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第二十一話 紅帝蟹

 翌日。


 コマルの町二日目。


 今日はのんびり町の観光でもしようかなと思いながら宿屋の食堂でコーちゃんと朝食(パンに干し肉を挟んだサンドイッチみたいなもの。これはこれで美味い)を食べていたら、気になる会話が聞こえてきた。



「……おい、聞いたか? レイテル川の下流で紅帝蟹(こうていがに)が出たんだと」

「あん? 紅帝蟹? 何だそりゃ?」

「知らねぇのか? シルバークラスの蟹のモンスターだよ」

「は? シルバークラス? 倒せたらいい金になりそうだな」

「バカ野郎。シルバークラスなんて俺たちに倒せるわけがねぇだろ。俺が言いたいのは、しばらくレイテル川付近には近づかねぇようにしようってことだ」



 そっと声のほうを見ると、革鎧を着たふたりの男性が朝食を取っていた。


 アーノルドさんと似た格好だし、コマルで活動している冒険者だろう。


 彼らの話を聞く限り、コマルの近くを流れる川に凶暴なモンスターが現れたようだな。シルバークラスなのでミノタウロスより弱いが、一般的には厄介なモンスターなのかもしれない。



「しかし、蟹か……」



 サンドイッチを頬張りながら、ついひとりごちてしまった。


 蟹といったら──ボイルか生だよな。


 塩ゆでしても美味いし、ポン酢でさっぱりいただいてもいい。


 いや、焼いても美味いか?


 バターと醤油を少量垂らして焼くと、濃厚な味わいになる。


 ううむ……無性に蟹を食べたくなってきたな。


 社畜生活を送っていたせいで蟹なんて久しく食べてないし。



「……ん?」



 ふと、足元から視線を感じた。


 そちらを見ると、どこか冷めた目でこちらを見ているコーちゃんが。



「飼い主殿、あの冒険者たちの会話を聞いていたな?」

「……なんだよ? 盗み聞きはよくないとか言いたいのか?」

「そうではない。モンスター飯に目がない飼い主殿のことだ。紅帝蟹を食べてみたいと考えているのではないか?」

「おお、よくわかったな」



 ちょっと驚いた。もしかして心の声を聞ける魔法でも使ったのか?



「本当に飼い主殿のモンスター愛には呆れてしまうな」

「コーちゃんも食べたいだろ? 蟹だぞ?」

「…………」



 しかし、コーちゃんは無反応。


 あれ? もしかして興味がない? 


 いやいや、そんなわけがない。


 なにせこいつは、俺に勝るとも劣らないグルメなワンちゃんなのだ。



「蟹の塩ゆで。蟹の炭火焼」

「…………」



 ピクッとコーちゃんの耳が動いた。



「蟹の刺し身。蟹味噌を添えて」



 わさっ。


 今度は尻尾が反応。



「蟹しゃぶ、蟹すき焼き」



 わっさわっさ。



「あ~、蟹の海鮮鍋なんてのもいいな」

「よし、行こう。今すぐ行こう!」



 舌を出して嬉しそうな顔をするコーちゃん。


 それを見て、胸中でガッツポーズをする俺。


 ふっふっふ。どうだ? 俺もコーちゃんの扱い方にだいぶ慣れてきただろ?


