第一話 喋るコーギー
「我は聖獣フェンリルだ」
土曜日の昼下がり。
自宅マンションのキッチンで料理を作っていると、背後から見知らぬ男性の声が聞こえた。
テレビでもつけてたかな?
そう思ってリビングを見たが、テレビはついていなかった。
ソファーの傍で俺が作ったピーマンの肉詰めを食べている飼い犬のコーギーこと「コーちゃん」が、ジッとこちらを見ているだけ。
実に幸せそうな顔で「へっへっへっ」と舌を出している。可愛い。
「……今、なんか言った?」
なんとなく尋ねてしまったが、我ながらアホな質問だと思った。
だって相手は犬だし。
人間の言葉はなんとなくわかるにしても、喋れるわけがなくて──。
「我は聖獣フェンリルである」
喋った。
それもかなり渋い声でコーちゃんが喋った。
渋い声の声優として確固たる地位を築いている大塚◯夫さん並の渋さである。
見た目とのギャップがすごい。
決して可愛くてフワフワのコーギーが発していい声色ではないと思う。いや、厳ついドーベルマンでもよくないと思うが。
ちなみに、これまでコーちゃんが言葉を喋ったことなど一度もない。
「え、ええと……」
思考がフリーズしてしまった俺は、おぼつかない足取りでリビングへと向かう。
「お前、いつ話せるようになったんだ?」
「飼い主殿と出会う前からだな」
俺と出会う前?
……っていつだったっけ?
すっかり頭が混乱してしまった俺は、努めて冷静にここまでのことを振り返ることにした。
俺こと鍋島有馬は、都内の小さな商社で働いている。
商社マンと言えば響きはいいが、もはや社畜リーマンだ。
既存顧客への営業や新規顧客の開拓。さらには商品開発からマーケティングまでひとりでこなしている。
おかげで休日出勤は当たり前。
終電で帰ることができれば御の字状態。
故に二十四歳の今に至るまで、独り身の生活を送っていた。
そんな生活に寂しさを覚え、ペットでも飼おうかと思い立ったのが数カ月前。
偶然にもマンションの掲示板に貼られた「譲渡会のお知らせ」を発見し、俺は「これだ」と確信した。
譲渡会とは「動物愛護団体に保護された動物を里親希望者へ譲り渡す会」のことを指す。里親を探している保護犬は成犬である場合が多いため性格も把握しやすく、譲渡会では自分に合うペットと巡り会える可能性が高いのだ。
俺は譲渡会に参加し、そこで一匹のコーギーと出会った。
キツネみたいなふわふわの尻尾を持ち、茶色の毛にホワイトのマーキングが入った「カーディガン」という種類だ。
俺はひと目見てメロメロになってしまった。
短い足でチョコチョコと歩く姿は非常に愛らしく、モコモコお尻の可愛さは言葉では表せないような破壊力があった。おまけに人懐っこく、活発で遊び好き。
こんな可愛い生き物がいていいのだろうかと疑問に思うほどだった。
俺はすぐにそのコーギーを引き取ることに決めた。
譲渡手続きを済ませ、一週間後、自宅での共同生活が始まった。
もちろん必要なものはすべてそろえた。ケージに食器。首輪や散歩用のリードなどなど。名前も「コーちゃん」に決めていた。
コーちゃんはすぐに俺に懐いてくれて、まるで何年も一緒に住んでいるような感覚になった。
賢くて人懐っこい性格で、ご飯を食べるのが大好き。ドッグフードより俺の手料理がいいらしく、ピーマンの肉詰めを作るといつも美味しそうに食べていた。
なので、超久しぶりに休みが取れた今日、コーちゃんの大好きなピーマンの肉詰めを作って喜ばせてやろうと思ったんだが──。
「我は聖獣フェンリルなのだ」
再びコーちゃんの声。
彼はペロリと口の周りについた肉汁を舐めて「美味い」と続ける。
一方の俺は、いまだに目の前で起きていることが受け入れられずにいた。
「ええと……」
俺は言葉を慎重に選び、恐る恐るコーちゃんに尋ねた。
「そ、その『フェンリル』というのは?」
「我の本当の姿だ。異世界の神エンキドゥの眷属にして魔法の王、聖獣フェンリル。真名はエンドリッキ・コレスタという。とある事情で異世界から転生してきた」
ぺらぺらぺら。
コーちゃんの口から放たれたのは流暢な日本語だが、半分以上理解不能だった。
わかったのは、異世界からやってきた存在だということ。
そして、本当の名前。
「エンドリッキ……?」
「コレスタ」
「じゃあ、やっぱりコーちゃん?」
「……であるな」
く~ん……と悲しそうに鳴くコーちゃん。
「前々から思っていたのだが、この『コーちゃん』という名前、すごくダサいと思う」
「……んなっ!?」
思わずギョッとしてしまう俺。
「待て待て! どこがダサいんだ!? めちゃくちゃ可愛い名前じゃないか! それに、コレスタならコーちゃんで合ってるし!」
嘘偽りはない。
というか、不満があるなら名付けたときに言えばよかったじゃないか。
「……だけど、なんで突然喋り出したんだ?」
「そろそろ正体をバラしてもいい時期だと思ったのだ」
「…………? どゆこと?」
「先日、飼い主殿が電話で保護犬譲渡会のスタッフと話していたであろう? 正式に我を引き取ると」
「したけど……ああ、なるほど。そういうことか」
ポンと手を叩いた。
コーちゃんが普通の犬ではないとわかって「やっぱり引き取りません」ということができなくなったので正体を明かしたというわけか。
この子、意外と策士なんだな。
声色だけじゃなく喋り方も威厳を感じるし、本来はすごいお方なのかも。魔法の王とか言ってたし。まぁ、見た目はフワモコの可愛いコーギーだけど。
「そっか。コーちゃんはコーギーじゃなくてフェンリルだったのか……」
改めてその事実を咀嚼する俺だったが、ふと疑問に思う。
コーちゃんの正体が聖獣フェンリルだとして……俺たちの生活になにか影響があるのだろうか?
