簡単に入れると思わないことね」

「ほう。てっきりまた深夜徘徊でもしていると思ったが、寝ているなら大丈夫そうじゃな」


 自分で殺しかけておいて、その相手が深夜徘徊なんてすると思っているのか? 見た目は人間に近いが、感情や倫理観はトコトン妖だ。


「何が目的?」

「何がじゃ?」


 問われてもしらばっくれる狐面。古来より狐は、狸と並んで人を騙すのが得意な獣だ。

 陰陽学の基礎中の基礎を、見逃すとでも思っているのだろうか? 舐められたものである。


「ここ数年間、アンタの目撃情報が多発したために、アンタの拠点があるんじゃ、と考えた陰陽庁から派遣が要請されたのよ。次期安倍長者である、この安倍明美がね」

「ほう。どうやら自身の家格に余程の自信があると見える。さすがは安倍じゃな、高慢な性格はいつの時代も変わらんか」

「誰が高慢よ」

「自覚ないのか?」


 二人の間に火花が散る。しかしすぐに火花を引っ込めたのは、意外にも黒環の方だった。


「ま、貴様が自分をどう思おうがどうでもいいがのぅ。こんな小娘にテンを預けるのは、少々心配じゃがな」

「どういう意味よ」

「テンの感情は変わりやすいからのぅ。勝手に変な物を餌付けされては困る、というだけの話じゃよ」


 畜産家のつもりでいるのだろうか。どこまでも性根が狂っている。

 しかし相手は妖だ。

 いちいち張り合い、罵り合っても、結局は相手のペースに持ち込まれてしまうだけ。


「残念だけれど、人間は自立する生き物よ。高原くんもいずれ、アンタを心の支えにするのをやめることになるわ」

「ああ、その通りじゃ。それがわかってるなら良い」

「……悪い事考えてんじゃないでしょうね?」

「善悪の基準を妖に期待するな、陰陽師」


 それもそう。妖にとっては、何が悪で何が善など、あってないような概念である。

 明美は職業柄、何度も妖の悪を、そして善を見て来た。

 黒環は間違いなく前者の妖である。自身の愉悦のため、人間を騙し脅かすのは、まさに悪の出立ちである。


「……まったく、妖らしいといえばらしいけど、こんなに浮いてる妖は初めてよ」

「うむ。重力なら抗えるしのぅ」

「そうじゃないわよ。……というかその術、どういう原理で浮いてるの?」

「そこはほれ、妖術の妙じゃよ」


 ぼかして答える黒環に、ますます信用が出来なくなってくる。

 自分だけが答えて、黒環は何も言わないの、少しズルくないだろうか。


「さて、そろそろ冷え込んできたのぅ。テンの家でも燃やして、暖でも取ってやろうか」

「させると思う? あの家なら、もう結界を張ってあるわよ。それと式神も展開してる。簡単に入れてあげないんだから」

「おお怖い怖い。それなら、やめておこうかの」

「あ、待ちなさい!」


 ヒョイ、と縁側から降り、飛び立とうとする黒環に、明美は焦って呼び止めた。


「なんじゃ?」

「あ……」


 意外にも聞き分けが良く、空中で此方を見る黒環に、明美は言葉を躊躇った。

 一瞬の沈黙が流れる。

 少し気不味い雰囲気が流れた後、黒環は嘆息を吐き、話題だとばかりに問いを投げかけて来た。




「――小娘、()()()()を知っておるか?」




「……は。なにそれ?」


 問いの意味がわからず、その場でフリーズする明美に、黒環はケタケタと嘲笑しながら言った。


「知らぬなら良い。ただの造語じゃよ」

「は、ちょ、待ちなさい!?」


 今度は話を聞かずに飛び立ってしまう黒環。

 残された明美はしばらく立ちほうけた後、再び縁側に座り込み、混乱を加速させながら頭を抱えた。


「なんなのよ、あの妖は……!」


 冬の夜風が、温まった体を心地よく冷やした。



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