 というわけで、朝食を食べ終えた俺たちは、その「紅帝蟹」というモンスターが出たというレイテル川へと向かうことにした。


 出発する前に冒険者ギルドに立ち寄ってメリルさんに紅帝蟹の件を聞いてみたが、ギルドにもいくつか依頼が出ているらしい。


 なんでもレイテル川の魚が食い荒らされていて、漁師が困っているのだとか。


 メリルさんが「コマルの町の魚商が困っているんですよね。コマルなだけに」とダジャレをぶちかましてきたけど、スルーしておいた。


 それ、俺も思いついたやつだけど一般的なギャグなんだな。


 というか、メリルさんってば意外とおちゃめさん。


 ……と、そんなメリルさんの話はさておき。


 ギルドにも討伐依頼が来るくらいなのだから結構な数の紅帝蟹が出没しているのかもしれない。


 ちなみに、メリルさんから紅帝蟹の討伐依頼を勧められたが遠慮しておいた。


 また「ブロンズクラスの冒険者が紅帝蟹を討伐して食べた」なんて噂が広まったら、今度こそトラブルに巻き込まれそうだからな。


 素行の悪い冒険者や犯罪者から絡まれることはないと思うが、ゴールドクラスの冒険者からパーティに誘われたら断りづらいし。


 快適な異世界旅行を楽しむために、目立つ行動は極力避けないとね。


 町を出た俺とコーちゃんは、レイテル川に沿って南下していく。


 紅帝蟹がいる詳細な位置はわからないが、川を下っていけば見つかるだろう。


 レイテル川は川幅が広く流れが穏やかで、歩くことができる河原がずっと続いていた。


 そこにコーちゃんと下りてのんびり歩く。


 川のせせらぎや野鳥のさえずりが耳に心地よく、穏やかに流れる川を見ていると心が穏やかになっていく。


 こういう場所を歩くのもいいな。


 テントを張ってキャンプしたり、バーベキューすると最高だろう。


 なんて考えながら、川を下っていくこと三十分ほど。


 前方になにやら奇妙なものを発見した。


 赤くて巨大な塊が、川をせき止めていたのだ。


 ビーバーみたいな動物がダムでも作っているのだろうか?