だって見た目は普通のコーギーだし。食事が違うとか?
しかし、俺が作ったピーマンの肉詰めを美味しそうに食べてたしな。
う~むと考えていると、キッチンのガスコンロからピピッと音がした。
フライパンの熱が上がりすぎて火が消えたらしい。
そういえば料理の途中だった。
「……ところでコーちゃん、ピーマンの肉詰めはまだ食べるか?」
「食べる」
「そか。んじゃ、待ってて」
とりあえずキッチンに戻る。
菜箸を使って、肉がぎゅうぎゅうに詰まったピーマンを焼いていく。ジュウジュウと食欲をそそられるいい音がキッチンに響く。
「我、料理がうまい飼い主殿にめぐりあえて嬉しい」
コーちゃんの声が聞こえたのでちらっとそちらを見ると、尻尾をフリフリしていた。
可愛い。
「そ、そうか。ありがとう」
コーギーに褒められるなんてちょっと不思議な感覚だけど。
なんて考えながら焼き続け、合計十個ほどのピーマンの肉詰めが完成した。
まずはコーちゃんの分を皿に分ける。
調味料を使っていないものを七個ほど。
ピーマンの肉詰めは犬に食べさせても平気なのだが、体のことを考えて調味料を使っていないものを別に作っているのだ。
「……あれ? でもコーちゃんって犬じゃないなら、そこまで気を使う必要はないのか?」
「そのとおりだ」
コーちゃんが真剣な声で言う。
「我、前々から飼い主殿と同じものが食べてみたかった」
「……あ、だから聖獣だって告白したとか?」
「それもある」
「あるんかい」
冗談で言ったんだけど、肯定されちゃったよ。
食欲に正直な聖獣だなぁ。
別にいいんだけどね。
ひき肉に味はつけてあるのでそのままでも美味しいのだが、別の味でも楽しめるようにケチャップを皿の脇に盛っておく。
ふたり分の皿を持ってリビングに。
コーちゃんとは一緒にご飯を食べることにしている。
だってほら、家族みたいなもんだしさ。
お世辞にも広いとは言えないリビングのど真ん中に置いてあるテーブルに俺の皿を、その傍にコーちゃんの皿を置く。
「お待たせ」
「美味そうな香りがするな」
舌を出して嬉しそうな顔をするコーちゃんと並んで座り、手を合わせる。
「それではいただきます」
「いただきます」
早速、ぱくりと頬張った。肉汁がジュワッと口の中に広がる。
うん、いい感じで焼けているな。
肉は芯までちゃんと火が通っているし、ピーマンのほのかな苦味が甘みに変わっていて、肉の濃厚な味と見事に調和している。
我ながら、いい出来ではないだろうか。
隣を見ると、コーちゃんもアフアフと美味しそうに食べている。
「むおお! これはいつもより美味であるな!」
歓喜の声をあげるコーちゃん。
初めて調味料入りのピーマンの肉詰めを食べて感激しているみたいだ。
「普段より味がしっかりとしておる! 飼い主殿はいつもこんなに美味いものを食べていたのだな! 我、少しだけ悔しい!」
「安心して。これからはコーちゃんにも同じ物を出すから」
その方が手間も省けるし。
それを聞いて安心したのか、コーちゃんは嬉しそうに尻尾を振っていた。
「ところでコーちゃんって、なんで異世界から転生してきたんだ?」
「んむ? 理由か?」
コーちゃんは顔を上げ、ぺろりと口の周りを舐める。
「追放されたのだ」
「……追放? もっと詳しく教えてよ」
「蛮神イグアニオスとの戦いで敗れて異世界に追放され、輪廻転生の秘術を使いこの体に受肉したのだ」
「あ~……なるほど?」
頷きかけて首を捻ってしまった。
わかったようなわからなかったような。
「ええっと……つまり、異世界の神様との戦いで負けちゃったからこっちの世界に転生してコーギーの姿になったと?」
「うむ。そのようなものだな」
こくりと頷くコーちゃん。
「じゃあ、元の姿に戻ってその神様にリベンジしたいとか考えてる?」
「この体に受肉したばかりの頃は考えていたが……もう諦めた」
「え? そうなの?」
「受肉した後、しばし野良犬として暮らしていたのだが、そのとき我は考えたのだ。こうして自由にのんびり暮らすのが肌に合っている、とな」
なるほど。自由気ままな異世界生活ってわけだ。
ほら、コーちゃんにとってはこの世界が異世界なわけだし。
だが、意気揚々と話していたコーちゃんは耳をしなっとさせた。
「しかし、ひとつ問題があった。飯だ」
「飯?」
「うむ」
首がもげるかと思うくらい、深々と頷くコーちゃん。
「この世界にはとてつもなく美味い飯があると聞いた。野良犬では決して口にすることができない、松阪牛や神戸牛といったブランド肉だ」
「……もしかして、それで保護犬に?」
「そうだ。保護犬の譲渡は審査が厳しく、家族になるにはトライアルをクリアする必要がある。厳しい審査をクリアできるのは選ばれし者……つまり、松阪牛すら余裕で取り寄せることができる上流階級の人間だ。飼い主殿もそうなのであろう?」
「いやまぁ、取り寄せるくらいできるけど」
社畜生活を送ってるせいで使う機会がないから、貯蓄には余裕がある。
ていうか、そこまで考えて保護犬になっていたなんて、本当に策士だな。
「だが、安心しろ。飼い主殿に高級な松阪牛を所望したりはしない」
わふっとひと鳴きして、コーちゃんが続ける。
「飼い主殿の料理はすごく美味いからな。実際に食したことはないが、きっと松阪牛に勝るとも劣らない味だろう。いい飼い主殿に、美味い食事。これ以上の幸せがあろうか」
「……それはよかった」
思わずホッと胸を撫で下ろしてしまった。
松坂牛を取り寄せずに済んだ……というわけではなく、コーちゃんが幸せだとわかったからだ。
コーちゃんに料理を作ってあげようと思ったのは、いつも仕事から帰るのが遅くて寂しい思いをさせているだろうと考えたからなのだ。
「それで、だ」
ちょいちょいと皿を手で触りながらコーちゃんが続ける。
「日頃、我にこのような美味い料理を提供してくれている飼い主殿に、なにかお礼をしたいと思っているのだが」
「え? お礼?」
「うむ」
辺りをキョロキョロと見回すコーちゃん。
「前々から気になっていたのだが、飼い主殿は旅行が好きなのか?」
リビングには大きな本棚があるんだが、半分くらいはビジネス本で、もう半分は旅行ガイドブックや、旅行エッセイ本が並んでいる。
社畜生活のせいで旅行に行けず、せめて気分だけでも味わおうと、そういった書籍を買い漁っていたのだ。
ちなみに最近のマイブームは異世界スローライフ系のラノベだ。寝る前に読んでいるんだけど、時間を忘れて没頭してしまう。
「旅行には憧れてるね。まぁ、今の会社で働いてる限りまとまった休みは取れないから、遠出は無理だと思うけど」
「では、我がプレゼントしてやろう。とびっきりの……異世界旅行だ」
「……えっ!? ちょっと待って!? い、今、異世界旅行って言った!?」
思わず声を荒らげてしまった。
「い、い、異世界に行けるのかっ!?」
「ああ、転移魔法は我が得意とする魔法のひとつだからな。移動時間などかからず一瞬で現地に行けるぞ」
「マジでっ!?」
身を乗り出してガシッとコーちゃんの顔を掴む俺。
可愛い顔がムニュッとなる。
「ど、どうしたのだ、飼い主殿? 目が怖いぞ」
「異世界って言ったら、モンスターがいるんだよな!?」
「もちろんいるが、それがどうした?」
「コーちゃんには秘密にしてたけど、実は俺……子どもの頃からファンタジー世界のモンスターの肉を使った料理を食べるのが夢だったんだよっ!」
「……なんて?」
コーちゃんはらしからぬ素っ頓狂な声を出すのだった。
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