 そう思って目を凝らして、ギョッとしてしまった。


 その赤い大きな塊は蟹の集団だった。


 四、五十センチほどの蟹が何十……いや、何百と集まって、広大な川を埋め尽くしていた。



「……あれってもしかして?」

「うむ。紅帝蟹だな。しかしこの量……我もちょっとびっくりした」



 コーちゃんもドン引きしている様子。


 大量発生しているとは聞いたけど、まさかこんなにいるなんて。


 紅帝蟹は、その名の通り赤い甲羅をしていて手足が異様に長かった。


 ちょっとズワイガニに似ているかもしれない。


 なんと言うか……美味そう。


 そんな紅帝蟹は一心不乱に魚をむしゃむしゃと食べていた。


 そこら中に食べカスが散乱しているし、魚商が泣いているというのも頷ける。



「コーちゃん、紅帝蟹について教えてくれないか?」

「強靭な甲羅で物理攻撃を防ぐ厄介なモンスターだ。甲羅は防具の素材として高値で取引されているが、これほどの量の紅帝蟹が狩られたなら一気に値崩れするだろうな」



 コーちゃんが言うには、「普通なら一、二匹見つけられたら御の字」というレベルなのだそう。


 だが、目の前にいるのはすさまじい量の紅帝蟹。


 なるほど。完全に異常発生だな。



「あの甲羅で物理攻撃を防ぐなら、魔法で狩るのがいいのか?」

「そうだな。紅帝蟹の討伐に魔法使いは必須だ」



 ちなみに、自ら人間を襲ったりしない比較的安全なモンスターなのだとか。


 モンスターって全部好戦的だと思ったけど、そうでもないんだな。


 しかし、とひしめく紅帝蟹の群れを見て思う。


 仕留めるのは食べる分だけでいいのだが、さてどうしよう。


 俺が使える魔法だと、相当な量の紅帝蟹を狩ってしまいそうだ。



「……まぁ、いいか。数が減ったら町の人も助かるだろうし。とりあえず適当にちょっかいをかけてみるか」



 どの魔法を使おうかと考え、火のエレメントを集めることにした。


 ウインドカッターとか、頑丈な相手にはあまり効きそうにないからな。


 紅帝蟹に向けて火のエレメントの魔法「フレイム」を発動。


 俺の指先から火炎放射器のごとく巨大な炎の柱が放たれ、前方数メートルを焼き払った。


 直線上に伸びた炎の柱は、ものの数秒で消えた。


 かなり威力を抑えたから、いい感じで焼けてるかもしれない。


 調理無しで食べられたらいいなぁ、なんて思ったのだが──。



「あっ……」



 炎が消えた跡に横たわっていたのは、真っ黒に炭化した紅帝蟹。


 ざっと数えて数十匹ほど。



「魔法の威力が高すぎたな」



 くうん……と悲しそうな声で鳴くコーちゃん。


 集めたエレメントは四エリミネートル……大さじ二杯分くらいだったんだけど、それでも多すぎたか。


 これはもう少し火力を弱める必要があるな。


 量を半分にしてもう一回試してみよう。


 そう思って、再び火のエレメントを集めようとしたときだ。



「ギッ……ギギギギッ!」



 周囲の紅帝蟹が、ハサミを掲げた。


 そして、こちらに向かって一斉に走り出す。



「うわっ!?」



 思わず後ずさってしまった。


 横走りでガシャガシャと向かってくる大量の紅帝蟹。


 はっきり言って、めちゃくちゃ怖い。



「ちょ、コーちゃん!? 人間は襲わないんじゃなかったのか!?」

「仲間がやられれば誰でも怒る」

「はぁ!? なにそれ!? 先に言ってよ!?」



 なんてコーちゃんと話している間に、紅帝蟹は目と鼻の先まで接近してくる。



「ギギッ!」


 大きなハサミを俺に向け、飛びかかってきた。


 俺は咄嗟に飛び退き、その一撃を躱す。


 空を切った紅帝蟹のハサミは俺の傍にあった大きな岩を真っ二つにした。



「い、今の見たかコーちゃん!? こいつ……でっかい岩をバターみたいに斬ったぞ!?」

「喰らえばひとたまりもない。下がるぞ飼い主殿」

「わ、わかった!」



 ぞろぞろとやってくる紅帝蟹と距離を取りながら、火のエレメントを集める。


 調理を省くためにいい具合に焼こうと思ったが、もうそんなことは言ってられない。


 集められるだけエレメントを集め、爆炎魔法「フレイムボム」を放つ。


 俺の手のひらから放たれた火球が、凄まじいスピードで紅帝蟹の群れの中心部に着弾する。


 刹那──大爆発。


 川の水や河原の石と共に、おびただしい数の紅帝蟹が吹き飛んだ。



「うおっ!?」

「……っ!?」



 凄まじい爆風で、俺やコーちゃんも吹っ飛んでしまった。


 顔を上げた俺の目に映ったのは、川のど真ん中にできた巨大なクレーター。


 すぐに川の水が流れ込み、どデカい池が完成してしまった。



「か、飼い主殿……」



 爆風で泥まみれになってしまったコーちゃんが、ぷるぷると体を震わせる。



「い、い、今のは二百エリミネートル級の超危険なフレイムボムだったぞ? もう少し弱くしないと、我らも危ない」

「ご、ごめん」



 自分の魔法で命を落とすなんて、末代までの笑い者になるな。


 魔法を打つときはもう少しエレメントを少なくして──。



「気をつけろ飼い主殿。次が来るぞ」



 ガシャガシャと紅帝蟹の足音が近づいてくる。


 フレイムボムでかなりの数を減らしたはずなのに、まだまだやる気らしい。


 今度は極力少なめにエレメントを集め、フレイム(弱)を放った。


 火炎放射を食らった紅帝蟹は炭化せず、ホカホカに焼けている。


 ふわっと、なんとも美味しそうな香りが風にのって運ばれてくる。


 思わずジュルリ。



「いいぞ、その調子だ。頑張れ飼い主殿」

「いや、応援してないで手伝ってよコーちゃん……」



 両手を使って周囲にフレイム(弱)を放ちまくる。


 次第に紅帝蟹の攻撃が弱まっていき、やがて紅帝蟹の足音が消えた。


 ようやく河原に静寂が戻る。


 俺の周囲には、焼き上がった紅帝蟹が山のように重なっていた。



「……ふぅ、とりあえずは全滅させたか?」

「ふむ。そのようだな」



 転がっている紅帝蟹は、ざっと数えて三十体ほど。


 以外と少なかった。残りは逃げたのだろう。


 しかし、と付近の紅帝蟹を見て思う。


 フレイムの魔法のおかげでホカホカに焼き上がっているから、このまま食べられそうだな。


 ひとまず二体ほどの紅帝蟹を残し、あとはすべてマジックバッグに入れた。


 こいつもギルドで買い取ってくれるだろうしな。


 旅の路銀にさせてもらおう。



「それで飼い主殿? この蟹はどうやって食べるのだ?」

「ううむ、どうするか……」



 ホカホカに焼けた紅帝蟹を見ながら、しばし考える。


 このまま焼き蟹として食べてもいいが、もうひと手間かけたいところ。


 塩をかけてもう一度茹でるか? 


 バター醤油で焼き直してもいいかもしれないし……いや、待てよ? ここはアレだな。



「決めた! 鍋にしよう!」

「おお、蟹鍋か!」

「それも普通の蟹鍋じゃないぞ? 卵を入れた蟹卵鍋だ!」


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